或る常態行動心理学者の心理学ファイル
常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2015年10月10日土曜日
集団的自衛権が齎す虐待死の増加に於ける常態行動心理学的解釈について♪
本日のテーマは『集団的自衛権が齎す虐待死の増加に於ける常態行動心理学的解釈』について。
最近新聞各誌やマスコミ報道に於いて親による子供の虐待死報道が以前にも増して加熱報道されるようになっている。
これは一体何を意味しているのだろうか?
動物の世界では例えば象は自らの死期が近づくと誰の目にも止まらぬ場所へ移動してそのまま息を引き取るのだと言う。
極めて象らしい穏やかな身の処し方である。
されど象のように潔い物ばかりではない。
では知能が高くなり人間に近くなるとどうなるか?例えば餌が少なくなり取り合いとなった時、何と身内を殺して餌を確保するという俄に信じ難い結果がでている。
知能指数が高くなれば成る程自己生存欲求は高まり生き残る為に他者を殺傷して自らの生命を維持する傾向が高くなるようである。
昨今の大人による子供の虐待死を見ていると血の繋がりのない第三者か?扶養家族による犯行が増えている。
これは何を意味しているのか?
実はこれは極めて日本的な事例である。
何度も述べているが日本に於ける家制度は制度的影響力は薄れた物の精神的影響力は寧ろ強まっている傾向にあるようである。
例えばご近所の話をする際に個人名ではなく家の名前を出す事の方が多い事に気づかれているであろうか?これは解りやすさを強める為だけではなく日本人が人という単位を家単位で捉えている事に起因している。
例えばこれが家ではなく企業でも同じ。
勤め人の話をする際必ず企業名が先に来る。
故にフリーランスやフリーターと言う立場の人間に於ける日本国ないの社会的認知は家制度が精神的に残っている限りまだまだ低いと言わざるを得ない。
そしてこの精神的家制度は外から中を見る時だけでなく中から中を見る際にも適用される。
つまり血の繋がりの有無である。
例えば内縁関係にあったり例えば養子縁組等外から家へ入ってきた人間は日本国内に於いてはとても精神的に肩身の狭い思いをしながら生きなくてはならない精神構造を遺伝子レベルで組み込まれている。
それは人の単位が日本国内では個人単位ではなく家単位で未だ認識されている事に起因している。
故に内縁関係や養子縁組の場合、外からの視線はとても厳しくそれがその人個人の生物学的危機意識をとても強くする事となる。
そうなると必然的にその人がその家で生き残る為にはその家の構成員をその枠から外して自分がその位置に座らざるを得なくなりその結果家庭内に於いて一番社会的弱者となる子供へその矛先は向かう事となる。
これが所謂昨今急増している虐待死に於ける常態行動心理学的理由である。
ではそれと集団的自衛権がどのように絡んでくるのか?これはもう社会不安の増大による危機意識の増大が及ぼす生物学的生存欲求から来る排除行動に他ならない。
此れから日本の自衛隊が海外派兵可能となり実際に敵地で活動する事となると結果的に世界の中で日本も又、好戦国という印象を印象付ける事となりそうなると生物学的生存欲求から来る排除行動に伴い他国からの軍事干渉が激化する事は想像に難くない。
平たく言えば戦争になる。
そうなれば日本は家単位で結び付きを強くして元々の家の構成員以外は排除される側になる。実質的にそうなるかどうかよりも元々の家の構成員以外はそう言う精神状態に陥りやすくなる。
これが日本古来からの家制度に於ける弊害である。
その結果今以上に内縁関係者や外部参入者による殺傷行動が増える危険性は現状を見る限りは不可避であると言わねばならない。
日本国民を守る為に作られた筈の集団的自衛権が結果的に内部崩壊の原因を作る事となるとは正に本末転倒である。
更には表立っての報道はないが集団的自衛権の話が出始めた頃から頻繁に自衛隊募集広告が増え始めてきている。
これは自衛隊に於ける退職者が増加している事に起因している。少なくとも私が掴んだ情報の範囲内では集団的自衛権の話が出始めた頃から自衛隊に於ける退職者が増えていると聞き及んでいる。
これも極めて解りやすい行動である。
お国の為よりも己の為にいきる。
極めて高い整合性を持つ行動である。
仮に何処かの国が交戦状態となり自衛隊による海外派兵が行われ万が一戦死者が出た場合自衛隊退職者は更に増加する事は明らか。
そうなった場合、仮に日本国内で災害が起きた時の被害者救済の為の人員確保が難しくなる。結果的に災害犠牲者の象かに繋がる恐れは否定ができない。
以上の結果から集団的自衛権の行使は日本国内の身内による虐待死が増加し更に自衛隊退職者が増加し日本国内の災害犠牲者の増加する可能性がとても高くなる事がお解り戴けたかと思われる。
今の日本の国主が行っている蛮行は正に『朝三暮四』であり詭弁である。
私は断固として自衛隊による海外派兵が実際に行われる前に何としてもこの法案は廃案にすべきと考えている。
此れからも私はそれを広く訴えていく所存。
今日も元気に頑張りましょう。
本日は日本語で。
2015年10月9日金曜日
注意喚起報道が齎す新たな問題点に対する常態行動心理学的解釈について♪
本日のテーマは『注意喚起報道が齎す新たな問題点に対する常態行動心理学的解釈』につついて。
先日夕刻のニュースで毒キノコに対する注意喚起報道が為されていた。
日本全土に吹き荒れる不景気風の影響を受けて少しでも食費を浮かそうと主婦層を始めとする専門家を加えた茸狩りツアーが最近隆盛を極めているとか。
野山に分け入り食べられる茸と食べられない茸に専門家が種別をしてくれる為に間違えて毒キノコを採取して自分を含む家人へ命の危険を晒さずに済むと言う事で好評を博しているのだとか。
それ自体には然して問題はないと思われる。
問題があるのはその報道のあり方である。
一般には区別の難しい食べられる茸と食べられない茸の種別をニュースで報道していた。
解くに食べられない茸についての毒性やその症状についても詳しく語られていた。
一見すると注意喚起報道としてとても有益であり何の問題も無いように思える。
だが物事には全て表と裏がある。
一見すると何の問題も無いように思える報道も裏から見るととんでもない報道になる。
例えば以前鳥甲を使った毒殺による保険金詐欺事件が有った。
この受刑者の情報元何と推理小説であった。
推理小説に書いてある通りの手法で殺人を犯し保険金を見事詐取していたのである。
勿論推理小説を書いた小説家に罪はない。
だが犯罪の材料に使われた事は事実である。
今回の注意喚起報道もこれに該当する。
即ち毒殺による保険金詐取事件を企てようとする犯罪者予備軍にその手法の一端を教える形となっているのだ。
事態はそれだけではない。
毒性にはそれぞれ強度がある。
直接死に至る物から体を壊す程度の物まで。
体を壊す程度の物でも回数を重ねれば体は弱り抵抗力を奪い結果死に至る。
長期間使用していれば体内残存率も低下し毒キノコによる毒殺死を立件する事は困難となる。
このように何気ない注意喚起報道も見方によっては犯罪幇助になる可能性もある。
いわゆる空き巣等の防犯報道も同じ。
報道された手口で犯行に及ぶ馬鹿はいない。
だがその報道の裏をかけば犯行も行える。
そう言う危険性が報道には常付きまとう。
その事を報道関係者は肝に銘じるべきである。己の報道が人の命を危険に晒している可能性がある事を自覚すべきである。
我々心理職はこのような観点から犯罪がどのように行われ何処から情報を入手してどういう経路で犯罪を犯したかを精査し警察と連携して犯罪者割り出し及び逮捕に貢献している。
注意喚起報道は犯罪者の犯罪を助長するだけではなくこのように我々のような心理職にとって犯罪者心理を紐解き犯罪者特定の鍵ともなり得る。
これも又、人間の心理の多面性による物である。我々は断固犯罪者を許さない。それにより財産を奪われ人権を奪われ時に命を奪われた者達の無念をそのままには捨て置かぬ。
必ずその犯罪を白日の元に曝し法の裁きを受けさせる。その事を此れから犯罪を犯そうとする者には注意喚起を求めたい。
我々にはどんな手口も通用せず。
その事は覚えておいて貰おう。
今日も元気に頑張りましょう。
本日はスペイン語で。
.El tema de hoy se dio un codazo en la "interpretación normal de la psicología del comportamiento para el nuevo problema que la cobertura de la atención traerá. " Publicidad de Atención a la seta venenosa se ha hecho en el noticiero de la noche , el otro día . Toka gira de caza de setas más los expertos bajo la influencia del viento recesión que asola a todo Japón está tratando de Ukaso la comida aunque sea un poco , incluyendo amas de casa han florecido recientemente.Bien recibida en que dice que se tomaron las setas venenosas por error para nosotros los profesionales en el tipo de setas que no se pueden comer y divididos entra seta comestible en las colinas no necesita expuesto la vida de un peligro para las personas de la casa, incluido yo mismo Así problema en sí mismo no lo creo. Hay un problema es la naturaleza de la cobertura . En general , se ha informado del tipo de hongo que no se pueden comer y es difícil comer setas de distinción en las noticias. La toxicidad y los síntomas del hongo que no se puede comer para resolver habían dicho en detalle también . Parece que no hay un problema es muy beneficioso como noticias atención que la primera vista .Pero no es todo mesa y volver a las cosas . Cobertura parece que no hay ningún problema A primera vista se vuelve a informes ridículos cuando se ve desde la parte posterior . Por ejemplo , no hay fraude de seguros por envenenado utiliza el Torikabuto anterior. El recluso fue una fuente de información de lo que la novela de detectives . Se había sido excelente defraud el dinero del seguro cometió un asesinato en el procedimiento , ya que se escribe en el misterio. No hay pecado en el supuesto novelista que escribió una novela de misterio . Pero que se utilizó en el material del crimen es cierto.Esta vez de la cobertura de atención corresponde a este . En otras palabras , se ha convertido en una forma de enseñar a un extremo de la técnica a los delincuentes para tratar de Kuwadateyo el caso de fraude de seguros por envenenamiento. Situación no es sólo eso. La toxicidad tiene su propia fuerza. De lo muerte directamente a los de la medida de romper el cuerpo. Si Kasanere el número de veces que sea de un grado que rompen el cuerpo corporal resultados fatales tuvieron una resistencia debilitada . En tanto que el uso a largo plazo es que es difícil presentar cargos criminales de la muerte la intoxicación por la tasa residual cuerpo también disminuye la seta venenosa .De esta manera, también hay probabilidades de ser asistido por el crimen informal también ver la cobertura de recordatorios a . También cobertura de la seguridad de la llamada casa vacía , etc. misma . No es un tonto de hasta el crimen en las noticias ha sido el modus operandi . Pero se puede realizar incluso el crimen si se escribe la parte posterior de la noticia . Haunt siempre en el riesgo noticia para decirlo. Periodistas que debería tener en cuenta . Su cobertura es debe ser consciente de que hay una posibilidad de que el riesgo de la vida de las personas.Nosotros, en conjunto con la profesión de la psicología es la policía examinan si cometió un delito en qué camino para obtener la información desde cualquier lugar que se hace cómo el crimen es desde este punto de vista han contribuido a la indexación penal y la detención . La cobertura de atención también puede ser una forma en que los criminales de este psicológicos clave específica estallar la psicología criminal para ocupar puestos como no sólo fomentar el delito de criminales . Una vez más, esto se debe a la versatilidad de la psicología humana . Estamos decididamente no permitimos que los criminales . De ese modo privado de su propiedad e inesperado Suteoka como el disgusto de los privados de la vida nos está cuando se le priva de sus derechos humanos .Siempre me sometí a la justicia de exponer los crímenes sacado a la luz el original. Quiero encontrar un recordatorio para aquellos que quieren tratar de Okaso un crimen futuro esa cosa. Nos lo modus operandi también sin clase a . Lo voy a dejar que lo recuerde. Haremos nuestro mejor esfuerzo para hoy saludable. Hoy y en español .
2015年10月6日火曜日
フードコート症候群にご用心!?
本日のテーマは『フードコート症候群にご用心!?』について。
過日、行きつけのお店の店員さんから『悪意の無い無銭飲食』の話を頂戴した。
例えばcoupleでお食事に行かれ片方が途中退席し用足しに行く。
片方も食事を終えて外で待つ。
用足しから帰ってきた人は中に居る人がお金を払ってくれたと思い込み、中に居る人は用足しから帰ってきた人がお金を払ってくれたと思い込みそのまま家路に着かれる。
後でお互いがその話を聞いて無銭飲食したと気づき慌てて後日お支払に行かれる。
店側も混雑時では一々誰が出入りしたか迄確認をとれず又、複数で入ってきた人の中に別の人間が紛れ込んでいても解りづらい。
中にはその集団に紛れて無銭飲食をする不届き者も居る。
だが大抵の場合、勘違いが齎す無銭飲食である場合が多い。
それが表題にある『フードコート症候群』である。
フードコートの場合は全て前払い制であり後からお金を払うと言う場所は少ない。
そういう場所での飲食になれている人は悪気はないのだが席についた途端、頭の中では『支払いは済ませた』事になっており、食事後そのまま退席される方もおられる。
店側が気づいて足止めすれば己の過ちに気づき二度と同じ失敗はしないであろうが店側が気づかずそのまま店を出てしまってはその人は何時までも学習せずに居ることとなる。
そして何時かrealに無銭飲食で御用となる最悪のケースを迎える事となる。
作為的ではなく無意識的である所だけに余計に恐ろしい。
だが店側にしてみれば故意だろうが無意識だろうが無銭飲食は無銭飲食でありその事実は変わらない。
お金を払えば問題ないかと問われたら残念ながらお金を払わず店を出た段階で刑は確定しその後支払いを済ませても罪状は変わらず。
昨今こういう飲食トラブルが多発している。
防止策はレシートを貰ったかどうかを必ず確認する事。
レシートを貰っていればそれが物的証拠となり無罪放免となる。
だがレシートを貰っていなければ言い逃れはできぬ。
悪気はないは法的には通用しない。
私自身嘗て経験し肝を潰した事があるだけに双方共に気を付けたいものである。
今日も元気に頑張りましょう。
今回は世界一犯罪の多い国ホンジュラスの公用語スペイン語で。
El tema de hoy es la precaución a " síndrome de Food Court ! ? " Acerca de.Otro día , fue darme la historia de " inocente y sin dinero para comer y beber " del secretario de frecuenta la tienda. Por ejemplo , usted va a cenar en pareja para ir a dejar el recado medio es uno . También se esperan fuera terminado la comida. Que volvió de la misión con apiñamiento Creo que las personas que están en mí fue el pago de dinero , las personas que están en él se llega directamente hacia casa llena de gente que creo que la gente que regresó de la misión dieron me pagan dinero. Se va a pagar en una fecha posterior a toda prisa a notar entre sí después estaba sin dinero para comer y beber al escuchar la historia .También tienda lado no puede tener un chequeo si usted quién uno por uno en el momento de la congestión también , difícil de entender , incluso si no es otro ser humano, mezclado con la gente que vino en múltiple. Incluso allí insolentes que la sin dinero de comer y beber a cubierto a la población . Pero en la mayoría de los casos, a menudo se malinterpreta es el alimento traer y beber sin dinero. Es en el título de " síndrome de Food Court " .Cuando usted dice que usted paga el dinero de más adelante ser todo sistema de prepago en el caso del patio de comidas es pequeño . Pronto pero no es ofensiva que fue a asentar las personas que están acostumbrados a comer y beber en esos lugares , en la cabeza y se supone que es " el pago se terminó " , es también el que , ya que es salir después de la comida. Para que no lo haría de nuevo el mismo fallo a notar sus errores si se pegó notó el lado tienda salió de la tienda intacta sin notar el lado tienda para que allí sin siquiera aprender a tiempo es esa persona. Y es que se cumple el peor de los casos para ser frecuentado por sin dinero comer y beber en el tiempo o real.Deliberada el único extra es terrible lugar que es inconsciente , no . Pero sería voluntaria y si quieres hacerlo en el lado de la tienda, pero sería inconsciente pero sin dinero para comer y beber es sin dinero para comer y beber no cambiar ese hecho . Sentencia en la etapa de salir de la tienda y sin pagar Desafortunadamente dinero Cuando se le preguntó si no hay problema si pagar el dinero no cambia los cargos , incluso terminó la confirmación y luego pagar . Tal problemas comida es con frecuencia hoy en día.Las medidas de prevención posibles para confirmar si es o no me dieron un recibo siempre . Siempre y cuando llegó un recibo por lo que es el convertirse en la evidencia física absuelto . Pero lo inesperado puede subterfugios Si usted no tiene un recibo. Ofensa no no se habla legalmente . Es lo que quiere cuidadosa tanto sólo en la que fue aplastado a mí mismo una vez y el hígado experimentado. Haremos nuestro mejor esfuerzo para hoy saludable. Esta vez en la mayor parte del crimen del mundo en muchos países Honduras el idioma oficial de español .
2015年10月3日土曜日
集団的自衛権決議が齎す新たな不安障害について♪
おはようございます。
本日の山口は気温26℃(前日比0℃)
本日の朝食は母手製ハムピザ、母手製自家栽培野菜サラダ、oasis original blend hot coffee以上。
本日も病欠。
明日から出勤します。
今回の風邪は殊の外しつこい風邪で熱は下がるも中々体調が元に戻るのに時間の掛かる風邪で随分難儀をしました。
同胞方々にも随分御心配お掛けして多くのメッセージを頂戴しました。
心理職である私が余計に同胞に心配をかけさせては本末転倒です。
不安除去する側が逆に私事で同胞に不安を与えるような事があってはなりません。
自らの愚かさを痛感し自らのself controlの甘さを恥じるばかりです。
今日のテーマは『集団的自衛権決議が齎す新たな不安障害』について。
今夏は訃報が途切れる事無く続いており又、体調を崩される方がとても多いように感じられます。
その原因の一つが集団的自衛権決議にあります。つまりこれから日本は戦禍の中に身を置き自らが戦災に巻き込まれるかもしれないとする不安感。
連日連夜流される他国の戦争映像の恐怖が間近に迫る焦燥感。
それらのminus思念がstressを産み血中生成毒素量を増加させ元々の体調不良の上に重くのし掛かり最悪の場合絶命に至る。
今夏の有名無名の方々の死にはそう言う面が実は隠されています。
恐らくこれから死亡者はどんどん増え続けていくでしょう。
そしてその死亡記事により不安感を煽られて人の心が荒み刹那主義へと変わり終末思想が繁栄し自らの命を優先とする生存欲求が高まり人を殺めたり金品を強奪したり人を凌辱したりする輩が増えてくる事が推察されます。
又、細胞学的及び遺伝子工学的により優勢な遺伝子を残さんと離婚や離縁が急増し捨てられた側の(主に男性)失望感が狂気へと変わりそれによる破壊活動が活発化する事も同時に推察されます。
その結果、犯罪が多発しインフレが起こり物価が上昇し更にインフレが加速されハイパーインフレとなり嘗てのハイパーインフレにより滅びた国の二の舞を踏む事となる可能性が出てきます。
集団的自衛権決議が齎す新たな不安障害による様々な弊害がお解り戴けたかと思います。
集団的自衛権決議は日本に何も恩恵を齎しません。寧ろ日本に与えるのは多大なる不安と人が人ではなくなる狂気だけです。
我々は日本を亡国にはしません。
断固集団的自衛権廃案を目指します。
若い命を敵地にてむざむざ捨てさせません。
今日も元気に頑張りましょう。
本日は日本語で。
2015年10月2日金曜日
信頼している人が裏切るのは何故?
おはようございます。
本日の山口は気温24℃(前日比0℃)
本日の朝食はBritish bread、母手製蟹蒲salad、oasis original blend hot coffee、西条柿以上。
本日も病欠。
しっかり今週は休んで来週に備えます。
本日のテーマは『信頼している人が裏切るのは何故?』について♪
我が幼少期、亡父は学生時代から共に釜の飯を食べる竹馬の友から裏切られ売上金の全てを奪われ材料費その他必要経費全ての負担を亡父が背負わされ其が元で病となり長い闘病生活の後に絶命した。
勿論亡父存命中に裁判を起こすも出廷せずのらりくらりと逃げ回る内に亡父より先に他界し結局は持ち逃げされた金は取り戻せず。
一家離散直前迄追い込まれるも亡父の必死の奮闘により何とかそれは回避するも結局はその時の無理が祟り長期療養を余儀なくさせられた上に苦しみながらこの世を去りました。
我が幼少期は人から裏切られる事に対する屈辱と平気で人を裏切る者への憎悪だけは学ぶ事が出来ました。
それからかなりの年月が経過しました。
今、心理職となりあの時の事を振り返り信用している人から何故裏切られるのか?そのメカニズムを解明するに至りました。
先ず信用という物から見ていきましょう。
人が人を信用する要因は様々である。
相手との交流期間に信用を置く人。
相手のステータスに信用を置く人。
相手の人脈に信用を置く人。
相手の財力に信用を置く人。
相手の魅力に信用を置く人。
未々信用を置く要素は他にもあるだろう。
この信用を仮に信用記号と呼ぶ事とする。
そして重要なのは此処からで有る。
その信用を置かれた人が何故裏切るのか?
それは相手との信用記号の違いが原因。
そして生物学的危機意識が其を助長する。
Aという信頼記号を持つ人がいる。
Bという信頼記号を持つ人がいる。
この間の信用記号に於ける類似性はない。
Aという信頼記号を持つ人がいる。
A'という信頼記号を持つ人がいる。
この間の信頼記号に於ける類似性は高い。
人は高い類似性を持つ信用は裏切り難く
人は低い類似性を持つ信用は裏切り易い
つまり人から裏切られ難くする為には先ず相手の信用記号を知っておかねばならないのである。
ではそれどうすれば解るのか?
それはその人の行動を具に観察する事のみ。
如何に観察し如何に正確な信用記号を見つけ出せるか?が鍵となる。
次に重要となってくるのが生物学的危機意識である。
例えば目の前で大切な人の命が奪われそうになっていて大恩ある人を裏切らなければならない場面を想像してみて下さい。
貴方ならどうしますか?
私なら大恩人を裏切り大切な人の命を守る。
そして後、我が命と引き換えに赦しを乞う。
同時に我を貶めす者もろとも来世へ旅立つ。
人は生物学的危機意識が高まると生存欲求が高まり結果的に人を裏切らざる得なくなる。
其を利用して漁夫の利を得る輩も居ますがその者達も何れ同じ目に遭います。
以上が信用している人が裏切る理由である。
人を信用するなと言うつもりはない。
然れど多面的に分析する必要はあります。
何処信用があり何処が欠落しているか?
其を見極める事が大切です。
今日も元気に頑張りましょう。
私は今日も体を休めます。
2015年10月1日木曜日
異性恐怖症に対する常態行動心理学的解釈と対策について♪
おはようございます。
本日の山口は気温25℃(前日比-2℃)
本日の朝食は黒糖bread、母手製生ハムと自家栽培野菜salad、oasis original blend hot coffee以上。
本日は病欠。
雨天も手伝い二ヶ月前に罹患した風邪が中々治らずこの寒さで外へ出るのは風邪を悪化させるだけなので本日は体を休めます。
本日のテーマは『異性恐怖症に対する常態行動心理学的解釈と対策』について。
異性恐怖症とは女性に於ける男性恐怖症や男性に於ける女性恐怖症の事を示す。
昨今はこれに生来的性と肉体的性の異なる人達による生来的性から見た異性に対する恐怖症も絡んできて更に話は混迷化してきている。
『異性恐怖症』の原因は生物学的危機意識に有る。
人間が最初に目にする異性は親である。
男の子に於ける母親、女の子に於ける父親。
これが異性の最初の雛形となる。
所がこの雛形の存在が後々大きな影響を及ぼす事となる。
自我が目覚め第一反抗期を迎える頃になると先ず子供が最初に敵意をむき出しにするのは同性の親である。
自分にとって細胞学的刺激を与えてくれるのは異性の親である。遺伝子情報の違いはそのまま細胞学的な刺激として制帽は受けとる。
其を人間は愛という言葉で読んでいる。
その愛を独り占めしたいつまり進化の速度を早めたいというのは生物学的生存欲求と細胞学的進化欲求による物である。
其を阻害するのは同性の親の存在である。
同じく細胞学的刺激を欲する存在故である。
故にそれらを嫌悪し攻撃し遠ざける事で阻害要因を排除しようとする。
汎ゆる力学的観点から第一反抗期時の自分は同性の親には力及ばず此処で人生最初の敗北と闘争心を学ぶ事となる。
それ以降幼稚園から小学校と上へと上がる毎に今度は外からの刺激の方が細胞学的刺激を多く得れる事を学ぶ事となりそれにより多くの刺激を外から得た結果遺伝子レベルでの進化を果たし段々と親との力関係差が縮まっていく事となる。
今度は大人が細胞学的危機意識を得るに至り教育という名の元の拘束を与え進化の阻害をするようになる。本来教育とは体で覚える物であり人から学ぶ物ではない。
人間が教育と呼ぶ物は極めて生物学的危機意識による排除行動であり教育する側とされる側の力学的位置関係による位相理論的制圧行為である。
その事に子供は徐々に気づき始め第二反抗期を迎え親や社会からの自立心が更に芽生える。
そして親元を離れ個々に進化して行き又親と同じ行動を繰り返していく。
その過程に於いて異性から与えられる生物学的危機意識による排除欲求行動的攻撃を内外から受けそれに対抗しうる力を得ぬままに攻撃を受け続ける事により異性という存在への恐怖心が植え付けられる事が異性恐怖症の元である。
対応策としては攻撃を受ける程の力を持っている自覚を与えその攻撃に対抗しうる内在的力の存在を顕在化させ其を見える形に変えて罹患者に見せて得心させ自信を回復させる。
同時に己の持つ武器の種類とその使用方法を伝授し段階的に模擬戦を行い勝てる自分を脳に刷り込ませ弱い自分の情報を消去させる。
その事で結果的に異性恐怖症の脱却を図る。
言葉にすると簡単なように見えるが結構な難題である。
だが日毎にこの罹患者は急増傾向に有り猶予はならぬ。次々と自信を植え付けさせていき勝てる自分を持つ人を増やしていく事が唯一の予防策である。
私はこれからも言葉の処方箋による独自療法にてこれらの病の根絶を目指す。
今日も元気に頑張りましょう。
本日は日本語で。
2015年9月30日水曜日
常態行動心理学的逃げない生き方について♪
本日のテーマは『常態行動心理学的逃げない生き方』について。
私をrealに知る人は御存じですが私は肢体不自由者で45年間車イス生活を送っている。
長時間の座位による床擦れ手術は30回近くとなりその為入退院を繰り返し小中通してギリギリの出席日数しか出席できなかった。
加えて山口では初の身体にハンディーを持つ人間として小学校から大学まで普通科に通った最初の人間故に先ず入学許可を得る為の運動から始めねばならなかった。
健常者なら当たり前に入学できる小中さえ裁判手前まで教育委員会と戦ってやっと許可の降りる場所である。
恐らく多くの方々には理解の難しい話であると思う。
勿論ご多聞に漏れず苛め経験者である。
小学校から始まった苛めは高校を出る迄続き都合13年間苛め生活の中で暮らさざるを得なかった。
集団暴行は当たり前。
しかもその事実を隠蔽し刑事罰にもならぬ。
組織ぐるみで私を追い出そうと必死。
学校は学舎ではなく私には牢獄であった。
地方は一部の権力者が全ての権利を独占し国家権力が及ばぬ所である。権力者の身内が犯罪を犯しても見て見ぬふりをする。其がローカルルールである。
自殺未遂を企てた事もあったがやむ無く失敗。其処から何とか這い上がり戦いの日々を送っていた。
私が人として初めて認知されたのは大学入学以降の話である。
其までは高校すらまともに入学許可を貰えず定時制高校へ強制入学させられる始末。
大学以降はその後、人生の師と仰げる先生や先輩にも後輩にも恵まれここで私の人生はやっと花開いたといって良い。
そしてその生活の中で私と同じかそれ以上に毎日を苦痛の中で暮らす方々をお救いしたいと心理の道へ進み二十有余年が過ぎました。
今も地元ではは化け物扱いを受けています。
地元では私は人とは扱われません。
その中で私は『逃げない生き方』を選択し続けて今があります。
体にハンディーを持つ事で人に憐れみを買うような生き方を選択せず出来る事は120%以上の結果を残し出来ない事は人に助力を乞わず工夫にて其をなしそれでもできぬ事は断念、人からの見せかけの善意を受けた事は一度もありません。
そしてこの生き様を私は同胞に見せる事で同胞の中に眠る生きる気力と戦う気力を奮い立たせ病に打ち勝たせてきました。
今も地元での私の戦いは続いています。
恐らく地元を離れるまで続くでしょう。
人は媚びろと言います、素直に頭を下げろとも言います。
しかし私は媚びず頭を下げず常、上に向けて生きてきました。
その事は簡単な事ではありません。
時には心折れそうな事もあります。
そんな時私を奮い立たせてくれるのは私を頼みの綱とする同胞の存在です。
彼ら彼女らが私を必要とし私の力を必要とする限り私が屈する事はありません。
確かに不器用です、愚かとも思います。
然れど私にはこの生き方しか出来ません。
この生き方を支持してくれる人が一人でもいる限り私は私の生き方を変えるつもりはありません。
それが私と言う人間の存在意義だと認識しています。
数年前瓦斯壊死に罹患し片足を切断後は更に人の目は厳しくなりました。
それでも私は戦う姿勢を崩しません。
これからも私は私の色で戦い抜きます。
それが同胞の生きる力となり病に打ち勝つ力となるなら喜んで戦います。
今日も元気に頑張りましょう。
本日は誇り高きゲルマン民族の誇りに掛けてドイツ語で。
Das heutige Thema ist die " normale Verhalten psychische Flucht nicht ein Weg des Lebens . "Die Menschen , die mich kennen und in Echt ist euch geht, aber ich habe ein Auto 45 Jahre Stuhl leben in Körperbehinderter gesendet. Dekubitus Operation wegen Langzeitsitzpositionkonnte nicht nur die letzte Minute der Teilnahme durch Grund-, Mittel wiederholt deshalb ins Krankenhaus in der Nähe von 30-mal zu besuchen. Darüber hinaus in Yamaguchi musste von Bewegung für den Erhalt der ersten menschlichen daher zunächst die Zulassung , die durch eine gewöhnliche Familie von der Grundschule bis zur Universität als Mensch mit einem handlichen den ersten Körper passiert hat, gestartet werden. Konaka die alltäglich ist es möglich, einschreiben , wenn ein gesunder Mensch selbst ist ein Ort , um aus dem Genehmigung und tut im Kampf mit dem Board of Education , um vor Gericht . Ich denke, dass wahrMobbing ist eine Erfahrung, nicht auf den Verlauf Ihrer Tamon auslaufen. Mobbing begann der Grundschule waren gezwungen, im Leben zu leben Mobbing weiterhin Bequemlichkeit für 13 Jahre bis zum Verlassen der High School. Mob Gewalt ist an der Tagesordnung . Außerdem Grab auch strafrechtliche Sanktionen , um diese Tatsache zu verbergen. Verzweifelt versucht, mich in der Organisation Kostüm zu vertreiben. Die Schule war ein Gefängnis für mich eher als ein Campus . Region ist ein Ort , der nicht weniger als die Staatsmacht ist Teil der Machthaber ist alle Rechte monopolisiert. Behörden der Verwandten ist ein Auge zudrücken, um selbst ein Verbrechen begangen . 其ist eine lokale Regel.Es wurde auch versucht werden, einen Selbstmordversuch , aber gezwungen Versagen. Ich war einen Tag zu Tag geschafft, schleichen -up Schlacht von diesem Ort geschickt. Ist die Geschichte von der späteren Hochschule ich zum ersten Mal als Mensch erkannt . Settlement其, bis dass sich die Zulassung auch der High School , um menschenwürdige gezwungen, jede Eintrittsabendgymnasiumnicht bekommen . Dann nach dem College , hier gesegnet , um in der Junior auch für Lehrer und Senioren sein Aogeru das Leben meines Lebens sagen kann, endlich blühte haben werden.Und vergangen gleich oder zwanzig ungeraden Jahren ist , geht der Prozess mehr im täglichen denen, die dein Heil , die Sie wollen mit der Psychologie der Weg, um Schmerzen zu leben und mich in ihrem Leben sind . Auch in der lokalen Behandlung wird ein Monster jetzt erhalten haben . Ich glaube nicht, die Menschen in der lokalen Behandlung . Unter ihnen habe ich nun weiterhin die Option " entkommen nicht einen Weg des Lebens . " Was Sie , ohne ein Weg des Lebens wie der Kauf eines Barmherzigkeit zu den Menschen , indem er einen handlichen Körper tun können, ist ohne其bei erdacht nicht um Hilfe bitten , um Menschen , die das Ergebnis von mehr als 120 % von dem, was nicht ist, kann es nicht lassen können Und dieser Weg des Lebens habe ich nicht zu überwinden, inspirierte die Energie , um die Energie zu kämpfen, um Hotels in der Landsleute in der Krankheit zu leben, um zu Landsleuten zu zeigen. Auch ich folgte meinem Kampf auf lokaler jetzt . Wahrscheinlich wird es bis zum Verlassen des lokalen fortsetzen. Menschen heißt Kobiro auch gehorsam Sagero Kopf genannt . Aber ich habe einen normalen lebten , stellt sich nicht senken der Kopf nicht Schmeichelei.Dass es nicht so einfach. Es gibt auch manchmal Herzen brechen wahrscheinlich Sache. Das ist, wenn die mich inspiriert mich ist das Vorhandensein von Landsleuten , die mich mainstay . Sie werden sie mich nicht beugen , solange es notwendig ist, mir meine Kraft brauchen . Ist in der Tat eine plumpe , denke ich auch dumm . Natürliche Re usw. , mich nicht nur auf diese Weise des Lebens sein.Ich habe nicht vor, meine Lebensweise ändern, solange die Menschen, die diese Lebensweise zu unterstützen vorhanden ist auch nur eine Person . Es wurde erkannt, als raison d'etre der menschlichen mich angerufen . Darüber menschliche Auge nach dem Schneiden mit einem Fuß von ein paar Jahren Gas Nekrose wurde schwer leiden . Aber ich werde nicht brechen die Haltung zu kämpfen. Auch ich ziehen Kampf in meinem Farben jetzt .Es werden kämpfen , glücklich zu sein , wenn eine Kraft zur Überwindung der Krankheit zu einer Macht, die Bruderschaft zu leben. Wir tun unser Bestes , um gesunde heute tun. Heute ist die deutsche über den Stolz des stolzen Germanen.
登録:
投稿 (Atom)