2013年9月30日月曜日

『積み重ねの心理学~或いは大きい事からコツコツとの心理学~』


積み重ねというと元国会議員の台詞ではないですが『小さい事からコツコツと』という人が殆どであろう。

確かにそれは間違いではない。
されど私の目には正論とも思えない。

確かに王道だしスタンダードだしメジャリティーだと思う。

されどそれを行う為には時間と労力と根気が必要とされる。

それらが揃えばよいが時短と高速化の現代に於いてはその実現は中々困難。

それを目指している間に遂には目的事態を失いかねない場合もある。

そういう時はどうするか?

私は小さい事からコツコツとではなく大きい事から堂々とと指導している。

良く考えたら大抵土台は大きくてしっかりとしている。土台が小さかったらその上に沢山の物を積み上げる事は出来ない。

やはり土台はしっかりとしていて且つ大きくて有って欲しい。

故に夢実現へ向けて最も最短距離を私は常図っています。

通常一年近く掛けて叶える願望を私は半分以下の三ヶ月で叶えて見せる。

大抵の方は最初訝しがりますが実際にやってみるとその整合性に驚かれます。

最短距離を行く訳だから余分は省きます。余分は省く訳だから気合いは抜けません。気合いが抜けねば時短が叶います。そして最短距離で夢が叶う。

『小さい事からコツコツと』も大事。
されど時には『大きい事から堂々と』も又、大事。

夢実現へ向けては硬軟取り混ぜてが大切なのです。

2013年9月28日土曜日

『常態行動細胞心理学〜或いは細胞は死滅しないの心理学〜』

実は細胞学というのも心理学の研究対象である事を知る研究者は意外と少ない。
心理学とは心に纏わる全てをその研究対象としている。
細胞は心の有り様一つで様々に変容させる事が出来る事は余り知られていない。
私は嘗て医学界の常識を覆す研究を発表し世間の度肝を抜いた。
その心理学界の風雲児たる私が又、とんでもない学説を打ち出す。
それは…『細胞は加齢に伴い死滅…しない』である。
そんな馬鹿なと多くの細胞学者や医学者が口を揃えて言われるだろう。
実際の研究でも細胞が加齢と共に"減少"している事は明らかだからである。
"減少"…あれ?死滅じゃ無いのと疑問に思われる方も居られるであろう。
その通り、細胞は"減少"しても"死滅"はしないのである。
細胞は一年で全て生まれ変わると言われているのは既知の通りである。
されどその個々の細胞の再生速度まで知る者は少ない。
実は人により細胞の死滅と再生には個体差が有り誰一人同じ人はいない。
例えば頭皮が薄い人と濃い人の違いを見てもそれは明らかである。
頭皮が濃い人は頭皮の細胞活性率が高く薄い人は細胞活性率が低い。
されど頭皮の細胞活性率が低い人は他の細胞活性率が高く頭皮の細胞活性率が高い人は他が弱い人がいる。
実はこれが加齢により細胞が死滅しない大きな理由である。
もしも細胞が加齢と共に死滅して行くのならば若年性痴呆症や若年性更年期障害の説明がつかなくなる。
細胞は死滅しないが細胞が本来の再生力が失われ機能しなくなる事は充分に有る。
それが若年性痴呆症や若年性更年期障害の根本原因である。
では何故細胞が本来の再生能力を失われるのか?
それが実は加齢と共に細胞が死滅すると誤認されている最大理由である。
その理由には如何に細胞が活性されるかに隠されている。
細胞は電気信号により成長しそれが途絶えると機能が衰えて行く。
この電気信号こそ"刺激"と呼ばれる物でそれに伴う成長が"反応"と呼ばれている。
人間の細胞はこの"刺激"と"反応"により"成長"と"衰退"を繰り返している。
幼児期の子供の"成長"が早いのは生まれて間もない為に脳に充分な情報が蓄えられておらずそれ故に五感から得られる情報からの"刺激"がダイレクトに体に"反応"として現れるからである。
されど経年により様々な"経験"を積む事で脳に十分な"情報"が蓄えられる為に"刺激"を受ける回数が減り、"反応"をしなくなる。
当然"刺激"と"反応"がなければ細胞は活性化されず衰えて行く。
それが一般的に言われる"老化現象"と呼ばれる物の正体である。
つまり"老化現象"とは経年及び経験により刺激減少による反応速度の減退である。
細胞の死滅ではないと言う事がこれでお分かり頂けたであろう。
加齢による細胞の死滅でないなら若年性痴呆症や若年性更年期も合点が行く。
つまり刺激と反応の伝達機能が何らかの原因で遮蔽され信号が途絶えるから。
その信号の遮蔽物を取り除けば若年性更年期や若年性痴呆症は改善される。
一つの方法はその遮蔽部分を取り去りISP細胞により再生化させる事。
同じ体の中で細胞が再生できれば細胞記号番号問題も起きない。
山中教授の世紀の大発明はこういう部分にも充分光を当てられる分野である。
再生医療とは正にこういう部分にこそ光を与えられるべきと考える。
今も痴呆症で苦しみ更年期で苦しむ多くの方々がいる。
それが犯罪の引き金や温床となる場合も少なくない。
それらの改善は犯罪を未然に防ぐ効果も有る。
人という存在自体が多面的ならばその人間が行う行動も又、多面的である。
一つの研究が様々な分野でその力を発揮する事もある。
世紀の大発明の可能性をどうか狭めず凡ゆる分野で活用して欲しい。
そしてもっと精神的な豊かさを求める国にしたい。
私はそう考えている。

2013年9月26日木曜日

『記憶の心理学〜或いは忘れたい思い出が忘れられない常態行動心理学的根拠〜』

人間の記憶は残念ながら記憶をした順番に覚えて行くものではない。
覚えたい物を覚えるのでもなく覚えて置きたく無い物ばかり覚えている物である。

それは人間が恒温動物で変化に弱いことに起因しています。

変化に弱いと言う事は変化に対してとても敏感に反応すると言い換えられます。
花粉症等のアレルギー反応がその好例です。

つまり人間の記憶は記憶をする人間にとって衝撃度が高い物から記憶に留めて行き衝撃度が低い物から記憶から遠ざかって行きます。

経年に寄り或いは経時により記憶が遠ざかるのは細胞が衰えるからでも時間が経過するからでもなく衝撃度が経年による積験から薄くなり或いは経時により衝撃度が減るからです。

細胞が経年により死滅してもその機能迄衰える事はありません。
それに再生速度は経年により落ちますが総体数は余り変わりませんw
つまり細胞数が減る事に依る記憶力減退ではないのです。

忘れたい思い出が忘れられないのは忘れたいと思うからです。
忘れたいの裏にあるのは忘れられないでその裏にあるのは忘れたくないからです。
忘れたくないものを忘れようとしてもそりゃあ無理な話じゃないですか。

逆に忘れてはいけない物を忘れるのは忘れてはいけないという恐れが原因です。
人間は先に触れた様に衝撃度が強い物を実行して行きます。
恐れはマイナスなのでアレルギー反応と同じ拒絶反応が強く出ます。
それ故に脳は衝撃度が強いマイナスを実行するので忘れてしまうのです。

回避方法は忘れても構わないと思う事とシナプスの伝達速度とシナプスの伝達先を増やす事です。

その方法は私が知っていますw

2013年9月24日火曜日

気候風土と感情と神経系疾患の不思議な関係について

人間の感情と季節は実は密接な関係があります。

人間は温度だけで季節を認識しているわけではありません。

例えば真冬でも風景を夏にして暖房をガンガンにかけた部屋に入ると脳は冬ではなく夏と認識をします。

人間は五感情報によって生かされています。

偶々日本人は五感で四季を感じられる世界でも稀な気候風土の中に育っているので外国人と比べて季節の影響を受けやすい風土的性質を持っています。

故に季語を使った日本古来の短歌や俳句という日本独自の文化が生まれたのです。

色彩感覚も四季の影響を色濃く受けていて日本古来の色彩感覚は季節の自然の色を使った表現が数多く存在しています。

意外と知られていないのは音です。

実は聴覚も四季の影響を色濃く受けています。

日本独自の季節解釈において音は結構重要な要素を含んでいます。

特に時代劇などでは今でも季節感を出す音は昔ながらの手法で音を演出しています。

それは西洋式のデジタル音では日本の微妙な音を表しきれないからです。

日本古来の音は日本古来の手法でしか表せません。

このように特に日本人は季節と共にその国の歴史を紡いできた民族なので季節を文化的にも風土的にも無視が出来ないのです。

これも意外と知られていない話ですが国内の現代病の殆どは季節的影響を何らかの形で必ず受けておりそれらの感じ方を変える事で病状緩和にも悪化にも繋がるという事です。

特に神経系疾患は季節性疾患の影響を強く受けています。

それを知らず神経麻痺薬で神経過敏を抑える薬ばかり出していてはいざという時感覚が麻痺しそれが更なる大きな疾病を生む温床となり得る事の認識が今の西洋医学会では余りにも軽視し過ぎています

少なくとも我々は其処にいち早く気付きメンタルアップにおいてそれらの疾病の改善に努めています。

これからも我々は西洋薬に頼らない治療法で多くの病根絶に寄与して行きたいと考えています。

今日も元気に頑張りましょう。

『温故知新の心理学〜或いは古さの中に新しさを知る心理学〜』

今日20年ぶり以上に瓶コーラを頂戴しやはり缶コーラより美味いと感じた。
コカコーラ社によると瓶コーラと缶コーラの味の違いはないという
たが常態行動心理学的には明確な違いがある。
それは重さと中身の透明性である。
瓶コーラと缶コーラの違いはその重量の差と透明度の差がある。
瓶コーラの方が缶コーラより重く透明度は高い。
人間はその価値を重さで測る修正がある。
それはまだ貨幣経済ではなく物々交換ができていた時代の名残である。
より重い程価値が高いという概念が昔からある。
それは脳科学及び心理学的な等価値の法則に則っている。
重い程運搬に苦労します。その分の価値を人間は重さに求めます。
だからより重い物に人は価値を見出すのです。
もう一つは透明性です。
茶色い液が減っている、つまり流動して行く様を視覚で捉える事がより味覚を鋭敏にして行くからです。
ビールのCMで注がれたビールを飲み干す姿を見てビールを飲みたくなるのが増すのと同じです。
缶コーラと違い瓶コーラは持ち手にも拘り手にしっくり馴染む形状をしています。
これは飲みやすさの追求の結果だと思います。
以上が瓶コーラの方が確実に缶コーラよりも美味しい常態行動心理学的根拠です。
何でもかんでも新しい方が良いとは限りません。
古い物には新しい物には無い創意工夫が随所に散りばめられています。
新しい物を生み出す事も大事ですが古い物を大切にする心は無くしたくない。
私はそう考えるアナログ人間ですw

2013年9月22日日曜日

人が人を認識する場所についての常態行動心理学的意外性について

人が人を認識する場所はどこだと思いますか?
名前?肩書き?性別?年齢?収入?そのどれも違います。
人が人を認識するのはその人の"性質"にあります。
何故ならその"性質"が一番自分自身と比較しやすいからです。
名前は皆一人一人違うので比較対象とはなりません。
肩書きも職種が異なればやはり比較対象とはなりません。
性別を比較対象とする人間ならば人間自体をやめるべきです。
何故なら性別を比較対象とし差別化を図る事は自己否定に繋がるからです。
男と女が分かれているからこそ互いの存在価値が明確化され互いが高められる。
その一方の否定はもう片方である自分自身の否定に等しい愚行だからです。
年齢は生年に依拠するのでこれも比較対象としては相応しくありません。
増して年長者が上で若輩者が下だとする考え方はその時点で下に負けています。
本当に下に勝ちたいのであるならば無意味な上下関係は排除すべき
上がそれを放棄できる人ならば下は必ず上を敬います。
上がそこに固執する人ならば下は上を反面教師として蔑みます。
上下をひっくり返して考えれば分かりやすい筈です。
収入がこの中では尤も比較しやすいですがこれも時代や国や経済状況に左右されやすく個人の努力が及ばない領域を残しているので不適格。
されど"性質"だけは他の凡ゆる問題をクリアーにしてくれます。
何故なら上記のどれにも依拠せず独立した存在だからです。
私が同胞を導く際に多用するのがこの"性質"の部分です。
他で比較されても逃げ場が必ず何処かにあります。
されど"性質"だけは何処にも逃げ場が有りません。
それ故に同胞は悔しさを心に滲ませます。
私は一切の固有名詞や個人情報を与えません。
私が情報として与えるのはその人の持つ"性質"のみです。
されど同胞はその"性質"に嫉妬しライバル心を煽られます。
そして"見えない相手"に勝とうと孤軍奮闘します。
その結果勝つ相手はその"見えない相手"ではなく"自分自身"となります。
そう、私が与えた"性質"とは正に"その人自身"なのです。
されど一切の固有名詞を与えられない相手は"別人"と認識します
骨を咥えた犬が水面に映る自分を別の犬と認識し吠えるのと同じ。
人は人を認識出来ても自分自身は中々認識出来ないものなのです。
何故ならその存在があまりにも近すぎるから。
故に私は敢えてその存在をぼかす事で認識しやすくします。
そしてその自分と対峙させ自分を超えさせるのです。
今の自分を越えられらば病は治ったも同然です。
問題は如何にして自分だと気づかせないか?
そして自分自身と気づかせるか?に掛かって居ます。
これが一番の腕の見せ所でもあります。
見事騙せた時の快感は較べるべくもありません。
正に我が意を得たりの心境です。
これも又、同胞第一主義が成せる技です。
その意味において私はこれからも良い意味で人を騙し続ける"詐欺師"でありたいと願いますw

2013年9月20日金曜日

素人が芸能人よりも優れている常態行動心理学的根拠

素人は芸能人を潰せるけれど芸能人は素人を潰せない。それはフィールドの広さが違うから。
芸能人は芸能界という限られたフィールドでしか生きれないが素人はどんなフィールドでも生きられる。
フィールドにおける依存度により社会的強さは決められる。
当然依存度が高い程弱い。
つまり芸能人より素人の方が強い。

歌手は持ち歌が沢山あるけれど商業主義に則って"売れる歌"しか歌えない。素人には持ち歌はないけれど"歌いたい歌"を自由にカラオケで歌える。
生物学的幸福論で言えば間違いなく後者の方が幸福感を感じられる
何百曲も持ち歌を持つより一曲でも歌いたい歌を歌える方がより幸福感は味わえます。