2011年7月26日火曜日

騒音の心理学~或いは静寂の心理学~

嫌、 どっちやねんという突っ込みが入りそうですが上記の二つ一見全く逆のベクトルを向いているように見えますが実は同じ属性を持っています。

今の時期、夏休み となり多くのガ…もとい、お子様の元気な声で結構外は喧しく、又、田舎に行くと金魚屋や青竹売り等の宣伝カーが喧しくスピーカーで回っており休日の昼間の 安眠妨害をされ不機嫌となりし方も少なくないのでは?と思います。

ではそれと静寂が何故同じなのでしょう?
騒音と比べ静寂は読んで字の如く”静か”なので すから何の問題も無い筈。

所が実はこれが大きな落とし穴なのです。

人間が騒音を嫌う一番の理由を御存知でしょうか?それは”音が喧しいから”ではないのです、これを多くの方が誤解をされている。

人間が騒音を嫌う一番の理由は騒音により五感の内の聴覚を侵される為得られる情報が普段より減る事、それが一番の原因。

そして件の”静寂”も又、同じベクトルを向いているのです。

単なる”静かな状態”ではなく全くの”無音”状態というのは先の”騒音”と同じ”聴覚による情報収集”を行えない状態に有ります。
これは或る一定の期間までは大丈夫なのですがそれを超えると今度は”静けさ”が恐怖へと変わり”音”を求めるようになります。

特に暗闇等”五感情報”が少ない中では”音”が重要な情報源の一つとなる為、それを奪われる事は不安感を煽る事になります。

実際ある実験で完全に五感を奪い去る実験をやった所多くの被験者が1時間以上持たなかったという実験結果も出ています。

人間が受ける拷問の中で最もダメージがでかいのは実は痛苦ではなく”五感情報を奪う事”という事は意外と知られていない事実。

”身を守る術”が他の生物と比べ明らかに少ない人間にとって”危機回避”は”五感”に頼る所がとても大きいのです。

故にそれを”奪われる事”は”危機感の増大”となりそれは”お心を乱す一番の要因”となり得ます。

痛苦は五感が感じられる分だけまだ耐える事ができます、”常態化”となり”脳内麻薬”が分泌されれば痛苦すら感じなくなる。

されど”五感全てを奪い去る事”に対しては脳はその全てを脳内麻薬で補う事はできません。
故にその”不安感””恐怖心”たるや尋常ならざる物となり結果お心を”壊す”事となるのです。

良く電車の中でお子さんに親御さんが”静かにしなさい”と叱責をしている場面に出くわします。
特に新幹線指定席車内では他のお客様の御迷惑となる為、お子さんの必要以上の”騒ぎ”に対して親御さんが叱責をされます。

それ自体は間違った行為ではありません、お子さんを”躾ける”事は親御さんとして社会生活を教える正しい行いであります。

されど何故お子さんが車内で騒がれるのか?その理由を深く考えられる方は意外と少ない。

長時間の移動で同じ姿勢でしかも黙っている事はお子さんにとっては”苦痛”以外の何物でも有りません。
先に述べたとおり大人と比べまだ社会経験値が低いお子さんにとって”静寂”は”恐怖”以外の何物でもないのです。

それを紛らわす為態と騒いで”恐怖”から自らを逃避させようとしている行為であるという理解を是非理解してあげて欲しいのです。

子供が騒ぐのは当たり前、それが言わば”仕事”のような物。
私は余程の大声を出さぬ限りそういう行為には目を瞑ります。
するとその大人の”行為”を見てお子 さんもそれを学習しおとなしくなる場合も有ります(実際私の横でおとなしくしていた子も居た)。

頭ごなしに叱って黙らせる事は簡単です、されどそれが”ト ラウマ”となり大人となり”静寂恐怖症”となるケースも近年少なくは無い。

子供の未来を考えた時そういう事もどうか親御さんには御理解を賜りたいと切に願 います

2011年7月21日木曜日

ご縁の心理学~或いは結ぶ事と切る事の重さの心理学~

日本人程”縁”と言う物を重んじる種族も恐らく世界に類を見ないのではないかと思う。

神社へ行きお賽銭を上げる際、15円(十分ご縁が有ります様に)、45円(始終ご縁が有ります様に)を入れた人は少なくない筈。

又、縁結びや縁切りの神を奉る神社も日本各地に有り未だ盛況を極めているとは知人の或る縁結びの神様を祭る神主さんの弁。

『縁の下の力持ち』とか『縁側』とか『縁談』とか『縁』が付く言葉がとても多く日常会話の中に含まれている事からもそれが伺える。

私自身亡父が何より大切にしていた座右の銘『一期一会』を踏襲し私も又、座右の銘とし肝に銘じている。

私は一度縁を結びし人を裏切る事は決してしない、と同時に自ら縁を切ってきた者と再び縁を結ぶ事は無い。

過日我が同胞が”一時の迷い”で友録を解除、勿論その事は存じていたが一切それを口にする事はなかった。

再度申請を頂戴したがそれもシカト、同胞は”私が友録を解除したのも申請を出したのも先生は知らない”と私を罵った。

私はこう返した”私がそれを知らないとでも?冗談じゃない、毎日友録の数はチェック済、誰が抜けたかも直ぐ解るさ。されど私は自ら縁を切った者に声を掛けるような事はしない、同じく一度縁を切りし者を改めて”家族”とするつもりはない”と言い放ち関係を絶った。

私にとって”縁を結ぶ”とはとても重要な意味を持つ、それは亡父の昔経験せし苦い思い出が有る為だ。

亡父の親友が亡父を裏切り共同で仕事をした際の儲けを全て持ち逃げした。

当時会社はバブル崩壊の波をまともに食らいどこも下請け会社は生き残りを掛けて必死であった。
亡父の親友もその一人で社員を食わしていく為やむをえない措置であったであろう事は理解する。

だが親友である父を裏切り金を持ち逃げした挙句裁判を起こしても出廷せずは余りと言えば余りであった。

その後彼は病に倒れ父よりも早くこの世を去った、善因善果悪因悪果とは良く言った物だと当時の父は彼を見てそう言っていた。

今でこそ冷静にこうして記せるようになったが当時は傾きかけていた会社を何とか元に戻そうとした矢先の出来事故一家離散の危機に瀕していた。

一時は生活保護 を受けねばならなくなるかもという所まで追い込まれ生活は極貧となり食うや食わずの日々が続いた。

父の余りの人の良さに母は半ば呆れ父自身自分の甘さにほ とほと嫌気が差していたと思う。

されど私はそんな真直ぐな父を尊敬しそんな父の為懸命に家計をやりくりし支えた母を誇りに思う。

子供達三人も誰一人悪の道に走る事無く会社を支えんと一丸となりそれがより会社の結束力を高め難局を乗り切る事ができた。

残された従業員方々も給料を払えない月も有ったが今まで社長に受けたご恩を返したいと不平不満を言わず働いて下さった。

その時私は改めて父の子である事を誇りに思い何としても父の顔に泥を塗るような真似だけはすまいと心に決めた。

あれから既に20年以上が経過、既に父はこの世に無く父が残した会社も兄が代替わりとなり規模は随分と小さくなりしも、

未だ父の頃の御贔屓さんが仕事を持ってきてくれこの不況風が吹き荒れる中業績不振とならずに済んでいる。

それもこれも全ては父が”人と人との縁”を何よりも大切にし大事に思ってきたからであると思う。

地元では父の名を知らぬ者は無く又建築業界に於いても父の名を未だ覚えて下さっている方は少なくない。

皆、一様に”社長は素晴らしい人でした”と言って下さり何処へ行っても父の苦言を聞いた事は一度も無い。

社長職に有りながら誰に対しても頭を低くし礼を尽くし人に対する情けを誰よりも尊んだ人であった。
私のような未熟者が父の真似等出来る筈も無いが父の子としてこれからも人様に背を向けるような事だけはしたくないと思う。

何時か父の墓前に立った時、”成長したな”と言って貰える様これからも精進を重ねていく所存である。

2011年7月11日月曜日

意志を貫くという事~或いは唯一無二の心理学~

昨日FaceBook内に於いて友録さんのお一人を友録から外させて戴いた。
私に対する苦言ならば幾らでも我慢もしますし耐えもします。

事実FBで私を快く思わない人間が悪評を立てそれによりサークルを除名され
FB内に於けるトラブルメーカーとして名を連ねられていても私は構わない。

勿論それは我が不徳の致す所であり改むるべき所は改め、貫くべき所は何があっても貫き通します。
人から色々言われてその都度自分を変えていたら自分が無くなりますし”自分を持て”と普段指導している人がコロコロ自分を変えていたら説得力は有りません。

そこまで器用では有りませんしそれ自体私が望む所では有りません。

私は40年以上この”色”でやってきましたしこれからもこの”色”を変えるつもりは毛頭有りません。

100人の見知らぬ人がそれを”非”としてもたった1人の信用に足る人が”是”とするならば私はそれを貫きます。
逆に1000人の見知らぬ人が”是”としてもたった一人の大切な人が”非”とするならばわたしはそれを改めます。

昨日私が切った人は私の身内を侮辱せし方でした、私が毎回挙げし夕飯メニューの数が少ないと苦言を呈された。

その上で女房を叱れと申された、私はその言葉にキレそして友録から外させて戴いた。

メニューの数はその家々により可変的であり又、適当とする量も同じく家々によって違う筈。

自らの家のそれと較べて少なかったとしても逸れは家々の流儀であり逸れに口を出すは賢人のする事に非ず。

ましてその事に対して身内を叱責せよとは私にとっては言語道断であり許されざる事であります。
私と言う人物に会った事も無く我が家族の事を何も知らぬ者に讒言を賜るつもりは毛頭有りません。

その方を切った後、一気に10名近い方が私を友録から外されました、恐らくその方の息の掛かった方々かと…。
されど私は自らの行いを是とし非とするつもりは毛頭有りません。

閑話休題

同じ場面で私は同胞にも意思を貫く事を進言しそれを実行させています、それはその人の病を治す為に必要な事。
御心を患った方々はどうしても弱気となり正しい事に対しても人から否定されると逸れに流される傾向に有ります。

その結果どんどん疑心暗鬼が増えそれが病を更に悪化させる結果となります。

それを防ぐには自らの正しさを自らがちゃんと理解した上で何が有ってもそれを貫く強さを御与えする事が大切。

その為の後ろ盾が私であり何が有っても決して後ろに下がるな後ろには私が居る、必ず私が支えているからと励まし同胞を一歩前へ前進させます。

何故前進させるのか?前進させれば例え後ろに下がっても元の位置に戻るだけです。

されど元の位置で踏み止まらせたらその段階で下がったら又、マイナス方向へ思考がシフトします。

元々マイナスの土壌を持ち我が門を潜られたのですから何が何でもプラスの土壌にそれを変えねばなりません。

故に一歩乃至は数歩前へ同胞を出しそしてその後ろに私がデン!と大きく構えている訳です。

剣を振るうは本人のみ、されどその後方で私が援護射撃を行い、そして敵を撃退し己が正しさを証明するのです。

その事で同胞は”自信”と”自尊心”を取り戻し、”自分自身”を取り戻し社会へ復帰していくのです。

”私は私、世界でたった一人のかけがえの無い存在”という事をこれからも私は同胞へ説いていきたいと願います。

2011年7月6日水曜日

電子書籍『或る進学者の心理学ファイル0001~災害症候群(ディザスターズシンドローム)篇』刊行

弊社『ASSF』のショッピングカートにて瀬木良介初の電子書籍『或る進学者の心理学ファイル0001~災害症候群(ディザスターズシンドローム)篇』刊行の運びとなりました。

此処で一言お詫びを申し上げます<(_ _)>

当初はPDF化しより多くの方に見て頂こうと昨夜からずっと作業をして参りましたがどうしても限界アップロードファイルサイズ範囲内に見たず断腸の思いなれどワードファイルのままアップロードさせて戴く事となりました事深くお詫びを申し上げます。

次回刊行物に関しては何とかPDF化出来るよう頑張ります。

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