2012年12月31日月曜日

内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)不要論

日本人にとって取り分け政府にとって沖縄と北方領土はまだまだ『日本国』という位置づけではないように思える。 その一つが山本一太議員が担う『内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)』という肩書き。 勿論沖縄と北方領土の問題はとても大事な問題であり専門担当部署を設ける事自体に異議を申し立てるつもりはない。 されどどちらも『国土』という位置づけであるならば『国土交通省』の担当である筈。 事実、沖縄と北方領土以外の『国土』に関しては『国土交通省』の管轄だからである。 更に言えば『内閣府特命担当大臣』は内閣府に置かれている。 これも又、沖縄や北方領土が他とは違う扱いを受けている証拠である。 これを全て『国土交通省』が担えばもっと領土問題を身近に捉える事ができるのではないかと私は思う。米軍基地問題も恐らくこの制度が大きく邪魔をしているように思える。 米軍基地が置かれているのは紛れもなく『日本国領土』である。 ならば『国土交通省』の管轄であるべきである。 よそ者が日本国領土内で問題を起こせば当然国法によって裁かれるべきである。 最近はやっとそれが”当たり前”となってきているようだがまだまだ”日米地位協定”に阻まれている部分もある。 戦後50年が過ぎそろそろ『米国日本州』と言う属国意識は取り除かれるべきではないか? 在る米国人の話をすると一部の米国人の中では未だ日本を『属国』と勘違いしている米国人も少ないという。米国におけるハワイ州と同じ位置づけにある者も少なくないと聞く。 こういう認識が国内で在る事自体が既に間違いでありそれを正さぬ政府にも大きな問題がある。瑣末な事と言う無かれ、その瑣末な事が今、大きくクローズアップされているのだ。 一部の傍若無人なる振る舞いをする異国人の中には”属国意識”を持つ者もいる。 その”属国意識”が犯罪を助長させていると言っても過言ではない。 先ずは日本国政府からこの考えを変えるべきではないかと私は考える。 沖縄も北方領土も元は別の国の物であった、それを日本国人が戦争で奪い取ったのだ。 その責任を日本国政府は負わねばならぬ、その重さを感じねばならぬ。 未だ昔の人は自らの事を”琉球人”だと”アイヌ人”だと呼称する方々がいる。 ”日本国人”とされても”魂”はそれを拒絶している証である。 その一つが政府による”差別意識”である事は否定できる物ではない。 沖縄も北方領土も”日本国領土”とするならば政府も考えを改めるべきである。 もっともっと沖縄や北海道及び北方領土の方々の”切なる叫び”に耳を傾けて頂きたい。 それが我が願いである。

2012年12月29日土曜日

突発性難聴は病院に行かずとも治ります

今年も後二日。 年末年始を海外やテーマパーク、或いはライブハウス等で迎える人も多い。 年末年始は特に紅白を皮切りに音楽イベント目白押しで音楽好きには堪らない。 その際に問題となるのが『突発性難聴』である。 今年はこの病気に罹患しライブ活動を一時休止せざるを得なかったアーティストが多かった。ご存知の通り突然耳の聞こえが悪くなり或いは聞こえなくなる病気で五感の内の聴覚が突然奪われる訳だからそりゃあ驚くのなんの。 人間は恒温動物でとても変化に弱いので変化に対してとても過敏に反応し自らの身を守る性質を持っている。花粉症などがその好例である。 実は『突発性難聴』もこの機能が働いた結果起こる『自己防衛性疾患』である。 『自己防衛性疾患』とは風邪等に代表される物で大病を避ける為に小さな病で人間自身に身体の異常を警告注意を喚起し大病を避ける予備疾患の事。 音響機器における『フェードアウト』現象を体で体現したものそれが『突発性難聴』の元である。所が音響機器における『フェードアウト』と違うのは解除方法が違う所である。 これこそが『常態行動心理学』の妙である。 『突発性難聴』に罹患する人は普段から大音量を耳にしている人が多い。 故にアーティストじゃなくても趣味で音楽活動をしている人とかヘッドフォンで移動中も部屋の中でも大音量で聞いている人とかもその範疇である。 そういう人の場合鼓膜や脳への刺激を抑える為に脳が自律的に『フェードアウト』を起こす。されど音を小さくしても『常態行動』により脳がそれを認識するのに時間が掛かる。 人間は急激な変化に弱いので徐々に改善して行き変化を最小限度に抑える性質が生物学的及び生態学的に備わっている。 改善方法は一つだけ。 聴覚を研ぎ澄まし小さい音でも聞こえる耳を持つこと。 雑音という奴は『聞く事』に集中すれば余り気にならなくなる。 例えばF1レーサーがあの数台にも及ぶエンジン音の爆音の中『静寂に包まれる』事がある。それは最大限に集中力を高め運転のみに全神経を研ぎ澄ませ集中させた結果である。 彼らはプロで我々は素人だから出来ないは単なる怠け者の言い訳でしかない。 実際何度も何度も満員電車内で音量を落としてヘッドフォンで聞く訓練をさせた所、 静かな場所でも聞き取りにくい音量でもちゃんとその音を聞き取れるようにできる。 これこそが先に述べた『常態行動』の妙である。 目のご不自由な方が目が自由な人よりも早く確実に歩ける所以がここにある。 片足のないおっさんが車椅子でバイクと並走できる理由が此処にある(笑) ヘッドフォンをすれば問題がないわけじゃありません。 ヘッドフォンをしても大音量で聞いていたら意味がありません。 楽しく音楽活動をするためにも是非常態行動に心掛けて見て下さい。

2012年12月28日金曜日

年末の大掃除が中々終わらない常態行動心理学的根拠

この時期我が家もですが何処も『大掃除』の時期です。 普段大まかなお掃除はしても細かい所迄は中々時間的制約が有りできません。 一年の計は元旦にありと申します。 元旦を気持ち良く迎える為にも風水的に金運を呼び込む為にもお掃除は欠かせない。 されど私もそうですが中々大掃除と言うものは終わらないものです^^; 普段気づいていても見て見ぬ振りをしている箇所の何と多い事か(笑) この際だから一気に片付けてしまおうとついつい要らん欲を出してしまいます。 されど実はこの要らん欲が大きな落とし穴。 普段使わない筋肉を使い、普段使わない姿勢を取り、普段掛けない時間を掛ける。 これが常態行動心理学的には疲労感を増す原因となります。 何度も此処で触れていますが人間は変化にとても弱い性質を生物学的及び生理学的に持っています。 読んで字の如く”大掃除”ですからそりゃあもう”大変化”な訳です。 これに先ず視界がついて行かない。 更に先に述べた通り普段使わない筋肉や普段使わない姿勢を取る事も常態行動心理学的には脳が誤動作を起こす原因となります。 受験など試験対策の際の脳の使い方と大掃除の時の脳の使い方は実は働きが違う。 前者は減って行く宿題や課題を見てやる気を奮起させるのが私の受験テクニック。 後者はこの方法では実は駄目なんです、何故なら体の使う部位が違うから。 受験で使うのは脳とせいぜい使っても腕です。 されど大掃除では使うのは脳だけじゃなく全身の筋肉です。 これは当然消費される運動量が違い溜まる疲労も桁違いです。 故にラストスパートが中々掛けにくいのが現状です。 ランナーズハイに中々なりにくいのは脳の内の特に視界情報の変化に乏しいから。 ゴール近くになると当然見えてくる景色は変わってきます。 されど大掃除は室内なので見える景色は余り変わりません。 掃除をして綺麗にはなっている筈ですが配置換え等をせぬ限り視界情報が更新されてもその更新を脳が中々認識してくれません。 これが実は『ルーティンワーク』となり人間の苦痛に変わって行きます。 人間にとって最も過酷な労働は”変化が見えない事”なのです。 故に大掃除の際の後少しになると突然今まで我武者羅に頑張ってきた疲労感が一気に体に現れ後少しが中々手が出ないのです。 そういう時はどうするか?勿論休憩をいれるのです。 後少しなのにと言われるかもしれませんがこの後少しを一気に片付けてしまう為には小休止が必要不可欠。 特に大掃除中に失われた糖分や水分を充分に補給しましょう。 何より椅子に深く腰掛け”休んでいる”事をちゃんと脳に伝えましょう。 すると脳は”休んだ”と認識し体内に溜まった披露をちゃんと除去してくれます。 ”後少し”を頑張る為に”小休止”は必要不可欠である事を忘れないで下さい。 そうして新年を気持ちも新たに迎えようではないですか。

2012年12月27日木曜日

美の種を発芽させるお仕事をしています。

言わずもがなであるが我が女性友録は他の女性友録から見ても”美女揃い”であるようだ。 嘗て何度かリアルに女性友録さんにお会いしそういうお話を頂戴しているからである。 そしてそれは至極当然の事、何故なら”顔”で選んでいるから(笑) だって”心の美しさは顔に出る”からです。 例えどんなにメイク技術や撮影技術や果ては整形技術が発達しようとも”心”までそれらの技巧が及ぶ事は有りません。 ”心”は人の手で”変えられる”物ではなく己の精進のみで変えて行くものだからです。 幾らメイクや撮影技術や整形技術が発達し見栄えをよくしても”心の醜い”人はその”醜さ”が必ず顔に、態度にそして言葉に出ます。生来の”醜さ”はどうやっても隠せる物じゃない。 生まれや育ちが関係していると思われがちですが然に非ず。 どんなに過酷な環境に生まれ育っても”心健やか”なれば必ず”美人”に育ちます。 その証拠が”戦火に生きる子供達の表情の美しさ”です。 彼ら彼女らは明日をも知れぬ命の中で懸命に生きようとしています。 その真剣さが彼ら彼女らの”美しさの元”になっています。 家でのパパはみっともなくても仕事中のパパがカッコ良く見える一番の理由がそれ。 人は何かに一生懸命になっている時の顔はとても素敵なのです。 美人が美人たり得るのはメイクや撮影技術や整形技術等”人の手”による物ではありません。それは常日々の自身の弛まない努力による物です。 されどその努力も人を押しのけ或いは陥れのし上がろうとするのでは無意味。 人を押しのけ人を陥れるは自らを押しのけ自らを陥れる愚行なり。 何故ならば人も我も同じ”人間”だからである。 人を陥れ人を押しのけるは自らも同じ境遇に遭う事と知るべし。 心理職となって二十年を超えました。 今迄老若男女を問わず国を問わず万人単位でお世話をさせて戴いて参りました。 その中で”絶世の美女”もいれば”側に居て同じ空気を吸うことすら汚らわしい人”も居ました。 私はフリーランスなので人を選ぶ事ができます。 お金が無くても自らのお心を真剣に治したいと思われる方には採算度外視で挑みます。 お金に富んで居ても人の頬を札束で叩くような屑には一兆円積まれてもお断りします。 事実遥か昔或大物政治家の馬鹿息子を治せと大枚持ってきた親バカ政治家が居ました。 世間体を気にしてフリーランスである私なら情報漏洩がないと思われたのでしょう。 されどその態度は飽くまで上から目線横柄で馬鹿息子も全く他力本願で治す気なし。 私はそのまま戸外へ追いやり戸を閉めました。 無駄に人脈があり経済封鎖をされましたがそこはそれ。 凡ゆる機関に圧力を掛けても私はフリーランス。 同胞からの依頼まで圧力を掛ける事は出来ません。 私が居住型から移動型に変えた経緯は其処にあります。 閑話休題 所謂”マテリアルビューティー”な女性のウォールはいいね!ボタンは無数にあれどコメントなしが多く”ナチュラルビューティー”及び”パーフェクトビューティー”な女性のウォールはいいねもコメントも相当数有ります。 これがその真実です。 私はこれからも”美女大好き”を公言し続けます。 そして我が”心の施術”で”本当の美女”を世に送り出したいと思っています。 貴女の中の眠っている”美女の種”発芽させて見ませんか? 或いは貴女の中で”育っている美女の種”の存在に気づいてあげませんか? そのお手伝いを私がさせて戴きます。

イブの夜に安部内閣に思いを馳せる。

去年のXmasは丁度ガス壊疽罹患し入院直前(この時はまだガス壊疽である事も足を切断する事も入院する事すら予測不可能な時期でしたが)でディナーは愚かステーキ一枚すら完食出来ない程でした。 今年のXmasはディナー完食後お酒まで数杯頂戴する程に回復し愛方共々元気になった事をお祝いしました。 24日は流石に予約で一杯だったという山口グランドホテル内レストラン『アゼリア』。 されど本日はXmasディナーを頼んだのは我々一組だけ。 もう御一組予約席が有りましたが我々が会食途中席のリザーブが外されました。 その後紳士が数名来店されディナーを注文されるもXmasディナーではなし。 帰り際ちらりと母の車の車内から道路沿いの店内を覗くも店内に人影なし。 まぁ流石に21時もすぎると我が田舎町はゴーストタウンの如き様相を呈し夜間灯以外の光は無しと言う世界なので余り違和感は感じませんでしたがそれでもやはりまだXmas。 去年の丁度今頃はまだ結構な人だかりが有った気がします。 それは場所を変えても同じでした。 去年も今年と同じく愛方を駅まで送り電車を見送った後帰宅します。 これは私が10年間ずっと続けている言わば常態行動の一つ。 時期が時期だけにカップルや家族ずれが去年は結構多くこの時間でも駅構内はいつもの如く賑わっていました。されど今年はカップルの姿なく仕事帰りのサラリーマン氏数名と忘年会帰りと思われる若い同僚数名とすれ違ったのみ。 ちらりと愛方が乗る電車を見ましたが何時もは立ったまま座る場所がない程ですが今日はスカスカ。恐らく無事着席し帰宅できた物と思われます。 現在愛方は某100均に勤務しており其処でも去年との違いを認識できました。 我々は去年は購入者側でこの時期はメイクグッズが良く出ていたのを覚えています。 今年は相方は販売者側でしたがhomeXmas商品が馬鹿売れしたそうです。 事実山口駅通りにある某ダンススタジオで24日催されたXmasパーティーでは愛方が勤務する百均での品物が通りに面した窓からもはっきりと見えるほど飾り付けで一杯でした。 ここ二日間余り商店街に人だかりはなく早々にシャッターを下ろす何時もの風景。 帰宅途中の家々の窓には楽しそうにXmasを祝うカップルや家族の姿がありました。 家族やカップルの絆を強めお互いの結束力や愛情を高めるという意味に於いてはとても喜ばしい事であり推奨されるべき事だと思います。 されど経済面に於いては今日のレストランもそうでしたが外で会食する事もなくお泊まりをするでもなくプレゼントも高価なブランド物を買うでもなくお金を外に落とす習慣が徐々に薄れている事に若干の恐れを抱いて居ります。 過日も此処で申し上げましたが安倍新総裁が打ち出すデフレ対策は国内経済の立て直しを核とした物であり国内生産高は上がるかもしれません。しかし外貨価値としての日本円の価値を下げる結果となり輸入業者への皺寄せ、免税店への皺寄せ、取り分け旅行代理店や旅行業者への皺寄せは相当な物となる事は必至です。 勿論それに関わる商品を扱っているお店も少なからず打撃を食らうでしょう。 其処に追い打ちをかけるように消費税引き上げを行えば益々買い控え現象がおきます。 国内生産高を上げるために行った筈の政策が結果国内生産高を貶める結果となります。 TPPについて自民党は最初から不参加を表明し政権奪取後更にその勢いは増すでしょう。 それ自体は反対すべき事ではありませんが少なくとも先進諸国におけるイニシアティブは今後取れなくなる事は間違いありません。 安部政権が目指している物が何処へ向かっているのか? 今の私にはまだそれを推し量る術はありません。 されどアンチ民主票だけでもしも政権を奪取しただけであるならば前々回と同じ結果を四年後迎えそして二度と奇跡の大逆転劇は起こらないでしょう。 国民も馬鹿じゃない。 或る女性政治家(自民党)に国民が言ったそうです。 ”もう一度あんた達に掛けて見る、されどこれが最後だ”と。 これは一国民の声ではなく現日本国民の総意であると私は思います。 それを安部政権は決して失念せず在民主権を貫いて欲しいと願います。

神は見てござる、聞いてござる、知ってござる。

光の暖かさを暖かいと感じられる人は影の冷たさを知る者のみである。 影の冷たさを冷たいと感じられるのは光の暖かさを知る者のみである。 互いの存在を確かめた者のみその存在の有難さを知る事ができる。 暖かさを求めたくば先ず影の冷たさを感じる事である。 冷たさを求めたくば先ず光の暖かさを感じる事である。 各々の存在を知らずして対を成す存在を知る事は能わず。 人が冷たいと感じられる人は人の暖かさを知る者である。 人が暖かいと感じられる人は人の冷たさを知る者である。 人の暖かさを知らぬ者が人の冷たさを知る事はない。 人の冷たさを知らぬ者が人の暖かさを知る事はない。 成功を欲する者は失敗を恐れる者のみである。 失敗を恐れる者は成功を恐れる者のみである。 真に成功を欲するならば失敗を恐れぬ事である。 真に失敗を恐れたくないならば失敗を是とする事である。 富を欲する者は富が無い事を嘆く者である。 真に富を欲するなれば富がない事を嘆かず今有る自分に感謝をする事である。 神は見てござる、聞いてござる、知ってござる。

2012年12月21日金曜日

向き不向きの心理学〜或いは向いていないは向いているのサインの心理学〜

人には誰しも向き不向きがある。 私は心理職は天職だと思っているし周りもそのように思って下さる方が多い。 されどそれ以外の仕事は色々と過去経験して見たが向いている仕事は見つからなかった。 器用貧乏とはよく言った物で凡ゆる職種の方のお心を読む事とその仕事に就く事は同義ではない。 色々な職種の方から”私の仕事先生は向いてますよ”と進言を頂戴する。 それはその人のお心の中を読み職業的悩みを解決差し上げたが故である。 だがそれは私が専門職だから出来る事でありその職種の経験があるからではない。 人がやる事には須らく”心”が介在し”心”が介在しない仕事は存在しないというのが持論。 その通り私は凡ゆる職種を持つ方々のお悩みを聞きそれを解決へと導いてきた。 凡ゆる職種に就く人の行動を具に観察すればその人の行動様式が見えてくる。 それが見えてくるとそれらの行動の中に現時点の問題点や改善点も見えてくる。 それをお示しする事でお心の中の問題や悩みを解決差し上げる。 それが”常態行動心理学”である、先ずその人の”行動”を観察しその行動に至る”心”を分析する。さすればその”心の問題”に迫る事ができる。 されど言うは易く行うは難し、経験と知識が物を言う世界。 誰しもが出来る事ではないと自負をしている。 閑話休題 所謂その職業に”向いている人と向いていない人”がいる。 人からその職業に向いていると言われている人の中には本当にその素質がある人がいる。 それはその人の隠れたスキルにより誰かが恩恵を賜われた証拠である。 だが恩恵を与えた相手は無意識にそれを行っているのでそう言われもピンとこない。 されどそれを言う人は間違いなくその恩恵を賜った人かその場面に遭遇した人の筈。 それなしに”向いている向いていない”を判断する事はできないからである。 されど”向いていない”に関してはこれはそう簡単にはいかない。 ”向いていない”言う人は二種に大別される。 一つは”向いてない”と言った相手から何らかの不利益を蒙った場合。 解りやすくいえば”ジャイアンリサイタル”で聴衆した人は”歌手になる”事を”向いていない”というであろう。 何故ならその為に毎回聞きたくもない歌を聞かされる羽目になるからだ。 今一つは”向いていない”と言った相手が自分より多く利益を得るのを阻止する場合。 此れも解りやすい例を出して説明しよう。 ”とても似合う服”を女友達が着て居たとしよう。 その服を見た”自分が気に入っている男性”がその服を着た彼女に好印象を持ったとする。 すると”似合っている服”を着られる事でこの女性は”意中の男性”を逃す可能性がある。 そうなれば当然”似合っているのに似合っていない”と言いそれをきせまいとする。 何もこれは女友達に限定しない。 家族や彼氏もその範疇となる。 家族と言えど同じ女性、当然嫉妬心はある。 彼氏と言えど同じ男性、他の男性が好意を持たれる服は着て欲しくないであろう。 生物学的生存本能と所有意識からくる言葉である事に目を向けるべきである。 以上の様に”向いている”とする場合はその言葉を素直に受け入れその道を未来の選択肢の一つとして考えても良いと私は考える。 されど”向いていない”とする言葉をそのまま鵜呑みにする事は反対である。 先ずその反対をする人との”人間関係”を考査しそれが”正しい選択”であるかどうかを精査する必要があるだろう。 案外この”向いていない”を言われた事が原因でお心を病む結果に至る人も少なくない。 くれぐれも御注意を。

人が人を愛する常態行動心理学的メカニズム〜或いは私が貴方を愛した幾つかの理由〜

人が人を愛するメカニズムは生物学的には全く色気の無い話であり単に種の保存の法則に則り優勢遺伝子を残す為の行為であると言う味もすっぽもない話。 されどこれを生物学的ではなく心理学的取り分け常態行動心理学的に考察すると又、違った面白さ(意地悪さ?)がある。 自分が幸せである事を誰かから愛され愛している事を堂々と公言する人が居る。 まぁ多くは芸能人なのだが偶に一般人でもそういう人がいる。 周りからすると惚気やがって厭味な奴と思われるか幸せな人ねと揶揄されるか。 だが言ってる本人は残念ながら惚気でも脳天気でもない、言わば牽制である。 先に述べた通り生物学的には人間は幸せを本来的に隠す習性がある。 犬が餌の骨を隠すのと同じ、これは他の犬から自らの獲物を守る為である。 人間も生物である訳だから当然隠したがるのが普通である。 されどそれを敢えて公表する人がいる。 何故か?その事により自らの防御力を上げ生命維持率を上げたいからである。 自分がこれだけ愛せる人がいる事を示す人の中には二種類ある。 自らが愛情深い人である事をアピールする人と自らがこんなにも深く愛せる人を得ている事を自慢したい人と。 何れにせよ自己アピールでありそれは生存本能が成せる業である。 これを策略ではなく素でできる人が居る、これこそが常態行動の妙である。 所がこれは余り喜べる事ではない。 これを素で出来ると言う事はそれだけそれが常態化していると言う事である。 裏を返せばそれだけお心の奥に不安を内包させている事の現れでもある。 お心に不安が無ければ人にアピールをする必要性はない。 人間は必要のない行動は決して取らない。 裏を返せば行動にはその行動がどんなに奇異に見えても御粗末に見えても必ずそれを行う理由がある。 人に自らが深く愛する人がいる乃至は愛してくれる人がいる事をアピールする人はその奥で深い不安と常無意識的に戦っている。 それは深く愛したい、愛されたいと思う裏返し。 これを以前或るお金持ちのお嬢さんに直球でぶつけた事がある。 彼女は地位も名誉も美貌も有り勿論資産家の娘さんでもあった。 自らが多くの男性から愛されている事を自慢し又自分自身も愛情深い人である事を懸命にアピールしていた。 だが、心の奥底で彼女自身は知っていた。 彼ら求愛する男性の殆どが彼女の地位や名誉や財産や体のみを欲している事を。 だが彼女自身それを認めたくはなかったのだ。 それを私はズバリ見抜きそれを本人の目の前で告げた。 勿論烈火の如く怒り全否定されどその行為自体が我が言の正しさを証明していた。 それから間も無く彼女は彼女の”副次的産物”しか愛さない男性陣を全て排した。 つまり全財産相続権を放棄し家を出たのだ。 無一文となり何も持たぬ彼女に魅力を感じない男共は皆去って行った。 されど一人だけ彼女の側に付き従う男性が居た。 彼女の嘗ての使用人であり常身の回りの世話をしていた男性である。 自分には貴方を雇う金は既に無いと言っても彼は彼女に付き従い進んで身の回りの世話を焼いた。 お嬢様育ちで何も出来ない彼女を心配しついてきたのだ。 最初は正直鬱陶しかったらしいが彼の誠実な気持ちに気づいた彼女は彼を心底愛するようになり数年ご結婚、貧しい暮らしながらもとても幸せな人生を送ったと言う。 お金も大事、地位や名誉も時には大事かもしれません。 されどこのカップルを見れば解る通りそれらは副次的産物でしかありません。 本当に大切な物は何か?をこのカップルは教えてくれた気がします。 貴方のパートナーは本当に貴方を愛していますか? 貴方自身は本当にパートナーを愛していますか? 今一度その胸に問うて見て下さい。

2012年12月20日木曜日

今冬のアレルギー疾患は要注意!

この時期アレルギー疾患で皮膚科を訪れる方が急増中。 今冬のアレルギー疾患は二種に大別される。 環境性アレルギー疾患と心因性アレルギー疾患。 前者は幼児に多く空気の乾燥や熱中症等により皮膚に必要以上の刺激を与える為に起こる皮膚疾患。 後者は成人に多くストレスからくる血中毒素生成により発症。 前者は保湿剤やコールドクリーム等により皮膚を乾燥や熱から守る事で改善が可能。 後者はストレスを逃がす事で改善が可能。 どちらも対処法は有ります。

2012年12月18日火曜日

現政権と国民に求める物。

今回の政権交代に多くの人が期待をしている。 されど一寸待って欲しい。 四年前同じ様に民主に大きな期待を掛けそしてその期待は大きく裏切られた。 更に8年以上前自民に票を投じ我々は何度も辛酸を舐めさせられた。 政権批判をする事は簡単、されどその政権を選んだのは誰なのか?他でもない民である。 政権批判はその政権を選んだ国民自体への批判に同じ。 謂わば天に唾を吐きかける愚行である。 私は選んでいないと逃げ口上を言っても無駄な事。 支持政党に政権を取らせなかった責任はその党を選んだ貴方にも充分あります。 直接であれ間接であれ首相を選ぶのは国民であるという事を忘れてはならない。 ダメだったら次じゃなく駄目ならそれを如何に駄目じゃなくするかが大事である。 駄目だったら次という思考では何時まで経っても政党の成長は有りません。 今迄の政党を成長させなかった責任は国民にも大きくあります。 全てを政権に任せるのではなく国民一人一人が国を動かせる立場にある事を失念せず常政治の行く末を見据え駄目だと思えばそれを変える権利を有している事を失念してはなりません。 腐敗政治の根幹はそんな政権運営に無関心である国民の責任でもあります。 憲法改正も同じく、憲法改正は議員の仕事に非ず、民の仕事です。 民にとって不合理な憲法は民の手で変えるべきです。 ソ連邦崩壊もベルリンの壁崩壊もそれを成し遂げたのは民衆の力です。 いい加減”みざるいわざるきかざる”はやめにしましょう。 もっと政治に対してこれからは国民も意見をどんどん出して行きましょう。 幸いFacebookを始め議員に直接或いは国に対して意見を言える場は沢山有ります。 其処で国民一人一人が粘り強く訴えて行けばそれがムーブメントとなります。 議員が動かなければ外から攻めればいい。 嘗て我々は外圧で或る法案を廃案に持ち込みました。 世界経済をも揺るがせない悪法だったからです。 当時はまだインターネットもなくパソコン通信の時代です。 それでも各国のマスコミへ向けその国の言葉に翻訳し廃案へ向け訴えかけかました。 当時の政権政党員の中にも常識派が居て彼らと共に活動をし見事廃案にしました。 国民一人一人が動けば政治は変えられる事を我々は見事証明しました。 私も安部政権には大きな期待を寄せています。 されど政党政治は安倍氏一人で行う物に非ず、党利党略は個人の意見が通らない世界。 安部氏が望まない事も国主として断行せねばならない時もあるでしょう。 時には国民に辛酸を舐めてもらわねばならない時もあるかもしれません。 それが国民が納得の行く痛みなら我々もその痛みを共にしましょう。 されどその痛みが国民のみが負う痛みなら我々は断固反対します。 もっと国民一人一人が政治に参加できる社会を作る事。 それが本当に今の日本を救う唯一の手だてと私は信じて疑いません。

2012年12月16日日曜日

脳死は人の死ではない。

脳死を人の死とするのは生物学的及び細胞学的誤りである。 単細胞生物は脳を持たないなれば死んでいるのか?答えは否である。 脳機能不全は死ではない、自立呼吸が出来ないだけである。 自立呼吸ができないを人の死とするならば呼吸器系疾患患者が酸素吸入機を外せば人の死となるのか?答えは否である。 脳死を人の死とするは病院側の暴利追求主義による殺人罪に該当する。細胞一つ一つは自立判断機能がありそれなしで生物は生きられない。 単細胞生物が生存しているのがその理由である。 つまり細胞一つ一つが脳と同じ役割を示しているのである。 脳死は人の死ではない。脳機能不全というだけである。 脳死を人の死とするは病院と企業と政府の三者の癒着による暴利を貪る為でありそれを合法とする司法も又、それらに加担する物である。 人権的問題ではなく生物学的及び細胞学的に脳死は生物の死ではない。つまりそれは人の死とは呼べない物である。 それを容認する政党支持はそれを是すると同義である。 脳機能不全に陥ってもまだ人は”生きている”。 脳機能不全に陥った患者を持つ家族の気持ちを考えて欲しい。 中には安らかなる死を望む方もおられるであろう。 されど脳死となってもまだ生き永らえさせたいと願う家族も居る。 それは家族の判断であり病院側にその裁量権を与えるべきではない。 死んでも魂は永久不滅であり患者の体を丸でモノでも扱うかのような一部の人非道的扱いには明らかに人権侵害である。 今一度言う。 脳死は人の死ではない、脳機能不全というだけである。 どうか遺された家族の悲しみ、苦しみ、痛みを解ってあげて欲しい。 脳死判断をされ未だ癒えぬ心の傷を持つ我が切なる叫びである。

総務省の発表はプロパガンダであり誤りである。

総務省の発表によるとまだまだ国民の経済に対する考えは慎重派が多数で消費よりも先行き不安で貯蓄に回す人が多いらしい。 されどそれはより経済停滞の原因を生む事になる。 我々が銀行に預けたお金は我々の許諾を得る事なく他へ流用され仮にそれが焦げ付いた場合最悪戻らない危険もあるからである。 昔と違い既に銀行は預けて安心の場所ではなくなってきている。 リーマンショックや某信託銀行の不手際の例を出すまでも無く国民の血の滲むような思いのお金は他に流用され富める者の富をより増やす糧にされている。 それを防ぎ富める者の富の増加を抑え自らが富む為には貯蓄にお金を回さない事である。 お金を増やす方法は株や預貯金だけではない。 一番の方法はお金を使う事である。 逆説的だが経済論でいえばそれが一番効果がある。 大枚を落とせば店が儲かり店が儲かれば主人や従業員がお金を落とす。 それが巡り巡って自分の懐に何倍にもなって戻る。 逆に財布の紐を締めればお金は生まれず増えない。 某総裁は某紙幣製造工場に”政府のツケ”を肩代わりさせようとしているがその”ツケ”は結果国民へ回ってくる。 利回りを高くしたければ銀行にお金を預けない事。 つまり”銀行に儲けさせない事”が一番である。 銀行が儲からねば利回りを上げるしか銀行が生き残る術は無くなる。 その方法は銀行にお金を預けないのが一番である。 政府と日銀の癒着を断ち切り国内経済立て直しを図るそれが唯一の方法であると私は考える。

2012年12月15日土曜日

世界平和の最短距離です。

年末が近づくに連れ喧騒もよりその色合いを濃くし選挙前の各党候補者の争いも激化し 更にそれに不景気風に後押しされ必要以上に頑張って疲れ切り我が門を叩く人が急増。 そのお陰で私自身も又、頑張らざるを得ない状況になっている^^; そりゃあ不景気になれば何とか頑張って景気を良くしようという気持ちは大事である。 先行き不安な状態の中で消費よりも貯蓄にお金を回そうという考えも理解が可能。 されどもっと大事な事がある。 それは『頑張っている自分を認めて上げる事』である。 戦前戦後より古くは江戸時代以前より日本人は頑張る事を強要されてきた。 確かに島国で四方を海に囲まれ単一民族である日本人にとって『奮闘努力』しなければ生き残れなかった現実はあるであろうと思う。特に北海道や沖縄等離島にお住まいの方々にとっては頑張らねば生き残れないというサバイバリゼーションもあったであろう。 されど戦前日本の『月月火水木金金』制度は私にはキチガイじみた制度にしか見えぬ。 本当に国民を奮起させ生産力を高めたいならば適度に休息を取らせる事は必要である。 機械だってメンテナンスは不可欠、まして人間は機械に非ず。 休息を充分に取ってこそ又、新たなやる気も出てくるという物である。 又、『目の前にぶら下げられた人参めがけて走り抜ける馬』の如く御褒美も必要。 手前味噌で恐縮だが我が愛方は私と出会う迄御褒美を貰った事が無かったらしい。 親御さんにとっては親の手伝いをして当たり前、仕事をして当たり前でありそれは褒章の対象にはならぬと言う教えを長く受けてきた為に自らに対しても御褒美を挙げるという考えには至らなかったと言う。 その考え方が絶対的に間違っているとはいわぬが少なくとも我が目には正しい事としては映らなかった。我が家は何か親の手伝いをしたら必ずご褒美を貰えて居た。 勿論子供の駄賃等高が知れている、それでも幼少期より働いたら何某かの報酬を得れると言う商業主義的考えを植え付けられた事は現代の自分にもとてもプラスになっている。 我がセラピーの仕方もそれに習っている。 頑張った分だけ必ず結果を出す。 結果の出ないセラピーは絶対にしない。 当たり前の事だがこの当たり前の事を中々実行出来ているセラピストは少ない様だ。 我が門を叩く同胞の多くは”目に見える結果”が出る事をとても喜び我がセラピープログラムを嬉々としてこなしている。 それは結果として自らの変化が自らでちゃんと自覚できているからである。 例えば容姿、例えば人の評価、人からの扱いの違い等である。 我が門を叩く人の多くは人から正当評価をされず認められなかった方々である。 それ故に我がセラピー後”認められる喜び”を得られる事はとても大きな意味を持つ。 それは何故か? 私自身もそうだが”人から認められると自らも自らを認められるようになる”からだ。 お恥ずかしい話だが私自身が自分を認められるようになったのはこの仕事に就いてから。 それまではとてもじゃないが自分を認められる人ではなかった。 30年近く人から人として認められない世界に身を置いていた人間である。 早々に自らを認めよと言われもそれは土台無理な話。 だがこの仕事に就いてから人が人から認められる喜びを自らがそれを同胞に成す事で学ばせて貰った。と、同時に自分自身を認める事で変わっていく同胞を目の当たりにし自分自身も自分自身を認めてあげるべきではないか?と言う考えに至った。 それからは随分と楽になり生き易くなった。 心なしかセラピーテクニックも精度を増した気もした物である。 人間頑張る事は勿論大事、されどその頑張りを自らが認めてあげる事はもっと大事。 貴方は世界にたった一人しか存在し得ない唯一無二の絶対的存在なのである。 その唯一無二の絶対的存在である自分にどうか誇りを持ち自分自身を認めてあげて欲しい。その事により自分自身も変わり自分自身の周りも又、変わって行く事は間違いない。 貴方が貴方自身を認める事は貴方の周りの人達も又、認める事と同じである。 何故ならば同じ場を構成する構成員だからである。 貴方自身が貴方を認めその輪が広がればこの世からいつか争いはなくなる。 私はそう信じて今日も”自分自身を認めさせる努力”を続けています。

2012年12月14日金曜日

『卵が先か?鶏が先か?』の理論だと私は思います。

脳はPCで言う所のCPU(中央集積回路)であり五体は外部情報入力機関。 各部位からの情報を脳が処理しその結果を伝達しそれを受けて各部位が動く。 と言うのが脳科学及び神経学的見解であると思います、生態学も少しは被るか? されど私は一心理学者としてこの見解に若干の異議を唱えたい。 例えばマラソン等長期常態行動において体が途中から言う事を聞いてくれなくなる。 これは言わずもがな生命維持装置が働きそれ以上の運動は生命力を弱める危険性がある為に動けなくするというのは理に叶っている。 その際それを判断するのが本当に”脳”だけなのだろうか?と私は疑問に思う。 筋肉が疲労を感じそれを脳に伝達しそれを各部位に指令を出しているという事は実際に動く動かないの判断を下しているのは各々の部位ではないか?と私は考える。 正に脳科学及び神経学及び生態学的には『馬鹿か!』と一笑に伏される事間違いなし。 私は生来のへそ曲りなので定説と言うものを見るとどうもひっくり返したくて仕方なし。 先の『卵が先か?鶏が先か?』の理論で行けば各部位に独自の自己判断機能が備わっていてもおかしくは無いのではないかと思う。 いわゆる条件反射と言うのも一般的には脳が処理をしていると言われているが本当にそうなのであろうか? 或いはそれらの判断を各部位が独自に行っているとしたならばこれは理に叶う事ではないだろうか? この考えに至ったのは実は今回の山中教授の発見が契機となった。 細胞自体に判断力が在りその判断で持って自らの意思で各部位の情報を集めそれらになっていくと考えた場合これが証明されれば物凄い大発見となる。 私は一心理学者なので研究範囲に限界がある。 されどその限られた中で様々な思慮を重ねこの問題に独自に取り組んで行きたいと思う。

2012年12月13日木曜日

今冬の胃腸系疾患が多い訳。

最近私を含め近隣者でお腹を傷める方々が多数。 腹痛から下痢や便秘を繰り返しもしや大腸ガンでは?と一喜一憂される方が多い。 されどそれらの主な原因は急激な温度差であります。 尋常ならざる寒さの中急に熱い物を食べたり飲んだりすると内蔵はその温度変化についていかず誤動作を起こします。 元々寒さで腸の働きが鈍って老廃物が溜まっている所にそういう異常が起こると脳はそれを正常化させようと老廃物を強制的に除去しにかかります。 それが真冬の胃腸系疾患の原因です。 改善方法は急激に熱い物を口にせず少しずつ温めて行く事です。 人間は急激な温度変化に弱い恒温動物です。 蜥蜴や蛇等爬虫類のような変温動物ではないので周囲の温度に自らの体温を合わせる事ができません。今冬の寒さは尋常では無くその分屋内外での温度差はかなりの物に。 これが此処まで寒くなければ室内外の温度差が余り無い為に胃腸系疾患には至りません。 されど此処まで温度差が有るとその影響はモロ内蔵にきます。 くれぐれも熱い物の一気飲み及び一気食いは胃腸系疾患を引き起こす原因となりますので御用心下さい。

2012年12月12日水曜日

海外で日本人英語が通じないのは発音だけが問題ではない。

年末年始を海外で過ごす方も少なくはないであろう。 何度も渡航している人は別だがそうでない人の場合必ずぶつかるのは”言葉の壁”。 日本人は戦後教育の中で”正しい外国語”を身に付ける事に躍起になってきた。 米英に追いつき追い越すという精神は未だ日本人の生来型遺伝子に遺伝子情報として脈々と受け継がれている。先進国の仲間入りを果たした今でもその精神に代わりはない。 だがその精神こそが海外でのコミュニケーション能力を貶めている事に気づいていない。 日本人の外国語が外国人に伝わらないのは何も”発音”だけが問題ではない。 一番の問題は”表現力の乏しさ”にある。 或る面白いエピソードをご紹介しよう。 英文科卒のバリバリのバイリンギャルAと文学部卒の普通の英語力しか持たない大和撫子Bの二人の女性が海外へ旅行へ出かけた。 通訳は私に任せてと言わんばかり意気揚々と目的地に着いた。 さて此処で本領発揮と普段”大学で習った英語”をバリバリ使ってコミュニケーション。 ところが…着いた先は都会ではなく田舎町、都内某有名大学卒の二人は”海外の田舎”に憧れ敢えて都会ではなく町外れの街を選んだ。 第一の失敗はこの目的地の選択ミス。 Bは都会の方が日本語が使える場所も多いと主張したがAは自らの英語力を過信し却下。 Bもそれに従い田舎町をセレクトしたのだがこれが大失敗。 悲しい位Aの英語は全く現地人には通用しない。 焦れば焦る程言葉を間違えそれが余計に焦りを生みと悪循環。 見かねたBがAを押し退け拙い英語と身振り手振りで一生懸命現地人に説明。 私ですら通じないのにアンタの英語力で通じるはずがないじゃないと高を括るA。 されど結果は予想を大きく裏切りBの英語で相手は理解し何とか宿泊先についた。 見事プライドを傷つけられたAは今度こそと宿泊先で”流暢で上品な英語”を披露。 されどこれもやはり通じず、今度もBの”拙い英語”で難を切り抜けた。 こうなったらいよいよAは自らの面目丸潰れとなり面白くない。 何とか汚名挽回をと思えば思う程その心とは裏腹にBの活躍の場は増えていく。 自らのプライドを完膚無きまで叩き潰されAは茫然自失遂には引き籠りとなった。 帰国後二度と海外へは行かないと言うAに対し自らの英語力に自信をつけたBはその後海外へ就職を求め見事就職が叶った。 ではこの二人の違いは一体何処に有ったのか? 答えは”Aの英語力が有り過ぎた”事が原因である。 海外の田舎町では都会程”識字率”が日本の田舎町と比較しても決して高くない。 つまりAの”綺麗な英語”は彼らには”難しすぎた”のだ。 又、日本と同じで海外も”方言”があるので”方言”で耳が慣れている現地人には”標準語”は聞き慣れない言葉で理解が”難しい”。 翻りBの英語力はA程ではないが”身振り手振り”を駆使し”現地人と同レベルの語彙”で話した事が功を奏した。 発音は決して良くはないが平易な英語と何より一生懸命伝えようとするボディーランゲージが現地人の理解を増したと言って良いだろう。 ”正しい外国語”が必ずしも”伝わる外国語”ではない。 私の英語力も対した事はないが或る留学生に大学教授より表現力があると言われたw 因みにその大学教授とは英米文学部の学部長殿である(笑) これが現実である。

今の日本に欠けているいるものとは

『生き馬の目を抜く現代』『生きる事は戦い』と言われます。 年末を迎え益々その様相は色濃くなって来ています。 されどその中にあって『共闘』という事を現代人の多くは抜かしていると思います。 人間が地上の覇者となれたのは某自己犠牲ゲームじゃないですが巨大な的に対して皆で力を合わせて共闘したからこそ強大な敵にも向かう事が出来共闘出来たからこそ高い文明を築く事も出来た筈です。 日本が戦後急成長した影には米英に追いつき追い越すという精神の元皆がその力を結集し努力をした結果先進諸国の仲間入りを果たす事が出来たのだと思います。 『個の時代』と言われて久しくなりますが『個』はその対を成す『全』があればこそ『個の存在』も又その色を濃くできるのです。 『全』無き『個』は存在し得ないのです。 日本の今の経済の停滞の原因の一つは正に此処にあると思っています。 他社を追い抜く、同僚を追い抜くのではなくそのもっと先にある強大な敵の為に皆が共闘してこそ経済も回復して行くのではないでしょうか? 有限な資源がどんどんと枯渇していく中その必要性は益々増してくると思います。 私は断固戦争反対派です。 戦争は何も生み出しません。 されどその中にあって戦後日本が共闘精神を持てた事だけは評価に値すると思います。 今一度人間がこの地球で未だ生き残っている理由に立ち返って欲しい。 総選挙投票前に私が思う事です。 と言う事で今日も最後のフォンセッションを終えそろそろ休ませていただきます。 皆様方も良き夢をm(_ _)m

2012年12月11日火曜日

原発推進はオゾン層の破壊を助長させ地球を死の星とする愚行なり

『最近の若い者は軟弱でいかん、ワシが若い頃は…』と昔話を始めるご老体。 挙げ句の果てこの真冬の寒さに真っ裸で乾布摩擦を始め、或いは竹刀の素振りを始め結果大風邪を引く。 これぞまさしく『裸の王様』 御老体には誠に申し訳ない事なれど明らかに地球の温度は御老体が若かりし頃より数度以上変化をしています。 それは目に見えております。 それも”地球温暖化”だけが取り沙汰されておりますが実は異常気象はそれだけに非ず。 今冬は初冠雪を多くの地域で更新され又最低気温が例年に比べ低い日数が多いのが特徴。 実はこの初冠雪に最低気温の更新の原因も”オゾン層の破壊”が原因です。 オゾン層とは言わば人間に於ける衣服に同じ。 暑ければ風通しを良くし寒ければ風を遮蔽する役目、それがオゾン層の役目です。 それがフロンガスや排気ガス等の環境破壊によってどんどんと薄くなっている。 つまり暑さや寒さを遮る物を人間自らが放棄しているのと同じです。 更にそれは気圧配置を変え台風や大雨、大干ばつ等の異常気象を引き起こす原因にもなります。 太陽熱を遮らないということは地熱温度が上がります。 すると当然地球のコアであるマグマを刺激します。 結果的にプレートを動かす原動力となり地震が起きやすくなりそれにより火山の噴火も呼び水となります。 オゾン層の破壊は正に人間をこの地上から抹殺する最終兵器なのです。 このまま地球の自然を人間の愚行により破壊し続ければ明らかに地球は”死の星”となるでしょう。 そうなれば”母なる星”が無くなり”魂の帰る場所”を亡くします。 それは人類創生より繋がる御先祖様への無礼にも繋がります。 そうなる前に今迄以上に真剣に”オゾン層の破壊”を止める方法を人類は模索すべきです。 原発が問題なのは原発が今回の東日本大震災の時のような人災で破壊され”放射能漏れ”を起こした際”オゾン層の破壊”を更に増進させる危険性がある事が一番の原因。 それにより異常気象を引き起こし火山の活動を活発化させ地下のプレート移動速度を早め結果地震を引き起こす引き金となるからです。 今考えるべきはオゾン層の破壊問題、人類が真剣に取り組まなければいけない大きな課題なのです。

2012年12月10日月曜日

昔:『風が吹けば桶屋が儲かる』 今:『自動ドアが開けば空調屋が儲かる』。

今は何処へ行っても自動ドア乃至重力式ドアで和室の様に自らが閉める必要の無い所が多い。 それが常態行動となり地方の電車や和室では無意識に開け放しにする人が多数。 結果季節を問わず空調が必要となり空調屋が儲かるのです。 そしてそれは更に恐ろしい事態を招く結果にもなります。 空調を強くすればフロンガスが大量に空中に撒き散らされ結果益々地球温暖化現象は深刻な結果になります。 自動ドア乃至重力式ドアを廃止し全てを手動に切り替えれば地球温暖化防止だけでなく某社のようなエレベーター事故も防げ安全対策にもなります。 更に思いやりの精神も養う事が出来ます。 一人は皆のために、皆は一人の為に、助け合いの精神も其処で養う事ができるようになります。 日本人の誇りと地球の環境を取り戻す為にも自動ドア乃至重力式ドアを本来の手動式に戻す必要が今後出てくると思います。 自動ドア乃至重力式ドア廃止は更に原発推進派の腐敗政府や腐敗電力会社への反旗を翻す事にもなります。 手動扉開閉が定着すれば空調に掛かる電気代節約にもなるので電力会社の値上げに屈せずとも良くなります。 そうなれば原発推進も無意味となります。 より安全は確保され健康にもなります。 これこそ正に一挙両得です。 是非今度の選挙投票の材料にw

”迷い”には実は種類がある。

以前当ウォールで”迷う時点で結果は出ています”というお話を差し上げました。 自分が絶対的に正しいと思う事は人は迷いを生じさせません。 つまり”迷う”時点でそれは”正しくない”という事でそれを実行する際にかなりのデメリットが生じる可能性があるというお話。 されど実は迷いには二種類有ります。 肯定的迷いと否定的迷い。 肯定的迷いとは例えばイケメンがずらりと並びどれでも一人選んで良いといわれる時の迷い。 否定的迷いはその逆。 ブサメンばかりが並びどうしても選ばないといけないという状況。 選びたいと思うか選ばないといけないと思うか。 能動的か受動的か。 その違いが同じ”迷い”でも結果が出ているか出ていないかに分かれます。 ”肯定的迷い”ならばどんどん悩みましょう、その事で脳の皺はより深くシナプスの伝達速度も上がります。 されど”否定的迷い”なればそれは即刻止めるべきです。 それは血中に河豚毒と呼ばれるテトロドトキシンの何十倍もの毒素を垂れ流し生命力を貶める愚行です。 どうせ悩むなら楽しく悩みましょう。

強い自己否定は強い自己顕示欲の隠れ蓑である。

どんなに家族の事を自分が物心付いて以降嫌っていても人が家族の悪口を言ったり自分が言った家族の悪口に同意をされるとそれを否定したくなる時がある。 例えばそれが恋人関係や友人関係であっても同じ。 これは心理学的に『生存欲求』が働くからである。 例えば家族。 家族の否定はそのままその構成員たる自分の否定に繋がる。 例えば恋人。 恋人の否定はそのままその恋人を選んだ自分の否定につながる。 これが友人であったとしても得られる結果は同じである。 自己否定は容認できても他者否定は容認できないのが人間が人間たる所以。 何故なら自己否定の中にはその奥に強い自己顕示欲が隠れているからである。 本当に自己を否定しているならば人は自らの否定を表には出さない。 何故ならそれを出す必要性が無いからである。 本当に自殺を企てている人が自殺を仄めかす行動をしないのと同じである。 人間はその行動に整合性がある場合それを表に敢えて出そうとはしない。 自己否定を見せる人は実は自己肯定を望んでいる人である。 それは願望が潜在意識的否定である事の裏返しである。 こうなりたいと願う人はその裏でそれが叶わない事を知っている。 もしもそれが叶う物なれば人はそれを願う事はしない。 それを願うという行為自体がそれ自体の否定行為である。 故に強い願望は強い否定と同じなのでその願いは中々叶えられないのである。 閑話休題 故に家族や友人や恋人を悪くいう人の口車に乗せられて下手に同意をするのは気をつけましょう。下手すると同意をした貴方自体を今度は嫌悪する対象とされてしまいます。 そういう時は敢えて否定を示しましょう。 そうする事でその人の否定が肯定に変わり貴方自身の評価も肯定的となるでしょう。 我が実体験より得た学びです(笑)(敢えて誰から学んだかは伏せておきます(爆))

2012年12月8日土曜日

人間が地球上で生き残る為に必要な事。

『理解』とは『理を解する』事。 そして『理』とは『ことわり』と読み『心の向き、在り方』を指す。 つまり『理解』とは『人の心の向き、在り方を解する』事です。 そしてこの『理解』とは生物学的に『生来型遺伝子的理解』と『学習型経験的理解』に分かれます。 『生来型遺伝子的理解』とは生まれ持った両親の遺伝子を引継ぎ更に生育環境の中で得た経験や知識によって得られる理解の事。 『学習型経験的理解』とは生育環境を離れ親元から自立し様々な外界の刺激を受け色々と経験をした上で得られる理解の事。 人間はこの二つの理解をその場その場で使い分けながら生きている。 されどそのバランスはとても難しく時に著しい偏りを見せる。 それは人間が理性と欲望と言う二律背反な物を心に同梱させている事に起因している。 それ故に人は悩み苦しみその中で選択し学習し理解を深めそして進化進歩し現在に至る。 されどそれは人間がこの地球上で地上の覇者として生き残る為の物。 生物学的に動物的共栄主義は生来人間には備わって居ない。 集団で事に当たるのはそれをする事でより効率的にものを処理し個を維持できるから。 この場合大事なのは集団ではなくそれが個の集合体であるという所である。 元々が集団である物と元々が個である物が集団となった物とでは考え方は全く異なる。 動物や魚類は元々集団で移動し集落を持ちそれは食料的依存性の高い集落でありそれがなくなると移動しという生活を営んでいる。 今でも遊牧民族はその風習を残しているが現代人の殆どは居を構え其処から移動せず居は移動させず食物を求めて人間自身が移動しそれを得て居に持ち帰る。 移動型住居の場合大事なのは住居を移動させる労働力でありそれは人との繋がりである。 されど定住型住居の場合必要なのは、定住を維持させる収入であり労働力ではない。 これが人間が群れではなく個で生活を営む最大の理由である。 共同生活を送っていても同じ屋根の下に住んでいても現代人は”個”である事を好む。 これが人間と動物の違いである。 地球が誕生し46億年以上が経過。 されどその中で人間が生まれて今までの歴史はほんの星の瞬き程度でしかない。 それ以外の地球史を作ってきたのは人類以外の生物である。 謂わば地球上で一番の新参者が地球で虚勢を張っているのと同じである。 最近の天変地異を見ているとそれをガイヤがお怒りのように見えてならない。 新参者は新参者らしく大人しくしていなさいと叱責を受けている気がする。 このまま人間が傍若無人なる振る舞いを止めず地球環境を壊し生態系を壊し続けたら最終的には地球にとって寄生虫と判断され淘汰されるのはもう目前であろう。 その前にその事に現代人は気づき全ての生き物との共存共栄の道を模索すべきだろう。 そう考えた時原発が不要である理由は一番理解が叶う事ではないかと思う。 本当に人間が生きる方法は原発を活かす事ではなく地球と共存共栄していく道を探す事。 それ以外に人間がこの地球で生き残る道はないと考える。

2012年12月3日月曜日

時差ぼけが時差ぼけでない常態行動心理学的根拠

所謂『時差ぼけ』は実は『時差』が原因ではない。 その原因は『常態行動』にある。 仕事であれプライベートであれ日本と海外とでは行動様式が違い五感から得られる情報も全く国内のそれとは異なる。 それが長時間であればある程その印象は強く”常態化”しやすくなる。 又、短期間でもその体験が今迄の経験を遥かに超える衝撃を与えた場合”強印象”として残り、長期滞在者と同じ脳の働きを見せる。 されど帰国すれば又、何時もの変わらぬルーティンワークが待っていて雑事に追われる日々が続く。 例えそれが仕事で海外へ行ったとしても関係者以外は見ず知らずの他人である。 日本の場合はそうは行かない。 関係者以外でもやはり何らかのコネクションは必ず存在する。 その煩わしさからの解放が終り又、柵の中に長く身を置かねばならなくなる。 それらの拒否感等と常態行動が合わさって誤動作を起こす。 もしそれが本当に『時差ぼけ』であるならば一切時計を置かない生活を送ってみるといい。 それが『時差ぼけ』である限り時計を身の回りに置かねば『時差』は存在せず『ボケぬ』筈である。 だが実際は常態行動により五感から得られる情報の格差からそれは起こる。 もちろん寒暖差や天候の違い等もその範疇である。 それを解消する方法は一つ。 国内でのストレスを逃がす方法を模索し海外である認識を強く持つ事。 それにより『時差ぼけ』は随分と解消されるはずである。 お試しあれ。

やっと時代が俺に着いてきた(笑)

『季節性情動障害』については既に『季節性疲労』という別名で数年前より公表している。 心理学会や医学会がやっと我が持論に追いついたかという感じ。 やはり日本の医学会及び心理学会は欧米諸国と比べると30年以上遅れている。 その大きな原因の一つが専門性に対する間違った考え方にあると私は考えている。 私の専門は心理学である。 だがこれも既知の通り私はそれ以外の学問についても広く浅く研究を続けている。 最近は生物学者も名乗れるよね?と周りから揶揄される程生物学には精通するようになった。 されど私の専門は飽く迄心理学。 他はその心理学を別角度から実証する為のデータ的扱いでしかない。 専門が専門たりえるのは他の専門との相違点類似性を示てこそが持論。 相違点ばかりを述べるのではなく類似性を其処に加える事でより専門性を高める事ができる。 西瓜をより甘くする振り塩に同じである。 閑話休題 海外の研究者の場合自らの研究分野の色をより鮮明にする為に他分野の研究分野にも手を出しその色をより濃くする研究を多く発表している。 それ故にとても視野が広く見識も深い。 専門性に特化するとは深さだけでなく私は広さも必要だと思う。 人間が五感で感じる”広さ”も拡幅だけでなく其処に”深さ”が加わる事でよりその”広さ”をリアルに感じる事ができる。 それは人間が空間存在論的に2Dではなく3Dで生きているからである。 されどその認識は人間のみ。 3D的見方ではない別の見方をしている他の生物も地球上には多く存在する。 温度で感知する生物にとっては深さや広さは無関係であるのと同義である。 地球上には人間だけが住んでいるのではない。 寧ろ人間以外の存在の方が遥かに多く長く存在している。 又、人間の五感が知覚出来ない存在も又、多く存在している。 それらの存在を否定し無いとすれば簡単だがそれでは説明が付かない場面が余りにも昨今は多すぎる。 寧ろそれらの存在を素直に認め畏敬の念を持ちながら生活をした方が遥かに心豊かに過ごせると私は考える。 この地球は人間だけの星に非ず。 その事を失念するべきではないと思う今日この頃である。

2012年12月2日日曜日

泣いて馬謖を斬る

最近あちらこちらで友録間のトラブルを目にします。 年末も近くなると色々と不安が頭を擡げ御心の安定を欠きそれが態度に言葉に出る人が多い。 そうなると友録を続けて行く事に疑問を覚える人も出てくる。 そして大抵の人が悩むのが『共通友録数』の問題。 この数が多ければ多い程『この人を切って他の共通友録に罵詈雑言言われてもなぁ』とそれがネックとなり中々その人を切れないという人は少なくないようです。 されどそこでよく考えて欲しい。 共通友録数と非共通友録数はどちらが多いですか? 恐らく非共通友録数の方が多い筈。 そして其れこそがその人を切らねばならぬ理由です。 私が今回友録解除したH氏も100名以上友録が被ってます。 H氏を切れば或いはその100名を敵に回すかもしれません。 けどよく考えて欲しい。 その100名を守らんが為に残りの私でいう数千の人間を危険に晒す事は正しい事だと言えるでしょうか? 私はそうは思わない。 その人を怪しいとしその人から何らかの被害を蒙っている場合或いは自分以外の人も同様の被害に遭い同様の悩みを持っているかもしれません。 されどそこで貴方が躊躇し友録を切らねばその同様の悩みを持つ人も同じ様にその人を切れずにいるのです。 逆を言えば貴方が勇気を持ってその人を切ればその勇気に押されて別の人もその人を切れるかもしれない。 過日私は此処でこのように書きました。 『貴方の一言が世界を救うかもしれない、或いは世界を壊すかもしれない』と。 同じ事を此処でもう一度言います。 『貴方の勇気ある行動が貴方の大切な人を守るかもしれない。貴方の小さな恐怖心が貴方の大切な人を危険に晒すかもしれない』と。 是非貴方だけでなく貴方の大切な人を守る為に今迷っている人がいるなら勇気ある決断をして欲しい。そして先にある不安をどうか払拭して下さい。 新たな気持ちで新年を迎えようではないですかw

『霊波動』の学術的根拠のお話

『霊波動』と言うと超心理学的な物が駄目な人には目を背けたくなる言葉である。 だがこの『霊波動』は実は科学的根拠の有る言葉だとするとどうであろうか? 例えばこの言葉を二つの言葉に分解してみよう。 『霊』と『波動』 この場合『霊』は取り敢えずはけといて問題は『波動』の方。 超心理学的なものが苦手な人でも『波動』と言う言葉自体は受け入れられる筈である。 例えばこれに『音』が付けば『音波』となり『電気』が付けば『電波』となる。 『波動』とは字面通り『波の動き』である。 人間の体はこの『波の動き』に結構左右されている。 女性に月に一度訪れる物は『潮の満ち引き』に左右されそれは月からの引力に関係がある。 お酒を発酵させる際クラシックを聞かせると良いお酒になると一時期持て囃されたあれも『音の振動』により発酵速度を早めるのが原因である。 心臓も波形だし殆どの検査も波形で示される。 『霊波動』はこれが『気配』に変わるだけの話。 例えば『反りが合う』『反りが合わない』と言う言い方に言い換える事もできる。 『霊格』とは『人格』と言い換える事も可能である。 もし『目に見えない物は信じられない』とするならば『空気』は見えますか? 『細菌』は肉眼で見えますか? 『ガン細胞』を肉眼で捉えられますか? そしてお腹の中の『新たな生命』を肉眼で捉える事が出来ますか? 『機械を通して見る事が可能な物』であったとしてもその『機械』を作ったのは人間です。 『不完全である人間』が作った物に『完璧』を求めるのは酷と言うもの。 その『機械が写し出す映像』が『真実の物』である証を示ますか? それを『真実の物』だと示せない以上それらは『超心理学的存在』と何らその価値は変わりません。案外食わず嫌いならぬ知らぬ嫌いという物も世の中には結構存在しています。 我々超心理学者はその『目に見えない不確かな物』を『目に見える学術的説明がつく存在』としそれらの誤解を解く努力を常続けています。 そして全人類がその存在を『在る』とした時それらは『存在』を始めて許されます。

2012年11月29日木曜日

人はどこで人を認識するのか?

人が人を認識するのは何処だと思いますか? 顔?身体?声?匂い?それとも触れた感覚? 多くの人が人が人を認識するのは”顔”だと思っています。 だから一般的には”整形”した人は誰だか解らないと思われています。 されど実はそれは間違い、人が人を認識するのはその五感で感じる物全てです。 もし視覚的にしか人を認識出来ないのであるならば視覚障害を持っている人は何処で人を認識しているのでしょう? それがもしも声なら聴覚障害者の人は何処で認識をしている?という事になります。 されど彼ら彼女らはそれを使える人以上に鋭敏に人を見分けられます。 その答えが先に述べた五感情報全てで人は人を認識しているからです。 以前お話をしましたが患者と生徒と教え子が偶々鉢合わせ私の事を話している場面。 三人共私の話をしているのですが三人共それは別人だと言い張りますwww それは私が各々の接し方を変えているからです。 人は人を認識する際視覚情報だけでなく身振り手振り喋り方抑揚等で判断をします。 匂いもその内の大事な要素の一つ。 故に私は会う人毎に香水を変え同じ人に同じ香水を使っています。 故に香り一つ違っても人は”似ているけど普段と使っている香りが違うから別人かな”と思う訳です。 逆もあります。 私の人生初の草の根ネットでのオフ会での出来事。 まだお互いの自己紹介が済む前にユーザー各位が私だと認識されました。 それは書き込む内容と喋り口調が同じであったからw これも私が意図的にやった事です。 私のセラピーを受けた人の中にセラピー後人からの関わり方が変わった方は多数います。 人の態度が優しくなった、理解を示してくれるようになった、人間関係が修復された等。 私は何も衣服やメイクや整形で顔かたちを変えた訳ではありません。 では何故?答えは心の向きを変えたからです。 人間心の方向を少し変えるだけで視野が全然変わります。 視野が変わればそれが脳の刺激となり立ち居振る舞いに変化が出てきます。 変化がその人にとって好ましいものであるならばその変化の幅は更に広がります。 その結果同じ人なのに違う人だと、別人だと言われる人になれるのです。 別人なのですから当然受ける印象与える印象が違い相手の接し方も変わってきます。 これで私は多くの人間関係トラブル解消に寄与をして参りました。 つい先だってもそれで家庭トラブルを回避させ夫婦円満家族円満にした例があります。 先の立てこもり事件のウォール書き込みでも述べましたが大事なのは生育環境です。 しかも親元を離れてからの生育環境が大事です。 幾ら金持ちで家柄も良く高貴な出の人でもその人のその後の人生によっては人後に落ちる非人となる可能性も十分にあります。 大事なのは生まれではなくその後の育ちの方。 それを間違えるととんでもない結果を生みます。 それを間違えた人の道を正し本来その人が歩むべき道を歩ませるお仕事をしています。

2012年11月26日月曜日

免疫系疾患はお薬でなくても改善が可能というお話

免疫系疾患はお薬でなくても改善が可能です。 免疫力向上の鍵は自分という存在の多面性を知り精神的逃避場を作る事。 ほぼ全ての病気の改善が可能となります。 例えば呼吸器系の病気の殆どが咽喉等及び内臓疾患が原因である事は知られて居ますが更にその多くが心因性である事は各々の学会でもまだ余り知られて居ません。 私は其処に着目し長年の研究の結果その改善策を見つける事に成功しました。 私自身現在も上気道炎という呼吸器系疾患に苦しめれています。 喘息系疾患で冬場になると喉がいがらっぽくなり咳が止まりません。 幾つも呼吸器系科を受診するも中々改善されず遂に自分でその原因を探り改善に成功しました。 今も完治には至って居ませんが随分症状は軽くなりました。 私自身の理論の殆どはこのように自らの身で実体験をし臨床実験をした結果編み出された物であり机上の空論ではありません。 理論とは実践され役立ってこそだと言うのが自論。 これからも自らを臨床実験体とし多くの実証的理論を編み出して行きたいと思っています。

今回の銀行立てこもり事件に対する常態行動心理学的分析

恐らく今回の立てこもり事件も加害者の家庭環境にスポットが当てられるであろうがそれは下衆の勘繰りであり物見遊山な報道価値のない報道であり噂好きのおばさんの知的欲求を満たすだけの報道側の知識レベルの低さを露呈するだけの自己満足報道に過ぎない。 こういう報道を見る度に甚だ一株主としては嘆かざるを得ない。 もしも家庭環境に何らかの問題が有りそれが犯罪の引き金を引く要因となっているならば今の世の中犯罪者だらけである。 どこの家庭にも必ず何らかの家庭環境に問題がありそれが無い家庭は恐らく存在しない。それはその問題を如何に解決するかによってその後の子供の成長が変わっていくからである。 だが尤も重要なのは自立後の生育環境の方である。 これこそが我が”常態行動心理学”の妙である。 生育環境における五感情報から来る刺激は家庭内よりもその外により多く情報源がある。 それは親が子の変化に疎いように子も又、親から日常的に受ける刺激に慣れてしまいそこから得られる情報量は余り多くない。 そうなれば結果情報を求めるのは外界という事になる。 外界には内界(家庭)にはない様々な刺激に溢れている。 脳は刺激を受け成長しそれが信号として体の各部位に伝えられ体自身も成長していく。 デビューしたてのアイドルが数年後急に大人びる原因の一つが実はここにある。 家庭環境とは全く異なる生育環境で生きて行く為場を構成する者と姿形を似せようとする。 周りは皆自分より年齢的にも経験的にも上の方々ばかりである。 その方々と対等に或いは上位に位置する為には自らの立ち位置も上に置かねばならない。 それがアイドルが数年で大人びる一番の理由である。 閑話休題 今回の犯罪において重要な事は現代社会に対するアンチテーゼを投げ掛けている事である。勿論その投げ掛け方には大きな問題が有りその投げ掛け方自体は間違いであると言わねばならない。だが投げ掛け方に問題があったとしても問題提起自体間違いは恐らくない。 彼も彼なりに今の国を憂う憂国の士の一人であった。 だがその示し方にかなりの問題があっただけである(だがそれが一番大きいのだが)。 彼を凶行に借りたてた物、それはやはり彼が親から自立後の生育環境であろう。 その中で何処か歯車が狂い其処に親も本人も気づけず凶行に及んでしまったというのが恐らく原因であろう。 多くの”専門家”という肩書きを持った素人は”家庭環境”にスポットをあてたがるがそれは更なる犯罪者を生み出す事を助長させるに留まり犯罪抑止には至らない。 馬鹿な親はその報道を見てより厳しく子供を正しい方向へ導こうとするだろう。 されどそれこそが犯罪の温床となる事に気付いてはいない。 当節巷を騒がした『北風と太陽』作戦に同じ。 『北風=厳しく』だけでも『太陽=放任』だけでも子供は正しく成長をしない。 その両面を持ち何より子供の『声にならない声』に耳を傾け聞く姿勢を持つ事こそ大事。 それこそが第二第三の犯罪を抑止し犠牲者を出さない最良の方法だと私は信じて疑わない。

2012年11月25日日曜日

質素倹約を尊ぶより稼ぐ方法を考えよう

日本国憲法で保証されている基本的人権の中の『健康的で文化的な生活』という条文の中に『幸福の追求権』という物が新たに加わった事を知る人は案外少ないかもしれない。 良く極貧生活や節約生活の企画物を近年TVで見かける回数が増えた。 過日も某巨大ガールズユニットの内の一人が某番組の節約生活の企画脱落した事にマスコミ各社芸能人からも批判された記事が出ていた。 徳川吉宗公以降質素倹約を尊しとする風潮は日本に強く根付いている。 確かに島国且つ単一民族で資源に恵まれない日本においては質素倹約は日本人が生きる術として必要な事だったのかもしれない。 サバイバリゼーションの観点から見ればそれは勿論外れては居ない。 人間生きて行く為には必要最低限の物があれば生きる事はできる。 されど生物学的生存と人間の『文化的生活』は実は大きく異なる。 人間が他の動物と異なり文化を持ち地球上で進化し生き残れた理由の一つに人間が持つ『欲望』という部分を決して外す事はできない。 勿論他の動物にも『欲望』はある、だが『理性』はない。 先の二律背反の話と同じ、この二つのバランスのお陰でヒトは地球上で知恵を持ち文化を持ち長く地球でその存在を許されたのだ。 人間がこの二つを持ち合わせていなければとっくに自然に淘汰され人間という生物はこの世に存在しなかったであろう。 『理性』とはいわば『節制』と言い換える事もできるであろう。 されど先のバランスと同じ、『節制』があれば当然『消費』もある。 この『節制』と『消費』のバランスが上手に取れている人は『幸福』に生きている人だと言わねばならない。 されど中々人間このバランスを保つ事は難しい。 『消費』に過ぎれば財を失い『節制』に過ぎれば心を失う。 どちらも『過ぎたるは猶及ばざるが如し』である。 年末に近くなり皆さん『質素倹約』に必死になっている。 だがそれもまた『消費』へ向けての物である。 飽く迄『節制』を主目的にしてはならぬと私は考える。 『節制』は私から見れば美徳でも何でもない。 それも過ぎれば我が目には『悪徳』にしか見えない。 今の世の中『稼ぐ方法』は幾らでもある。 勿論犯罪や人様に顔向けできない商売をせずともである。 創意工夫で『節約』するより創意工夫で『稼ぐ』事を考えよう。 それが人間が『健康で文化的かつ幸福を追求できる』存在である証である。 その方法は私がお示し出来ます。

何事もバランスが大事だという常態行動心理学的根拠

人間は欲望と理性を心に同梱せし二律背反な存在である。 故にバランスをとても大事にしている。 人間は不幸をとても嘆く、そりゃあ誰しも不幸にはなりたくない。 だが不幸を嘆く事が出来る人は実は幸いな人である。 何故なら不幸を嘆く事ができる人はその前に必ず幸福があるから。 ずっと不幸の人は幸福を知らないので不幸を嘆く事すら出来ない。 不安も又同じである。 不安を感じればこそ人はその不安を払拭する為に努力をする。 不安が無ければ人はその努力を怠って居たかも知れない。 不安があればこそ人はその不安を払拭する為に努力をし結果その不安を払拭できる。 そして一段階成長した自分の存在を其処に感じる事が出来るのである。 悪も同じ、悪の存在があればこそ悪を憎み善を尊ぶ事ができるのだ。 前だけならば悪を知らず結果其処に成長を見て取る事は出来ず。 悪があり悪を憎む心があればこそ人の成長は叶うのである。 だがどちらもバランスが大事。 どちらが多すぎても少なすぎてもバランスは崩れお心の均衡も保てなくなる。だが中々このバランスを保つ事が人は困難である。 だからこそ我々のような心理職がその失われたバランス感覚を取り戻し正常なお心に戻して差し上げるのである。 そういう意味で我々はバランサーであらねばならぬと考えている。 まぁそのバランサーたる我々も中身は結構不安定な者だが(笑)

2012年11月23日金曜日

児童文学が大人には読み難い常態行動心理学的根拠

『児童文学』は大人には読みにくい文章です。 何故なら対象層が違うから。 児童文学の読者対象層は児童。 当然漢字を少なく平仮名を多く利用しています。 人間の脳は普段読み慣れている文章で脳処理を行っています。 其処にいきなり平仮名多用文章を読ませられると脳はその視界情報変化に戸惑い理解力を落とします。 それを読んでいる大人は解らないので児童文学なのに読むのに時間がかかりすぎると焦ります。 焦ると当然理解力は落ちます。 これが大人が児童文学を読み難くしている大きな要因です。 児童文学と大人が読む純文学は全くの別物です。 英語を理解できない人がいきなり洋書を読むのに等しい行為。 それを克服する為には洋書の時と同じ。只管読み漁る事です。 読み漁る事で脳が児童文学の文体や文脈作りを理解します。 当然平仮名多用文章も脳が認識し馴染みます。 そうするとスラスラ読めるようになります。 児童文学だから読めると過信すると大きな落とし穴が待っているので御注意をw

秋の行楽を100倍楽しむ常態行動心理学的方法

紅葉の美しいこの時期は山登りやウォーキング等アウトドアを楽しむ人がとても多い。 その際自らの体力を気にされる方が多いが鍛えるべきは体力ではなく寧ろ気力の方です。 気力が充実していると長時間の移動でも疲弊感を余り感じません。 されど気力が減退していたら体力がまだ実際は有っても動けなくなります。 疲労感と言うのは実は体力の減退からくる物ではなくMonotonic behavior(単調行動、この場合は歩く事)により増して行きます。 移り変わる季節の風景の移ろいを目で感じ空気の匂いの変化を鼻で感じ気温の変化を肌で感じ囀る鳥や自然の音の変化を耳で感じ清流の冷たさを舌で感じながら移動する事。 季節を五感全てで感じ移動しながらも常自然の変化を感じ取る事。 つまり移動時の単調行動の疲労感を如何に回避するかが大事なのです。 休憩時大事なのは体力を回復する事だけでなくこの単調行動からの脱却こそが休憩の一番の目的です。歩く事を一時休止する事で単調行動から脱却できそれは係るストレスという荷物を其処に下ろす行為でもあります。 言うなれば『荷下ろし鬱』の逆バージョン。 この場合は『荷を下ろす事』が『鬱屈した感情をクリアにする行為』となり活力の回復に繋がります。 体力の回復とは実は精神力の回復でもあるのです。 スポーツ選手も素人も人間としての器に大差はありません。 筋力や運動能力よりも大事なのは気力です。 私はメンタルトレーナーとしても多くのスポーツ選手を育成してきました。その際一番気を配ったのがスタミナ回復を如何に効率的に行うか。 既述の様に体力回復の鍵は気力の回復です。 その方法を伝授し様々なスポーツで結果を残させて来ました。 どうか秋の行楽シーズン、気力満タンでお楽しみください。

2012年11月22日木曜日

この時期の頭痛、胃痛、胸痛には御用心。

この時期寒さの為に腹痛を訴える人が多い。 中にはこれに胸痛や頭痛を訴える人もいる。 それぞれ胃腸科や外科や脳外科を受診しそれぞれ処方箋を頂く。 それで症状が改善される場合は良いが実際中々症状緩和が困難であるという人も少なくはない。 それもその筈、これらの症状の元は実は意外な所にあるからである。 それは空気の乾燥及び初期感冒による咳が原因だからである。 意外と知られて居ないが咳一回の運動量は腹筋数回に匹敵する。 これを一気に多い場合一度に10回以上する場合があるのだからその場合の運動量は相当の物。 裏を返せばその分多く腹筋に負担をかけている。 そうなれば腹筋肉疲労からくる腹痛があっても何ら不思議は無い。 この時期の腹痛の原因の一つにこれがあげられる。 咳の衝撃が原因の病は実は他にもある。 咳をするとその衝撃は胃だけでなく胸筋や頭骨にも影響を与える。 咳をする際痰が出やすいようどうしても前傾姿勢を取ってしまう。 すると先ず肺胞が塞がりそれがより胸筋を縮め負担をかける。 更に首の筋肉に負担をかけ咳自体の反響が頭骨に影響を与える。 そうすると頭や胸に多大なる負担を掛ける事になる。 特にスポーツ選手や胸の豊かな人はその分胸筋が発達している為に より多く衝撃が走りそれが痛みの元となる。 更に運動量が多いという事はその分発生する熱量も相当な物となる。 それ故に咳をすればするほど体全体が熱を帯び風邪の症状に酷似し周りの罹患者の様相も影響し風邪と勘違いをする人が多い。 そりゃあ筋肉疲労なら頭痛薬や風邪薬、胃薬で治る筈が無い。 未だこれを知らずにそれぞれの科の医者が処方箋を出すのは理解が出来ないではないが中にはそれを知っていて医療報酬を得んが為態と処方箋を出す守銭奴医者も居る。 医療費も当節馬鹿にはできない。 くれぐれも上記理由による痛苦を勘違いし不要な医療費を態々医師免許を持った詐欺師にくれてやらぬようご注意下さい。 『餅屋は餅屋』というけれどその『餅屋』が正直な商売をしているとは限りません。何事も先ずは疑って掛かるセカンド、サードオピニオンを求める事も大事です。 先ずは罹患者自体が自らの体の状態を具に観察しある程度の予測を立てる必要も今後は出てくるでしょう。 自らの身は自らで守る。 先ずはこれを念頭に年末年始を明るく元気に過ごしましょう。

2012年11月21日水曜日

色彩選択の裏に潜む常態行動心理学的恐怖

先の『黒の恐怖』にも関係するが色彩選択に関しては実は脳科学的には二種類ある。 『自主的意識的選択』『依存的無意識的選択』である。 色彩心理学的には黒を好む傾向が強い人はお心が乱れていてその乱れを正す意味で黒色を好まれる場合が多い。 もしくはそのお心の乱れを悟られないようにせんが為と言う意味もある。 結婚式の燕尾服やお葬式の喪服等慶弔事で黒色が多い理由が実はそこにある。 家人を家から送る身内の寂しさ、故人を天界へと運び悼む苦しみを隠す為の色である。 されどこの『選択色』という物も『意識的選択』か『無意識的選択』かにより選られる結果は格段に違う。 つまり選択における責任の所在を何処に求めるかで得られる結果は著しく変わると言う事である。 選択の責任の所在が自分である、つまり『自主的選択』である場合その選択は『意識的選択』であるので問題はない。どういう結果になったとしてもそれを選んだのは紛れもない自分であり言い逃れはできない。そういう覚悟で持って選んでいるので例えその選択が誤りであったとしても受ける衝撃は少なくて済む。 されどそれが『依存的選択』である場合その選択は『無意識的選択』であるのでこの場合かなり問題が出てくる。第一に得られる結果が好ましいからざる場合その選択を『自主的』ではなく『依存的』に選ばされた事の後悔が先に立ちます。 第二にこの無意識的選択により『騙された感』が増しその選択物における嫌悪感はその選択物のみならずその選択物を含む大枠自体へ及び最悪それを勧めた人物をも嫌悪するようになります。 これが段々と嵩じてくると人心不信へと陥り結果視線恐怖症や人格障害果ては離人症へと発展して行く恐れが有ります。 これが色の問題である場合その色自体を嫌悪しその色を身につける人を嫌悪するようになる可能性も否定はできずそうなってくると社会生活自体を営む事が困難となります。 『引きこもり』など等の原因の一つにこれが挙げられます。 選択一つをとって見てもその重要性はとても高いと言わざるを得ません。 『流行色』を取り入れる事は生物学的生存欲求が成せる業なので止むを得ない部分もありますがなるべくなら同じ『流行色』でもその取り入れ方に少しでもこういう『独自色』を取り入れる事で様々な問題回避に繋がると一常態行動心理学者である私は考えます。

2012年11月20日火曜日

”黒”は救世色に足らずである。

最近”黒”が人気だとか。 落ち着いた色で高級感がある、不景気の巻き返しに最適と売り上げも上々らしいが一常態行動心理学者としては苦言を呈したい。 我が提唱せし色彩影響心理学的には黒をはじめとする静色は興奮を鎮める色であるだけで無く購買欲をも奪う色である。 糠喜びは大怪我の元。 更に黒色は落ち着きの色だがそれ一色になると色覚障害を発症しやすくなりそれに慣れると外界のヴィヴィッドな色に対する拒絶反応が生まれ他の色の商品が売れなくなる。 すると黒を初めとする静色が一時的には売れるがそれも常態化により購買欲は何れ失せ結果全体的な景気低迷に繋がる。 黒色は救世主に非ずである。

2012年11月18日日曜日

受験生必見?!!北風と太陽と心理学

○○しなくてはいけないのに実際は××であるという状況は誰にでも起こりうります。 例えば仕事しなくちゃいけないのに眠いとか、勉強しなくてはいけないのにやる気が出ないとか。 そういう場合人は○○の方へお心をフォーカスしそれを強制的にさせようとします。 されどこれは実は逆効果。 当節流行りの『北風と太陽』で言えば、しなくちゃいけないは北風であります。北風なれば当然旅人は羽織を強く羽織り抵抗します。 これが脳内の働きであります。 願望に対してその願望が強すぎると脳はその願望を否定と捉えその否定の方を実行します。 英語でも『must』〜せねばならないと言う命令形であり根本は否定形。 それを肯定にするためには『not must』にすればいいのです。 つまりかっこ『しなければいけない』を一度脳で放棄する事です。 すると脳は『しなければいけない』を消去し否定が消えます。 『否定』が消えれば当然其処には『肯定』が残ります。 後はその『肯定』に従い事を成せば良いのです。 『心理学』『脳科学』『神経学』の根本概念は案外簡単なのです。

精神疾患は神経系と環境系に大別される。

精神疾患は主に神経系と環境系に大別される。 神経系の代表格はLDやアスペルガー症候群等 環境系の代表格は社会適応障害、不安神経症、パニック障害等である。 主に前者は治りにくく後者は改善が可能だと一般的に認知されている。 だがそれは少なくとも私の経験上正しいとは言えない。 LDやアスペルガー症候群は一般社会的認知ほど実際は重病ではない。 寧ろそれを重病とし社会から隔離し社会との隔絶を図る事でより御本人の精神的負担及び不安を増大させ病を助長させる事に繋がる。 お心の病は時間は掛っても必ず改善が可能であるし社会復帰は叶う。 事実アスペを患っておられながら社長で妻で母親という人を友に持つ。 高校時代LDと診断を受けた女の子は現在人を指導する立場の仕事に就いている。 病を病としそれを重病視させ多くの医療報酬を得んとする守銭奴の誤診に惑わされてはなりません。 環境系疾患は環境を変える事で改善は十分可能である。 環境系疾患の多くは五感情報の誤動作が原因で起こる。 これは心理学会でも案外知られていない事実である。 これこそが我が専門領域である常態行動心理学の妙である。 生まれ育った環境の中で煩われたお心の病の多くは環境を改善する事で改善しそれを常態化させる事で元の環境に戻ってもキチンと社会適応可能とする事ができる。 一度フレーミングされた枠を外し自由にしその上でリフレーミングさせ 元の枠に戻せば自らの大きさを再確認出来るので狭い枠の中でも自由に行動が叶う。 環境系疾患の多くは生育期における負の記憶(無意識記憶)が原因だと考えられる。それは精神安定剤等の処方では決して治らない。 一時的に改善をした都思われてもそれは錯覚であり完治には程遠い。 それが治っていないと知った時の衝撃はそれを治療する前より大きい。 すると西洋かぶれの馬鹿医者は薬を変えたり量を増やす事で対応する。 投薬治療自体に問題があるのにその根本を変えずして治る筈がない。 薬品会社と結託し医療報酬をせしめんが為の治療では治る病も治る筈はない。お心の病は最大公約数的見方ではなく最小公倍数的見方をせねば絶対に治らない。 既述だが統計学ではなく分析学である。 集積論ではなく堆積論である。 他者との比較ではなく御自身との比較において分析されるべき物。 そこに考えが至らぬ限り絶対にお心の病を治す事は叶わない。 それを是非医療従事者は勿論罹患者も念頭において考えて欲しい。 お心の病はお薬や他人任せで治る疾患ではない。 治癒者と罹患者共に手に手をとって病に対してぶつかっていかねばならぬ物であり治癒者はその力を罹患者に与え罹患者はその戴いた力で自らが病と対峙しそれを退けねばなりません。 あくまで治癒者は共に病と戦う仲間であり完治の頂きまで共に走る伴奏者であ治癒者自身が矢面に立ち戦い代走する物ではありません。 それをどうか失念なさいませぬようお願いを申し上げます。

2012年11月17日土曜日

滅私奉公』制は今も現存する。

『滅私奉公』制は今も現存する。 制度上無くなっただけで精神論的にはまだまだ根強く存在する。 それは単一民族で且つ島国に生きる日本人の生きる術であった。 『私を滅する』事で精神的屈辱や苦痛を自らが和らげている。 されどそれは自傷行為に等しい行為。 『私を滅する』事は『心を滅する』事。 『心を滅する』事は『人として滅する事』である。 『人が人として生きる』為には『私を滅して』はならない。 多くの『私を滅し』ながら家族の為、大切な人の為に生きる人に『私を滅せずに』生きる生き方をお教えし『私を生かす』仕事を二十年しています。 『私を滅せず』とも生きる事は出来ます。 どうか『私を生かす』生き方をして下さい。 そのお手伝いを差し上げます。

2012年11月16日金曜日

専門家が専門家たり得るのは専門的知識を有しているからだけではない

『専門家』が『専門家』たりえるのはその専門に特化しているから…だけではない。 『専門家』が『専門家』たりえるのはその『専門』と『非専門』の違いを明確にしその『専門性』をより鮮明にできるからである。 私の『専門』は言わずもがな『心理学』である。 二十年『心理学』一筋で飯を食べてきた。 だが『心理学』だけを只管学んできた訳ではない。 私の文章を良くご覧になると”生物学”や”物理学”という言葉が良く出てくる事がお分かりであろうと思う。 寧ろ”心理学”という言葉より”生物学的”という言葉の方が多い程笑 それは”生物学”と”心理学”の共通点と相違点を明らかにする事により更に”心理学”という分野の色を明らかにせんとする事が目的である。 私は生物学物理学以外にも空間力学や天文学、色彩学や栄養学果ては東洋医学や西洋医学、悪魔学や神学、サブカルチャーに至る迄その守備範囲は果てしなく幅が広い。 これに深さが加われば完璧だが生憎そこまでは時間も頭もついていかないw されど触りだけでも知識としていれて置けばそれらと心理学との違いを明確にする事くらいは出来る。 以前有る医師免許を持った素人と議論をした事が有った。 氏は医学部時代全ての科を学んだ筈だが今はご自分の専門分野以外何の知識も持ち合わせては居られなかった。 それを当然とし自分は自分の専門分野以外の知識は不要だと豪語した。 私は開いた口が塞がらず思わず絶句した。 外科医は外科的知識だけあれば良いというものではない。 その疾患が外科的物なのかそれとも心因性が原因なのかそれを探る必要は絶対にある。 例えば自傷癖の患者がいたとしよう。 勿論傷つけられた傷を治すのは外科医の仕事である。 だが外科医はその傷を治すだけでは仕事として不十分だと私は考える。 その原因を探りそれを除去し二度と来院させないようさせる事こそ外科医に求められるスキルだと私は考える。 其の為に欧米では心理の専門家と常セットで治療に当たる。 これは何も外科的な物だけでなく内科や消化器全ての科に当てはまる。 逆を言えば心理を学ぶ者にとって大事なのは心理学だけではないという事だとも言える。 外科的内科的凡ゆる分野の知識を広範に求めておく必要がある。 そうでなければ本当にお心を治す事は叶わないと私は考える。 今一度言う。 ”専門家”が”専門家”たりえるのは”非専門”との”違い”を明らかにしてこそ”専門家”という冠を戴く事ができるのである。 ”専門以外は不要”とする”エセ専門家”は”専門家”とは呼べない。

2012年11月14日水曜日

常態行動心理学から見た行動原理の不思議について

行動心理学(behavior psychology) は行動からその人の心を読み取る方法と心からその人の行動を探る方法の二種類がある。 心の動きが行動に出て行動の変化が心の変化となって出る。 我が常態行動心理学はそれを常態行動心理学(日常生活における無意識行動)に求め研究し原因を特定し心の病を改善完治する学問である。 実は昨日面白い場面に出くわした、登場人物は二人。 私の市内のセラピールームとして使っている山口グランドホテルの受付嬢とクリスチャンで英語講師の『聞き屋』という所謂愚痴聞きを路上でやっておられるある某嬢。 前者は所謂”可愛い系キャラ”であり後者は”ボケキャラ”である。 だが前出の通りそれは”キャラ”であり御本人が演じておられる物。 実際の中身は”可愛い系キャラ”でも”ボケキャラ”でもない。 前者の方はセクシー艶女系で後者はハリウッド女優ばりのできる女系である。だがそれは彼女達の様相からはとても想像ができる物ではない。 だがそれを私は会ったその日に何れの方も見抜き度肝を抜かれた。 では彼女達の何処を見てそれを判断したのか? それこそが”常態行動心理学”の妙であり醍醐味である。 意識は上層、中層、下層の三層に分かれている事は既出である。 この場合注目すべきは下層と上層意識の二つ。 ”演じているキャラ”は上層意識の領域。 ”実際の立ち居振る舞い”は下層意識の領域。 そしてこの”常態行動”には”下層意識”が反映されやすい性質を持っている。だがその表出方法は何も大きく異なる。 前出の受付嬢の場合それは”リップメイク”に現れていた。 他の受付嬢が業務の関係上からか割と大人しめであるに反して艶やかで鮮やかな発色が多くそこだけが”可愛い系キャラ”とは相反していた。 後出の英語講師の場合それは”トイレに立つ時の足の運び方”に現れていた。いつもは明るくオーバーリアクションの彼女だが歩く時の歩き方はとても落ち着きがあり下を向いて”素の自分”に戻っていた。尚且つ顔は下を向きその顔には笑顔がなかった。 本当に彼女達のキャラが”本物のキャラ”であるならば既出のような行動にはならぬ筈である。だがやはり”演じているキャラ”と”自らが求めるキャラ”の違いは必ず”立ち居振る舞い”に出る。 今回は”肉体的身体的行動”のお話だったが実は”表出方法”は”ボディーアクション”だけではない。 ”書く文字”や”紡ぐ文章””選ぶアイテム”にもその人の立ち居振る舞い”求めるキャラ”のキャラクター性は思い切り現れている。 ”常態行動心理学”はこうした”日常生活の裏に隠れた普段の日常生活では中々気づけない行動原理”から”心の中の真実”を見つけ出し其処から”心の病の根本原因”を探り除去する為の我が1000を超えるオリジナル理論の内のメイン心理学である。

『その物を欲せんとするなばらそれを欲せんとせぬ事である』

マリッジブルーという言葉がある結婚前鬱と略される事があるが環境が変わる花嫁がその不安を増大させ鬱病のような症状を訴える物。 翻り最近新たなブルーが発見された。 『クリスマスブルー』誤解なきよう申し上げておくが『ブルークリスマス』ではありませんw 正確には『イベントブルー』と呼ぶのであるが特にこの時期は『クリスマスブルー』と呼ばれる事の方が多い。 実は私も嘗てこの病?に罹患した事がある。 クリスマス時期になると何処も彼処もカップルや親子連れで一杯となりシングルである人は取り残され社会から隔絶されたように思われる。 既に二十年以上昔となるがカップルで一杯の歩道に軽トラが突っ込んで十数名が重軽傷を負った事件があった。 浪人中の受験生で彼女も無くカップルを見ていると無性に腹が立って軽トラを借りてきてカップルの輪の中に突っ込んだのだと言う。 既にこの頃から『クリスマスブルー』は存在していたがその頃はさして話題にもならなかった。 クリスマスやバレンタインデーは企業がその販売戦略の為に設けたイベントでありイベント自体にさしたる意味はない。 寧ろそんな企業が自らの売上を伸ばす為だけのイベントにまんまと載せられ売り上げに貢献する事は正直如何なものか?といつも思う。 我々は記念日が12・14である事も手伝いその日にクリスマスイベントも兼ねてお祝いをしている為にイブもクリスマスも大人しく過ごしている。 元々二人とも人ごみやイベント等お祭り騒ぎが苦手な方である。 人ごみに酔う体質なので余り人ごみが多い所は避けて通りたい。 そして昨今そういうカップルが急増しホームクリスマスなる屋内型イベントが増えてそういうイベントグッズも売れているそうな。 この時期飲食店や宝飾店は稼ぎ時なので随分とこの風潮に異議を唱え各社様々な方策を講じておられるらしい。 されどそれもこの不景気風に圧され気味で敗色濃厚とは当事者の弁。 今年はバレンタインデーも例年程には盛り上がらなかったという。 一常態行動心理学者としては喜ばしい傾向であると言わざるを得ない。 人が人たり得るのは互いに支え合い助け合う事にある。 其処にカップルであったり近距離であったりという要素は必要ない。 制度上の夫婦や形だけのカップルであるより遠距離で形式上そうでないとしても心が繋がっている方がより心の距離は近くに感じる物である。 翻れば幾ら息のかかる距離に居ても心が離れていたら地球の裏側に存在しているのと同義である。 まして人は一人で生まれ一人で死んで行く生き物である。 どんなに絆が強くとも同じ日に同じ様に死ねる訳ではない。 後追い自殺をしたとしても同じ場所にはいけぬ。 自殺者の霊は地縛霊となり現世を未来永劫彷徨い成仏は叶わぬ。 本当に結ばれたいと欲するならば来世での逢瀬を願うべきである。 今一度言う、『イベントブルー』に心を奪われてはなりません。 年中イベントに人が皆参加している訳ではありません。 あくまでも企業戦略の一貫であり金儲けの為の手段にすぎません。 決してそのような下世話な物に惑わされないようにしましょう。 何より貴方が貴方らしくある事が一番大事です。 どうか貴方らしさだけは失わないで下さい。

2012年11月12日月曜日

人は必ず自らがなりたい者になれる。

『変身願望』と言うと女性の専売特許のように思えるが実はその願望は女性より男性の方が強い。 生物学的に恒温動物たる人間は変温動物と比べ変化に弱い。 変化に弱いという事は逆を言えば変化に憧れる性質を持っている。 別項で述べた『意外性の心理学』のように人が人の意外性に惹かれ引くのと同義である。 肉体的、運動的に男性より劣る女性は自らの見た目を変える事でその能力を補っている。 実は此処にも常態行動の妙が隠されている。 メイクや衣装で女性の性格迄変わる人がいる。 先に述べた『変身願望』が表に出たケースだがそれが『願望』である限りその人の内に内包されている物であり普段表に出ないだけであってその人の内にはちゃんと存在している人格である。 それが鏡の前に立ち視覚的に自らの変化を捉える事で自らが憧れている存在と同期し言動や態度まで変わってしまうという訳である。 男性の場合これはアルコールが入った時によく現れる。 男性の場合女性のように服装やメイクで自らを変える事は社会的制度的に難しい。だがそれゆえに変身願望は女性のそれよりもかなり強い。 そういう時男性はお酒の力を借りてその自らの秘めたる願望を果たす。 酒に酔うと人が変わる人がいるがそう言う人程変身願望が強い。 裏を返せば今の主人格に不満を持ち自信を持てないで居る。 まだお酒に逃げられる内は良いがそれが段々逃げられなくなってくる。 そうなるとどんどん酒量が増え結果アルコール依存症へと発展する。 アルコール依存症が離人症や廃人になる理由は実は此処にも有る。 何も変身願望を満たすのはアルコールだけではない。 買い物依存症やギャンブル依存症、薬物依存も又同じ変身願望からその端を発している。現状に不満を持ち現状打開を望むも叶わず現実逃避し夢の中で変身願望を果たす為に酒やギャンブルや買物などに逃避する。 されど今一度思い出して欲しい。 人の夢が夢たり得るのはそれが実現可能だからである。 人の夢が実現たり得ない物は夢たり得ない。 夢たり得る時点でそれは実現可能な物である。 という事は夢を持てる時点で現実逃避せずともよいという事になる。 我が門を叩く人の多くはその事に気づかれずお心を煩われ悩み苦しむ。 されどそれが分かってくると今度はその方策に悩み苦しむ。 その手助けを差し上げ夢に実現へ向けそして依存症脱却へ向けて邁進させ実現させ見事変身させる事こそ我が使命である。 人は必ず自らがなりたい者になれる。 私は小さい頃正義の味方に憧れキン肉マンに憧れた。 時流れて現代私は悪と戦う正義の味方となる事ができた。 悪(心の闇)を倒す事が出来る正義の味方に…。

2012年11月11日日曜日

『手料理』の旨さはその腕ではなく方位性にありw

先の『八方美人』にも若干の関係があるのだが実は『手料理』には方向性がある。 この場合の『手料理』とは企業が不特定多数を対象とした商品的な『手料理』の事を指すのではなく母や妻や恋人等特定の人が特定の人を想定して作られた物を指す事を最初に明言しておきます。 所謂企業向けの『手料理』は実際には『手料理風』でありその実は機械が作っているのは既知の事。よしんばその工程内に手作業が含まれていたとしても『手料理』とはとても言える代物ではない。 『手料理』が『手料理』たるはその方位生が限定された物のみである。 つまり『食べて欲しい人』が限られている場合に限定される。 それは『愛情の方向性』に関係がある。 既に別項で述べているように『愛情』には『方向性』がある。 よく親が子供に対して『私がこんなに愛情を持って育てているのに何で貴方はそれが解らないの?!』と子を詰る親がいるが私から言わせれば愚の骨頂であり甚だ馬鹿馬鹿しいとしか思えない。 『愛情』の方向が違っているのにそれを幾ら傾けた所で子供がいない方向に『愛情』を幾ら注いでもそれは雲散霧消し全くの無意味である。 殆どの場合『親の愛情を汲み取れない子供』のケースは親の『愛情を傾ける方向間違い』である事が大半である。 子供は未成熟であり自らが『親の愛情の方向』を見定められる訳ではないのでそこは年長者である親がきちんと『愛情の方向性』をしっかりと見定めて愛情を注いで行かねばならない。 それを怠るは親としての資質の問題であり親たりえない。 話を元に戻そう。 『手料理』の元は『愛する人に私の料理を食べて貰いたい』という思いからでありその『愛情』には方位性があり方位は定まっている。 当然方位が決まっていれば目標は定めやすい。 『愛情』の隠し味がこれに加われば不味い筈が無い。 双方向的でなく一方通行的偏愛でない限りそれを不味いとするのは味覚障害と言わざるを得ない。或いはお心に何か問題があるかである。 どんな一流シェフの最高級食材を使った料理にも負けない物。 それこそが方位性を正しくした『手料理』であると私は確信する。 私は母が作る、そして愛方が作る『手料理』は世界一だと断言できる。 きっと多くの『手料理』を戴いている方々もそうだと信じている。

『八方美人』が『八方美人』ではない常態行動心理学的根拠

『八方美人』が『八方美人』たるには実は条件がある。 先ず読んで字の如く『八方向』この場合正確には全方位的方向に人がいなければいけないという事。 更にその行為が『八方美人』だと認識されなくてはいけないという事。 この二点が揃って始めて『八方美人』は『八方美人』たりえるのである。 だが此処で実は最大矛盾が発生する。 『八方美人』が本当に『八方美人』なれば何故その人の周りに人が全方位的に存在するのか? もし『八方美人』を否とするならば全方位的に人がいないのではないか? 全方位的に人が配置されている時点でその人は『八方美人』ではないのではないか? よしんば敢えて人がいる場所を選んだとしてもその人を好まなければ人は移動しやはり『八方美人』は成立しなくなる。 今ひとつの矛盾。 それは『八方美人』を『八方美人』と認識する人の存在。 何故その人は『八方美人』だとその人の行為を認識したのか? それはその人自身が『八方美人』ではないからではないか? もしもそれを『八方美人』だと認識した人自身が『八方美人』であった場合その行為を『八方美人』とは認識できなかった筈である。 人間は生物学的生存欲求により自らよりも優れた能力を持つ者を攻撃しその能力を貶め自らの生存率をあげようとする本能が生まれ持って備わっている。 そう考えると『八方美人』も或いは生物学的生存欲求が成せる自己防衛本能でありそれは人が生物である限り当然の事とせねばならぬのではないかと考える。 翻り考えれば『八方美人』の周りにいる『八方美人』ではない人達は『八方美人』の人よりも増益を得ていない訳だから損益を蒙っている訳で当然『八方美人』を揶揄しそれを遠ざけなければいけない訳である。 そうなると『八方美人』も結構大変だという事になる。 案外『八方美人』も大変なのである。

2012年11月9日金曜日

『凶器』が『凶器』たり得るのはそれを持つ者が『狂気』である時のみである。

『凶器』が『凶器』たり得るのはそれを扱う者が『狂気』である場合であり『凶器』を扱う者が『正気』であるならばそれは『凶器』にはならない。 『凶器』とは『凶々しい器を持ちし者』の意だからである。 『凶器』を持つ者全てが『狂気』である訳ではない。 寧ろ『正気』の者が『凶器』を持った時それを見た者がそれを『狂気』だと認識する事によって『狂気』となった結果『凶器』となるケースは決して少なくない。 私も嘗て『凶器』を持つ『正気』の人間を説得し『凶器』を下ろさせ更生させた事がある。 どうか『凶器』を持つ者を『狂気』にはしないであげて欲しい。 それは本人のみならずそれにより傷つき奪われる命を持つ者にまで影響が波及するのを防ぐ為である。 人々の『凶器』に対する異常な恐怖心が人を『狂気』にする事もあるのだという事をどうか覚えておいて欲しい。

2012年11月7日水曜日

心理学は分析学であり堆積論である、統計学や集積論ではない。

心理学は統計学ではなく分析学である。 叉、集積論ではなく堆積論である。 最大公約数的視点ではなく最小公倍数的視点でもって物事を分析し決して統計的な見方をしない。 他と自を比べるのではなく自と自を比べるのである。 他と自を比べても元が違うので精緻なデータは取れない。 自を掘り下げる事が大事。 多くの精神科医は集積論でものを言われるがそれは間違い。 同胞一人一人バックボーンが違うのにそれを十把一絡げで纏め上げまともな結果が得られる訳がない。 一人の同胞の過去を探り堆積された物の中にこそ真実が眠る。 その眠っている真実を掘り起こす作業こそ大事である。

この時期の体の不調の原因は加齢による物ではない

この時期体の不調を訴える人の中に加齢による影響を語る方が居られるがそれは余り適当な判断ではない。 先に述べた通りまだまだ昼間と朝晩の寒暖差は大きく太陽の放射熱も夏よりかは弱いが朝晩のそれと比べるとその差は歴然。 更に夏のような寝苦しい夜は寧ろ朝晩の寒暖差が低い為に細胞に影響は出にくいが朝晩の寒暖差が激しい昨今は細胞へのダメージも大きくそれが体の不調をより高める結果となる。 細胞は寒暖差に最も弱い性質を持っていて痛みを受けやすい。 細胞がそうであるということは当然皮膚もそうである。 最近忘れっぽい、妙にイライラする、失敗が多いと嘆かれる方が多いがそれは加齢が原因ではなく先に述べた熱射病と寒暖差による季節性疲労が原因である。 改善方法は遮熱となるべく朝晩と昼間の寒暖差を無くす工夫をし なるべく体に温度差による負担を掛けない事。 それだけで随分と改善は可能である。 年齢とは行政がその業務の便宜上設けた仮の制度であり年齢自体に意味は有りません。 加齢とはそれを意識した瞬間から細胞がそれに向けて動き出す物でありそこを意識せぬかぎりそれらが活発に動く事はありません。 ある一定の年齢をすぎると特に女性はお肌やその他見た目を気にしますがこれこそがより肌の老化を早める愚行である事を理解すべきです。 御心を常若々しく保つ事、年齢が若い人と共に行動し五感情報をそれに合わせる事こそが究極のアンチエイジングです。 余計な物は不要。 貴女自身の中に眠る美の種を発芽させて見ませんか? 私がそのお手伝いを差し上げます。

2012年11月5日月曜日

日米法律事情エンターテイメント分析論

先で日本と海外の法解釈事情についての違いについて私見を述べさせて戴いた。 だが実は日本と外国の法解釈事情の違いはこれだけではない。 地理的制度的風土的問題以上の違いは実はマスメディアでの取り上げ方、取分けエンターテイメント性における取り上げ方の違いがとても大きい。 スカパー等を見られている方はご存知だと思うが海外ドラマにはいわゆる法律関係のドラマがとても多い事に気づかれるであろう。 日本でも赤かぶ検事奮戦記や七人の女弁護士、牟田管理官刑事ファイル等判例を扱うドラマは有るが海外の比ではない。 又、日本のそれは視聴率獲得の関係でエンターテイメント性重視でドラマ性が高く見て居て面白さは感じてもそれによって法律を学べる事は少ない。 翻り海外ドラマの法律関係は実際の事件を扱った物や卑近な判例が多く実際に明日被害に遭っても或いは与えてもおかしくないような物を多く取り扱っている。 デスパレードな妻たち等はその好例であろう。 日本では馴染みは薄いかもしれぬがあの手のご近所トラブルは欧米では日常茶飯事である。 ドラマを通して法律を学びそれを実際の生活に活かしている。 又、アメリカンコミック(アメコミ)も法律を扱った物や題材とした物が多くスーパーマンやスパイダーマン等日本でも馴染み深いアメコミも時事問題や裁判ネタを多く扱っている。 実際に文字でみるよりもエンターテイメントで五感で捉える方が明らかに脳に定着しやすい。 ドラマや漫画自体が面白ければ同じ物を何度でもみる。 その都度法律や判例を無意識に脳に擦り込ませる結果となる。 故に日本と比べ法律が身近となり訴訟大国へと発展したと私は解釈をしている。 政府発行の難しい書物や専門用語バリバリの広報映像を見るより余程分かりやすい。 本当に法律を根付かせたいならそういう努力をもっと政府だけでなくマスコミやTV局も考えるべきであろう。

心理職の仕事はお心を治す事…だけじゃありません。

私の仕事はお心を煩われた方のお心を治す仕事…だけではない。 お心を煩われ長く社会生活から離れ社会生活を営む事が困難となった方を社会復帰させる事も又、大事な仕事である。 お心を煩われて居られる方の一部はそれを免罪符としてそれを逃げ口上に使う方も居られる。 されどお心を患っている事は免罪符ではない。 自分は心を患っているのだからと言い傍若無人なる振る舞いをする者には私は容赦なく糾弾しその罪を問う。 大抵は逃げ腰となり喚き暴れそして心を閉ざし我を敵視する。 それでも私は糾弾する事を止めない。 此処で止めて優しくする事は簡単である。 だがそれでは一向に自らの間違いに同胞は気づけないままである。 それが法的違法性を持たぬ間は良いが法的違法性を持った場合お心を患っている如何に関わらず罰則は課せられる。 幸いにして罪を逃れられたとしても今度は精神異常者のレッテルを貼られ精神科病棟へ強制的に入れられ其処から通常の社会復帰はほぼ絶望的となる。 私自身の同胞となりし場合それは絶対に許されるべき事ではない。 私自身の経歴その他に傷がつく云々なんぞどうでもいい。 そんな事は瑣末な事である。 私は関わった同胞は全てその病を治し社会復帰を実現させる事を最終目的としている。 それが叶わぬ内は『完治』とはせぬ、少なくとも私の中では。 プロなれば当然の事。 我が門を叩いた限りは絶対にそれを成す、その為に我は有り。 故に我が門を叩き最後迄その治療に携われた者は嘗て一人の脱落者も出さず社会復帰を果たしている。 中には社会復帰のみならず成功者として多くの者を牽引しリーダーシップを発揮する者もいる。 其れこそが我が最高の喜び。 これからも常同胞と共に病と対峙しそれを克服し社会復帰を目指す所存である。

2012年11月4日日曜日

症例に対する事前説明不要論

職業柄色々な方から精神疾患の症例についてのご質問を頂戴する。 普通の医者なら一般的な概略を説明しそれから相手の症状を聞くが私は敢えて逆の方法を取る。 其処には理由がある。 大抵精神疾患の症例に対する質問を下さる方は御本人様がその疑いがあるか或いはお身内や親しい人にその疑いがあるかが多く興味本位や知的欲求からそれらを聞いてくる人は少ない。 故に先ずは相手のお話を聞かせて頂く事でそれがその症例に合致する物であるかどうかをこちらが判断し合致する場合はその疑い有りとし合致しない場合は全否定後その理由を説明する。 内臓疾患と違い精神疾患の場合余程の事がない限り手遅れというものはないので兎に角同胞の不安を煽り希望を失わせるような事は言ってはならない。 精神疾患を治す元はというより疾病自体を治す元は同胞の中の治りたいと言う意思である。 我々心理職はこの同胞の治りたいと言う意思を支え励まし同胞の中に眠る自然治癒力を高め抵抗力をつけさせ心の病を追い出す事こそがその使命である。 有りもしない病名を付けて不安を煽り処方箋や診察料を貪る医者という資格を持った守銭奴とは其処が大きな違いである。 勿論採算度外視の本当の意味での名医と呼ばれる方々も沢山居られる。 されど名医が居れば藪医者がいるのは世の倣い。 そういう藪医者に診て貰い不必要な情報と不必要な不安を得た同胞にとって何より大事なのは大丈夫だという安心感である。 お心の乱れを正して安定させる。それだけで改善する精神疾患は山程ある。 私は心理職であり守銭奴に非ず。 不必要に同胞の不安を煽り法外な医療報酬を得るような守銭奴ではない。 故に私は概略的精神疾患の症例説明に対しては殆ど行わない。 それも又、心理職に求められている事であると私は考えている。

2012年11月3日土曜日

この時期お心が落ちる方へ

我が提唱せし『色彩影響心理学』は色が人の心に与える影響について研究した物でありその対象者は自身ではなく他者である場合が多い。 自身が身につける色によってそれを見た第三者がどういう印象をその人に持つか? それにより好印象を与えたりで悪印象を与えたりで好きな人は寄せ付け嫌いな人は遠ざける作用がある。 一般的に認識されている色解釈と過去の経験が影響する色解釈は実は大きく異なりそれを熟知しないと大きな痛手を負う事になります。 暖色が必ずしも人の心を明るく豊かにするとは限りません。 嘗て火事の被害で家族を失った方にとっては寧ろ暖色は冷色以上にお心を落ち込ませる色となりえます。 逆に冷色に楽しい思い出が付随している人にとっては冷食は寧ろ心踊らせる色となります。色解釈も千差万別、一般的解釈が必ずしも普遍の定理であるとは考えられない方が賢明かと存じ上げます。 元々はより人間関係を円滑に行えるよう上手く色を生活に採り入れ様と発案したものであった。 されど時としてこれが自分自身に向けられる場合が発生する。 この時期は所謂”秋色”と一般に呼ばれる静色が街に溢れ自然と心が落ち着くのは良いけれど色彩感覚に優れた人は此の色の影響をモロ受けてお心が必要以上に落ち着く(落ち込む)人がいます。 元々羊水に浸かって生を受ける身の人間は水色に対して心安らげる性質を持ってます。心が騒ぐと海を見たくなる人が多いのがその理由です。 されどお心が必要以上に落ちている時に否応無しに静色を見せられると視界情報は脳に落ち着けと更に指令を無意識に出します。 元々落ち込んでいるのだから既に充分落ち着いているのですが視界情報はそれを理解できず強制的に心を”落ち着かせ”ますw その結果お心を病み鬱病に罹患しやすくなります。 これがこの時期の季節性うつ病の原因。 実は季節性鬱病の多くは色や温度その他様々な要因が原因でありその多くは五感情報の過剰入手や入手誤認が原因である事が私の長年の研究でわかっています。 改善方法はヴィヴィッドな色を生活に取り入れる事。 赤やオレンジや兎に角”派手な色”を生活の中に採り入れる事。 すると無意識に心はアゲアゲになります。されど街全体が静色一色なのでアゲアゲ過ぎる事にはなりません。 お心を病まれて居る方の中には今度は躁病にならぬかと危惧される方も居られるのでその心配はないと申し添えておきます。 秋をウキウキと過ごしましょう。

2012年11月2日金曜日

人間関係にとって必要なのは『時間』ではなく『親密度』である

以前私にとって友録とは『時間』ではなく『親密度』であるという話を此方で差し上げました。 実はこの『親密度』 人間が生きて行くために無意識に選んでいる選択肢だったりします。 例えばこれが『時間』であるならば間違いなく一番の理解者は『家族』でなければなりません。 されど実際多くの場合『家族』は尤も近い『他人』であり親密度はより他人の方が深かったりします。 昨日会ったばかりなのに十年来のおつきあいのような感覚を覚える人って居ませんか? 実は『親密度』は『共有率』でもって決まりこの『共有率』は異なる染色体を多く持つ物により多く『共有率』を持つ事が私の長年の研究の結果判明しています。 生物学的に人間はより優秀な遺伝子を残し生き残らねばならないと言う遺伝子情報が生まれつき備わっています。 硬い鱗も鋭い爪も超人的跳躍力や脚力もない人間にとって知恵だけが唯一自然の中で生き残る術です。 そしてその知恵こそが染色体レベルで異なる染色体を多く持つ者と交わる事で異なる知識を得てより生存率をあげる事になる事を生来型遺伝子がちゃんと理解をしています。 そしてそれは五感情報でもってその情報を無意識的に集めています。 これが実は異国人に心を奪われる女性が後を絶たない理由の一つでもあります。 話を元に戻します。 故に異なる遺伝子を多く持つ者は互いにその遺伝子情報を欲しその結果知らず識らずの内にお互いがお互いを求めあいます。 これが『親密度』に繋がる訳です。 誤解がないように申し上げておきますがこの場合の求めるは『心』であり『肉体』に非ず。 故に異性でも同性でも無問題です。 そこの当たり誤解なきようにw

後期熱中症に弱いのは人間だけに非ず。

以前後期熱中症のお話を此処で差し上げました。 昼間と朝晩の寒暖差及び昼間の太陽の熱が原因で体調を崩す人が急増していると。 所がこれ何も人間に限った事ではありません。 この時期人間以外の物も後期熱中症の影響を受けます。 一番影響を受けやすいのが食べ物。 夏場の様に暑くないので傷み憎いだろうと冷蔵庫にいれずそのまま放置しておくとすぐに傷みます。 実は数日前それで危うく傷んだ物を口にしかけましたw 実はこれも朝晩と日中の温度差の激しさが原因。 温度差が激しければ激しい程雑菌は繁殖しやすくなり又、細胞も壊れやすくなります。 環境の変化に弱いのは何も人間だけに限りません。 人間が口にする食物も又、人間と同様温度差には弱いのです。 くれぐれもこの時期の腐敗にはお気をつけください。

2012年10月31日水曜日

日米法解釈事情

日本と欧米の法解釈の違いは単一民族で島国である事に起因している。 欧米は多民族国家であり争いの中でアイデンティティを確立し翻り日本は単一民族国家であり共存する事でアイデンティティを確立してきた。混わる事で自らの存在を認めてきたか違いの中で自らの存在を認めてきたの違いだけ。 実はこれが訴訟大国欧米とのもう一つの違いでもある。 欧米は自らの正しさを証明する為に訴訟を上手く利用する。 日本は相手を陥れる為に或いは糾弾する為に利用する。 フォーカスが自己に向いているか他者に向いているか?の違い。 更に文化的背景の違いでもある。 島国で且つ単一民族で他国と戦う為にお互いが共生して生きて行かねばならぬ身なれば相互扶助の関係を築かねばならず少々の事は目を瞑らねばならないという村社会主義的思考性が未だ日本では根強い。 個を重んじるのではなく全体を常重んじてきた背景が大きく関係をしている。 更に罰と言う考え方も日欧では大きく異なる。 法を冒し罰則を課された者は履歴書の賞罰欄に書かねばならない。 日本に於いては罰を受ける事はムラ社会から排斥され死を意味する。 それ故にそれを課される事も課す事も快しとせぬ傾向が強い。 欧米ではそうではない。 州ごとに法律自体が違うので或る州では違法行為である物が或る州では合法である事もある。故に日本人よりも法を冒す事に対するイメージが大分違う。犯罪者に対する排斥主義は余り変わらぬがそれも随分程度が違う。 以上の様な文化的風土的制度的違いが日欧及び日米との法解釈の大きな違いだと私は考える。 されど国際社会の仲間入りをして久しい日本にとってはこれからの法解釈を大きく変革していかねば世界の中で生き残る事は難しくなると私は考えている。 ムラ社会的同族主義は犯罪を助長させ犯罪大国へ進む起爆剤ともなりかねない。それは即ち外国人における国内犯罪をも助長させる糧となる。 そうならない為にも罪は罪として更生させる方向へ持って行く必要があるしそれら更生した者たちの受け皿も又作らねばならない。 何より『罪を憎んで人を憎まず』の精神も必要であろう。 されど精神遅滞国である日本においてはまだまだ難題であろうが。

2012年10月30日火曜日

物言わぬ存在は言葉を解してはいないか?

赤子や動物など『物言わぬ存在』は言葉を解しては居ないか? 答えは否である。 大人と物言わぬ存在は『言葉』を解する解し方が異なるだけでありちゃんと『解して』いる。 大人は『脳』で言葉を理解するのに対し物言わぬ存在は『五感』で言葉を理解している。 身振り手振り表情、音、雰囲気などを五感で捉えちゃんと理解をしている。 実際根気強く五感をフル活用し訴えた場合余程の事が無い限り子供は『言葉』を理解する。 一番大事な事は『伝えたい』という強い思いだけである。 実際海外で外国語が喋れなくても身振り手振りで相手が理解をしてくれるように相手をちゃんと認め伝えたいと強く願えば必ず『物言わぬ存在』はそれを理解してくれる。 我々セラピストも同じ。 『心の声』は耳には聞こえない。されど同胞の『五感で訴える声』はちゃんと我が心に届いている。 その『声にならない声』をちゃんと聞きそれを解する能力こそセラピストにとって尤も求められるスキルである。 セラピストに求められるはスキルだけに非ず。 『声にならない声』をちゃんと聞き取ろうとする『真剣さ』である。

後期熱中症に御注意をw

意外と知られていないが熱中症には『前期』と『後期』がある。『前期熱中症』は所謂一般的に言われている熱射病であり盛夏に多く罹患者が出る病。 そして『後期熱中症』は丁度今の時期に罹患する熱中症。 前期と比べ朝晩の外気温が低い為に気付きにくい人が多く医者も誤診しやすい実は厄介な病。 『熱中症』の元は言わずもがな太陽光ではなく太陽熱である。 所が人間の五感は特に光に対して敏感に反応を示す性質が有る為に光が柔らかい今の時期は熱射病に罹患しにくいと勘違いをしている。 だが熱中症自体がその発症原因が温度差にあるようにこの時期も朝晩と昼間の寒暖差は盛夏時期よりも激しい。 故に『後期熱中症』に非常に罹患しやすい。 最近妙に疲れやすいとか精神が不安定になるという人はご注意。 『後期熱中症』である可能性はとても高い。 回避方法は『前期熱中症』と同じ。足元を冷やしたり熱さを頭で容認するよう心掛ける事。 又、視界情報に騙されて必要以上に暖房の温度を上げない事等である。 かくいう私も実は現在罹患中w くれぐれも皆様もご注意を。

功名心を得るためだけの司法など無価値です

光母子殺人事件で再審請求が出された。 専門家による鑑定書類も提出されたが私は異議を唱えたい。 殺意の無い殺人等この世には存在しない。 それは生物学的生存本能が成せる業だから。 被害者に逃げられたら身の破滅である以上氏はそれを滅する以外の選択肢はない、茶番は不要。 更に罪悪感が犯罪を助長させる。 今回の母子殺人事件がそれを如実に物語っている。 母親を陵辱し表沙汰になれば自らの身の破滅。 その存在を滅する以外手立てなし。 それはその場に存在する全存在を滅する事に繋がり幼子も手にかけた。 生物学的にも心理学的にも殺意は明らか。 専門家なら推して知るべしである。 自らの功名の為に事実を捻じ曲げ被害者家族の苦しみを増加させる愚行はやめられるべきであろう。 専門家が専門家たるは専門的知識や経験を持っているからではない。 それを正しい方向へ使い正しい事実を積み重ねられるからである。 事実を自らの功名の為に捻じ曲げ悲しみを増加させるは専門家がすべき事ではない。

時事的表裏一体説

表があれば裏がある。 善があれば悪がある。 この度某両国首脳陣の愚行により一時的に国民の反日感情を高める事に成功したかのように見えた行いも結果反日感情を高めれば高める程親日感情も又同時に高まる。 自国民の愚行が激しければ激しい程皮肉な事に同情票と共に親日感情も高まっている…愚かなり。 未成年者による犯罪もこれに同じ。 刑罰を年齢的に問えないという事は免罪符でもなければ治外法権という事でもない。 刑罰というのは国民の心理的不公平感を無くす為にも実は存在をしている。 罪を犯す、その罪を償うそれによりバランスが保てている。 されど犯した罪に対して刑罰が軽すぎたり重すぎたりすると人の心は不公平感に苛まれその矛先はそれを下した司法及び政府に向けられる。 青少年犯罪の場合その矛先は犯罪を侵した当人は愚か同世代の青少年にも向けられる。 それは更に多くの青少年犯罪者を生む温床になりかねない。 法に依る庇護や更生も必要。 されどそれもケースバイケース。 青少年であるというだけで重罪を犯した者を法で不当に擁護すればその矛先は司法や政府そして罪なき青少年に向けられるという事を司法及び政府は失念されるべきではない。

『無い物は数えられない、有る物は数えられる』

我が元に来る方々の多くは他者からお心を傷つけられ自尊心を奪われ歩いは物質的損益を蒙った方々である。 最初はそういう方々に対し丁寧にお話を頂戴し同意し励まし苦楽を共にする。 されどそれもある一定期間のみ。 其処を超えると私は急にドライになる。 同胞は最初戸惑う。 あれだけ優しく接して下さって居たのに何故?と。 それは不幸である自分を常態化させない為である。 今までその方の中に有った不幸は既にその人の中になくその人の不幸の場所にある物は今は安らぎであり癒しで有る幸福である。 私は不幸自慢を途中でやめさせ今目の前に存在している物の数を数えさせます。 最初は誰しも癒しを欲しい物でその癒しを差し上げるのが我々の仕事であります。 されどそれもある一定限度迄。 其処からは今度は自立をして貰わねば困ります。 一生私がその方のお側に居られるならそれでいい。 されど私がその方のお側に一生居られる保証はない。 故に私がその方のお側に居なくても二本の足でしっかりと大地に根を下ろし立って貰わねばなりません。 故にある時を境に私はドライになり鬼となり距離を置き始めます。 同胞は慌てて追いかけ縋りそれを払いのけると今度は泣き叫び悪態を付き何とか私を留めようとします。 それでも尚私はその距離を徐々に広げて行きます。 そうしてその距離を常態化させ私が側に居なくても大丈夫な位の距離を保ち今度は相手から更に進んで距離を置いてもらうよう御指導を差し上げています。 何時しか二人の距離はお互いが肉眼で見れない程遠く離れそしてお互いが笑顔で手を振りながらそれでも決して後戻りはせずお互いの道を歩ませて行きます。 勿論私だって寂しいですし出来るならずっと一緒に居たい。 されどそれは無理な事。 老兵は只立ち去るのみです。 心理職ってのは案外そういう因果な商売なんですw

2012年10月25日木曜日

『足るを知る』

『足るを知る』と言う言葉は何も経済的な意味だけではない。 精神的な意味でもあるのだ。 例えば誰かから助言を受ける。 その助言を受けて色々と考える。 これは問題がない。 されど中には助言を受けた直後更に助言を尋ねそれを繰り返し行う人がいる。 こういう人は『足るを知る』を知らない人である。 私の仕事はお心の悩みを解決し日々の生活を支障なく送らせる事にある。 その為に如何にすべきかを導く仕事である。 導く事と教え続ける事は同義ではない。 ある程度の導きを得たら今度はその導きを元に自らが思考し実行して行く事が必要である。 正に『足るを知る』である。 全ての人間が平等に均等に助言を貰える訳ではない。 又、誰しもがドラえもんの四次元ポケットのように欲しい時に欲しい物を取り出せる訳ではない。 セラピストや心理学者はドラえもんの四次元ポケットを持ってはいない。 されどそれを見る者の中には四次元ポケットを持っているかのような錯覚を起こす者もいる。 そしてあの人は四次元ポケットを持っているのに出し惜しみをしていると揶揄し非難する者もいる。 されど心理学者もセラピストも彼ら彼女らと同じ人間である。 未来から来た猫型ロボットではない。 悩み苦しむ中で様々な学びを得つつ又、失敗しつつ成長を繰り返している人間である。 導き手は神ではない。 その事を多くの方々がどうも誤解をされているように思えてならない。 この機会に是非もう一度『足るを知る』という事を考えて欲しい。

2012年10月23日火曜日

激安戦争こそ人類を滅ぼす愚行である

激安戦争が止まらない。 客獲得の為商品の値を下げる。デフレスパイラルが起こる。 消費者もどんどん同業他社が値を下げるので買い時を計れず迷う。 賞味期限付き商品等は賞味期限切れに近づき更に値を下げる。 少しでも安く商品を売る為自社ブランド製品が増える。 すると有名ブランド以外はブランド力が弱いので自社ブランド製品の安い方を消費者も選ぶ。 結局一番苦しむのは商品を作っている生産者である。 されど生産者もまた消費者である事を忘れてはならない。 生産者も消費者故に生産者の利が下がれば当然消費率も下がる。 翻り大型スーパーや百貨店もそれに付随し売り上げが下がる。 売り上げが下がれば当然リストラや給料カットに繋がる。 そして彼ら彼女らも又、消費者である。 当然自分達の職を奪い給料を奪った店で商品は買わない。 小都市の場合横の繋がりが強いので更に結束力が増し消費率も下がる。 激安戦争は結果消費率を下げ最終的には国力さえ下げる愚行である。 高くても良い商品を作る。 その商品を買う為仕事に精を出しそれを買う為職を求める。 すると企業の生産力も上がり就職率も上がる。 結果国力も増強される。 『値下げ戦争』こそが国力を下げ国を滅ぼす愚行である事を売り手は考えるべきである。

『金持ち喧嘩せず』の常態行動心理学的学術的根拠について

『金持ち喧嘩せず』は本当である。 生粋のお金持ちは経済的基盤が盤石な為に心にも余裕がある。 更に生まれながらの金持ちは周りも我が提唱せし『場の心理学』理論により同じような生まれながらの金持ちが周りに多く同じく心に余裕がある方々ばかりなので喧嘩をする必要がない。 生来型遺伝子が争いという情報を入れない。 故に人と争う事を好まない。 そう考えると貴方のまわりにも『エセ金持ち』が結構いませんか? そういう方々は『停滞型エセ富裕層』である。 成り上がり者にも実は二種類ある。 『停滞型エセ富裕層』と『成長型リアル富裕層』 お金に執着しそれを守らんと周りを敵視し金を循環させないのは前者。 お金に執着せずそれを上手く運用し周りと強調し循環させるのは後者。 つまり『成長型リアル富裕層』 前者は金を失い元に戻るが後者は本当の富裕層になっていく。 できれば後者でありたい物であるw かくいう私は前者だが(笑) いいね!を取り消す · · シェア あなたと加藤 鐘吾さん、田野 卓さん、Kazumichi Imaizumiさん、他65人が「いいね!」と言っています。 コメント16件をすべて見る Fuyuhiko Ito ただ、金持ちは喧嘩して損をする事が嫌なだけです。 英語ではpolitics. とも言いますが、 喧嘩がなかなか出来ないだけです。 日曜日 17:41 (携帯より) · いいね!を取り消す · 1 瀬木 良介 猪原さん>お褒め頂き恐縮至極に存じ上げます。 日曜日 18:34 (携帯より) · いいね!を取り消す · 1 瀬木 良介 小河さん>I think so. 日曜日 18:35 (携帯より) · いいね!を取り消す · 1 瀬木 良介 冬彦さん>そういう一面もあるでしょう。そうじゃない一面も又あるでしょう。 それが人間が多面的存在である自己である証です。それが全てではありません。 日曜日 18:36 (携帯より) · いいね!を取り消す · 2

『自助力』は『他助力』である、逆も又真なり。

『自助力』は『他助力』である、逆も又真なり。 今回自らの不摂生により同胞方々に御迷惑をお掛けしました。 幸い今日は夜のフォンセッション以外は対面も予定になく執筆活動に時間を充てるつもりでした。 数日前より兆候はあれどこういう時に限って次々とご依頼を頂戴し中々休めませんでした。 今週も今日明日を除いて休みはなく水曜金曜とご新規さんが続いています。 『他助力』を得たければ先ずは『自助力』を得る事です。 真に人を癒す仕事に就く者は自らの心身も又、厭わねばなりません。 それが出来ぬ内はまだまだ半人前です。

『限界を超える』方法

人には全て『限界』と言う物がある。 それは人が人という仮の器を持っている以上仕方ない事。 魂レベルでは充分可能な事でも肉体という器の中では出来る事は精々限られている。 だが我々はその個々の人々が自分で設定した『限界』を越えさせる為に存在している。 大帝の人は最初『無理です』と言う。 例えば禁煙禁酒等の常態行動。 例えば過去との決別も。 それはそれを今までやってきた自分との乖離だからである。 それを辞める事は今までの自分を捨てる事だからである。 それは余りに勿体無いと思うのが普通の考え。 されどそれは実は余計な物。 それがあるからこそ先へ進めずずっと足踏みをし悪癖を断ち切れず現状打開をせず現状に甘んじ現状に不満を漏らす日々を送らざるを得ない。 本当に現状に満足をしていれば現状に不満などあろうはずもない。 されど実際多くの人は現状に多くの不満を持ちそれを自覚しながらも打開する方法を知らず我慢をし日々の暮らしを耐えている。 人が我慢の際血中に排出する毒素はフグ毒と呼ばれるテトロドトキシンの数十倍。 人は体にストレスを感じる度に体に毒を垂れ流しているのだ。 ならばストレスを極力感じない身体を作ればいい。 それはどうするか?許容量を増やせばいい。パソコンでもメモリが少なくなれば増設します。 心だって同じ。 心に余裕がなくなればデフラグし心の中の掃除をせねばなりません。 それこそが自らの『限界』を超えるという作業です。 『限界』を超える事ができたら自らが感じていた『限界』分のスペースに空きができます。 そのスペース分色々なものをそこに入れる事ができます。 そして何より『限界』を超える事が出来た自分を賞賛しそしてそれが自信に繋がります。 『限界』の越えさせ方は千差万別、皆同じに非ず。 人によりその方法は皆異なります。 されど皆さん最初は躊躇し限界を超えた後もこれで良かったのか?と最初疑問を感じられます。 それは限界を超えた後の風景が違うからです。 これこそが『常態行動』の成せる業です。 そしてこれこそが私が見せたい『新しい風景』なのです。 最初はこの『新しい風景』に戸惑いを感じ『元の慣れ親しんだ風景』に憧憬を感じます。 されど今度はこの『新しい風景』が『元の慣れ親しんだ風景』に何れ変わります。 すると『元の慣れ親しんだ風景』だった物に違和感を覚え戻りたくなくなります。 これこそが脳科学及び心理学の不思議です。 長年武士世界の中で生きながら廃刀令で刀を無くした武士達は魂を抜かれた脱け殻だった事でしょう。 されどそれが常態化した時、『武士の魂』と感じていた物が実は仮初の物であり本当の『武士の魂』は刀にではなく『己の心の内』に有る事に気づいた筈。 現代人にとっても『武士の魂』は有ります。 それは『限界を超える前の自分』 されどそれを『越えられた自分』から見た時『限界を超える前の自分』よりも成長した自分を感じる筈です。 私はその成長した自分を見せる為に存在しています。 一人では無理な事でも二人ならできるはず。 そのお手伝い私がさせて戴きます。

『若くある事』と『若作り』は同義ではない。

『若くある事』と『若作り』は同義ではない。 自らの年齢を意識し見た目だけでも若くありたいとするのが『若作り』である。 年齢とは行政がその業務の便宜上設けた仮の制度でありその物に意味はない。 されど多くの方々はその年齢に捉われ特に女性は必死にアンチエイジングに拘る。 だがその行為自体が加齢行為である事を多くの方はご存知ない。 加齢とは年齢が増える事でなる物ではなくそれを意識しそれに反発しようとする事で始めて表に出る物である。 それに反発し『若作り』に励めば励む程よりその人の年齢は浮き彫りにされるのが実情。 だがこれは周囲からは単なる痛い人という印象しか与えない。 本当に『若い人』なれば『若くありたい』とは願わず『美しく年を重ねたい』と願うはず。 そういう人は年齢という枠を超えて美しい。 一生懸命若く見せようと若作りに励めば励む程『体年齢』はモロその肢体に現れる。 本当に『若くありたい』と願うならば『若作り』はせぬ事である。

2012年10月12日金曜日

セラピストに求められるのは肝要さだけではない

”えぇい!何度も何度もメールしてくるなって何度言えばわかるんじゃ、この馬鹿たれが!” ”ひどーい!何時でもメールして来ていいっていったじゃん先生” ”戯け!時と場合を考えろ!逆の立場に立って考えたら分かるだろ?一度に数通寄越されてみろ、返信する方も溜まったもんじゃねぇ。ちったぁ相手の立場も考えろ” ”先生、ひどーいw” ”酷いのはお前の顔じゃw” ”最悪〜、私超傷ついちゃった〜泣いちゃおうかなぁ” ”泣きたきゃ勝手に一人で泣け!第一本当に傷ついた奴が”超傷ついた〜”とか軽〜く言うか!心理職なめんじゃねぇよ” これ実際の同胞と私のやり取り。 同胞は二十代後半、当時私は三十過ぎでした。 結構長期間に渡り面倒をみておりましたがそろそろ真剣に社会復帰させないと彼女の将来に関わります。 頭は抜群に切れる娘で学校での成績は常トップ、美貌も兼ね備え見た目何の問題もないようにみえます。 しかし…問題は上記発言にも有るとおり全く”場の空気を読めず自己中心的すぎる”所に有りました。 高校まではそれでも取り巻きも居て何とか学校生活も送れて居たのですが大学受験に失敗、浪人生活に入った頃から周囲が急に疎遠となり現在に至ります。 原因は場の空気を読めない所。 元々頭が良い娘ですが抜けが多い。一回目の受験も全問正解だったのですが解答欄を一個ずつ飛ばして記載しており気づいた頃には試験時間終了間際だったというオチ。 故にその注意力散漫を治せば後は自力で合格は可能な娘。 一浪後無事大学に合格するもやはり自己中の勘違いは止まず友達も出来ず知人の紹介で我が門を叩く事に。 最初は友達も居なく寂しい思いをしていた事もあり甘えかせたのが失敗でした(笑) 昼夜問わずメールや電話の嵐。 更に一度始まると止まらない。 これでは私も仕事に支障が出ます。 それが冒頭の場面。 自らの社会性欠如を認識せぬ限り彼女の社会復帰は難しいと判断。 一転して冷たくあしらい社会の風の冷たさを少しずつ痛感させて行った結果見事成功。 今では高校教師として辣腕を振るっているとの事。 生活指導の腕も良く生徒の評判も上々だとか。 まぁ私の所へ来た時は冒頭と今も余り変わりはありませんがw

自己肯定は他者肯定

自己肯定は他者肯定です。 何故なら同じ人間だから。 裏を返せば自己否定は他者否定です。 他者を否定する人に他者は力を貸しません。 本当に他者の力を欲するならば自己肯定しかありません。

2012年10月9日火曜日

『心理療法は統計学ではない』

その事を強く認識する出来事がつい最近あった。 事の起こりは大学時代我が門を何度も叩いた同級生からの久しぶりのヘルプから始まった。 田舎から都会へ就職し後に結婚、傍目には何の問題もない風に見えた。 だが慣れない環境と夫婦間の不協和は氏の心を徐々に蝕んでいった。 自分でもおかしいと気づき始め心療内科を受診。 されどそこで氏は愕然とする。 問診票を見ながらパソコンと睨めっこし時折自分の方を向く若手医師。 氏は現状を一生懸命説明しようとするもそれを何度も遮りパソコンにデータ入力。挙句過去の『他人のデータ』を引っ張り出し診断終了。 氏はその態度に釈然とせず私にヘルプを出した。 先ず心理療法は統計学ではないということをその医師は失念していた。 幾ら何千何万の『他の患者』のデータを分析してもそれは大同小異であり最大公約数的結論しか出ず同胞個人のデータではない為に正確な診断は出来かねる。 本当に同胞の心の病の原因を探りたいならばその患者の過去から現在迄を精査し今の人間関係や環境を精査し過去の人間関係や生活環境を精査し現在と過去のデータを照合しその違いを見つけ其処に病理を見出すべきである。 統計学ではなく分析学である。 それをする為には覚醒催眠で同胞の過去を探る必要が有る。 それは大変高度な技術を要するがそれなしに今の病の原因を探る事は困難を極める。 私は我が門を潜る同胞全ての過去のデータを覚醒催眠で入手しそのデータと現在の同胞のデータを比較し原因を探り病理を限定それを除去するという作業をずっと二十年続けてきている。 大変骨が折れるしその割に実入りは少ない。 されど心理職にとって大事なのは実入りではなく同胞の心の闇を祓う事である。 それが出来れば実入りは自然とついてくる。 心理療法を統計学的に見ている限り本当の心の病の根本原因を見つける事は不可能である。

2012年10月8日月曜日

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi, today is sunny then cloudy Temp 25 ° c ( Prev.-1 ° c ) Today's breakfast MOM homemade grilled bonito soy sauce dipping boiled egg salad, boiled eggs, butter and Strawberry Jam, hot myst beans coffee. Today's field day. How to chill in the mornings and evenings are tough in our physical condition is not stable still severely even heat of the day, continue your unstable; I want to even the slightest hope that these people.

2012年10月7日日曜日

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi, today it's fine. Air temperature 24 ° c ( + 1 ° c change ) Broiled today is Curry, mother handmade bonito soy sauce in salad, hot myst beans coffee. Today is a holiday. I'm going to shop. Well good luck today.

2012年10月3日水曜日

『寝る子は育つ』の心理学的根拠について。

美人と子供に大事なのは睡眠。 睡眠時間は多い方がいい。 寝ている間は心に余計なバイアスが掛からないので細胞活性が覚醒時よりも促進されます。 その結果成長を早めます。 怪我をした際ベットに寝かせるのもその細胞活性をさせる為。 覚醒時は不安やら何やら色々あってそれが細胞活性を阻害させます。 まぁ寝すぎると逆に促進されすぎて老化を早めますがね。 大体平均的には三時間から六時間程度。 それ以上だと今度は寝る事が常態化され活動自体に弊害が出ます。 所謂怠け者病w 何事も程々が宜しいようでw

2012年10月1日月曜日

本日の昼食

クリームチーズベーグルとアイスコーヒーなうw

昨日の昼食&ティータイム1&2&夕飯

昨日の昼食 松茸御膳 昨日のティータイム 1マロンプリン&アイスコーヒー 昨日のティータイム2 ブルーベリーシフォン&ホットコーヒー 昨日の夕飯 厚切りベーコン 母手製チシャwith青唐辛子麹漬味噌 同白身魚ムニエル 麦飯 アサヒスーパードライ 以上。

自分を評価するのは他者である、されどその評価を上げるも下げるも己次第である。

私はイケメン…ではない(笑) されど人によってはイケメンだと称して下さる方もいます。 自分を評価するのは自分ではなくそれを見る第三者。 それは揺るがない現実です。 そしてそれ自身はどうしようもできない物。 されどその評価を向上させる事は唯一本人が出来る事です。 自らが望まぬ評価を受けたのなら自らのレベルをあげてその評価以上の人間になればいい。 さすればその評価を下した人間の評価は間違いだとなる。 その時始めて人は自らの評価を間違いだと言えるのである。 自らが研鑽努力もせず人の評価ばかりを批判するようではその人は一生自らの評価を変える事はできないでしょう。 自らを評価するのは第三者。 されどその評価を変えるのは第三者ではなく自分自身なのですから。 私は最初単なる『障がい者』という評価しか貰えなかった。 されど私はその評価を不服とし自らを研鑽努力で以て変えて行き今では『障がい者』と呼ぶ者は私を知らぬ愚人のみとなった。 私を知る誰もが私を名で呼び評価を下さる。 されどそれすら今の私には満足行く物ではない。 人の評価を気にするようではまだまだ半人前以下である。 私はこれからも研鑽努力し誰が何を言おうが評価しようが揺るがない自分を確立して行く。 その為に勉強あるのみである。

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi of the day is sunny, cloudy Temp 25 ° c ( + 1 ° c change ) Is today's fluffy chocolate chocolate, Butterball, thick-cut Bacon, ham, homemade tomato salad my mother, hot myst beans coffee or more. Today's field day. Also this week a lot more busy. After a typhoon is enough please people of course that you will be in the projected path of the Typhoon from this favourite. Well good luck today.

2012年9月29日土曜日

おはようございます。

Good morning. Cloudy today Yamaguchi later/25 ° c temperature ( Prev.-3 ° c ) Today's breakfast is resembled, Butterball, mother home-made persimmon salad, myst beans coffee over. Today's field day. Up for the Typhoon tomorrow will be to stabilize the brotherhood feel worried about the mind. Well good luck today.

2012年9月28日金曜日

おはようございます

Good morning. Sunny today Yamaguchi is 28 ° c ( Prev.-1 ° c ) Today is my homemade vegetable buns, hot myst beans coffee, persimmon leaf sushi over. Today's Office days. Today, 4 phone session alone, a lot more busy. Heat of the day worth of yesterday than temperatures lower ones still ones. From a weekend spent week after the movement of the Typhoon also needs attention. Well good luck today.

『死語』は存在しない。

『死語ですが』と前置きをする言葉は『死語』ではない。 何故なら『生きている』から。 『死語』が『死語』たり得るのはその言葉が『死んでいる場合』のみ。だが『死語ですが』と言って『使われている』時点でその言葉は『生きている』。 つまり『死語』ではない。 『流行語』ではないかもしれませんがね。

本日の夕飯

本日の夕飯 母手製白身魚ガーリック焼 柿の葉寿司 マリンコロッケ アサヒスーパードライ 麦飯 母手製大根と胡瓜の糠漬 以上。

本日のティータイム

エスプレッソなうw

世の中には不要な病名で溢れている。

現代西洋医学には実は不要な病名が溢れている。 『性同一性障害』 『適応障害』 『不安神経症』などなど。 それらは全てそれを病とする事で社会的避難を回避する為に便宜的につけた病名に過ぎない。 『性同一性障害』については何度もここで触れているが肉体的性とは異なるホルモンを男女共有しているなればそれらの分泌量が少しだけ人より多い人が居ても何ら不思議ではない。 まして男性でもイケメンを見たらかっこ良いと思い女性でも絶世の美女を見たら見惚れたりするではないか? その度合いが少し違うだけである。 『適応障害』についてもそう。 『所変われば品変わる』の例えもある通り誰でも今までの生活の場ではない場に移れば何らかの障害は出てなんぼである。 その違いを認識し容認し活かす事が大事なのである。 なれば現政権自体立派な『適応障害』ではないか? もし『適応障害』でないなら今の日本の惨状をどう説明なさる? 場所により時により状況により刻々と変化して行く中で対応していく事は並大抵な事ではない。 私の専門である常態行動心理学もそれが核である。 『不安神経症』もそうである。 これは人間の生態学的危機回避能力が異常に高いだけである。 危機察知能力が異常に高く異常に反応するだけである。 それを自らが認知し容認する事で症状は随分軽減される。 事実上記病名を持つ同胞を嘗て何人も診て来て何人も社会復帰させている。 一部の金満主義者や西洋医学崇拝主義者の欲を満たす為だけの為に正常な人を異常とする風潮はやめて頂きたい。 私はこれからもこういう『病気ではない病名をつけられた方々』の人権を守って行きたいと考えている。

2012年9月27日木曜日

本日の昼食

本日の昼食 エビピラフとアイスコーヒーなうw

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi, today it's fine. Air temperature 28 ° c ( Prev.-1 ° c ) Today breakfast ham roll, MOM homemade cherry tomato salad, hot myst beans coffee over. Today's field day. Relax after yesterday's soon going to the city. Typhoon is a close Japan forecasts hung Monday from the weekend. But direct damage caused by the Typhoon is unlikely at the moment And the typhoon will move careful?. Well good luck today.

2012年9月26日水曜日

おはようございます

Good morning. Today's Yamaguchi's sunny temperature 28 ° c ( 0 ° Prev. ) today breakfast croquette, mother home-made fruit salad, hot mist beans coffee over. Today's field day. At work we are going to Hakata. Well good luck today.

おはようございます

Good morning. Today's Yamaguchi's sunny temperature 28 ° c ( 0 ° Prev. ) today breakfast croquette, mother home-made fruit salad, hot mist beans coffee over. Today's field day. At work we are going to Hakata. Well good luck today.

2012年9月25日火曜日

期日迄に仕事を仕上げる方法とは?

もし期日迄に仕上げたい仕事があるなら期日迄に仕上げたいとは思われないことをお勧めします。 逆説的ですが願望は否定とも取れます。 本当に期日迄に仕上げられる物ならば願望は抱かれない筈。 願望がある時点でその裏にあるのは否定であり不安です。 潜在意識学的には否定の方を願望と受け取りそれを実行します。 何故なら不安や否定の方が成功を願うより強いから。 それよりも少しずつこなし減って行く仕事量を五感で感じる事。 そしてその都度減って行くストレスを実感させる事。 其の事により不安や否定を追い出しできる脳を作っていくこと。 其の事により仕事効率は飛躍的に上がります。

本日の昼食&ティータイム&夕飯

本日の夕飯 骨なし鶏肉甘辛揚げ フジコロッケ 生野菜大盛り 母手製焼きピーマン アサヒスーパードライ 麦飯 母手製胡瓜と大根糠漬 以上w 本日のティータイム プレミアムローストコーヒーアイスなうw 本日の昼食 チョリソーマフィンとアイスコーヒーなうw

何故『良薬口に苦し』なのか?

『良薬口に苦し』と言いますがこれは本当の話。 最近飲みやすいお薬や苦くないお薬の開発が叫ばれています。 確かに飲みにくいお薬や苦いお薬を飲む事は苦痛です。 されど実はこの苦痛こそ薬が効く材料でもあるのです。 対価交換の法則に則れば苦いお薬を飲んだ代わりに病気が治ると強く脳に治癒力アップを指示する事ができるようになります。 ”あれだけ苦くて飲みにくい薬を飲んだのだから絶対に病は治る”と自分に言い聞かせる事が出来る様になります。 この”自分に言い聞かせる”と言うのが実は治癒力を飛躍的にあげるのです。 これがあるのとないのとでは雲泥の差が出ます。 貴方は飲み易く苦くないお薬を飲んで病に苦しむ方を選びますか? それとも『良薬口に苦し』を選び病に苦しまない方を選びますか?

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi, today is mostly sunny air temperature 29 ° c ( + 3 ° Prev. ) Today's breakfast is a breakfast Danish chocolate, MOM homemade fruit salad, butter rolls, shrimp shaomai, myst beans coffee. Today's field day. Clear skies be as strong winds and is a little difficult to go out all brotherhood because it's too. Well good luck today.

本日の夕飯

本日の夕飯 私手製鮭と秋刀魚の青唐辛子麹漬味噌和え、エビ焼売、麦飯、母手製大根と胡瓜の糠漬、アサヒスーパードライ以上。

『リアルな私』を見ることは不可能です。

『リアルな私を見て欲しい』多くの人がそう言います。 されどその『リアルな私』を『私』が見る事は叶いません。 『鏡に映る私』も鏡という媒体を通した『私』であり『リアルな私』ではないからです。 『リアルな私』を知っているのは『リアルな私』を瞬間瞬間で実際に目の前で見た人だけです。 されどその人達が見た『リアルな私』ですら正確には『リアルな私』ではありません。 何故なら一秒前の自分と一秒後の自分は違うから。 一秒前に見ていた『リアルな私』は一秒後にみれる『リアルな私』ではありません。 それは『リアルタイム』だから。 時は常動き決して逆戻りはできません。 故に人はその一瞬の輝き、刹那の美しさを永遠に封じ込めんが為に写真や絵や文字、或いは音楽など『形』にしその美しさを永遠のものとしたいのだと思います。 されどそれは人間のエゴ。 『生まれる物はいつかは壊れる』 どんな細密な絵も高性能で録音された音も高精度の写真も時の経過による劣化は避けられません。 『時の持つ美しさ』を永遠に封じ込める事は不可能なのです。 それ故に古来日本人は刹那の喜びを俳句や長歌に収めたのだと思います。 日本のわびさび文化の発祥原因は案外そういう所から始まったのかもしれませんね。

2012年9月24日月曜日

本日のティータイム

本日のティータイム ふんわりバームミルクチョコ、青汁ミルク以上。

体系的心理学ではなく実証心理学を学びたいならお教えします

最近『心理学を学びたい』とされる方が俄かに増えている。 大変有難いと共に若干の戸惑いを覚えているのも事実である。 私のは学術的心理学ではなく実証心理学である。 即ち心理学者の名前だの心理学用語だの理論だのには全く興味はありません。 明日家庭で職場で学校で役立つ心理学である。 心理学は日常生活の中で役に立ってこそその真価を問われるというのが持論。その持論で持って二十年以上研究を続けお仕事をさせて頂いております。 これからもその信念は変わりませんし変えるつもりもありません。 学術的心理学をお望みならば残念ながらお役には立てません。 されど実証心理学をお望みならば少しはお役に立てると思います。 只、歴が長いだけのヘボ常態行動心理学者ですが今後とも宜しくおつき合いの程宜しくお願い申し上げます。

本日の昼食

母手製ナポリタン、たこ焼き、myst beans milk coffee

貴方の本当の価値を見誤らないでください。

言わずもがなですが自分の価値を決めるのは自分ではなく第三者です。 生産者が生産した品を消費者が其の価値を見出すのと同義。 されどその価値を高めるのは自分です。 生産者が生産品の質の向上を図り値を上げるのと同義。 消費者の要求に応じて値を下げる生き方も有るでしょう。消費者の要求に屈せず自らが定めた価値を貫く人もいるでしょう。 それはケースバイケース。 何方が正しくてどちらが間違いだと一概には言えません。 されど消費者の要求に応じ値を下げそれを後悔する位なら幾ら要求を受けてもそれを跳ね除け自らの価値を低めない事をお薦めします。 人間価値を高める事も低める事も”常態化”したら止まりません。 スポーツ選手が世界記録を樹立しても更に技の精度を高めその自らが出した記録を自らが更新するのと同義です。 逆をいえば犯罪を犯し自らの価値を一度低めた者が自暴自棄となり犯罪を繰り返し更に自らの価値を低めるのと同じです。 私は受刑者に心理学者として謁見した事も何度かあります。 不良で学校へも行かず街で屯する学生と対峙した事も。 彼らの中には自らの価値を無理解な大人や社会に貶められそれが常態化し自らが進んで価値を落として行った者達も居ます。 そういう時私は激しい憤りを覚えます。 彼ら彼女ら内の幾人かは汚い大人たちや社会の犠牲者です。 なれば絶対に救いの手が必要です。 私は根気強く彼らと接触を試み彼らの内にある正義を呼び覚まし犯罪や不良行為から脱却させ社会復帰させています。 その中には一流大学へ進学し会社を興した者すら居ます。 彼らを社会のダニと塵と揶揄し侮辱する者の中に彼らをそういう風に導いた悪人がいます。 その悪人を白日の元に晒し二度と悪事を働かせぬようにするのも又我々心理職の仕事です。 自らの価値を低めないで貶めないで下さい。 貴方の価値はそんなもんじゃない。もっともっと上を目指せます。 私なら貴方の本当の価値をお示しできます。

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi, today is mostly sunny air temperature 26 ° c ( Prev.-1 ° c ) Is today's breakfast rolls, MOM homemade fruit salad, myst beans coffee, Mitarashi dango over. Today is a national holiday. You have sense of exhaustion since yesterday, and heat does not move freely without a thing of so stop take from my mother, I turned off. From tomorrow the ren preparedness today takes care.

2012年9月23日日曜日

型に拘るは愚者の愚行なり。

私が持っている心理学書は10冊以内。その内熟読し精読したのは二冊のみ。 それ以外一切の心理学書及び啓蒙書は目にしていません。 どの世界にも通じる事ですが基本を押さえる事は大事です。 初期の頃はある程度の模倣も必要でしょう。 されどそれはほんの最初の頃だけの話。 私は少し武道も齧って居ますが 武道も同じ。 型に拘りすぎると技は上達しません。 私も基本は教わりましたが後は実践で経験と技術を積みました。 死線を何度も潜り抜ける中でオリジナル技を会得して行きました。 型に溺れるは依存症に同じ。 其の型に嵌っている限りはオリジナリティーを追求する事は愚かその道で食べて行く事も困難でしょう。 我が1000を超えるオリジナル理論はどこの心理学書にも啓蒙書にもありません。 其れは何処にも発表していないからです(FBやブログは除く)。 私は功名をえる為に理論を構築している訳ではありません。 全ては同胞の為。 同胞により良いセラピーをする為に完全カスタマイズ理論を一つ一つ増やして行った結果です。 故に公の場で発表するつもりは毛頭ありません。 勿論我が心理学セミナーや講義ではお話ししますがそれは極一部の方々のお耳に入るのみ。 不特定多数へ向けた物ではありません。 これからも私はオリジナルに拘りオリジナリティーを追求して行きたいと思っています。 その事が同胞の病を治す最善の方法と信じて疑いません。

本日の昼食&ティータイム&夕飯

本日の昼食 ステーキランチなうw 本日のティータイム ケーキセットなうw 本日の夕飯 大海老フライ 母手製団子汁 同大根と胡瓜の糠漬 麦飯 アサヒスーパードライ 以上。

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi of the day was cloudy and then sunny air temperature 25 ° c ( 0 ° Prev. ) Today is MOM homemade vegetable rich Napolitan, my homemade spaghetti vans fried myst beans coffee. Today's field day. Today blessed with sunny weather on the go. It's good if it's not working now. Well good luck today.

天に吐いた唾は自分の頭上に降りかかる

政治示威大量中国规管及判处严厉的惩罚。不能陈述意见自由在共产主义国家的事情。但政府容忍反日抗议引水实际上),因为对所有公民发泄你愤怒的示威。他们忿怒的对象如何针对政府或不相信,但我不会看到。这是中国政府的主要的错误。公民崇拜毛泽东是本届政府的失望的不满。要制止骚乱作为他们忿怒的对象是对当前中国政府。惯性一次依法齿轮移动、 偏差的肉汤停止并不容易。中国政府将最终实现降临唾液的东西把痰吐到他们头顶的天堂。

2012年9月22日土曜日

頭骨と声の面白いお話

古い表現で恐縮ですが一番解りやすい表現方法なので御勘弁を^^; 昔カセットテープで自分の声を聞いて随分違和感を感じた方は居られないだろうか? 私は違和感を感じた一人です。 我が元にはそれが原因で自分を嫌いになった人もいます。 其処から自傷行為に走った人も。 こうなるともう笑い話では済まなくなります。 では何故テープに録った声と耳から聞こえる自分の声は違うのでしょう? 答えは頭骨にありました。 声というものは音ですから当然音波です。音波ですから当然反響します。 自分が出した声は一度頭骨を通り反響して自分の耳に戻ります。 翻りテープに録った声は頭骨を通さずダイレクトに録った声なので当然音は違います。 実は自分以外の人はテープに録った方の声で認識をしています。 だからテープに録った声をおかしいと幾ら力説してもいいやと言う訳です。 テープに録った声がおかしいのではなく頭骨を通さないから違和感を感じるだけです。 たったそれだけの事。 そんな些細な事で貴方の魅力が半減する事はありません。 自分に自信を持ってくださいね。

本日の夕飯

母手製ナポリタン 同目玉焼き 同野菜炒め アサヒスーパードライブラック 以上。

本日のティータイム

チョココロネ 青汁ミルク 以上。

本日の昼食

日清どん兵衛天ぷらそば 日清カップヌードル(母の食べ残し) ホットミルク 以上w

芸能人は生まれながらにして綺麗やイケメンな訳ではないw

芸能人の昔の写真公開のコーナーでやっぱり芸能人は子供の頃も美人&イケメンだとする場面。 実はあれ騙されているんです。 最初に今の芸能人の姿をアップで見せます。 実はこの時脳内では今の画像を記憶する習性がありその後に見せられた子供の頃の画像に今の芸能人の補正を無意識にかけて居ます。 俗にいう『フラッシュバック現象』と言うのがその正体。 実際今の芸能人ではなく普通に他の小学生との集合写真の中に混ぜて見せたらその違いには気づきません。 人間の顔は風土により環境により変化して行きます。 芸能人は芸能界に入り綺麗でなくてはならないカッコ良くなくては生き残れないという意識の元で顔形も形成されて行きます。 生まれながらにしてイケメンやイケウーなんてのはまやかしですw

『尖閣・竹島問題』は第三国に攻め入る隙を与えるだけの愚行である。

尖閣・竹島両領土問題に於いて日中韓の関係が悪化お互いが『経済制裁合戦』を行っている。 だがこれは史上稀に見る愚行である。 『経済制裁合戦』は所謂『兵糧攻め』や『城攻め』と同じである。 敵国を孤立化し降参させるのが主たる目的である。 本来ならば籠城側が不利とされるが然に非ず。 攻める側も敵国籠城中に兵糧なくなれば撤退をせざるを得ない。 つまりずっとこう着状態が続きそれを第三国に攻められたらアウト。 漁夫の利を第三国に与える結果となり兼ねない。 『経済制裁合戦』は攻める側の数が多ければ多い程その効果は高い。 されど現時点のような拮抗した経済状況においては双方傷を負うだけ で『漁夫の利』を他国に掠め取られるがオチである。 今の日中韓の領土問題争いの元は実は歴史的遺恨まで遡る。 戦時中の日本軍に依る進駐、織田、豊臣時代の朝鮮出征。 それらの遺恨が未だ残りそれが今の領土問題に発展している。 『取られたら取り返せ』 極めて動物的な縄張り意識が為せる業である。 そしてそれはそのこと自体が自国の生物学的生命危機に瀕している事を如実に表している。 中韓何方も自国の経済状況は頗る悪く国民の目は政府の無策に向き始めている。それを回避させる為には仮想敵国を作り国民の意識を煽り目を外へ向けさせる必要がある。 されど賢い民はその政府の愚策すら既に気づいている。 政府が行った愚行はより政府に対する国民の不信感を募らせる以外の効果は産まなかったようである。 第三国に漁夫の利を与え自国が疲弊し経済混迷し自滅しない為にも 即刻領土問題は解決の為動かねばならない。 そうでなければ『漁夫の利』を与えるばかりか国自体を奪われかねないという事を肝に銘じるべきである。

昨日の昼食&ティータイム&夕飯&おはようございます

昨日の昼食 サンポー焼き豚ラーメン ゴマ団子 海老角ずし ホットミストビーンズ珈琲 以上。 昨日のティータイム 青汁ミルク マロンマフィン 以上。 昨日の夕飯 県内産塩鯖 袋豆腐 海老押し寿司 麦飯 アサヒスーパードライ 日本茶 以上。 Good morning. Yamaguchi, today is sunny temperature 28 ° c ( + 2 ° c change ) Is today's Frankfurt muffin, my homemade tuna salad roll, mother home-made fruit salad, hot myst beans coffee, Sesame balls. Today's field day. We inspire the brotherhood while encouraging love how unusually depressed in work. Burning flame of life still cicadas last the day. Let's do our best healthy today as not losing them.

2012年9月21日金曜日

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi, today is sunny temp 27 ° c ( + 1 ° c change ) Today breakfast bite black pig nuggets, mother homemade chicken Daichi salad, chicken little wear beige, myst beans coffee or more. Today, basically, Office. After and respond accordingly. Gradually tighter cold in the mornings and evenings, and soon may have to change comforters specifications fall/winter. Everyone to perfect health.

『不幸になりたくない』は不幸へのプレリュード

誰しも不幸にはなりたくないものです。 私だってなりたくない(笑) そういう時人間は『不幸になりたくない』と思います。 されどこれは実は逆効果。 『不幸になりたくない』という心の裏側には『不幸』に対する恐怖心や拒否反応が当然あります。 心は実はその恐怖心や拒否反応の方に方向を変えてしまうのです。 そんな馬鹿な?と思われると思います。 されどアレルギー反応とそれは同じです。花粉等異物と体が認識した物を体内にいれまいと体は必死に拒否反応を示します。 それがつまり花粉症の原因です。 人間の心は拒否をすればするほど恐怖心を抱けば抱く程それにフォーカシングしそれを実現しようとします。 これの元は潜在意識学です。 ではどうするか? 簡単にいえば言葉を変えれば良いのです。 『不幸になりたくない』から『幸せになりたい』に変えるだけ。 唯、これだけです。 たったこれだけの事ですが得られる結果は雲泥の差が出ます。 先ず否定形ではないので心はそれをフォーカシングしません。 更に肯定系なので心が拒否りません。素直にその言葉を受け取りそれを実現させるべく場を変え始めます。 正確に言えば幸福に至る場に自らを導いて行きます。 しかしそうは言っても言うは易く行うは難しです。 中々不幸が体に染み付いている人は心で肯定しようとしても中々それが出来ません。 それ故にそれをアシストする存在が必要です。 我々心理職はその心が求める方向へ導くアシストの役目であると自認しています。 『幸せになりたい』方。 我がアシストを受けて見ませんか?^^v

2012年9月20日木曜日

心若かれば肉体衰えず

肉体的衰えの大部分はメンタリティーにおける老化が原因。 つまり数的年齢を余りに意識するが余りそれが細胞レベルで作用することが原因です。 高齢者の現役アスリートが数多く居られる理由が上記の正しさを証明しています。 しかもその中には60を過ぎて運動を始めた方も含まれています。 つまり年齢を意識せず常若々しい自分にフォーカシングした結果であると思います。 自身の溢れる内面的美のみフォーカシングされるべき。 それにより感じる疲労度は桁違いに変わります。

本日の昼食&ティータイム&夕飯

本日の昼食 チキンピラフ&アイスコーヒーなうw 本日のティータイム ホットなうw 本日の夕飯 鰤刺身 母手製ミニトマト&チシャwith 青唐辛子麹漬味噌だれ 私手製辛子明太子マヨ丼 アサヒスーパードライ 以上。

おはようございます

Good morning. Yamaguchi today is sunny temperature of 27 ° c ( 0 ° 20.34 ) Breakfast today is my homemade potato salad rolls, Chen Kenichi Sichuan steamed dumplings, yellow peach, hot myst beans coffee. Today's field day. First morning coffee changed to hot from the ice this summer. I feel the cold weather model wind already the Sun is there just above the sweat. Already seems there are moved to the autumn. Well go for it today.

モバイビリティーの高さが常態化を生む

スマホが精神病を引き起こす原因だと某誌で読んだがこれは正確には正しい解釈ではない。 精神病を引き起こす原因は常態化にある。 所謂依存症。 これは何もスマホに限定はない。 但しモバイビリティの高さからその要因の一つにはなりやすい事は間違いない。 されどそれは読書も同じ。 利便性が高く常態化し易い物にはそういう危険性が常寄り添っているという事である。 そんな私はFB依存症(笑)

悩む方向性を見定めることの困難さについて

悩む方向性を見定める事は実はとても難しい事です。 それは悩む対象が即時的流動性性を持っているから。 つまり悩む対象が微動だにしないのならばじっくり観察も出来て対処法も見つかります。 されど生憎大抵の場合悩む対象は常変化す流動る存在である事が多くそれ故本質を掴みにくくなります。 最終的には自らが信じる所を進むしか無いと言う事になります。

本日の昼食&ティータイム&夕飯

本日の昼食 スパカツバーガーセットなうw 本日のティータイム 劇的微糖なうw 本日の夕飯 マリンおにぎり弁当 麒麟一番搾り 以上。

2012年9月19日水曜日

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi today is sunny 28 ° ( + 1 ° 20.34 ) Breakfast today is my homemade chicken and vegetable sandwich, MOM homemade chicken white meat salad, canned yellow peach, myst beans cofee. Today's field day. If the original I'm going to visit days in blossom over Tokyo at this time by plane is today also met their damage greatly influence of Typhoon yesterday local brotherhood. Well go for it today.

悩む事自体が生きる事である。

人間の脳に関してはまだまだ解明されていない物が沢山残されている。 理論的科学的理解が必ずしも悩みを産まないかといえばそうでも無い。 もし理論的科学的理解が悩みを産まない物だとするならば科学者や哲学者は悩みがないと言う事になる。 されど実際は科学者であれ哲学者であれ悩みが尽きる事は無い。 それは何故か? それは生きる事自体が悩みとの戦いだから。 人間には煩悩と理性と言う相反する二つの感情を一つの体に同梱させる世にも珍しい生物である。 それ故人は悩み苦しみながら日々の生活を送っている。 されどその悩み苦しむ事が脳の皺の数を増やしシナプスの伝達速度をあげ地球上では最も新参者であるにも関わらず他の生物を凌駕する事が出来今も生き残っている。 悩み苦しみ抜く事が出来たからこそ其処に文化や文明が生まれたと私は考えている。 それ故の進化進歩で有りそれこそが人間が人間たる所以である。 私も日々悩み苦しむ毎日だが悩み苦しめる自分がいる事を有難いと思っている。 だが時として人は其の悩み苦しむ事を苦痛と感じ其処から逃避したい感情に囚われる事がある。 それはその人一人がとても抱えきれない悩みや苦しみを持つからではなく其の悩み苦しむ方向性を違えているのでそう成るのである。 人間の脳は答えがでない悩みや苦しみは生物学的に持てないようになっている。それはそれを持つ事が寿命を縮める事に繋がるから。 それ故に悩み苦しめる限りは其処に必ずそれらを解く鍵は存在する。 されどその鍵を見つける為には様々な方策を講じなければならない。 人間は時として悩みの迷路に迷い込むと近視眼的となり普段なら簡単に解ける問題でも解けなくなる。 そう言う時は一度其の問題から離れ自らを俯瞰的に見つめる必要がある。俯瞰的に見つめる事で視野が広まり悩みの本質が見えてくる。 その俯瞰的に見つめる見つめ方やその方向を示す事。 そして問題の本質を見定め易くする事。 それが我々心理職の使命であると私は考えている。

2012年9月18日火曜日

本日の夕飯&ティータイム&夕飯

本日の昼食 アーモンドスキンミルクベーグルとアイスコーヒーなうw 昼食後紫煙を燻らせ中なうw 本日のティータイム エスプレッソシングルなうw 本日の夕飯 巻き寿司、母手製竹輪胡瓜詰、大豆と鹿尾菜と人参の煮物、激辛焼き鮭、麦飯、アサヒスーパードライ以上。

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi today is sunny 28 ° c ( 20.34! 1 ° c ) Breakfast today is homemade Blueberry jam mother bread, butter bread, my ice myst beans coffee, homemade potato salad. Today's field day. This typhoon seems left a large claw in mind out of desire. While going to work so much more brotherhood Center in the city. Absolutely daytime heat lingering summer heat still feel but signs of autumn, morning and night. Also, please note your care, such as heat stroke.

本当の”異常”とは何気無い”正常”の中にこそ在る

多くの以上性癖者を治療してきた経験者としての実感。 異常性癖と一般的に呼ばれて居る物の殆どは異常性癖ではない。 勿論特殊性癖と呼ばれて居る方々も同じ。 つまりそれがメジャリティーかマイノリティーかの違いだけ。 では何故マイノリティーなのか? どうすればメジャリティーにする事ができるか? 出来ないとするならば其れは何故? という事を考察していくと異常の本質を掴む事が出来る。 すると案外”異常”と言う物の中に有る”正常”を知る事ができる。 本当の”異常”は何気ない”正常”の中にこそひっそりと潜む。

2012年9月17日月曜日

本日の夕飯

焼き鳥塩、鳥レバー、麦飯、大根おろし、日本酒以上。

本日の昼食&ティータイム

本日の昼食 海老きゅう巻、マロンデニッシュ、日本茶以上。 本日のティータイム なし(笑)

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi today is 29 ° c rain sometimes unavoidable ( 20.34-2 ° c ) Breakfast today is myst beans coffee, ice, MOM homemade fresh vegetable salad, butter bread, shrimp seaweed, fried over. Today is unknown. Unless anyway the wind won't stop the door does not open. I thing the typhoon will pass in the afternoon, so you want to wait it. Sound of the wind and the rain disruptions fan blackout temporary this morning heavily last night, present greeted the morning sleep. Also there is a typhoon forecast from this please be your care enough.

2012年9月16日日曜日

誰にでも出来る『絶対音感』の作り方

『絶対音感』とは聞いた音がどの音階か?即座に判る人の事。 人口比率的には決して多い数では無いと一般には言われているが何故か私の周りには『絶対音感』を持つ者が多い。 元カノ、姪、そして我が姫君(笑) 何れも女性であると言う事はかなり笑えるのだが^^;。 実はこの『絶対音感』選ばれし者のみの技に非ず。 訓練次第では誰でも『絶対音感』を手にする事ができる。 『音感』と言うとどうしても『聴覚が優れている人』と言うイメージを持つ人が多いと思うが実は違う。 元々音は『音波』でありその元は『波動』つまり『振動』である。 晩年のベートーヴェンは目も耳も使用できない状態で作曲を続けて居たと言う。音が聞けない人が何故作曲ができたのか? それは『音』の性質自体が『振動』だからである。 故にピアノを引く際に感じる『振動』で音を『聞き分け』作曲が可能となって居た訳である。 楽器を演奏される方なら判るだろうが楽器を奏でる際に感じる振動は音階によって微妙に違う。その振動を体で覚える事。そうすれば『絶対音感』を得る事は決して難しい事では無い。 されどこの『微妙な振動の違い』を理解する事即ち会得する事は五感を最大限に研ぎ澄まさねばならぬのでコンセントレーション(集中力)が物を言う。 つまり『絶対音感』を手に入れる為に必要な物は『集中力』である訳である。 そしてそれが私が『音痴』である最大の理由である(笑)

本日の夕飯

本日の夕飯 母手製鰤塩焼きみぞれ和え 赤飯(昼の残り^^;) 麦飯 赤だし味噌汁 小エビ磯辺揚げ 以上。

何故大型ショッピングモール内店舗が次々と閉店に追い込まれるのか?そのメカニズムに迫る。

盛夏移行此処数週間TVニュース及び実際に見聞した限りにおいても今年は結構な数の大型ショッピングモール内店舗が多く閉店の憂き目にあっている。その多くがファッション関係であると言うのも又、興味深い話である。 私自身彼女に付き添って何度か大型ショッピングモールにお買い物へ出かけた事がある。 その際或る面白い光景に何度もであった。 子供と夫を引き連れて鬼の形相で各店舗を回るお母様方である^^;。 夏の暑い盛りで有る。それだけ走りまわれば汗を大量にかき疲弊度はさぞや半端ないであろう。 案の定間も無くお母上様へばられ近くのオープン喫茶で一休みとあいなった。 その後何度か同じ行動を繰り返し結果何をお買いになられたかと思えば手に持っているのは今晩の夕飯のおかずのみ。 そのまま旦那と子供を引き連れてお家へ御帰りになられた。 実はこのファミリー大変面白い事に我々が行く場所に悉く現れられた。 故に私もこのファミリーの行動を見るとは無しに見る結果となった。 人間の脳と言う物は実は相反する二つの意識と言う物がある。 選択肢は多い方が良いとは限らない、余り選択肢が多すぎると脳は其れを選ぶ行為自体に疲弊し結果常態行動心理学的に普段と全く変わらない選択をするケースがとても多い。 解り易い例を言えば大家族が何時も狭い我が家で肩寄せ合って皆で寝ている中、突然くじ引きで大広間付き旅行券をゲットしてもやはり気がつけば隅っこに固まって寝ている。そういう物である。これこそが常態化の魔力である。 先のお母上様に話を戻そう。 恐らく旦那さん同伴と言う事は車で此処へ来られて居り滅多に来られない場所にお住まいのはず。 なれば当然折角来たのだがら何か買って帰らねば損とばかり各店舗を目を皿のようにして回られるはず。 あちらこちらを回りあれよりもこれの方が安い、でもこっちはあれよりももっと安いと品定めを繰り返す。 滅多に来られない場所だから何か買って帰らねばと言う損得感情の思いが先行し数の多さも手伝って思う以上に迷いに迷う。 人間にとって迷う事は贅沢な悩みと言うが実は案外そうではない。 選択肢が多いと言う事はその分考える時間が長くその分ストレスもかかる。 そして長時間悩んだ挙句掴んだ物は普段選ぶ物と余り大差がない。 人間の脳は案外そうできている、これが常態化の魔力と言う物である。 店側も其れを熟知しているので週末限定のタイムセールなどを多く行っている。 人間はタイムセールなどの”限定品”にとても弱い。 所謂”ヴィンテージ”物に人間が弱いのは生物学的認知欲求がその大元である。 人が持っていない物を自分が持つ、すると人の注目は自分に集まる。 さすれば生物学的に守りが増え結果危険性が減る。 人がヴィンテージ物を選ぶ理由は実はそこにある。 タイムセールもこの範疇、その時間内だけでしか手に入らない商品がある。 普段は高くて中々手に入らない商品がこのタイムセール時間内なら手に入る。 そういう店側の策略に見事乗せられ人はタイムセールに走る。 所がこれが店側の大誤算。 限られた時間内に普段買えない物を買いたいと言う人間の認知欲求がより良い物を求めるのは致し方なし。 されど無情にも時間はどんどん過ぎて行きタイムセールの時間は終了する。 それまでに何とかと結局普段から選んでいる物を無意識に選択する。 店側はこの時とばかり高い商品を売りたいが消費者が選ぶのは普段と余り変わらない。 更に悩みに悩み過ぎてタイムセールの時間が終了、そのまま何も買わず店を出る人も少なくはない。 タイムセール自体に魅力は感じてもその店の商品自体にはさして魅力を感じていないからである。 そして最終的に歩き回り夏の暑さも手伝い疲労困憊、欲求よりも疲労度が脳を支配し何時ものように夕飯の買い物をしてご帰宅。人間はマイナスにより反応する性質を持っている。アレルギー反応がその好例。 故に夏の暑さと選択の際の煩雑さの方が買い物の楽しさよりも色濃く脳に深く刻まれる。 結果次の週末が来ても選択の際の煩雑さが脳をよぎり結果夏の暑さも手伝い外出を控えるようになる。 当然これを繰り返されたら店側は店舗量を払えなくなりてったいせざるをえなくなる。 これが今夏多く大型店舗内の店舗が閉店をした原因なのである。 今夏の異常な暑さ、それと人間の持つ欲深さ、これが何よりの原因となったのである。

本日のティータイム

本日のティータイム 栗蒸し饅頭、日本茶以上。

中華民国人に物申す(说事情中华人民共和国)

日本企业突袭案例和中国驻日本大使馆是显然中国国民被翩翩起舞的中国政府和媒体的宣传,在违反国际法的行为。政府默许其唯一的证据。中国人应该知道政府陷入的事情。更多的傻事是强中双边关系恶化被称为国际谴责,可能给中国人民和其经济元气大伤。不骑上,政府和媒体的把戏。有没有按照与族裔,应该失去了中国人民的骄傲。 填充之间的中华民国有历史的西正文黑色愚蠢的做法应立即停止。它不是高尚的人中华人民共和国做法案 》。是自己不应该降低它们的质量。应该知道的有政府降低了中国人的素质。

本日の昼食

本日の昼食 日清太麺堂々ネギ塩 赤飯 柿の葉寿司 ブラック珈琲 以上。 本日雨の為外出叶わず有り合わせで昼を済ませました^^;

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi today is cloudy then rain 30 ° c ( 20.34! 1 ° c ) Breakfast today is homemade style spaghetti with my mother, my homemade potato salad, chocolate Cornet, ice myst beans coffee over. Today due to the approaching Typhoon wait at home. But if you have help from the brotherhood soon go. Residents please be careful Typhoon passage forecast area 10 minutes.

『皺・たるみ』こそが真のアンチエイジングである。

人間は哺乳類で恒温動物である。 故に爬虫類と違い周りの温度に自らの体を合わす事が出来ない。 故に服の着脱や体温を他の物で調整するしか手段がない。 されど実際は全くその機能が備わって居ない訳では無い。 例えば髪の毛、例えば肌の色、そして皺がその機能の一つ。 太陽の熱を多く浴びる地域では髪はより黒く縮れ肌の色も黒い。 これはその事により太陽光の体への影響や負担減の為である。 所謂日焼けがその好例。 同じ様に加齢による『皺』『たるみ』も実はその範疇。 加齢と共に『油分』や『水分』の保水率は低下して行きます。 その『油分』や『水分』の体外流出を防ぐ防波堤。 それが『皺・たるみ』の正体です。 水の流れを見て貰っても分かる様に真っ平らな場所を滑る様に流れるのとデコボコしアップダウン差がある所だと水の流れる速度は低下しその場所に留まる時間が増えます。 『皺・たるみ』は正にそれです。 肌は乾燥すれば細胞がより早く破壊され老化が加速します。 それを防ぐのが実は『皺・たるみ』なのです。 『皺・たるみ』こそが実は『自然によるアンチエイジング』だったのです。 今や高齢層は必死になって『皺・たるみ』を無くそうとして居ますがそれこそが『エイジング』を加速する行為である事をどうかご理解下さい。

『美人は三日で飽きる』『ブスは三日で慣れる』の常態行動心理学的根拠

『美人は三日で飽きる』『ブスは三日でなれる』と言われていますが実は『飽きる』事と『なれる』事は同じ。 どちらも『常態化』するという意味です。 勿論『三日』という数字にはあまり意味が有りません…というのは実は嘘。 『三日坊主』『石の上にも三年』『三が日』という風に昔から日本人は『三』という数字に浅からぬ縁が有ります。 実は『五月病』の招待も此処に有ります。 人間の脳というのは大体『三日』周期で『常態化』します。 正確に言えば日本人は『三日で常態化されるよう擦り込まれて居ます。』 艱難辛苦も三日も我慢すればなれる、だから三日は耐えろと言うのが単一民族且つ島国で有る我が国の国民の言わば生きる知恵で有りました。 古来日本人が我慢強い民族で伝統を重んじその伝統を重んじるが故に結束が強くその結束が強すぎるが故の弊害があったのもその為です。 そういう歴史的認識が学習型遺伝子に組み込まれ現代にも息づいて居ます。 話を元に戻します。 『三日でなれる』と言う事は五感情報が『三日』でそれを『常態化』させそれが『当たり前』である事を脳に伝達しそれ故の『違和感』を無くす事を示して居ます。 つまり『美人』である事の『喜び』や『ブス』である事の『悲哀』も『違和感』がなくなるという事。 更に言えばその事により『美醜』ではなく五感情報のアップデートにより『美醜以外の物』に興味関心が移り『美醜』には目が行かなくなる事を示して居ます。 所謂『五月病』もそれが原因。 『世間一般お休み』と言う情報を脳が受け取りそれを処理する事で連休終わりの『仕事モード』に入っても脳はまだ『世間一般お休み連休モード』から抜けくれずその違和感から『バーンナウトシンドローム(燃え尽き症候群)』的な虚脱感を覚え出社拒否症や不登校等に陥るのです。 更に言えば折角四月から新生活に慣れ始めた物が大型連休により元の景色に脳が慣れ常態化した為にそれ以外の景色を始めとする五感情報のアップデートに時間が掛かりその掛かった時間分の違和感がバーンナウトシンドローム等に移行すると言う訳なのです。 明日から台風接近に伴い『五感情報』が災害モードに移行します。その際上記の事に十分注意し御心易く有るよう気をつけて下さいね。

本日の昼食&ティータイム&夕飯

本日の昼食 ドリアとサンドなうw 本日のティータイム アイスコーヒーとクレープなうw 本日の夕飯 赤飯、柿の葉鮨、アサヒスーパードライ、チヌ刺身以上。

2012年9月15日土曜日

昨日の夕飯&おはようございます。

本日の夕飯 母手製和風たらこスパゲティ 若鳥塩焼 私手製ポテトサラダ 麦飯 アサヒスーパードライブラック 以上。 Good morning. Mostly cloudy today Yamaguchi. Air temperature 31 ° c ( + 2 ° 20.34 ) Breakfast today is my homemade tarako Spa and chicken shioyaki with bagel, potato salad, and ice myst beans coffee. Today's field day. Forecast tomorrow onwards as the approaching Typhoon, difficult to go out. We are going to to Kokura brothers visited. Everyone who savor 3-day weekend. Well go for it today.

2012年9月14日金曜日

本日の昼食

本日の昼食 ばら寿司、母手製煮物ご飯、サンドイッチ、薫るカフェ・オ・レ以上。

おはようございます。

Good morning.
Yamaguchi today is cloudy rainy temperature 31 ° c ( 0 ° 20.34 )
Breakfast today is Curry Nan sausage muffins, MOM homemade orange salad, ice myst beans coffee.
Today's Office workers,.
Due to the approaching Typhoon from tomorrow, going out pretty hard.
Preparation for it today, because I and want to prepare. Well go for it today.

人は誰しも必ずその人にしか無い専門領域を持って居る。

言わずとしれた事だが私の専門領域は心理学である。
これで二十年飯を食ってきてこれからも食って行くつもりです。

だが人は誰しもその人にしか無い専門領域を必ず持って居る。
それは生物学的生存本能が成せる業である。

嘗て人間にも動物と同じ尻尾や羽が有った時代が有った。
その名残は今も骨の一部にちゃんと形として残って居る。

だが文化の進化に頼り切り人は本来持って居たはずの能力をどんどん退化させていった。


それ故人は物理的能力では無く知能の方に特化して行った。
人が人として生きて行く為に知能は欠くべからざる物。

その知を求める求め方も又その人の生き方そして人生の選択により可変的に変化していく。

その中で人は必ずその人にしか語り得る事が出来ない”専門領域”を築き上げていく。

その”まだ見ぬ専門領域の存在”を気づかせ”サバイバルゲームを生き抜く唯一の武器”を持たせるのも又我々の使命である。

そしていつかお互いの生死を掛けて”専門領域”同士のサバイバルゲームが展開される時がくるかもしれない。

結果は時の運。

その時を楽しみに待つとしよう。

2012年9月13日木曜日

本日の夕飯


私手製麦とろ飯、母手製野菜の煮物、みかん缶詰、アサヒスーパードライ、大根浅漬け以上。

心理職の使命は真実を語る事のみ

我々心理職の使命は”真実を語る事”もその大事な仕事の一つで有る。 
例え其れが同胞の目には真実だと映らずともで有る。 

人間の心は生物学的に生命維持の観点から信じ難い事実に関しては其れを心が認めない働きが有る。

 だがそれだと心の闇を祓う事は出来ない。 

時にはリミットブレイクをさせ 己が定めた限界値を超えてもらわねばならぬ時も有る
 そういう時心理職である我々は真実のみを同胞に伝え後の判断は全て同胞に委ねる事にして居る。

 其れは何故か?
 一見すると問題を丸投げし同胞に委ねる事で責任逃れをして居るように見える。

だが真実は逆。

 同胞がどういう答えを出したとしてもその答えを受け止めそしてお互いの合意点を見つけるまで決して諦めず同胞と共に歩む覚悟なしに相手に判断を委ねる事は出来ないのである。

 勿論心理職である我々にとって”信じ込ませる事”はお手の物。
 赤子の手を捻るより簡単である。

 だが”信じ込ませる事”と”信じる事”は同意義ではない。 

前者は他者的力が働き例え一時的に納得はしても永続生に欠ける。 
そして心理職である我々に対する懐疑心で心はみたされて二度と心は開いて貰えない。 

翻り後者は自力行動であり責任は自分にあり責任逃れは出来ず信頼関係が揺らぐ事はない。

我々はあくまでも伴奏者であり ランナーは同胞である。 
最終ゴールのテープを切るのは同胞のみである。

 我々はゴール直前まで諦めずに導く伴奏者にすぎない。 

そういう覚悟なしに心理職はできないのである。

本日のティータイム

本日のティータイム ふんわり薫るカフェ・オ・レ マロンブラン 以上。

本日の昼食1&2

本日の昼食1 ジャーキー牛乳カステラサンド、お好み焼きパン、フランクフルト、挽き立てカフェ・オ・レ以上。  本日の昼食2 のり巻きおむすびセット 日本茶 以上w

『どこでも心理学講義』〜(ドラえもん秘密道具登場風w)

私にまた新たなスキルが見についたらしい(笑) 『どこでも心理学講義』w 先日行きつけの喫茶店のお姉さんに心理学の話を少し差し上げた。 さっき同僚の方と喫煙所前を通られその話を同僚の方に話されていた。 『心理学講義を受けた』と(笑) そんな大層な話をした覚えはないのだがw

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi today is sunny, sometimes cloudy 32 degrees c ( + 1 ° 20.34 ) Breakfast today is corbiculids miso soup, boribap, pickled radish, lightly toasted, more than green tea. Periodic health examination, it today. Is important to protect the brotherhood himself forbore thing too. Solid self to continue maintenance. Today even 30 c fine ukemi is beyond summer.

2012年9月12日水曜日

本日の昼食&ティータイム&夕飯

本日の昼食 980円ランチなうw 本日のティータイム アイスコーヒーなうw 本日の夕飯 母手製うずら卵と野菜の煮物、大根浅漬け、麦飯、アサヒスーパードライ以上。

『越えられる存在』は必ず越えられる。

『超えたいと願う存在』は『越えられる存在』で有る。 何故ならそれが『願い』だからである。 『願い』は叶えられる物しか脳科学的及び常態行動心理学的に思う事は出来ない。 それは生命維持の観点から死に至る可能性がある物はストップが掛かるから。 そうじゃ無い物のみ『願い』として人はそこに『希望』を見出す。 その『希望』が細胞活性を促し脳細胞や体内細胞を活性化させ『願い』を叶えられる『自分』を作っていく。 その『願い』を叶えるお手伝いを我々心理職は補佐する存在である。 あくまで『越えられる存在』を『超える力』を持つは『超えたいと願う者』のみ。 その『願い』を心理職が叶えるわけではない。 心理職は神ではないのだから。

生きる事は戦う事、戦いの中にこそ己の存在を確認する事ができる。

心理職は神に非ず、人である。 人である器を持って居る間は限界もある。 同胞にとってはある種神的位置に置かれる場合もあるが私は敢えて人間の位置迄自らの存在を貶める。 それは人間における神の存在が絶対的である事に起因して居る。 神の存在が人間にとって絶対で有り心理職の存在がそれと同価値であるならば人は絶対その存在に依存し自ら奮闘努力をしなくなる。 所謂『神頼み』がその好例で有る。 ロクに頑張りもせず只管祈りを捧げる馬鹿が居る。 その祈りの時間を頑張りに当てればもっと結果が出るのにと思う。 私は頑張ろうとしない同胞はバッサリと切り捨てる。 同胞は慌てふためき縋り付くがその手を無情に祓う。 罵詈雑言を浴びせ時に悪評を立てられる事も有る。 それでも一切微動だにせず我はじっとその者を見つめる。 生きる事は戦いで有る。 常デッドオアアライブの中で人は生きて居る。 一瞬の選択ミスが命取りとなる場合も多い。 戦場においてはそれが如実に結果として現れる。 日本人は島国勝つ単一民族ゆえヨーロッパやアメリカと比べて危機意識が低い。四方を海に囲まれ攻め込まれにくい為で有る。 だがそれは砦が堅牢であるのではなく自然に守られて居るだけであって人間業にあらず。それを思い違いすれば悲惨な結果を生む事になる。 私は同胞第一主義で有る。 故に親の死に目にも大恩師の引退講義にも列席出来なかった。 親戚や同級生からは避難轟々で有る。 それでも守りたい存在が有るならそれも致し方無い。 無礼者と言われようが礼儀知らずと罵られようががお構いなし。 だが同胞にも私はそれを求める。 心の病と向き合い自らと向き合う事は戦いで有る。 正に己との戦いで有る。 その為にはそれ相応の覚悟なしではなり得る物では無い。 逆を言えばそれ相応の覚悟があれば必ずなし得る事はできる。 それを促すのがそして共に頂きに登るのがこの仕事の使命。 故に天使にも悪魔にもなる。 それが人間としての証である事を示す為に。

good morning

Good morning. Today Yamaguchi cloudy air temperature 30 ° c ( + 1 ° 20.34 ) Today's breakfast sandwiches, Curry nan, MOM homemade fresh vegetable salad, Bacon potatoes beef vegetable Vol, myst beans coffee over. Today's field day. Now warm thing I miss, and gradually getting more autumn season. But daytime heat still lags behind that. Well go for it today.

本日の昼食&ティータイム&夕飯

本日の昼食 カツカレー&アイスコーヒーなうw 本日のティータイム エスプレッソなうw 本日の夕飯 母手製うずら卵と人参と馬鈴薯の煮物、貝汁、麦飯、アサヒスーパードライブラック以上。

2012年9月11日火曜日

おはようございます。

Good morning. Cloudy today Yamaguchi, fine later air temperature 30 ° c ( + 1 ° 20.34 ) Today's breakfast Strawberry Jam pan, MOM homemade okaki salad, roast ham, ice myst beans coffee. Today's field day. Comes around the place yesterday I couldn't go. Today is summer cold in the mornings and evenings there are beginning to show autumn to ensure. Fall is around the corner. Well go for it today.

2012年9月10日月曜日

本日の昼食&ティータイム&夕飯

本日の昼食 KFCチキンフィレサンド、缶コーヒー以上。 本日のティータイム 青汁ミルクとクッキーなうw 本日の夕飯 上握り、母手製貝汁、なす浅漬け以上。 本日は休肝日。

おはようございます。

Good morning. Yamaguchi today is cloudy then rain 30 ( + 1 ° 20.34 ) Celsius Today's breakfast Blueberry jam pan, fatty mom homemade fluffy sour salad MOM homemade vegetable and shiso, egg, steamed shrimp dumplings, ice myst beans coffee. Today's Office workers,. Originally was traveling were knocked out man, soon to move shift work indoors. It is this kind of thing much needed this job thing. Well let's today is left becomes indebted to cooler in the summer.

2012年9月9日日曜日

本日の昼食&ティータイム&夕飯

本日の昼食 カツサンドとアイスチャイなうw 本日のティータイム アイスエスプレッソアイリッシュクリームフレーバーなう 本日の夕飯 母手製とろふわ卵、同夏野菜と青紫蘇のサワーサラダ、白身魚フライ、なす浅漬け、アサヒスーパードライ以上。

常態行動(或いは依存性疾患)の恐るべき真実とは

人間の脳は時として面白い誤動作を起こす時がある。 例えば海外旅行へ毎年行く為に貯金をする。 新しい車が出る度にそれを買う為に質素倹約に努める。 その事自体には何ら問題はなくそれが人間の欲求を満たす為の物で有る限り間違いではない。 されど恐ろしいのはその行動自体の『常態化』である。 つまり海外旅行へ毎年行く為に貯金をする行為が何時の間にか貯金をする為に海外旅行へ毎年行くようになっている事である。 まさか?!と思われるだろうが実は意外と人間の脳は常態行動に弱い性質を持って居る。 海外旅行へ行く回数よりもその海外旅行へ行く為に質素倹約をする回数の方が勿論圧倒的に多くなる。すると脳の中では質素倹約をする事が主目的となり海外旅行へ行く事が副次的目的となってしまう。 車の場合も同様。 車を買う為に質素倹約をする事が何時の間にか質素倹約をする為に車を買う行為に変わって居る。 実はこれ『常習性行動』即ち依存症の元でもある。 例えば麻薬、最初は苦痛から逃れる為に麻薬に手を出す。 例えばお酒、最初は憂さ晴らしの為にお酒に手を出す。 例えば買い物、最初はストレス発散の為に買い物をする。 所が痛苦軽減や憂さ晴らし、ストレス発散の仕方はそれだけじゃない。 他にも数え上げればキリが無いほど有る。 だが人間は五感情報で得た(或いは騙された)情報に踊らされそのような行動を好んでするようになる。 それをやめさせるにはそれ以外の方法を示す事。 その方法の方がよりメリットが有る事を示す事。 そして依存対象から離し私自身に依存させる事。 更に究極でない究極の選択を何度もさせ結果的に悪しき常態行動自体を段階的にやめさせる土壌を作る事。 勿論これを行うには素人では難しい。 専門的知識と経験そして実績を持った者でなければならない。 何より肩書きや権力によらず金満主義で無い者でなければならない。 何故なら肩書きや権力に依る者も又、依存症患者だからだ(笑) 依存を治してもらう為に依存症を患って居る者に見て貰っても意味が無い。 今は患者が医者を選べる時代で有る。 権威や噂だけで判断せずその目でしっかりと確かめる事。 そして幾らマスコミ各社で名医と騒がれて居ても盲信しない事。 盲信自体も依存症で有る事を失念なさいませぬように。 『地上の星』の中にも名医は沢山居ます。 『地上の星』の中に光る光をどうか見失わないでください。 ま、私はダメダメですけどね(笑)