常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年12月8日土曜日
人間が地球上で生き残る為に必要な事。
『理解』とは『理を解する』事。
そして『理』とは『ことわり』と読み『心の向き、在り方』を指す。
つまり『理解』とは『人の心の向き、在り方を解する』事です。
そしてこの『理解』とは生物学的に『生来型遺伝子的理解』と『学習型経験的理解』に分かれます。
『生来型遺伝子的理解』とは生まれ持った両親の遺伝子を引継ぎ更に生育環境の中で得た経験や知識によって得られる理解の事。
『学習型経験的理解』とは生育環境を離れ親元から自立し様々な外界の刺激を受け色々と経験をした上で得られる理解の事。
人間はこの二つの理解をその場その場で使い分けながら生きている。
されどそのバランスはとても難しく時に著しい偏りを見せる。
それは人間が理性と欲望と言う二律背反な物を心に同梱させている事に起因している。
それ故に人は悩み苦しみその中で選択し学習し理解を深めそして進化進歩し現在に至る。
されどそれは人間がこの地球上で地上の覇者として生き残る為の物。
生物学的に動物的共栄主義は生来人間には備わって居ない。
集団で事に当たるのはそれをする事でより効率的にものを処理し個を維持できるから。
この場合大事なのは集団ではなくそれが個の集合体であるという所である。
元々が集団である物と元々が個である物が集団となった物とでは考え方は全く異なる。
動物や魚類は元々集団で移動し集落を持ちそれは食料的依存性の高い集落でありそれがなくなると移動しという生活を営んでいる。
今でも遊牧民族はその風習を残しているが現代人の殆どは居を構え其処から移動せず居は移動させず食物を求めて人間自身が移動しそれを得て居に持ち帰る。
移動型住居の場合大事なのは住居を移動させる労働力でありそれは人との繋がりである。
されど定住型住居の場合必要なのは、定住を維持させる収入であり労働力ではない。
これが人間が群れではなく個で生活を営む最大の理由である。
共同生活を送っていても同じ屋根の下に住んでいても現代人は”個”である事を好む。
これが人間と動物の違いである。
地球が誕生し46億年以上が経過。
されどその中で人間が生まれて今までの歴史はほんの星の瞬き程度でしかない。
それ以外の地球史を作ってきたのは人類以外の生物である。
謂わば地球上で一番の新参者が地球で虚勢を張っているのと同じである。
最近の天変地異を見ているとそれをガイヤがお怒りのように見えてならない。
新参者は新参者らしく大人しくしていなさいと叱責を受けている気がする。
このまま人間が傍若無人なる振る舞いを止めず地球環境を壊し生態系を壊し続けたら最終的には地球にとって寄生虫と判断され淘汰されるのはもう目前であろう。
その前にその事に現代人は気づき全ての生き物との共存共栄の道を模索すべきだろう。
そう考えた時原発が不要である理由は一番理解が叶う事ではないかと思う。
本当に人間が生きる方法は原発を活かす事ではなく地球と共存共栄していく道を探す事。
それ以外に人間がこの地球で生き残る道はないと考える。
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