2013年6月21日金曜日

日本が福祉文化遅滞国である常態行動心理学的根拠(怒りモード)

日本は福祉国家である。

福祉サービスは確かに他国と比べて充実していると言って良いだろう。
だが福祉文化に対しては世界に類を見ない遅滞国と言って良いだろう。

先日来より施設入所者、生活保護受給者、被災者方々へのそれぞれの担当者の暴挙報道が目立つ。

施設入所者への度重なる暴力、生活保護受給者に対する言葉の暴力、被災者方々への誹謗中傷、何れも国からの補助を受けて県又は市が運営或いは個人経営の場合もあるが施設で働いている末端がお金を捻出している訳ではない。

彼らも仕事をしてお給料をちゃんと貰っている使用人の一人である。

生活保護受給者も生まれ持って生活保護受給者ではなく嘗ては納税者の一人である。
施設入所者の方も、被災者の方々も言うに及ばずである。

どうも日本人は権力を与えると一極集中しそれで勘違いをする愚人が増える傾向にある。
今回の東日本大震災でも国に一時的に集められただけでそれらは被災者方々に使うべきお金で有る物を政府が私的に流用していた事実もで始めている。

そのお金は政府が手前勝手に使って良いお金ではない、これは立派な公金横領罪である。
現政府は前政府の公金横領罪について厳しく追求し厳罰に処するべきである。

自らの法案を立案する為に目を瞑るというのであるならばそれは幇助罪に該当する。
司法も司法としての立場を忘れず法の番人として罰すべき人を罰するべきである。

と同時に施設入所者や生活保護受給者に対する人権保護にも政府は力を入れるべし。
勿論施設入所者の慇懃無礼なる振る舞いや生活保護不正受給者に対しては厳しい態度で挑むべきである。

されど本当にそのサービスを必要とする者には誠意ある対応をするべきである。
彼ら彼女らが行っている蛮行は人権侵害罪であり侮辱罪であり自殺幇助罪であり威力業務妨害罪である。

それを施設入所者や生活保護受給者は絶対に許すべきではない。
又、それらの方々に対する誹謗中傷に対しても断固泣き寝入りはすべきではない。

我が元にはそれが原因でお心を病まれた方も多く来院されている。
そういう場合は法律家を立ててきちんと法的措置を取り謝罪乃至法的罰則を課している。

生活保護受給者、施設入所者及び被災者方々は社会的弱者ではない。
国民の一人であり、日本を支える礎の大切な一人である。

彼らを社会的弱者と位置づけ愚弄の限りを尽くす輩は絶対に許さない。
社会的に制裁を加え二度と減らず口を叩けなくする所存である。

私の目が黒い内は、そして私の目の届く範囲にいる方々は私が守る。
それを肝に銘じておいて戴きたい。

今日はかなり立腹モードで書いています。

2013年6月20日木曜日

某岩手県議会議員の蛮行に対する政府の無策について常態行動心理学的に斬る!


リライト三度目の正直で今度こそ全部書き終えたいと切に願う物である。

今回の某岩手県議会議員の暴走事件について私なりに思う所を述べて見たいと思う。

今回の炎上事件を受けて政府はネット選挙も踏まえ炎上に対する規制をする方針である。

されど原因を作ったのは岩手県議会議員でありネットを炎上させた側ではない。

これは明らかな責任転嫁であり、事実を捻じ曲げた捏造である。

氏の蛮行は”侮辱罪”であり”威力業務妨害”であり”脅迫罪”である。

病院側が提訴しなかったのは病院側の良識的判断があったからだと思う。

それをさも”自分が勝ったのだ”という風に勘違いをしブログに書き込んだが故の失敗。

自らの身の丈を見誤ったが故の愚行というべきであろう。

政府は身内が問題を起こすと大抵法改正を行い身内を庇う傾向にある。

真に正すべきは炎上させた側ではなく炎上する原因を作った側にある。

これでは責任転嫁であり、責任の所在のすり替えに他ならない。

ネット選挙を踏まえて等は口実で身内の恥を晒したくないだけと思われても止む無し。

今回の事件の一番の原因は”ネット病”に侵された一県議会議員の悲劇(喜劇?)である。

例えばFacebookを例にとってご説明しよう。

Facebookでは友達になりたい人に”友達申請”を出して”友達になって下さい”と言う。

相手はそれを受けて必要であれば承認し不必要と感じれば拒否、或いは通報が出来る。

されどこの初期段階において既に大きな問題が一つある、それは通報制度。

例えば何度蹴っても申請が山のように来るならば通報してもやむなしである。

されどたった一回でも”通報”は可能でありそれによる減点はとても大きい。

中には組織的に”減点加点”させFacebookから追い出そうとする悪質な集団もある。

更に不必要と思えば相手に何の許諾も得ず”友録解除”がこれまた可能となっている。

例えば古くからのお付き合いでFB加入当時からの友人が居たとする。

その人から何の連絡もなく一方的に突然友録解除を受けたとする。

解除された相手は訳がわからず”何故解除されたのか?”と尋ねる

すると大抵”最近交流がなくなったから”というのが理由の上位に上がる。

これも大きな矛盾の一つである、これは先に述べた県議会議員とやっている事は同じ。

つまり”貴方の方から来て下さい、私は行きませんから”というのと同じである。

私から言わせれば”何様?”であり、そして大抵そういう方は肩書持ちに多い。

”肩書”は免罪符ではない、”肩書”は”肩書”以上の価値はなくそれは”印籠”でもない。

それを”錦の御旗”の如く振りかざし相手から交流がないからとバッサリと切り捨てる。

そういう人間は例え”肩書き”があってもその”肩書き”はゴミ屑同然の価値しかない。

そういう人間は社員も可愛がらず無遠慮にリストラしリストラされた社員の恨みを買い下手をすれば命を狙われるのが妥当であろう。

私はそういう人間を激しく嫌悪し軽蔑する。

”人”と言う文字は”互いが支え合う”形をとっている。

”人”が”人”たり得る為には”互いに支え合い、助け合う”事が大事なのである。

”最近交流がないからヘルプ来たけどシカト”ではそれでは”人”たり得ずである。

”困っている時はお互い様”で助け合いの精神で日本人は歴史を築いてきた筈である。

それが外国文化の流入に伴い”助け合い精神”が徐々に薄れ始めている。

日本人のアイデンティティの一つが失われようとしている。

我々はその”失われつつある日本人のアイデンティティ”を守る努力を続けている。

これからも”先ず人ありき”という血の通ったお付き合いを心掛けたいと思う。

それが私という一人の人間の生き様であり存在意義だと思っている

やた!今度は最後迄書けたぞw

呼吸器系疾患を持つ人の梅雨時期の対策について常態行動心理学的に解析す



私は咽喉頭の持病持ちで随分長い間、上気道炎という病に苦しんでいる。

特に今年は普段冬場に発症する物が珍しく夏場に発症し咳が止まらず難儀をしている。

言葉を使う事を生業としている者にとっては咳が出て言葉が出ないのは致命的。

故に病院処方の漢方薬やのど飴、喉を潤す飲料水は必須である。

所がこれが梅雨時期となると少しその様相が変わってくる。

喘息系等呼吸器系疾患の場合、加湿器等で喉を湿らせる事が大事だと言われている。

なるほど、空気の乾燥は咳を出やすくするし湿らせておけばそれも抑えられる。

されど梅雨時期は寧ろ加湿器よりも除湿機の方が喉には良いようである。

喉に一番良いのは”適度な湿潤”これは床ずれ等の皮膚疾患にも同じ事が言える。

皮膚という物は乾燥しすぎると切れるし濡れすぎると今度は滑って皮膚が裂ける。

適度な湿潤だと湿り気はあるけれど濡れすぎず皮膚を乾燥から守り保護してくれる。

実は同じ事が喉にも言えるのである。

喉も濡れすぎると水を飲んだ時気管に誤飲して咳き込むのと同じ状態になる。

加湿器の湿り気と梅雨の湿り気により湿度が必要以上に高まると喉は咳が出やすくなる。

故に梅雨時期は加湿器よりも除湿機で除湿し湿度を落とした方が喉への負担は軽い。

これは今日自分自身を実験体として実験した結果による物である。

勿論個人差があるので全ての人に当てはまるとはいうつもりはない

されどそういうやり方も一つ覚えておけば呼吸器系疾患の人の一助となると思う。

何事も知っておく事に間違いはない、脳の片隅にでも記憶しておいて下されば幸甚です。

2013年6月19日水曜日

幸福の心理学〜或いは自分思いは他者思いの心理学



『自分思い』は『他人思い』である。

『自己犠牲』は『他者犠牲』である。

日本人は地理的状況から『自己犠牲』の精神を尊んできた。
『切腹』しかり『特攻隊』しかり。

確かに彼らは今も歴史に名を残し英雄として称えられている、他人には。

されどお身内は如何だろうか?

沖縄で家族が戦争によって全滅した数は本土の比ではない。

戦後50年以上が経過した今でもご遺族の方々の悲しみが癒える事はない。

悲しみは新たな悲しみを生むだけで有り生産性はありません。

我が元にも”家庭の為””子供の為”と”自己犠牲”を尊ぶ方々が訪れます。
されどその方々に”自分自身を生きなさい”と私は皆進言差し上げています。

社会的規範に則って無くても人道的に正しくなくても”貴方自身”を生きなさいと。

それが法的違法性を持っている物でない限り私は”自分自身を生きる”事を勧めている。

中には配偶者から非難を受け、告訴される場合も少なくありません

されど我々はそういう方々に何時も申し上げて居る事が有ります。

”事が起こってそれを改善しようと努力をする事は誰でもできます

誰でもできるという事は家族じゃなくても出来るという事です。

されば家族とは何か?それは他人には出来ない事ができる存在の事を指します。

確かに社会的規範に当てはまれば配偶者の行動は尊ばれる物ではないでしょう。

日本の古くからの貞操主義的観点から言えば非難されるべき行動かも知れません。

されど何も問題がなく他者へ気持ちが移る事があるでしょうか?

完全に満たされている人間が目移りがするでしょうか?

目移りが生じた時点で目の前にある存在よりもその向こうの存在に魅力や価値を見出した。

それは何故か?

”家族だから”という理由で”頑張る事を放棄”したからに相違ありません。

我々は付き合って10年になりまずが双方共一度も浮気をした事が有りません。

それは互いの存在に満足し他へ目移りしないから。

されど”水鳥は優雅に泳いでいるように見せて実は水面下で一生懸命足をばたつかせている”の例え通り、何もしないで10年が過ぎた訳ではありません。

お互い相手に自分の方向へ向いて貰えるよう並々ならぬ努力をしてきたからです。

どうすれば自分の方向を向いてくれるかを常、研究しそれを実行に移してきたからです。

貴方は配偶者に対してちゃんと向き合い自分に向いてくれるような努力をされましたか?

経年と共に相手を慮り相手をちゃんと愛するという事を忘れていたのではないですか?

ご自身の不努力を棚に上げて配偶者だけを一方的に責める事は間違いです。

本当に別れたくないならばそれ以前にもっと改善すべき事は沢山あった筈です。

配偶者は所有物じゃない、血の通った人間です。

貴方が所有者意識を振りかざす限り何度連れ戻しても同じ事を繰り返すでしょう。

それは貴方自身が招いた失態だからです”と。

此処まで一気に捲し立て後は相手の出方を待ちます。

大抵は打ちのめされてトボトボと部屋を後にします。

その後頑張って復縁したケースもありますし崩壊したケースもあります。

それは双方の考え方でありその事に関しては私は一切関知をしません。

私はセラピストとして同胞の”生きる権利”を守る事が仕事です。

”生きる権利”とは”衣食住”が揃っている事ではなく”幸福を感じる生き方をする権利”の事を指します。

そしてこれは”基本的人権”にも明記されている事です。

我々は”憲法の条文”に従って行動をとっているだけです。

これからも我々は同胞の”生きる権利獲得”に全力を注いで行きます。

一度きりの人生を謳歌させる為に。

2013年6月18日火曜日

常態行動心理学的『気持ちの伝え方講座』或いは『伝える側』から『伝えられる側』になる為に必要な事とは?


本当に相手に自分の気持ちを『伝えたい人』になりたいのならば相手から自分に『伝えられる人』になるべきです。

人と人との関係は一方通行ではなく双方向。

つまり『一方的に伝えるばかり』では『伝えたい人』にはなれません。

本当に『伝えたい人』になりたいなら『伝えられる人』になる事が必要ですね。

その為に必要な事は『多面的存在の自己』を知る事が必要不可欠です。

『伝えられる自分』を知らずして『伝える人』にはなれません。

そして『伝えられる自分』は一つではありません。

何故なら『伝え方の分だけ自分』が存在しているからです。

伝える人、伝える状況、伝える時期、伝える時の心の状態により『伝える自分』は全て別人です。

それを認識せずに『伝えて』も実際中々相手には『伝えられる自分』は見せられません。

どう伝えたら良いか?どの自分で伝えたら良いのか?それを知る事が大事なのです。

それを知る事ができれば今度は相手の事をちゃんと見れるようになります。

何故ならば自分も他人も同じ人間だからです、自己を知る事は他者を知る事に同じです。

つまり自己の多面性を探求する事は相手の多面性を知る事にも繋がります。

するとこちらから一方的に『伝える人』になるだけでなく『伝えられる人』になる事も可能となってきます。

我々は『伝え方講座』としてテクニックだけではなくそれを伝える主体である自分を深く知る事でその成功例を上げる努力をしています。その事で『伝える人』から『伝えられる人』へレベルアップさせ『伝えられる人になれる喜び』をお与えしています。

これはセミナー形式ではなくメール等のセルフセッションで行っています。

何故なら万が一『伝えたい人』が被った場合とんでもない結果を生む場合もあるからw

実際過去においてセミナー形式でやっていた際二人の女性が同じ男性を好きになり同じ会場にきていたというケースがありました。

もう会場はさながら戦場のようなピリピリした空気で他の参加者が逃げ出す程でしたw

それだけ内容的に濃かったとも言えますが兎に角この二人のライバル心は半端なかった。

ターゲットが同じなれば得られる結果は一つなので必然的に勝者と敗者に分かれます。

それだとセミナーを開いた意味がなくなるのでターゲットを変えるよう誘導しました。

何とかターゲット変更に成功し分裂の危機を脱する事は出来ました

されど二度とあのような悲劇は繰り返したくないのでそれ以降個別対応としました。

”落としたい人”が居る人は一度セッションを受けられては如何ですか?

初回は無料なのでどしどし御応募お待ちしております。

希望者はメッセにて希望日時を三つ程明記してお知らせ下さい。

貴方の本気を実らせましょう、そのお手伝い我々がさせて戴きます

2013年6月16日日曜日

『弱音を吐けない』事と『弱音を吐かない』事は同義ではない常態行動心理学的根拠


『弱音ネタ』が意外にも反響が大きかったので調子こいて『弱音ネタ』をもう一つ。

多くの方が誤解をしている事があります。

それは『弱音を吐かない』事と『弱音を吐けない』事は同じではないという事です。

そして『弱音を吐かない』とする多くの人が実は『弱音を吐けない』人であるという事。

その事に自覚がある人は未だ救いがあるのですがその自覚がない人が実は一番怖い。

例えば『無痛症』という難病があります、全ての痛みを感じないという病です。

骨折しても皮膚を切っても一切の”痛み”を感じないという人です。

神経系の病気ですが『弱音を吐けない』人は上記難病に匹敵する怖さが有ります。

つまり過去に於いて余りにも過酷過ぎる現実が長く続いてしまったが故に『弱音』を感じる感覚が麻痺をしているという事です。

これは生物学的な『リミットブレイク』平たく言えば『脳内麻薬垂れ流し状態』です。

脳は神経的に疲弊していてもそれを感知する場所が麻痺しているのでそれを感じない。

されどそれは疲弊していないのではなく疲弊を感じていないだけです。

そのまま放置すれば疲弊度が限界値を超えそれは廃人を意味します。

体は丈夫でも心が壊れてるのでそれは『生ける屍』とおなじ、生きているとはいえない。

勿論そういう人に人は寄り付かずどんどん人は去って行きます。

その現実から目を背ける為にどんどん『麻痺』の度合いは増して行きます。

そういう場合どうするか?我々は『心の痛み』をお与えする事でそれを回避しています。

どんな『麻痺』をした人間でも必ず一箇所だけ『麻痺していない場所』が存在します。

我々はその『心の泣き所』を突き『痛みを感じる自分』に気づかせます。

そしてその事を”肯定”させ”麻痺状態”を徐々に解いて行きます。

結構長期の治療となりますがそれでも我々はそれを厭わない。
辛抱強く同胞に寄り添いその作業を進めて行きます。

全ての治療が終わった同胞の顔は生き生きと輝き感情豊かな人になっています。

その瞬間に出会う為に我々は日夜戦い続けているのです。

弱音を吐ける人が弱音を吐く必要が無い常態行動心理学的根拠


弱音を吐ける人は大丈夫です。

本当に弱っている人は弱音を吐ける余力すら残っていません。

我が元に来られる人の多くは弱音すら吐けず無表情な人ばかりです

弱音を吐けるという事は弱音を吐ける余力がまだ残されているという事です。

先ずは其処に目を向けて見て下さい、”私には弱音を吐ける余力がまだ残されている”と。

そう思えると何故か気力が湧いてきます、気力とは実はそういう所に眠って居ます。

日本人の古くからの間違った根性論では”弱音”は吐いてはいけない事になっています。

特に男子は、されどそれは大きな間違いです。

弱音を吐く事を禁止し弱音を吐けなくすると本当に余力がなくなります。

そうなったら出せる実力も本当に出せなくなります。

それを無理に出そうとすればする程その事自体を嫌悪しやる気が無くなります。

本当に根性を出させたいならば”弱音”はどんどん吐かせるべきです。

そして”弱音を吐ける自分”を認識させ、其処から底力、余力を出させるべきです。

2013年6月15日土曜日

『熱射病の常態行動心理学的発症理由とその改善方法について』


図らずも今日自分自身で”常態行動”の恐ろしさを我が身でもって体験する事となった。
前述した通り今日は博多駅で18:30に無差別殺人が行われる旨の連絡を事前に受けた状態での来福であり通常の精神状態よりかかなり緊張した状態での来福となった。

その緊張を和らげようとアイスコーヒーと黒糖スティックを車内販売で購入し口にしたのが実はヤバかったw

朝飯を食べて未だ時間が経過せぬ内に次の食物を胃に流しこんだ為に胃壁が荒れた。

加えて湿度80%以上気温30℃以上の中をみずほ銀行求めて右往左往w

勿論日傘なんてお洒落なものを持つ筈もないw

これだけでも既に熱中症に罹患する条件は十分過ぎる位揃っていた

されど実はその状態に拍車を掛けたのが”五感情報”であった。

山口と福岡天神とでは得られる五感情報が全然違う。

しかも全員汗をふきふき一様に暑そうな顔をしている(実際に暑いのだがw)。

目に入る人の多さ、人の顔、鼻腔を擽る匂い、肌で感じる空気の違い、耳から入る騒音の声、そして味わう食事、その全てが当然日常生活の物とは全くかけ離れている。

以前はそれでも週1で通っていたので割と”常態化”し易く寧ろ”帰郷感覚”だったw

されどガス壊疽罹患後家族や愛方からの静止が有り月一すら行けぬ状態になった。

そうなると脳は直ぐに以前の情報を忘れ日常生活で得られる五感情報を常とする。

結果今日の様に暑さと湿度が加わり余計熱中症に罹患しやすくなるのだ。

熱中症は勿論熱が主体だがそれに罹患する過程は実は様々であり五感情報は重要要素。

逆を言えば熱中症に罹患しても五感情報が普段と変わらぬ場所の場合罹患率は低い。

されど全く普段訪れない場所だと余計五感情報入手にて惑い脳が誤動作を起こしやすい。

結果熱中症もより重篤な物となると言う訳である。

私自身今日行った対策法としては上記の事を常、頭に叩き込んで置くこと。

つまり此処は普段の日常生活の場所とは違う場所であり得られる五感情報が全く異なる場所である事を心で先ず認める事。

すると、脳はそれを認識し情報収集の方へ切り替え前情報との誤差を気にしなくなる。

その事により熱射病の罹患程度を若干抑える事が出来る。

気をつけて欲しいのは飽く迄”若干”の修正であり大幅な修正ではないという事。

つまり”熱射病”の元が”熱”である限り”放熱場所は罹患場所”という原理は変わらない。

中にはそれで”熱中症自体を罹患しない”と勘違いしてくれる楽しい人もいるw

されどそれは不可能なのでこまめな水分補給と避熱対策は万全にw

2013年6月14日金曜日

存在美の心理学〜或いは”綺麗”が存在しない常態行動心理学的根拠


”私、綺麗じゃないから…”と彼女は言う。

”ふむ、なら君の考える綺麗って何?”と私は問う。

一瞬の間が空く、私は其処に畳み掛ける。

”ほらね?直ぐに答えが出ない。それが君の答えさ”

私は即座に返す。

彼女の頭の中に恐らく幾つもの???が浮かんでいるに違いない、私はそう確信した。

”綺麗な人なんていない、逆を言えば不細工な人も存在しないだよ”私は言う。

”だって…”そう言い掛けた彼女の言葉を遮り私は続ける。

”人は生まれ持った美を持っている、それこそが”存在美”という奴。

其処に存在しているだけで美しい。

花にも色々な種類があるけれど其処に存在しているだけで美しいでしょ?それと同じさ。”

彼女の目から涙が溢れ出す。

”貴女は貴女が其処に存在しているだけで充分すぎる位美しい存在

それは私が知っています。

他の誰もがそれを否定しても私はずっと肯定し続ける。

そうすると不思議な物で否定派が肯定派に変わっていく。

それは何故か?

多勢に無勢が逆に作用する事もあるからです。

多数決の論理で言えば意見が多い方が正しいとなる。

多くの人は他の大多数の意見の方が正しいとしそちらへ移動する。

されどその事自体が正しくない事を証明している。

本当に正しい事は数で決まるんじゃない、中身で決まる。

数で決まるんなら数を揃えればいい。

されどその中で正しさを証明できる人は極少数。

されどその中のたった一人の反対派はそれが反対である明確な理由を明らかにできる自信を持っている。

なればこそ一人でも反対派になれる。

人間はそういう存在に弱い。だから最初は賛成派でも徐々に反対派に鞍替えしてくる。

結果反対派の方が勝利する事がある。

私は私の正しさに絶対的な自信を持っている。

そうじゃなきゃこの仕事ばかり馬鹿みたいに続けられやしませんよ”。

彼女はその美貌故に幼少期から友達は愚か身内に迄蔑まれ自らをブスと思い込んで来た。

それ故に彼氏が出来ても体目的なんじゃないか?何か他の目的が?と懐疑的となり恋愛下手となる。

他の女性がどんどんカップルが成立する中自分だけが孤立していると感じそれが余計に心の病を深化させる結果となった。

此処へきて馬鹿親がやっと自らの愚行に気付き我が元へ娘を寄越したという訳。

自分達の愚行を棚に上げて。

私は洗脳には逆洗脳で対抗し見事洗脳解除、その後彼女はその美貌を活かしモデルに転身。

成功を収める。

掌を返したように身内がすり寄ってきたが一切シャットダウン。

今はモデルを廃業しママさんとして幸せな日々を送っている。

2013年6月13日木曜日

『ストーカーにナルシストが多い』常態行動心理学的根拠とその対策について


『ストーカーはナルシストが多い』と今日Yahooニュースで報じられていた。

我々から言わせて貰えば今頃?という感じを否めない。

ストーカーをする人間には実は相反する感情が同梱している双極性障害の人が多い。

つまり自分は愛して貰えないという面と愛されて当然とする面である。

自分に自信がなくアプローチも歪曲的では愛される筈はありません

されど何故かこういう人の中には”何故自分は愛されないのだ?愛されるべきなのに”というとんでもない勘違い野郎(女)が多いのも事実である。

そりゃそーでしょ、だって”粘着質”なんだもの。

”粘着質”の人は一般的に”対人粘着質”の方に重きをおかれてますがそれでは不十分。

実は”粘着質”の人は”自分自身”に対しても”並々ならぬ粘着質”を持っています。

つまり”ナルシスト”が多いという訳です。

”粘着質人間”というだけで実は”ナルシスト”が多いのが常態行動心理学的見方。

そういう人は”観察好き”で例えば人のウォールを具に観察し独り言を呟く人が多い。

或いは第三者に告げ口し”あの人おかしいよねぇ”的に同意を求める人が多い。

こういう人は自信がない人なので誰かに同意をして欲しい人達です

故に誰かを槍玉にあげて”自己存在感”を高めたい人達なのです。

されど”高めたい”という欲求がある時点で実はアウト。

それは自分の中で”低い”事を認めているからです。

解りやすい例を言えば天皇陛下に地位欲求がないのと同じです。

最初から地位がある人はそれ以上の地位を欲しません。

欲する人は対人的利害関係があり自らの地位を他者から貶められる可能性がある人のみ。

天皇陛下にはそういう人は存在しないのでそういう欲求がないのです。

されど総理大臣にはある、国の最高責任者ですが選挙で落選すれば”唯の人”ですから。

これが”時の権力者”と”真の実力者”の違いとも言えます。

閑話休題

そういうストーカーには自らの価値を自らによって高める方法
を示唆する。

その事で高まって行く存在価値を自覚させる、すると周りの反応も変わる。

それを更に自覚させ双極性障害を克服し、一つに統合する。

これは”双極性障害”や”解離性同一性障害”の治療にも有効な手段です。

上記治療に投薬治療は不要、投薬で治る病ではありません。

常態行動心理学的熱中症対策について


熱中症に於いて最も気をつけなくてはいけないのは太陽光ではなく太陽熱の方。

多くの人が太陽光を遮光すれば良いと考えておられるようですがそれはとても危険な考え方です。

例えば全身ガラス張りで冷房が効いた部屋などは危険区域の一つ。

そうでなくても頭や首や手等一部だけ太陽光に晒される場合も要注意です。

更に外回りの際、日陰を狙って移動されるのは良いですがその際気をつけなければいけないのは地熱。

特に革靴は熱の伝導率が高く、地熱を直接体に上げる効果が有ります。

ビルの影や木陰等一見すると太陽光が無く涼しく感じる場所が一番要注意。

地面を触って熱さを感じたら其処は安全区域ではありません。

更に外回りの人が気をつけたいのは温度差。

暑い所と寒い所を何度も移動したり、暑いからと大量に冷たい物を摂取する事も熱中症に罹患しやすい原因を作ります。

水分補給は大事ですがもっと大事なのはその取り方。水分を補給する場所はなるべく熱を受けない場所で飲む水分の水温と体が受ける温度差が無い物を選びましょう。

先人が夏でも熱い物を飲むというのはその意味においてとても理に叶って居ます。

つまり体外温度と体内温度を一緒にする事で脳の誤動作を防ぐ事をちゃんと経験的に知っておられるからです。

人間は恒温動物であり変化にとても弱い性質を持っています。

暑い場所からいきなり冷たい場所へ移動したり暑い場所でいきなり氷を口に含む行為は余計熱中症を酷くさせる要因となります。

先程地熱の話を差し上げましたが大人よりも子供の方がより地熱対策は必要です。

何故なら大人と比べ地熱を直接体に受けやすいからです。

大人でも背の高い人よりも背の低い人は同じく要注意です。

地熱を受け易いという事は熱中症に罹患しやすいという事です。

幼児はなるべく抱っこし背の低い人は厚底ブーツ等で地熱を受けにくくする事が大事です。

まだまだ夏はこれからです。

くれぐれも熱中症対策は万全にてお願いを申し上げます。

『詐欺行為の心理学〜或いは人の心の裏をかく心理学〜』


詐欺行為と言うと一般的には金銭を騙し取るイメージが強い。
おれおれ詐欺や最近では証券詐欺等年々その数は増加の一途を辿っている。

警視庁も特別捜査班を組織し詐欺師撲滅に全力を日夜注いでいる。

昔などは『赤詐欺師』等と性を売り物とする詐欺師迄居た始末である。

されど最近又、新たな『詐欺行為』が巷を騒がせているようである

『ネット情報詐欺』とでも呼ぶべきだろうか?

まだマスコミ等で正式名相の発表はないので敢えて私が命名させて貰った。

所謂”偽情報”を一斉に送信しそれを信じ込ませ”偽情報先の人間”を嵌めるやり方である。

実は私も嘗てこの被害に遇った者の一人である。

私の場合、猥褻な行為に及び同胞を陵辱したと言う物であった。

勿論事実無根でありそれは私を心から信頼する有志方々により誤解は見事解消された。

されどそれでその”偽情報”を信頼し我が元を去りその”偽情報”を更に広めた者もいる。

そのお陰で私は一度FB退会寸前に迄追い込まれた事すらある。

普通こういう自分にとってマイナスイメージに働く話は避けるのが常道である。

既に過去の事件であり冤罪であり普通は被害者本人がそれを触れる事はタブーである。

されど最近私と同じ様な被害に遭っているかもしれないという人をFB内で見つけた。

元友録さんで私も懇意にしていた方であった。

その方も私と同じ起業家であり私とは違い大きな会社の経営者であった。

氏の手腕を妬み氏を陥れようと画策する者は決して少なくないと考える。

私の時とケースが似ているのは決して表立って”偽情報”が流れない事である。

メッセやグループ内通知により”地下から情報が流布”されるケースである事。

そして何より大事なのは”正義感が強い人”の元へ配信されている事である。

”正義感が強い人”は”犯罪に対して異常に憎み過剰反応をする”という性質を持っている。

事の真偽を充分確かめず”偽情報”だけを信じてそれを知り合いにメッセで通達する。

実はこれこそが”偽情報発信者”の狙いである。

所謂”エロサイト詐欺”と同じで一斉送信すれば後は寝ていても情報は勝手に独り歩きし結果”潰したい相手”を見事潰してくれると言う訳である。

ではそういう被害に遭った場合どう対処すべきかのか?

一つには全く利害関係がない人間が”情報”の一つとして私のように”犯罪手口を公開”し、その中に”被害者名”も列記する事である。さらに大事なのは”正義感の強い人”にメッセで働きかけるというもの。

これは”洗脳”における”逆洗脳”を狙う効果である。

この場合、”心理学の専門家による心理学的分析結果”も付けるとより信憑性が増す。

”目には目を””偽情報には正情報”で対抗するのが一番である。

私自身が被害者経験が有る為にそれ以降同じ被害に遭う人の救済も行っている。

中には”騙されたフリ”をして情報を聞き出しそれを”公開”する場合も有る(笑)

『ネット情報詐欺』は立派な犯罪行為、それを知らず流した者も同罪である。

”正義感の暴走”により”犯罪者の片棒”を担ぐ事のないよう”情報の吟味”はお忘れなく。

2013年6月11日火曜日

『場の存在心理学〜或いは常態行動個別存在心理学』


人にはそれぞれその人にしかないテリトリーがある。

例えば古き良き時代ならば台所は母親のテリトリーであった。
書斎は父親のテリトリーで居間は家族団欒のテリトリーであった。

個室が一人一人にない時代は一つの部屋に何人もの人が同居する形をとっていた。
今も大家族や親戚が常、何らかの形で家にいる家庭などはそういう場合もある。

道具を長く使うと魂が宿ると言われているが実は場所にもそんな魂が宿る事がある。
台所に立つのが母親だけだったり書斎には父親以外誰も父が在室している時には入れないという事になるとその場所自体にその人の存在感と言う物を人は感じる傾向にある。

それが場の存在性という物である、平たくいえば”所有者意識の残存効果”という者。
利用者以外の侵入を利用者自身が強く拒んでいるとその”思い”が場にも残存する。

例えば父親が亡くなり遺品の整理で書斎に入る、されど何故か居心地の悪さを感じる。
それがこの”残存思念”という物の”存在感”という物である。

何もこれはスピリチュアルな超心理学的物でも何でもなく極めて心理学的な物である。

物と場所にはその人自身の存在感を強く感じるように人の脳は出来ている。
芸能人の私物オークションに多くの落札者が居る理由の一つがそれである。

勿論芸能人の私物を手に入れられたという優越感は生物学的に説明が充分つく。
されどもっと大切な事はその”存在感”の方である。

持ち主がその人にとって影響がある人である程”存在感”は強くなる。
故にそれを身につける事自体が”存在感”を感じる事その物になる。
或いは元の持ち主の存在感が時にそれを身につける人に移る事もある。

昔から代々受け継がれる”家宝”というのも実はそんな”権威の象徴的移譲性”による物。
これは天皇様から拝謁した物、或いは先祖が殿様より頂戴した物はそれ自体に”権威”がありそれを継承する事は”権威の移譲”をそのまま意味するからである。

所が孤食主義が幅を利かせ、個室主義が横行してくるとこの”場の存在感”は喪失傾向にありそれはそのままその個室の利用者の”権威の失墜”にも繋がる。

そしてそれは日本的な”家長制度”その物の崩壊をも意味し家自体の崩壊を招く。

古くからの間違った”家制度”自体は私は反対派である。
だが、古くから言い伝えられ守られてきた”伝統”迄も無くなる事は日本人としてのアイデンティティーの喪失に繋がると私は考えている。

”孤食主義””個室主義”が幅を利かせても”場の存在感”だけは残したいと願う一人である。

まぁかくいう私は今でも居間と台所はとても居心地が悪く自室が一番落ち着くのだがw

2013年6月9日日曜日

『常態行動言語心理学的依存行動を止められない本当の訳とは?』





依存行動とは例えば喫煙、飲酒、ギャンブル等毎日或いは規則的に行っている行動の事。

平たく言えば”依存症”である。

常態行動言語心理学的にいえばその行動自体が常態化されておりそれを行う事自体が”当たり前”となっておりそれを行わない行動を取ると脳が誤動作を起こしそれが違和感となって脳に伝わりその違和感を除去する為に又、依存行動に走るという悪循環になるという物。

減感作療法のように徐々に本数や回数を減らして行く方法が今の精神神経内科の主な治療法だし最近はそれらをやめさせるグッズ販売も多い。

されど実はこの依存行動に走るもう一つの要因がある。

それが周囲との関係性である。

毎日パチンコに行く、煙草を吸う、酒を飲む人の多くはそれをする他の人達との交流も大きな目的の一つ。

同じ場所へ移動し或いは同じ話題を共有する事で自らの存在意義を其処に見出しそれを生きる糧としている人も意外と少なくないのが現状である。

調べてみると現役バリバリの人よりも引退して時間を割と持て余している人の割合の方が多い事が解る。

エコノミックアニマルと揶揄される程高度経済成長期以降日本は諸外国に追いつき追い越せとばかり仕事に明け暮れていた。

それは”敗戦”という日本人にとって堪え難い苦痛を経験した者の言わば”最後の誇り”のような物がそれをさせていたのだと思う。

そしてその人達の”生来型遺伝子”が受け継がれ又、その人自身の”学習型遺伝子”が周囲に自分と同じ境遇の人と出会う事によりそれらの正しさを”学習”しそれが今の日本の繁栄の礎となっている

つまり日本人にとって”働く事”は即ち”生存証明”と同じ位置付けを持っていると言って良い。

昔からの諺にも”働かざる者食うべからず”という言葉もある。

働かない者は食う資格がないというそのまんまの意味だが武士階級の時代より日本人は働く事でアイデンティティーを確立してきたと言っても良いだろう。

故に体が弱く戦争に行けなかった男子は非国民とされ、又、生きて帰って来た者も身内以外からは白い目で見られていた現状がそれを物語っている。

そう言うお国柄で育ってきているので”働く事”というのが特に男達にとっては”生存証明”であり”勲章”であった。

今もそれは変わらない。

されど退職し復職も叶わず家庭での居場所もなくなった彼らにとって”同じ趣味を持つ仲間”は彼ら自身の”生きる糧”に等しくなる

毎日その場へ赴く、毎日同じ話題で盛り上がる、この”毎日”という言葉が実はキーワードである。

この”毎日”という言葉が常態行動を示しておりそれは仕事人間だった頃のルーティンワークと同じ意味合いを持つという事を示している。

その”依存行動”を急に止めるという事はその場の仲間から外れるという事を意味する。

それは即ち”アイデンティティーの喪失”にも等しい行為である。

それ故にそれを止める事を日本人は特に嫌がる傾向にある。

そういう方々にはそういう場よりももっと高いレベルの場を用意しそちらの有用性を高める事で嗜好性から段々と遠ざける方法がある

貴方のような立派な方があのような場に居ては貴方の過去の功績に傷が付きますと説得しそれがない新たな人脈作りに奔走する。

そしてその中に”社会的地位の高い人”を必ずグループの中にいれて置く事も大事。

こんな人が此処には居るんだ、自分もこんな人になりたいと思えば人の気持ちは案外簡単に変わる。

そして簡単に変われば嗜好性もこれまた意外と簡単に変わる物である。

こうして我々は凡ゆる依存症や依存行動脱却に務めている。

何も依存行動とは喫煙、飲酒、ギャンブル等に限らない。

痴漢や下着泥、ストーカー等の犯罪行為もその範疇である。

それらの抑止或いは改善にも我々は一定の成果を出している。

家族にそういう人がいる方、色々な犯罪被害者の方の救済も我々の大事な仕事の一つである。

2013年6月7日金曜日

子供さんにゲームや漫画を止めさせる常態行動心理学的方法


『過ぎたるは猶及ばざるが如し』何でもやり過ぎは体に毒です。

例えどんなに体に良いとされている行動でもやりすぎたら毒となります。

ゲームも漫画もそれ自体の存在は否定しませんし私も大好きですw

ゲームも漫画もそれ自体が教育材料になりますし心理学構築のネタにもなります。

事実それで心理学論文を書いた事もあります(笑)

今某大学病院で外科医をやっている某氏は嘗ての私の教え子でもあります。

漫画禁止令を出す親御さんに漫画から得られる知識の必要性を解き説得に成功。

その事に端を発し医学の道、取り分け心理学に興味を持ち医学部を受験。

紆余曲折を経て今は外科医をやっていますw

親御さんが目に悪いからとか、勉強しないからと言っていきなり漫画やゲームを取り上げる行為は私は親としての行動として余り適切とは思えません。

寧ろ一緒に漫画やゲームに興じその為におやつを買ってくるのを忘れたとか大好きな夕飯を買い逃したと嘯いてゲームや漫画のイメージダウンを狙う事をお勧めします。

子供は駄目と言われると余計それをしたくなり癇癪を起こしたり暴れたりします。

されどその行為により自らに不利益が掛かると不思議とそれ自体を止める傾向にある。

これは心理学的及び生物学的及び生態学的な嫌悪療法の一種であります。

依存症疾患の患者さんにも適応可能な方法の一つです。

ゲームをするのを止めない、漫画を読むのを止めないとお嘆きの親御さんはお試しあれ。

我が2000を超えるオリジナル心理学の一つ『常態行動リレーションシップ心理学』と経営コンサルタントとしての私のもう一つの顔について



『リレーションシップ常態行動心理学』とは『人間関係常態行動心理学』と訳され『関係心理学』の亜流である。

例えばこういうケース。
一見するとお馬鹿キャラを演じているA嬢。

一見するとクールで飄々としたイケメンを演じているB君。

二人は同じ職場に勤務し先輩後輩の間柄、女性が後輩、男性が先輩に当たる。

一見すると全く真逆に見える二人だが実は共通項がある。

それは”本当の顔を隠している”という事。

A嬢はお馬鹿キャラを演じる事でそれを隠しB君はクールキャラを演じる事でそれを隠している。

何故ではそれを隠さなければいけないのか?

そこにはそれなりの理由がある。

そしてそういう”共通属性”を持つ二人なので互いが互いを意識したとしても何ら不思議はない…私の目には。

彼女が配属されてきた当初B君は余り彼女の事を良くは思っていなかったようだ。

それは態度で解る。それはそうだろう。同じ種類の人間が目の前にいるという事は鏡が毎日側にいるのと同じなのである。そりゃあ鬱陶しい事この上ない。

されどそれも”常態化”してくると彼女の行動が自分の行動のチェックにもなるのだから有難い存在に段々となってくる。それが”陽性転移”に変わったとしてもこれ又、何ら不思議はない。されど彼と彼女の中身において勿論差異も沢山ある。

A嬢が自らを隠しているのは自らの持つ多面性を見誤っている事にある。

自らの多面性を自らが知っていればその多面体の内の一つを相手に応じて使い分ければ良いのだから”キャラを演じる”必要はない。

されど”多面的存在である自己”を知らずその数の多さに気づけなければ残された物を守ろうとするだろう。

そして”同属性”を持つ者が現れ”自らの内”を晒さずとも”見てくれる存在”が現れた時、”陽性転移”は起こる。

されどこれが実は悲劇の始まり。

”この人なら私の事を解ってくれる”というのと”この人しか私の事を理解してくれる人はいない”は実は同義である。つまりA嬢にとってはB君は”かけがえのない存在”なのである。

此処まではハッピーエンドに見えるが実はそうではない。

先も述べたように”自分の多面性を知らず自分に自信がない人”は”自分の中身を知り自分を解ってくれる人”を求めています。そしてそういう人の方が”所有欲”はより強くなります。

即ち彼氏の携帯をチェックしたり交友関係を洗ったり。
されどこういう人は自分に自信がない反面人からの干渉を酷く嫌う傾向に有ります。

何故なら自分に自信がないから自分の事を深く探って欲しくない。
好きになればなるほど自分の卑小価値を見られたくないからです。

所が相手はそれが解らずそれを知りたいと欲する、
相手はそれ故に見せたがらない。

二人の間に段々と深い溝が生じ始めます。

更に話をややこしくするのは彼ら彼女らの取り巻き。

一見おとぼけキャラと一見クールキャラですから二人のファンは少なからず居ます。

すると二人のファンからすると二人の関係は忌むべき物になります

そして互いのファンが何とか二人を別れさせ自分に目を向かせようと画策をします。

するとその場所全体に”負のオーラ”が発生し、その”負のオーラ”は周りに伝搬しそれが集客率を落とします。

結果売り上げが低迷し存続の危機を迎える事になります。

勿論当の本人や取り巻きはその事に気づく由も有りません。

『常態行動リレーションシップ心理学』はこのように例えば企業の営業不信が何処にあるかを多角的に分析しその原因を究明除去します。

売り上げが落ちたと嘆き商品開発や陳列、顧客情報を具に調べても原因が見つからない。

そういう時は案外”身内”にその原因がある場合も少なくありません。

私が経営コンサルタントとしてもある程度の実績を持っているのは実はこういう人とは少し異なる視点で以て御社の経営状況改善に努めているからなのです。

生まれながらのへそ曲がりですからw

アンチエイジング商品がアンチエイジング商品になっていない常態行動心理学的根拠


TV等で最近(でもないが)やたらと宣伝をしているシミそばかす等を目立たなくするカバーメイクや白髪染め等の”隠すアンチエイジング”は細胞の加齢速度を早める愚行である。

何故なら”隠す”という思考性自体がマイナス方向へ細胞を作用させ細胞の死滅速度を早めるからである。

本当にアンチエイジングをしたいと考えるなら”隠すアンチエイジング”ではなく”魅せるアンチエイジング”にするべし。

と言うか常態行動心理学的には”アンチエイジング”という考え方自体に誤りがあると思う。”エイジング”は”減る”物ではなく”増える”物である。”加齢”と共に”艶”や”深み”や”厚み”が増えて行く物であり”減退”して行くものではない。

細胞は加齢と共に再生速度は遅くなるがそれは必要な場所に必要な再生力を与える為でありそれと”衰え”とは無関係である。

誇大広告に騙されないようご用心w

大人が子供に出来る事とは?


大人が子供にできる事。

それは住みやすい未来を作る事だけではないと思う。

今の世の中どう転がっても住みやすい未来が待っているとは思えない。

子供に夢や希望を与える事は大事だけれど幻想を抱かせてはいけないと思う。

原発事故の問題を子供世代に残すまいと一生懸命尽力される事は大事。

されど事の重大さを子に伝えそれを繰り返さないよう目の前の危機を残す事も大事である。

『可愛い子には旅をさせよ』という言葉はその旅の中で艱難辛苦を学びそれを克服する力を自らが得る為だと私は思う。

私も肢体不自由者として生を受け数年前ガス壊疽に罹患し更にハンディーは増えました。

されどその分多くの学びや生きる糧も新たに得る事が出来ました。

ガス壊疽に罹患しなければ出会わなかった人達や得られなかったスキルも有ります。

『人事が万事塞翁が馬』

何が幸いし何が災いするかはその人次第です。

一見災いに見える事でも幸いな事もあります。

一見幸いに見える事でも災いに転じる事もあります。

我々大人が次世代の子供に出来る事は生きる力を与える事だと思っています。

そして心理職としても同胞に生きる力を御与えする事だと信じています。