2013年8月30日金曜日

"家族を守る"常態行動心理学的方法

"家族"を守る守り方にセオリーは無いというのが持論。

例えばそれが反社会的行為でも一面的倫理観に反して居てもよしんば違法行為でも"家族"を守る事が人間が本来持つ生物学的生存本能で有る。

例えば家に賊が押し入り家族の命が危険に晒されたとして貴方ならどうしますか?

警察に通報して賊から逃げ回りますか?
もし追い詰められたら?
もし家族を人質にとられたら?

私なら迷わず族の命を奪います。

過剰防衛と言われようが反社会的行為と言われようが犯罪者と罵られても"家族"を失う悲しみに比べたらどんな非難にも苦痛にも耐えられます。

私の元にもそういう"危機的状況"に陥った家族の構成員が多く来訪される。

今迄優しかった配偶者がひょんなきっかけで暴走し凶暴化したケース。
真面目で優しい人だけど自分に対する愛情を全く感じないケース。
本当の自分を家庭でも出せず職場でしか本当の自分に戻れないケース。

中にはそれが過剰なストレスとなり早期閉経となった人もいる。
まだ40代、今から幾らでも花を咲かせる年代で有るにも関わらずで有る。

特に今夏の暑さは尋常ではなくそれにより生物学的な種の保存法則に則って生理が大幅に遅れ生理不順となりホルモンバランスを崩しお心を煩われた方がとても多い年であった。

そう言う方には季節性疲労が原因の一時的な生命維持目的の為の閉経で有り気候が安定したら元に戻る旨を説明申し上げ溜飲を下げさせている。

そして一番の原因で有る"配偶者問題"に関しては配偶者を変えるよう御指導を差し上げている。籠の中の鳥状態で体は自由でも心が縛り付けられて居たらそれは籠の中の鳥と同じ。

そしてその窮屈さを同じ場を構成する"お子さん"も感じているという事を忘れないで戴きたい。

人間がストレスを感じた時に血中に流出される毒素は河豚毒と呼ばれているテトロドトキシンの数十倍と言われている。

つまり自分一人が抱えている窮屈さを我慢し続けて居たらお子さんの寿命迄縮めてしまう事を心に留め置いて戴きたい。

"家族を守る"のが親の務めだとするならばお子さんの為に我慢する事だけが"家族を守る"道では無い。

真に"家族を守りたい"ならば"家族の再構築"も又、必要で有る。

その為の方法なら幾らでもお示しします。
どうか身勝手な我慢で家族の命を危険に晒さないで下さい。

貴方一人が耐えて済む問題では無い事を自覚して下さい。
私が必ず状況改善して見せます。

それが専門家としての誇りだから。

2013年8月28日水曜日

なりすましを見破る常態行動心理学的方法

『なりすまし』被害者が後を絶たないが『なりすまし』を見破る方法は案外簡単である。

先ずなりすました相手が外国人ならグラマー(文法)に整合性がなく日本人的文法的扱いが不慣れな点。

異性に化けるなりすましは元の性がなりすました性と事なっている為にそれを隠す為に前面に異性である部分を強調し自分がなりすました性で有る事を写メや口調で強調する。しかしそれをすればする程それを行っている人間の心は生物学的な元の性を強く求めるようになり一寸した言葉の使い方に自らの元の性を覗かせる。

業者がなりすましている場合は大抵文章に定型型(雛型)が有り、言葉の個々人に対する個別対応が少なく語彙も少ない。大抵このてはbotと呼ばれる物を使用しているケースが多く回答に対する幅が狭く同じ回答をする確率が高い。

以上の事を心に留め置いて戴くだけでなりすまし被害に遭う確率は格段に減る。
されどもっと簡単に見抜く方法も有るんですけどねw

それはここでは書けないのでお知りになりたい方はメッセでw
ミスミス敵に秘策は教えられませんからw

被災地におけるケアが必要なのは被災者だけではない常態行動心理学的根拠

夏の終わり、秋の始まりは台風シーズンの始まりでもあります。

山口も今週末には台風接近に伴い風雨が強まる予感。

今年は山口を含め全国各地で豪雨災害により大勢の方が被害に遭われて居ます。

山口も山口、島根両県の豪雨災害に対する義援金を募集しています

又、私も阪神淡路大震災及び東日本大震災時メンタルスタッフとして被災者のメンタルケアを行いましたが今回の豪雨災害に遭われた方々のメンタルケアにも又、出向きたいと思います。

日本では割と軽視されているというか人手不足で其処迄手が回らないのか被災された方々へのメンタルケアは手厚く行われますがそれを支えるボランティアスタッフのメンタルケアは軽視され根性論とボランティア スピリッツを求められます。

されど被災された方々を救う縁の下の力持ちの存在を確立せずして被災された方々をお救いする事は叶いません。

被災された方々をお救いする事も大事ですがそれを陰で支える方々の健康やメンタルケアもそれと同じくらい大事です。

被災された方々は御不自由な環境の中での生活を強いられ心身共に疲弊されておられます。

されどその場で懸命な救命作業や援助活動をされる方々も又、同じ場に居て同じ苦しみを一時的とは言え共有している事を忘れないで戴きたい。

昨日も島根、山口豪雨災害でご苦労をされ今もご苦労をされている駅鉄道管理部の上層部の方のメンタルケアを差し上げました。

短い時間でしたがとても喜ばれておいででした。

どうか被災された方々だけでなく其処で活動されるスタッフの事も少しお心に留めて置いて上げて下さい。

今日も元気に頑張りましょう。

2013年8月26日月曜日

常態行動心理学的メンタルリバウンドの傾向と対策について

セラピーを継続していると必ず誰もがぶつかる壁がある。
それは常態化による抵抗。

それは元が負から始まっていて今は変わろうとしている事が原因。

元が負から始まっておらず正から始まっているなら悩みは生まれず我が門を叩く必要も有りません。

元が負から始まっているからこそそれを正そうとして皆我が門を叩くのですから。

意識は変わろうとしているのに心(無意識)が変わろうとする事を拒否っているからです。

何故拒否るのか? 

それはダイエットにおけるリバウンドに同じ。
以前の状態が常態化している事が原因です。

人間は恒温動物であり変化にとても弱い。
故に変化にとても敏感に反応し現状維持をしようとする。

花粉症等のアレルギー反応が其の好例。

閑話休題

故にセラピーが進行中は其の過去の常態化を外し新たな常態化を作っている段階なので心は元に戻ろうと拒否るので痛みは伴います。

されど其の痛みこそが変わりつつある証。

何故ならそれが過去の常態化に対する抵抗行動でそれがダイエットにおけるリバウンド効果になっているから。

ダイエットしなければリバウンドはありません。
抵抗しなければ苦しみもない。

苦しみがある事自体が変わりつつある証です。
それを確信させ変えさせるのが私の仕事です。

私が関わった限りは必ずどんな悪しき常態化も解いて見せます。
だから共に痛みと戦いましょう。

貴方だけに荷はおわせない。

2013年8月25日日曜日

常態行動心理学的晩夏の体調管理について


今日何時もの様に冷蔵庫からコーヒーを出したらCUPの表面に薄氷が張っており冷蔵レベルを中に落としました。

昨夜も普段付けっ放しの冷房をOFFにしました。

まだまだ昼間の暑さはまだまだ尋常ならざる物ですが朝晩の寒さはめっきり秋めいて参りました。

こうなると季節性疲労に罹患しやすくなります。

脳はまだ夏を意識してますが五感は秋を感じ始めています。

この時期が風邪を引いたり内臓を壊したりしやすい時期です。

脳に騙されず体に体調を合わせる努力をする事で季節性疲労はかなり軽減されます。

何時迄も頭を夏モードのままにせずそろそろ秋にシフトチェンジも必要かもしれませんね。

脳も季節を先取りです。

今日も元気に頑張りましょう。

常態行動心理学的夏季胃部不快感対策について


最近私を含めて胃が悪い人が増えている。

其の原因の多くは水分摂取過多による胃液の希釈と飲み物自体の成分的な衝突が原因の一つに挙げられる。


対策としては遮熱をする事と数種類の水分を短時間で飲ま無い事。
胃に負担をもっともかけるのは一気飲みです。

量ではありません。

腎臓の瞬間解毒量を超えた水分摂取が問題です。
回数を分ければ無問題です。



まあ実際はこう暑いとそうも言ってられないんですけどねw

2013年8月24日土曜日

常態行動心理学的夏季夫婦問題解決法


今日一日だけで配偶者問題を5件こなしました。
季節性疲労も手伝い今夏の夫婦問題解決以来は尋常ならざる数で有り、
明日も予約で一杯である。
多くの親御さんが"子供の為に子供が成長する迄は耐えます"という。
されど私は子供の為に親が我慢する姿勢を見せる事には断固反対です。
親が自分の為に耐えてくれている事に気づかない子供は居ません。
子供はちゃんと気づいて居ます。
されど現状では自分は何も出来ない。
其の子供の無力感敗北感は親の想像を遥かに超えて居ます。
そして其れを見て育った子供は言いたくても我慢する子になり、或いは無気力症候群となり、いつか我慢の限界が来て大爆発を起こします。
今の非行の大半の家庭がそう言う家庭が多いのです。
そうなる前に対処すべきです。
場の持つ依存性を軽視してはなりません。
場の構成員が幸せにならずして其の構成員たる子供が幸せになる筈が有りません。
真に子供の事を思うなら場を維持する事では無く場を変える決断をすべきです。
私は夫婦問題解決カウンセラーでも有ります。
必ず問題解決に導いて見せます。
本当に子供の幸せを願うなら我慢しては駄目です。

2013年8月23日金曜日

夏季皮膚トラブルの常態行動心理学的傾向と対策について


夏の時期の皮膚トラブルの多くは異常な外気温により体内水分の多くが内臓機能維持に回され皮下組織に迄浸透しない事と幾ら水分摂取をしても上皮乾燥を防ぐ汗に変わり体内に迄十分な水分が達せず皮下細胞が摩擦を起こしそれで皮膚トラブルを起こす人が多いのです。

勿論夏の尋常ならざる暑さによる人々の苛立ちが伝搬しそれが更なるストレスを産む原因ともなって居ます。

とにかくなるべく涼しい場所で且つ湿度が高い場所で人が密集していない場所を自分なりに確保する事が大切です。

都会では難しいかもしれませんが木陰や洞窟がお勧めです。

それが困難な場合は地下に潜るのも方法の一つです。

兎に角遮光と遮熱を心がけて下さい。

それと朝晩の寒暖差が徐々に広がりつつあるので夜の防寒対策もお忘れ無く。

2013年8月22日木曜日

カレーを食べても記憶力増強にならない常態行動心理学的根拠

先日某TV番組で『カレーを食べると記憶力が増す、食べ続けると記憶時間が長くなる』というTV公開実験が行われ”専門家”立会いの元、見事”裏スター”が長期記憶の挑戦に成功し会場を湧かせた。

いやぁ、素晴らしい”プロパガンダ”だと拍手喝采である。

提供元がカレー会社及び米飯会社なのかな?
夏という事とこれから受験シーズン且つ夏期講習中も手伝って翌日からカレーが飛ぶように売れたであろう。

だが、これは”嘘”である、正確には”カレーを食べなくても記憶力を増す長期記憶をつける方法”はあります。

先ず何故カレーを食べたら記憶力を増したか、その説明を差し上げましょう。
その原因は香辛料にあります、香辛料による”刺激”が脳の”シナプスの伝達速度”を一時的に上げそれで”記憶力増強”になったと”勘違い”をされているのです。

つまり大事なのは”香辛料”ではなくそれによる”刺激”事態が大事なのです。

次に”長期記憶”の方、これはもう”常態行動心理学”の真骨頂です。
つまり”刺激と反応”という心理学における基本と考え方と同じ関係にあります。

つまり脳が”カレーを食べる(刺激)””記憶力がます(反応)”という風に覚えます。
するとカレーを食べると脳のシナプスの伝達速度が一時的に上がると言う訳です。

されど実はこれには大きな落とし穴があります。

それは”常態化”つまり”刺激に対する慢性化”です。
一定の刺激を与え続けると脳は刺激に対して抵抗力をつけ刺激に反応しなくなります。
すると人間はもっと強い刺激を欲するようになります。

されど今度はそれをすると内臓を痛める結果に繋がります。
故に何事も程々が一番だという事になります。

一番大事なのは”努力なしに記憶力増強及び定着はない”という事です。
カレー食って記憶力が増すなら誰だって食べれば記憶力を増強出来ます。

されどそれも個人差があり得られる結果に大きな差異が生まれます。
TV番組のプロパガンダに騙されない事こそが大事です。

2013年8月18日日曜日

『怒り』で『褒める』常態行動心理学的方法


先日『怒りが癒しとなる』話を差し上げましたが今日はその続き。

実は『怒り』は『褒める』際にも使用できます。

例えば我が元に来る同胞には一人一人に個別のセラピープログラムを構築し他の人には効力が薄いが本には絶大なる効果を発揮するセラピープログラムを組む事を私は売りの一つにしているのですがその際、プログラム初期の段階では同胞がプログラムを一つ遂行する度に『優しく』褒めてあげます。

我が元に来られる方々は多くは他者からお心を傷つけられ自尊心を無くし自分が何者であるかが解らなくなり、この世に生存している意味すら見出せない人が多い。

そういう人には最初、優しく接しながら傷ついた心を優しくケアしていく事はとても大事である。

されどそれも時の経過及びセラピープログラムの進捗度によっては可変的に変えていかねばならない。

中には段々甘え心が出てきて『セラピスト依存症』になったり『陽性転移』を起こす同胞もいる。

そうなっては『ミイラ取りがミイラになる』の例え通り本末転倒なので、徐々に同胞との距離を離れて行くようにする。

勿論同胞にとってまだ心が定まっていない時は不安なので懸命にすがりつこうとするが敢えてその手を払い距離を保とうとする。

その際、『怒りながら褒める』手法が生きてきます。

『何時迄も俺に甘えてんじゃねぇ、この三ヶ月を無駄にする気か?この三ヶ月誰もなし得なかった偉業を見事成し遂げられたんだ。誰の力でもなく自分の力でだ。並大抵の人間が出来る事じゃない。少なくとも今まで君を貶めてきた連中には間違いなくこのセラピープログラムの遂行は無理である。何故なら彼らと君とでは背負ってる物や覚悟が違うからだ。俺に甘えている間は安心感は得られても自立は叶わない。自立が叶わなければ社会復帰も彼らを見返す事も出来ない。今の君にはその力が充分既に備わっている。もう私から卒業すべきだ』と言って門を閉じます。

最初は不安だらけですがそれも徐々に解消されていき立派に社会復帰を皆、果たしています。

『怒りながら褒める』と言うのも結構難しい技ですが真剣に相手の事を考えれば出来ます。

人を教え導く全ての人にお勧めの方法です。

今日も元気に頑張りましょう。

2013年8月17日土曜日

『愚痴る事は何の解決にもならない』事はない常態行動心理学的根拠


『愚痴っても何の解決にもならないのにね』と自虐的に言ったり愚痴ってる友人へ向けて揶揄の言葉をかける人がいる。

所が常態行動心理学的にはそうでもなかったりする。

大辞泉では愚痴とはこうかかれている

『二[名・形動]《(梵)mohaの訳。痴・無明とも訳す》仏語。三毒の一。心性が愚かで、一切の道理にくらいこと。心の迷い。また、そのさま。「―な人々の異常に放縦な迷信的な崇敬を」〈中勘助・犬〉』

此処で重要なのは『心の迷い』と言う一文。

『愚痴』は『心の迷い』の事である。

『愚痴る』とは『心の迷いを吐露する行為』であると言い換えられる。

実はこれ、脳科学的には問題解決方法の重要な方法の一つである。

クイズ番組で出題者が問題を出しそれを聞いて回答者が答えを出す

愚痴を言ってそれを話者である本人が聞いて悩みを解決する。

実はこれ同じメカニズムなんです。

情報を五感で捉えそれを脳が分析し答えを出す。

その選られる情報ソース元が他者か自分かの違いだけである。 

我が元に来る同胞にはどんどん愚痴らせます。

故に私の異名が『愚痴聞き屋』となっている人もいます(笑)

されど単に”愚痴らせる”事はしません。

”愚痴の内容”を具に観察し、”問題解決ワード”が出たらそれを全て書き留めておきます。

そして一通り”愚痴らせた”後にそれをお見せします。

大抵同胞は”無意識に”愚痴ってるので自分が”問題解決方法”を愚痴っているとはとても思えません。

されど人間の脳はちゃんと問題に対する解決策を知っています。

それを顕在意識が邪魔をしているだけで潜在意識はちゃんと答えを用意しています。

それを”愚痴らせる”事で潜在意識から引き出しそれを形にしてお見せする。

すると”自分で悩みを解決できた自分”を認識し、自信を取り戻し意気揚々と我が門を去って行きます。

その瞬間を見るためだけに20年以上このお仕事を続けているのかもしれません。

どんどん愚痴りましょう。

その中に必ず”問題解決の緒”は眠っています。

今日も元気に頑張りましょう。

2013年8月15日木曜日

怒りが癒しとなる常態行動心理学的根拠

『怒り』が人の心を『癒す』と言ったら貴方は信じられますか?

普通、『癒し』と言ったら『優しさ』の事を一般的には示すと思います。
されど時として『怒り』が人の心を『癒す』場合が有ります。

私は心理職としてはドSで知名度を得ています(笑)
されどそのドSの私に態々”怒られに”くる同胞が後を絶ちませんw

余程世の中にはドMな人が多いのでしょうかw
私の所へ態々怒られに来る”ドM”な方は経営者や女性起業家等社会階層が高い人が多い。

実はこれ、私がホスト時代から全く変わっていない顧客層(笑)
私は見ての通りのブサメンなのでルックスで売るタイプのホストではありませんでした。
私は所謂”説教ホスト”。怒られに来る顧客に”青筋立てて”リアルに怒る事が売りでした。
彼ら彼女らは普段取引先や家でも腫れ物に触る感じで誰も”怒ろう”としません。
それは人としての成長を止め、自らの進むべき方向性を時として失います。
彼ら彼女らは所謂牽引役ですから方向性を見失う事は即ち社会的ステータスを失う事にも繋がりかねません。
自らの方向性があっているのかいないのか?
もし間違っていたらそれを正してくれる存在。
そういう存在を彼ら彼女らは求めていました。
そして私と出会い怒られ方向性を示され安堵し自信を取り戻し自分の居場所へ戻ります。
私が心理職となった時一番最初に顧客になってくれたのはホスト時代の常連さんでした。
そして口コミで20年以上一切の広告を打たず今迄お仕事をさせて戴いて来ました。
それは多くの同胞の口コミのお陰です。
彼ら彼女らは異口同音に言います。
”他の人に怒られたら腹が立つんだけど、先生に怒られた時だけとても癒されます。不思議です、怒られて癒されるなんて。けど、先生は何時も真剣に怒ってくれてます。後先や保身を一切考えず全てを捨てる覚悟で怒ってくれている。その覚悟が私には凄く伝わってくる。その真剣さが凄く伝わってくる。この人は私の為に全てを捨てる覚悟で怒ってくれているっていうのが解る。だから嬉しいし凄く癒される。だからこうしてたまに怒られに来るんです”と。
私は笑顔で怒りながらこう返す。
”馬鹿野郎、てめえみてぇなドMがいるから俺の仕事が全然暇にならねぇんだよ。用が済んだらさっさと帰りやがれ”と。
同胞は満面の笑みを浮かべ深々とお辞儀をし、退出します。
私は笑顔で手を振り、見送ります。

こういう”癒し方”もあるんですよ。

UVカットを幾らしてもシミそばかすが出来る常態行動心理学的根拠


今夏の暑さは尋常ではなく熱中症対策や紫外線対策等女性は夏の外敵からお肌を守ろうと必死であられると思う。

女性だけでなくとも人前に顔を晒す仕事の人は皆、同じではないだろうか。

私なんぞは人様にお見せできる顔でもないので無問題なのだが(笑

意外と知られていない事なのだが紫外線を幾らUVカットしてもシミ、そばかすは出来る。

メラニン生成原因というのは実は紫外線だけではない。

パンが焼け焦げて黒くなる原理とシミソバカスができる原理は同じ

つまりUVカットだけでなく遮熱も大事。

寧ろ強めのUVカットは層の厚みで紫外線を跳ね返すタイプが多いがこれは外皮と内皮の温度差を広げ皮膚呼吸を阻害しその外皮と内皮の間に篭った熱で肌を焼きそれがメラニン色素生成の原因となる

つまり芸能人が浴びるライトもシミソバカスの原因。

あのライトの熱は相当の物で長時間浴び続けているとその熱で肌に多大なダメージを与えてしまう。

化粧品会社のプロパガンダに騙され強めのUVカット液で余計に肌を痛めないように。

お盆の心理学〜或いは体感温度の心理学〜

お盆真っ盛りで帰省中の人も多いかと思われます。
日本は気候風土がとても豊かな国で地方によりかなりの寒暖差があります。
故に現在の自分の居住地と自分の生家地域との温度差に驚かれる人も少なくありません。
こんなに暑かったっけ?とか、意外と田舎の方が涼しいなとか思う人も多い筈。
勿論それは様々な気候風土だけでなく居住地の立地条件にも依ります。
例えば密集地で高層に部屋を構えている人は太陽熱をモロ受けるので普段暑い空間で生活をしている分だけ田舎の平屋で解放感溢れる場所はそれだけで清涼感を与えてくれます。
人間が暑い寒いを感じるのは何も温度だけではありません。
五感で捉える情報によって暑い寒いを感じ取っているのです。
例えば実際の実験で少人数と大人数の部屋をそれぞれ用意します。
部屋の温度設定はどちらも同じにしておきます。
其処に被験者を入れます、どちらの部屋も入って頂きどちらが暑かったかを調査。
その結果、人が多かった場所の方が圧倒的に暑かったと感じる人が多かったのです。
人にはそれぞれ固有の場と言う物があります、これをパーソナルスペースと言います。
所謂近接距離、親しい人程自分の身体から近い位置に配置し見ず知らずの他人は最も外縁に位置させるという物。
各々の定位置から外れ中心に近づいてくるに連れ、息苦しさを圧迫感を感じます。
満員電車や満員エレベーターの息苦しさに同じです。
そしてこれこそが”暑い”と感じさせる一番の原因。
人の息が掛かる距離に自分がいるとその圧迫感から暑いと脳は認識をします。
この閉塞感が実は体感温度を大きく左右しているのです。
逆を言えば閉塞感を軽減させ開放感を高めれば精神的体感温度は数度下がります。
これを利用すれば熱中症対策もメンタル的に可能となります。
暑い時に暑さを愚痴ればその分間違いなく精神的閉塞感から暑さは倍増します。
暑い時に暑さを容認し暑さを楽しめば精神的開放感から暑さは軽減します。
暑さ寒さのメカニズムは案外そういう所に潜んでいたりするのです。

2013年8月14日水曜日

『思い込み症候群』その傾向と対策について


『思い込み症候群』というのは私の造語だが結構この病に罹患している人を最近多く目にする。

例えば卑近な例を紹介すると昨夜の我が母の院内での大暴走が正にそれに当たる。

昨日から筋力トレーニングから車椅子に実際に乗っての退院後日常生活を送る上での機能回復訓練にシフトされた。

今朝導尿ドレンが抜かれたが昨日の段階では未だドレンは差されたままであった。
それだと尿袋を持って車椅子移動せねばならぬので明日(つまり今日)ドレンを抜いてから車椅子に乗って訓練をしようという話を私と母がしていた。

されどその時母はそれを”担当看護師に伝えていた”と思い込んでいた。
そして何故か私もそう”思い込んで”居た。

されど実際にはその話は母と私の間でのみ交わされた会話であり実際にそれが外部に伝わる事はなかった。

そして夕刻事件は起きた。

”看護師に伝えた”と思い込んでいた我々と”伝えられていない”機能回復訓練士の間で意見の食い違いが発生。

そりゃそーだ、機能回復訓練士の方の元へはその話は伝わってないのだから此方が一方的に明日から訓練をしますと言っても承服される訳もない。

まして仕事熱心で退院迄の日数も余り無い状態で且つ目の前に車椅子が持参されている状態であるならば当然”何故?”という疑問が生じても不思議は無い。

仕事熱心な機能回復訓練士の方と導尿ドレンが入ったままでは車椅子が押しにくいだろうとする母と意見の合意を得られる訳もない。

其処で何時もの様に母が大激怒し、一旦看護師と機能回復訓練士の方は病室を退出された。母の怒りは頂点に達し偶々居合わせた形成外科医に迄飛び火。
形成全体を巻き込んだ大騒動に^^;。

幸いにしてそういう暴走系患者の扱いになれておられるのか形成外科医の素晴らしい対応によって母の溜飲は下がり、何とかその場を収める事はできた。

一夜開けて色々と記憶の糸を辿ってみると確かに我々はその事を看護師に伝えていなかった事を二人とも理解した。

されど一度スイッチの入った母はそれでも昨夜の機能回復訓練士の方とのバトルに遺恨を残し一昨日迄和やかなムードだったのが一変、訓練士が入室するや否や病室を退出する始末。

これが来週迄続くと思うと非常に胃の痛む思いである。

所が案外こういう話を同胞方々からも良くお聞きするのでどうも我が母だけではないという事が解った。

色々と私なりに分析してみると面白い事が解ってきた。

先ず思い込みが激しい人というのは当然として非常に責任感が強くとても愛情が深く面倒見の良い人に多い事が解る。何でも自分でやらないと気が済まない人というのもその範疇である。

そして年々そういう人は増加傾向にあるようである。
こうなってくるとこれは一種の社会的病理現象とも言う事が出来る

対策としては先の神経系記憶障害の方と同じで聞いた事を正確にメモる癖を先ず付ける事。その際、会話の話者同席で話者の了承の元それを行うとより良い。
それは五感で了承を確認できるのでその後の誤解を回避できるというメリットがある。

それとこれは性格的には難しいのだが仕事を分散させ割り振る事。
つまり出来る事と出来ない事を明確化し出来ない事は安請け合いせず他へ仕事を分散させ自己責任を軽くする事。

自己責任が重くなればなる程”私がせねば”という思いが先行しその思いが記憶を混濁させる結果に繋がる。

何よりリラックスタイムを得て脳を休ませ張り詰めた神経を休ませてあげることが大事である。
どんな立派な人間でも四六時中神経を張りつめていてはそりゃあ疲れる。
それが元で失敗もするだろう。
それを回避する為にもしっかりと休養は取るべきだと考える。

望むらくは社会全体がそういう風潮に傾いてくれると我々は随分と救われるのだが(^^;;

2013年8月13日火曜日

『LDの心理学〜或いは神経系記憶障害の心理学〜』


LDや認知症は医学的には神経系記憶障害という物に分類される。
つまり記憶が定着しないという障害を持つ病である。
此処で先ず記憶というものについて今一度考えて見たい。
多くの方はご存知ないかもしれないが実は記憶には二種類ある。
目の前にある物を認識する、瞬間記憶。
それを何度も見て脳に刻み込む、定着記憶。
人間は五感で捉えた物は兎に角何でも最初は記憶する機能が最初から備わっている。
その中で脳が取捨選択しいるものは前へだし要らない物は後ろに下げていく。
つまり”記憶”という物はパソコンのデータと同じで”消える”という事がない。
パソコンのデータもあれは上書きをしない限り消去をしてもデータは残っている。
人間の記憶もそう、新しい記憶は前へ、古い記憶は後ろに下がるだけ。
特に認知症の場合はこれが逆になる、古い記憶は前に来るが新しい記憶は後ろに下がる。
だから古い友人の顔は覚えていても毎日見る息子や嫁の顔は記憶に留められて居ない。
前述した通り、神経系記憶障害の方はこの『定着記憶』に神経伝達ブロックが掛かっている状態であり『瞬間記憶』の方には神経伝達ブロックは掛からない。
我々はこの『瞬間記憶』に神経伝達ブロックが掛からない事に着目した。
つまり、何か用件を聞いた段階で即メモる事を指導している。
されど此処までは何処の精神科医でも指導をしているレベルである。
我々のは此処からが一寸違う。
用件をメモるだけでなく、何故用件をメモったか?その理由もちゃんと書き添えさせた。
神経系記憶障害を患ってない人でも偶に用件だけをメモったメモを見て”あれ?なんで俺こんなのメモったんだっけ?”と途方に暮れ本当は大事な用件なのに間違いだろとゴミ箱行きにし後で飛んでもない失敗をしてしまった経験を持つ人は少なく無い筈である。
私も御多聞に漏れずそれで手酷い失敗を嘗てした者の一人であるw
そういう時に失敗しない為に用件だけをメモるのではなく理由もちゃんと書き添える。
すると”あぁwこれこれ、忘れる所だった”と思い出し地雷を踏まなくて済む。
例えば息子や嫁の顔を忘れている人にはポラロイド写真に患者さん直筆のメモ書きを添える。”妻の○○””息子の○○”という風に。
写真の顔を忘れても自分の書いた文字はちゃんと覚えている。
それを忘れたならば同じ文字を書かせて見たら良い、自分が書いた字だと解る筈。
それを繰り返す事で今度はそれを脳ではなく体がちゃんと覚えてくれる。
此処で面白い例を昨日聞いた話から紹介しよう。
70を過ぎて失明し現在100歳近いおばあちゃんがいる。
失明当時はまだ配偶者も存命中でこの配偶者は昔気質で右の物を左にもしない人。
故に妻が失明しても一切の家事の手伝いはせず全て妻にさせていたという。
奥方の方も目が見えていた頃の記憶があるので何処に何があるかは大体把握している。
料理に関しても”手”がさじ加減や火加減を覚えているので全く問題がなかったという。
配偶者が他界した今も一人暮らしを続けずっと洗濯から炊事迄一人でこなすという。
これを見ても人間の”覚える”という行為の素晴らしさが分かるというものである。
これを使って私はLDの当時女子高生だった同胞を立派に介護士にさせた経験が有る。
神経系記憶障害があっても恐れる事は有りません。
”脳”はちゃんと”記憶”をしているのです、その事を忘れないで下さいね。