2010年11月27日土曜日

究極のアンチエイジングの心理学~或いは輝きは君の中に~

夫婦問題のスーパーアドバイザー竹中なおよ先生は究極の『美魔女』であられる。

過日お会いしその美貌その若さに圧倒、だが一番圧倒されたのはその年齢を聞いた時であった^^;。
敢えて此処では公表は控えるが”まさか!”とわが耳を疑う程であり実際私はまだその事を信じられずに居る。

確かにご子息やご息女の年齢から逆算すれば私が想像していた年齢では少し無理がある事が解った。
まぁ産んで産めなくは無い年齢だが(勿論法律上は違法だが)それで育て上げるのは容易な事ではない。

しかし…この美貌、この若さでそれは絶対ありえないだろうと目が点となりました(笑)
聞けば元・モデルさんをやられていたとの事、それで得心が行きました。

モデルは自らの商品価値を高める為如何にすればより美しくより若々しく見られるかを熟知しています。
嘗てモデルも数名見た事があるので彼女ら・彼らの美への飽くなき追及心には本当に頭が下がる思いにて。

だがなおよ先生の場合はそれだけではなかった…一言で言えば『背負っている物の大きさの差』である。
勿論皆誰しも大切な人の思いを背負い家族の思いを背負っている、だがなおよ先生が背負っている物はそれだけではなかった。

故に”年をとる暇”すらなかったと言うのが現状であろう。

我が同胞の中にも齢70過ぎにして50前半から半ばにしか見えない『美魔女』が居る。

最初は本当に”初老の女性”という出で立ちで来られていた。
旦那さんを事故で亡くされ失意の余り自殺しかねないと友人が我が元へ連れて来たという訳だ。

私は彼女に”旦那さんの事は絶対に忘れてはいけない”といいました。

周りは”早く忘れろ”と言いますがそれは間違い、本当に大切な愛している人を忘れられるわけが有りません。
故に私は彼女に”決してだんなさんの事は忘れてはいけませんよ”と言いしっかりと話を聞く事から始めました。

お身内にはご主人の事、年齢の事、ファッションの事などは一切口にしない事を確約させました。
そしてある一定の期間を終えた後こう言ったのです。

”天国に居るご主人が望まれている事、それは奥様がいつまでも若々しく元気で艶のある魅力溢れる女性である事。
 あの世から下界を見て自らが心から愛した女性が光り輝いていたらそりゃあ嬉しいです物ね、私は霊能者でもあるのでご主人の願いが解るのです”と。

彼女の話を真剣に聞き彼女の要求を受け入れてきた私の言葉ゆえに彼女は一切の疑いを持たず聞き入れてました
それからは少し実年齢よりも若々しい格好やメイクをしだすようになりました。

お身内は最初眉根を寄せた物の私から固く禁じられていたので年齢やファッションの事には触れずに居ました。
当然私は彼女の若々しいファッションやメイクを褒めるので嬉しくなりどんどん若々しく派手になっていきました。

すると周りの男性の目もそれに伴い変わって来ます。

元々綺麗な方でお若い頃は随分男性を悩ませてきただろうと言う風貌の方です。それなりの格好やメイクをすれば一般男性を落とすなど造作も無い事。それ以降は自らの”美への欲求”が高まり今や10代から70代までの数名のBFを持つに至りました。

しかし…それでも彼女がご主人を思わなくなったと言えば差に非ず。
いつも夜になるとご主人の遺影を抱きしめ涙しながら床についていたそうです。

年齢は関係有りません、輝きは”貴女の心の中”に眠っているのです。
私と一緒にその”美の種”を起こしてみませんか?

2010年11月25日木曜日

美男美女の心理学~或いは類は友を呼ぶの心理学~

以前我がセラピーを受けその後完治したKちゃん(女性)に図らずも偶然お会いし久しぶりにお茶をする事となった。
当時『醜形恐怖症』で我が門を叩いたKちゃんは今や女性起業家として華々しい活躍をしている。
そのKちゃんが私に言った言葉『先生、私女性の友達が少ないんです。というか減ったんです、セラピーを受けた後』
私『だろうね』
彼女『え?!何で解ったんですか?』
私『答えは至極簡単だからさ』
彼女『???』
私『君が美しすぎる、正確に言えば俺が君の隠れた美しさを表に出したから、其れが一番の理由』
彼女『またまた~、先生相変わらずお上手なんだから~』
私『じゃあ聞くが例えば紀香から食事の誘いがあったとしよう、君ならどうする?』
彼女『え?!そ、それは一寸…』
私『だろ?気後れして行かないだろ?はい、その紀香と君を入れ替えてみよう』
彼女『無理ですよ~、だって私は紀香みたいに綺麗じゃない物、それは無理無理』
私『そうかな?彼女は商業的価値は高いと思う、彼女の美しさは商品だからね。しかしそれは作られた美しさであって彼女本来の持つ美ではない。女性本来の持つ美という観点に立った時私は紀香より君の方が綺麗だと思うがね』
彼女『先生…(此処で顔を赤らめる彼女)。んもう先生は本当に女性を気持ちよくする事がお上手なんだから。随分オモテになるでしょうね』
私『俺が?冗談。誰にでもこんな事を俺が言うと思うか?冗談じゃない、そこまで俺は暇人じゃない。俺は俺が認めた女性だけしかこんな事は言わない。愛方含めて10指にも満たぬよ』
彼女『え?なら私はその先生の10指の中の一人?』
私『そういう事』
彼女…黙って下を向く(顔は更に赤くなる)。

だがその後彼女は自らの”自信”を取り戻しそれからは自らが美しい存在であるという事を必要以上に謙遜しなくなり、その彼女の快活さが受け助成の友達も増えたという報告を受けた…。
(勿論類友で彼女が送ってきた写真は彼女を含め全員モデル級の美女ばかりだったが^^;)。

同じ事は男性の元・同胞にも言い氏はその後コックからモデルへと華麗なる転身を遂げた。
美しい人は美しいままで良い、カッコイイ人はそのままかっこ良くて良いのである。

変に三枚目を演じたり変にへりくだる事は余計回りの失笑を買い反感を買うという事を失念なさいませぬように^^;

一番厄介なのは自らが『イケてる存在』である事をご存じない方々である。
イケてる人間が自らをイケてないと勘違いするほど周りがムカつく事はない^^;。

本人に自覚がないだけに余計に害は大きい^^;
そういう方に自らが『イケてる存在』である事をお教えするのも私の仕事である。

自らが『イケてる』『輝く』存在である事を知れば人生もっと楽しく生きる事が出来ますよ^^V

2010年11月23日火曜日

信頼の心理学~或いは待ちの心理学~

夫婦問題専門カウンセラーの第一人者竹中なおよさんのご子息はキャリア官僚。
灘中→灘高→東大→霞ヶ関と絵に描いたようなエリート街道まっしぐらである。

しかしその道は苦難に満ちており頂点を極められるまでの御苦労はとても此処では全てを書き切れる物ではない。
親子二人三脚、息がぴったりと合ったチームワークがあればこそ成しえた偉業であると言っても過言ではない。

誰もがなおよさんの子育て術をお知りになりたいと思われるだろうし、
又それは多くの悩み多き親御さんに是非聞かせて差し上げて欲しい話であると思う。

私自身何れ人の親となった時なおよさんの『子育て術』を是非実行してみたいと思う程。
本当に氏は子育てのプロと言っても過言ではない。

詳しくはご本人から直接お聞き下さるのが一番だが此処では表題にもある”待ち”について語ってみたいと思う。

ご子息がまだ幼少期の頃の話、どうしても靴下を左右反対に履いたり靴を反対に履いたりは誰しも経験が有る筈。
そんな時多くの親は子供に靴下を履かせ靴を履かせ幼稚園のバスに乗り込ませるのが常であろう。
私も1週間姪を預かっていた際同じ事を姪にした覚えがある^^;

だがなおよさんは違った、例え時間が掛かっても只管ご子息が履かれるまで”待たれて”おいでであった。
それは自分の子への”信頼”と”自立”を願えばこその親の愛情、又、ご子息もそれをちゃんと受け取っておられた。

こんなエピソードもある、ご子息が物を誤って壊してしまった時の事。
普通の親なら”何で壊したの!壊しちゃ駄目でしょ!”と頭ごなしに怒るのが常、私も甥にした覚えが^^;。

だがやはりここでもなおよさんの子育て術は違います。

決して怒らず壊れてしまった今の気持ちを聞きその悲しい気持ちを繰り返さない為に次に自分が出来る事を怒らずにちゃんとご子息にお伝えになられた。
ご子息は物が壊れる悲しさと壊してはいけないという学びを得られ二度と同じ失敗を繰り返さなかったという。

物を壊さないように『注意をする』
実はこの『注意をする』という心の作用には二つある。

頭ごなしに怒ってしまった時、次に又怒られないように『注意をする』これは受動的でありマイナスの思考。
なおよさんのように諭した時、次に又自分が悲しい思いをしないように『注意をする』これは能動でありプラス思考。

このように同じ『注意をする』という言葉でも其れを受ける側の気持ちは能動と受動とでは全然違うのである。
これが『東大脳』を作る秘訣の一つではないかと思う(勿論それ以外にももっともっと有る筈だが)。

我も又同じである。

同胞へ指示を出し同胞がそれを失敗をする、此処で頭ごなしに叱ってしまっては今迄の苦労は水の泡である。
それを頭ごなしに怒るのではなく何故それを失敗したのかを分析し其れを次に回避する方法を模索する。

そして何よりその回避策を自らが導き出せた事に対して同胞を心から褒めてあげる。
そうする事により同胞は”褒められる事の喜び”を知り”失敗をしたくない、又褒められたい”という心の動きに変わる。

さすれば心も上向きとなり心の病も快方へと向かうのである。

”反省だけならサルでも出来る”だが如何に反省し繰り返さず成功へと導くか?それは人間しか出来ぬ事である。
サルは人間ではない、人間も又サルではない。頭ごなしに怒っても『北風と太陽』に同じ相手は萎縮するだけである。

どうせ怒るなら成長させる怒り方をしたいではないですか。
私はそう考えます。

2010年11月22日月曜日

セレブの心理学~或いは成功者の心理学~

昨日は姫路でFacebookで知り合いになった夫婦問題カウンセラーの竹中なおよさんとお会いして参りました。
何せ姫路へ参るのもなおよさんにお会いするのも初めての初めてづくし。

お人柄の素晴らしさは既に何度かメッセの交換をさせて頂いているので存じ上げては居る物のやはり実際にお会いするのと文章とでは印象派随分違う筈。

それ故前日は余り眠れず朝も早く起きて軽く朝食を取り発車時刻より一時間も早く駅に着きなおよさんへのお土産を求め頼んであった切符を求めホームへ上がり葉巻を吹かせながら心を落ち着かせて降りました。

特別室を行き帰りで取る事が出来車窓を眺めながらまだ見ぬ方へ心をときめかせます。
約1時間一寸で姫路へ到着、較べるべくも無いが我が地元とは雲泥の差^^;。

おみやげ物コーナーや食事をする所も充実しており又駅員さんの対応もスムーズで満足の行く物でした。
そして改札を抜け、いよいよなおよさんとご対面。

Queen of cerebrity…彼女を一言で表すと正にそんな言葉がぴったりと言う感じです。
身に付けているものが高級品であるとかそういう見た目的な物ではなく気品や立ち居振る舞い言葉の一つ一つがとても上品で落ち着いていて人を和ませ自然と笑顔にさせるそれがなおよさんでした。

同じ心理職という立場にありながらこの差は何?と愕然とする私^^;。
やはり生まれの違いか育ちの違いか(笑)いやぁwわが身の貧しさが恥かしい限り^^;

駅近くの日航ホテルのラウンジでデザートセットを頂戴しディスカッション開始でございます。
詳しい会話の内容は個人情報保護法に抵触する為省きますが一つだけ…

『地獄から這い上がってきた成功者』という物の気迫そして深い絆と愛で結ばれた家族の素晴らしさ、それがやはり成功の秘訣であるとつくづく痛感した次第。

氏の経歴や氏のご家族の肩書きだけを見れば何の苦労もせずやってきたセレブファミリーという風にしか見えぬ筈。
だがやはり”真のセレブ”とは叩き上げで今の地位を勝ち取った、それも自分の為ではなく人様の為に…。

氏は自らの体験を活かしもっと多くの方々をお救い申し上げたいと申されておられました。
大抵の人は自らに不幸が振りかかると人を呪い境遇を呪い世間を呪うのが常です。

だが氏はそんな俗人がなさるような事は一切なさらず只ひたすらに”成功する事””自らと家族を信じる事”のみに心をフォーカシングしそして見事”成功者”となられたのです。

我もそうですが一度地獄を見た人は強いです、そして私は違いますがなおよさんはとてもキラキラと輝いています。
これからもその輝きが増す事はあれど褪せる事は絶対に無いと確信しています。

ご家族の深い絆が有る限り…。

帰りの時刻が迫りなおよさんより私と母へ駅弁と私の帰りの電車の中で食べるお菓子まで頂戴し^^;恐縮の至り。
又再会出来る事を双方願いながら新幹線配置炉心山口へ向かいました。

夫婦問題で一番の核となる物は”愛”と”信頼関係”そして何より”相手への感謝の気持ち”であります。
その事を私はなおよさんから学ばせていただきました。

夫婦問題で悩まれている方は迷わずなおよさんの元へ行かれて下さい。
きっと貴方の前に輝かしい道が現れると確信します。

2010年11月18日木曜日

色彩影響心理学と色彩印象心理学について

毎度の事ながら中身はゆるゆるです(笑)。
色彩影響心理学とは固有の色が其れを見る者に与える影響について考える心理学。
色彩印象心理学はその逆、自らの色をどうすれば相手にどういう風に自分を印象付けられるかについて考える心理学。

どちらも”色”がテーマであり”色”により受ける印象と”色”により与える印象についての違いのみでございます。
この辺りカラーセラピストやオーラーゾーマの領域ではありますが私の場合其れをもう少し広義に捉えたいと考えます。

先ずは『色彩影響心理学』の方、解り易い例をとって説明するとお医者様の白衣である『白』と牧師、裁判官などの『黒』
これらは全く真逆の色ですがそれらが見る者に与える影響は共通しています。

お医者様の『白』これは衣服を汚れから守る為ではなく自らの『正しさ』を強調するための物。
『白』には『純白』とか『潔白』とかと言う風に『正しい』という言葉が暗喩的にイメージされています。

それ故にお医者様の出す診断は『正しい物である』というイメージを無意識に患者の脳に刷り込む効果が有ります。
勿論こんな事は医学部では誰も教えません、これは連綿と受け継がれた”医の遺伝子”のような物ですから。

翻り牧師・裁判官の『黒』。これらは一見すると『白』の反対なので悪いイメージの方を考えます。
確かに『腹黒い』とか『黒い陰謀』とか黒というイメージは余り良いイメージではありません。

しかし見方を変えると『何者にも染まらない』という強い意志を示す色でもあります。
牧師は神の御言葉のみを信じ、裁判官は真実のみに目を向ける、それ以外の戯言には目を向けない耳を傾けない。
そういう『心の強さ』を現す色でもあります。

翻り『色彩印象心理学』は自分が相手にどういう印象を与えたいかが主眼とされるべき物。
例えば清楚なイメージを演出したいなら白、可愛らしい印象を与えたいならピンクか黄色、凛としたイメージを伝えたいなら黒と言う風に自分が相手に見せたい自分という物を拠り強調する為に選ぶ色の事を指し示します。

只、此処で注意しなくてはいけない事が一つ、それは”相手の好みの色、嫌いな色を知っておく”という事。

先の色彩印象心理学の項とは若干逆の話となりますがあくまでそれは最大公約数的な大枠の話。
それが一個人となった場合先の論では説明できない部分が出てきます。

固有の色に対する異常なまでの感情の高ぶりという物を持つ人が居ます。
例えば幼少の頃火事で両親を亡くした人は燃えるような『赤』をみると当時を思い出し混乱を起こすというような風で。

故にこれから会う人の好みや性格等を事前にリサーチしそれから自らが訴えたい内容に合わせた服や小物やメイクのコーディネートをする事。それが交渉をより有利に運ぶ術となる訳です。

介護の心理学~或いはする者とされる者の心理学~

先日某時代劇俳優の奥様が自らの命を絶たれた…
育児疲れ、孤独に加えお身内の介護疲れという事も自殺の理由の一つに挙げられていた。

真実はご本人が天国まで持っていかれたので解らないが随分と悩まれていた事は想像に難くない。
夫は有名人、嘗て自分もそのスポットライトを浴びる場所に居た。

今は家に一人きりぽつんと…誰に頼る者もなく誰に相談する者もなく、さぞ不安や焦りが有った事と思う。

一芸能人として仕事をする事も大切だがやはり其処はそれ家族が有ってこそ。
もう少し奥方様に対する何らかの配慮がなされなかったのか?と思うと無念でならない。

『介護』の問題は国を挙げて今様々な取り組みがなされている。
高齢者層が益々厚くなり、『老老介護』や『孤独死』などが新聞・雑誌などの誌面を賑わせている。

一方で『介護する側』の配慮が日本ではまだまだ不十分であると言わざるを得ない。
今の日本の介護制度では充分な介護を個人が受ける事はとても難しい。

財政難の中に有っては国からの充分な補助を受ける事は難しく個人負担増がやむをえない状態にある。
少子化対策も先細りで介護する側の数が介護される側よりも圧倒的に少ない状態にある。

介護する側の負担増で介護疲れによる殺人や自殺者の数も後を経たない。
由々しき問題であると思う。

外国人参政権の導入の是非については随分前から日本でも議論されている。
外国人の流入を許せば日本国という国の体をなさなくなるとか、日本国が外国に則られてしまうとか…。

特に今日本が躍起になって国際社会に打って出ようとする某施策には農民団体を初め多くの反対が起こっており、
それらが余計外国人の参政権獲得の大きな壁となっている。

だがこれから国際社会へ打って出る日本国に於いて外国人資本はとても大きな存在となってくるであろう。
先 の『介護』の問題がその一例である、高い日本人企業へ依頼するより安い賃金の外国人労働者の労働力委託は『老老介護』大国日本に於いては寧ろ有難い労働力 である。仏教徒の国の人ならば宗教的対立も無く又儒教の国の人はお年寄りをとても大切にするよう教えを受けている。そういう国の人に介護の委託をする事は 大事な事である。

介護される側ばかりではなく介護する側の負担減に向け日本も本格的に重い腰を上げるべきである。

介護をするという事の大変さを政府は是非わが身で持って体現をして戴きたいと思う。
そうすれば介護をする側への法整備もきっと進むと考える。

今回のような不幸な事件が二度と起こらぬよう政府はこの事実を重く受け止めて欲しいと願う。

2010年11月14日日曜日

『フェミニスト』と呼ばれて…

今日、愛方と防府へたこ焼きを食べる予定を立てていた(メインは愛方のブーツ探し)。
だが黄砂による交通渋滞で愛方の到着が30分以上遅れ急遽明日へ順延となった。

黄砂の影響は事の外大きくノロノロ運転で全く前が進まなかったとの事。
二名分の切符の払い戻しを済ませ行き付けのレストランで今年初のボジョレーを戴いた。

その時の駅員さんと私の会話
『わりぃ、一寸俺がポカしちゃってさ、此れ払い戻しできる?』
『えぇ、少々お待ち下さい』
それで無事終了。

愛方は自分のせいだと思っているそれを汲んだ上で敢えて愛方のせいではない事をアピールしたのだ。

同様の事は大学時代にも有った。

男女各2名の計4名で食事へ行った時の事。
私の隣に座っていたSちゃんが放屁をしてしまった^^;しかもかなり大きな音を立てて。

私はすかさず『わりぃ、屁こいちゃった。朝食った物が痛んでいてお腹の調子悪くてなぁ、スマンスマン』と。
そのままトイレに行くフリをして退出、慌ててSちゃんも私の後を追いかけた。

Sちゃん『さっきは有難う…』
私『え?何の事?わりぃトイレいかねぇとマジ漏れそうなんだ、早く戻ったほうがいいよ^^v』と。

Sちゃんは10数年経った今もその事を鮮明に覚えていると言う。

この話をすると大抵の方は『流石先生ですねぇ』と絶賛されるがこんな事は諸外国では日常茶飯事の事。
イタリヤやフランスではこんな事は当たり前の常識の範囲内であり決して褒められるべき行為でも何でもない。

日本に於いては『フェミニスト』と言うと格好付けのいけ好かない奴というイメージがどうしても先行してしまう。
例えばドアを開けて外を出る際後ろの人を気遣って戸をあけておく、女性を先に通す、食事が揃う迄食べない等。

だが社交界に於いてはこれらは『常識』の範囲内であり寧ろこれができない者は『無作法者』の汚名を着せられる。
海外の要人と会食をする事が多かった亡父故我々はそういうマナーを徹底的に体に叩き込まれた。

今でも食事のマナーに関しては何処へ行っても褒められる。
恐らく海外でアジア人(あえて日本人とは表記しない)が嫌われる理由の一つが私は此処にあると思う。

国が違えば当然風習も違う、故にマナーに関してもちゃんと気を使わざるを得ない。
だが周りが同族ばかりだとそういう部分は蔑ろにされ余程フォーマルな場所でない限り自由気ままに振舞ってしまう。

日常生活において自由気ままに振舞っている者がいきなりフォーマルな場所へ出て礼儀正しく出来る筈もない。
それはやはり日頃からの習慣が物を言うと私は考える。

『尖閣ビデオ』でジャパンパッシングが止まない中、日本人としてやはり『襟を正す』事は必要ではないかと思う。
そういう姿を諸外国に示す事、それも又日本と言う国をアピールする事であると私は信じて疑わない。

2010年11月11日木曜日

心の病と同調行動と心理学

我が元には年間実に様々な方が来訪され又私が訪れている。

その中には身内に付き添われてやってくる方も居てその内の又何名かは突如来訪を取りやめにされる方も居る。

最初心の病を治したいと言う強い決意でご家族もご本人も来られていた筈が急に態度を豹変させ来なくなる場合が…。

これは一種の”同調行動”が成せる災いである。

心理学的”同調行動”とは例えばコンサートホールに於けるファンの一体感や政治的陽動(プロパガンダ)やそれによる暴動等が上げられる。
周りの雰囲気に呑まれ自らの冷静な判断力を奪われてしまうのだ。

翻り心の病にも此れに似たような物がある(案外こちらの方は精神科のお医者様は見逃している方が多いがw)。

例えば長く鬱病や引きこもりの方と同居していると鬱や引き篭もりが伝播し近親者が鬱や引き篭もりになるケースがある。

これこそが正に『同調行動』のマイナス要因である、その陰に有るのは辛い事からの逃避行動である。
傍に居て数々の問題や被害が発生してくると人はそれを何とかしたいと思慮する。

その内、そのトラブルや被害を与える者と同調する事により感覚を麻痺させる事を無意識的に脳が学習する。
実は此れが一番怖いのである、中毒患者の周りに中毒患者が多いのも此れと同じ理由。

それを如何に分離させ病は病としてちゃんと認識をさせ治していくか?それがセラピストの腕の差だと言っていい。
大抵の場合同胞だけに注視してその同伴者たる家族には目が行かない物である。

だが尤も注視せねばなら布は同伴してくる家族の方、こちらの同胞に対するサポート体制がしっかりしている事こそが病を克服する一番の力となる。

我々セラピストはその意味で常多角的視野を持っていなければならないのである。

2010年11月9日火曜日

Patriotism&Globalization&Psychology

日本語に訳すと『愛国心』と『国際化』と『心理学』となる。
一見すると何のつながりもないように見えるが実は大きな繋がりが有る。

それは行う者が『人』であるという点、そしてそれぞれに『心』が介在している点である。
今、日本と中国、ロシアなど共産圏との関係がギクシャクしてきている。

日米地位協定における米軍基地沖縄施設問題での政府の対応の稚拙さがその呼び水となったといわれている。
だが果たしてそうだろうか?この問題に関してはG党時代からずっと日米双方で争議されて来た問題である。

我が町にも米軍基地がある、近くではないが米軍基地を持つ者の一人として沖縄県民方々のお苦しみは痛い程解る。
何時とはなし米軍機の爆音が町中に響き一部の傍若無人たる軍人が市民を恐怖に陥れているのである。

一部とは言え刃向かう事を許されず法に則っても地位協定に阻まれ十分な刑罰を処する事はできない。
随分昔は刑罰にすら処することすら出来なかったケースも幾つも有る。

それで命を絶った者さえも…。

愛国心という言葉が有る、国を愛する心と書く。
誰の心にも去来する自国への深い愛と言う物は自国内に居る間は中々解らない物だ。

だが一度自国を離れ長く海外生活をすると自らの胸中にも『愛国心』が有ったのだという事を痛感させられる。
米国人にも日本人にも中国人にもロシア人にもそれぞれの国の人々に共通してある概念だと思う。

翻り『国際化』という問題が有る。つまり外交問題である。
『愛国心』と『国際化』は一見すると相反する存在のように見えるが実は根は同じ所にある。

何れの国にも国を愛する民が居てその民が如何に幸せで平和で暮らせるかを考える事、それが『国際化』である。
自分の国の国民さへ幸せであれば他国などどうなっても良いでは真の『国際化』とは呼べない。

他国も自国も同じ民を持つ国でありその国同士が如何にすれば仲良く富めるか平和に幸せに暮らせるかを考えてこそ真の『国際化』である。

そう考えた時やはり人の『心』と言う存在無しには考えられない。

今の外交を見ているとこの『人の気持ち』と言う部分を随分蔑ろにされているように思えてならない。
他国の人の『心』も自国の人の『心』も同じ『心』である。

お互いの『心』を考えてこそ本当の意味での『国際化』であり『愛国心』であると私は考える。

2010年11月5日金曜日

男女雇用機会均等法と勝ち組負け組みの心理学

ウーマンリブが叫ばれるようになった1960年以降女性の社会進出に対する進歩は目覚しい物がある。女性の管理職や女性の政治家や国の指導者に至るまで八面六臂の活躍を見せている。

翻り未だ田舎では男尊女卑社会が幅を利かせお役所的な風潮が根強く残っている。
”女の癖に”等という旧態依然とした旧石器時代の前近代的な石頭の思考を持った愚人が数多く存在している。

facebookの我がお友達の女性陣方々は皆さん自立されその輝きは眩いばかりである。
ある方は起業家として或る方は芸術家としてある方は指導者としてある方は魂の導き手として皆輝いておられる。

私は大学でフェミニズムを修め社会的歴史的に如何に女性が虐げられてきたか(そして今も)を学んできた。

私は思う、この世の中に女性の存在無くして人類の発展など望めないと。
女性の存在無くして誰が子を生み育て子孫を残せるというのだろう。

嘗て某馬鹿大臣が『女性は子供を生む機械』などという戯言を述べその職を解かれた。
なればその方に問う、その機械からお生まれになられた貴方も又機械と同じであると。

私は言う、『我は神より生まれし人間である、決して機械から生まれし機械人間ではない』と。

最近我が元に来る方の中に『女性の社会進出が目覚しいので我々の職が奪われている』と嘆く諸兄が居られる。お気の毒とは思うが同じ職種を求める必要は無い、男女差が有るという事はそれぞれに得意不得意の分野がある。

男女共に出来るがこれは男性の方がより良い、これは女性の方がより適切な処理ができるという仕事は存在する。その中に入って活躍すればそのような不平不満はなくなる筈である。

起業家だから働いているから勝ち組、雇われているから無職だから負け組と言うのは余りに早計に過ぎる。ましてそのような考えで自らの持てる可能性を自らが制限し自らが潰す者に神が微笑む筈はない。

我はいう。
貴方というオリジナリティやパーソナリティは貴方にしかない物。それを人と比べる事自体がナンセンスと。

私はその人にしかないオリジナリティやパーソナリティ、タレント(才能)を最大限に引き出す事を仕事としている。長年気づけなかった自らのタレント(才能)に気づいた多くの方々を成功へ導き幸せへと導かせていただいている。

私はこれからもそういう風に我が門を潜る多くの方々にその人にしかない”オリジナリティ””パーソナリティ”そして”タレント”をお伝えし続けその方の末来を開いていきたいと考えている。

男だからとか女だからとかそういう狭量な思考は今日から止めにしませんか?
折角の貴方の素敵なタレント(才能)がそれで潰されては勿体無いじゃないですか^^V

私が貴方の隠れれた才を開くお手伝いさせて戴きますよ^^V