2013年4月27日土曜日

『代わりの心理学〜或いはパーソナリティー心理学〜』


古い話で恐縮ですが私が好きなアニメの名台詞に『キャシャーンがやらねば誰がやる』という言葉があります。

人間の為に働く忠実な人造人間を作ったつもりが何時の間にかその自らが作った人造人間の暴走により世界を混乱の渦に巻き込んでしまった博士が最後に作った人造人間キャシャーン。

彼は亡き博士の思いと敵に幽閉された母を救い出す為に単身一人で敵の大軍団にロボット犬ブレンダーと共に孤独な戦いを続けます。
これは続編が作られその後実写化され映画化にもなりました。

人がやる仕事の全ては”誰かが代わりに実行する”事は出来ます。
それを行うのが人間である限り出来不出来は別としてそれを行う事は出来るからです。

されど一番大事な事は”出来る出来ない”ではなくその中身です。
つまり”その仕事にどれだけの情熱と愛情をつぎ込めるか”なのです。

私の仕事も心理職であるならば誰でもできる仕事です。
ですが私がやっている事自体は私以外誰にも真似ができない物だと自負をしています。

以前桑田佳祐と大友康平が或る番組でこういう事を言っていました。

”誰でも歌える誰でも弾ける曲を歌っても弾いても意味がない。誰もが歌えない弾けない曲を歌う事、弾く事がアーティストである証である”と。

私は正にその通りだと思います。

最近の曲はメロディーラインも単調で歌詞も覚えやすく誰にでも歌い易い物が多い。
それはそれで親しみやすくはあるけれどその分飽きられ易い欠点がある。

所謂名曲と呼ばれ後世に残る曲は弾き憎く歌い難い物が多いがその分人の心に残る。
歌い難いから何度も聞いて練習する、弾き難いから何度も弾いて練習する。
だから脳にその分強く擦り込まれ記憶の奥底に深く刻まれる。

難しいからこそそれを歌えた達成感、弾けた満足感がその記憶の定着に拍車を掛ける。
達成感や充足感が曲への満足度へ変わりそれが強く思い出として記憶に残る。

本当の意味での名曲とはそういう物を指すのだと私は思う。

私の2000を超えるオリジナル理論も同じである。
20年以上の歳月を掛けて一つ一つ丁寧に作り上げ重ねあげて行った我が子同然の宝。

理解する事はそう難しい事ではないけれどそれを実際に活かそうと思えば容易に非ず。
それはその理論を構築する迄に私が感じた苦労や苦悩迄理解する事ができないからです。

我が同胞にも私は同じような事を説きます。

貴方のしている事の代わりを出来る人は沢山居ます。
されど貴方自身の代わりをできる人はこの世には存在しない。

何故ならばそれこそが貴方がこの世に生まれてきた存在意義なのですから。
もしも貴方自身の代わりができる人がいるならば貴方がこの世に存在している存在意義が無くなるからです。この世に存在している時点で貴方には唯一無二の存在価値がある。

貴方のやる事の代わりを出来る人はいます。
されど貴方自身の代わりは誰にも出来ないのです、と。

我が門を潜る方々は心無い者達によりその存在を、生きる事を否定された方々が多い。
故にそういう被害に遭った方々のお心を救済する為に私は常、思いを巡らせています。

そして勿論彼ら彼女らを否定し存在を無き物としようとした連中への報復も忘れない。
存在を否定された者の悲しみ苦しみ苦悩怒りをその心に深く刻み込ませて戴く。

さすれば二度と同じ過ちを冒そう等とは思えなくなります。

人は人の痛みは何年でも我慢出来ますが自分の痛みは我慢が出来ません。
それはそれを実際に五感で感じられるか否かにかかっています。

昨今巷を騒がすいじめ問題も同じです。

我々はいじめた連中に同じ苦しみ痛み悲しみを与えます。
そして被害者がどれだけ嘆き悲しみ苦しんだかを身を以て教えます。

体罰で人は変わらずとも心の傷で人は大きく変わります。

これからも私は私の独自のやり方で私に助けを求める多くの方々救済に全力を注ぎます。
それが私がこの世に存在している存在意義だからです。

2013年4月25日木曜日

真の優しさとは何か?真の厳しさとは?


真の優しさとはその裏に必ず厳しさがなくてはなりません。

何故なら真の優しさとは厳しさの中に存在している物だからです。

裏を返せば真の厳しさは真の優しさの中にこそ存在しています。

本当に優しい人は本当の厳しさを持っている人です。

本当に厳しい人は本当の優しさを持っている人です。

見せかけだけの優しさしか示せない人はその裏に厳しさがないから説得力が無い。

優しいだけの人は依存体質者を生み出すだけで其処に生産性がない

厳しいだけの人は逃避体質者を生み出すだけで其処に安らぎがない

優しさの中で時折見せる厳しさがあり厳しさの中に時折見せる優しさがある。

それこそが本当の優しさであり厳しさである。

私はその意味で常、優しい人であり厳しい人でありたいと願っている。

本当にその人を成長させようと願えばこそ時に厳しくする事も大事

その裏に優しさがあればこそその厳しさも生きるという物。

最近の人達は優しさや厳しさを履き違えている人が多い気がします

私はこれからも私が信じる優しさや厳しさで人に接して行きたいと思っています。

それが私という人間の存在意義ですから。

『ネット内虐めと幼稚性退行心疾患の常態行動心理学的解釈』について


昨今ネット内虐めが大きな社会問題として取り上げられ久しくなっている。
かくいう私も嘗て言われなき誹謗中傷を何度もネット内で受けた犠牲者である。
一部の専門家はネット内における秘匿性の高さがその裏にあると報じている。
確かにそれは否定できない事実だが実際はそれだけではない。
私はネット内虐めの裏に有る物は幼稚性退行心疾患が大きく関係していると見ている。
では幼稚性退行心疾患とはどのような物か?ネットで調べても恐らく出てこないだろう。
それは私の長年の研究により導き出された答えであり私の造語だからである。
所謂精神医学の世界に『退行催眠』というのがあるのはご存知の方も多いと思う。
過去の自分に迄記憶を催眠で辿り現在の精神疾患の原因を探る心理療法である。
実は退行催眠を掛けずとも人の精神はもっと簡単に退行する事が出来る。
それが幼稚性退行心疾患の元である。
先に述べた通りネットは秘匿性の高さから社会的地位や年齢性別地域を誤魔化せる。
裏を返せば普段の社会生活内では実現不可能な事も実現可能であるという事でもある。
ネット内虐めの裏にある根本原因が実は此処にある。
特に成人を過ぎ或る程度の年月が経つと多くの人は社会的責任を負う事になる。
それが社会人になる事であり大人になる事でもあるのだがそれも毎日だと疲れてくる。
すると子供の無邪気さを見て羨ましく思いその頃に戻りたいという気持ちが湧いてくる。
されど実際にその頃の自分に戻る事は物理的にはとても不可能である。
されどネット内なら氏素性を隠してあの頃の自分に戻り好き勝手出来ると思う人もいる。
そして此処からが『幼稚性退行疾患』の恐ろしい所である。
体や知識、経験は大人だが心だけが子供に戻る。
子供は単に無邪気なだけでなくある種の残酷さも持っている事はご存知であろう。
蛙のお腹にストローを差し込んでお腹を膨らませて破裂させ蛙を殺したり蟻を踏みつけにしたり大人が思わず顔を背けたくなるほどの残酷さも又、子供は持ち合わせている。
『幼稚性退行心疾患』の場合、この子供に戻りたいという純粋な気持ちと子供の頃の残酷さが同梱しそれに大人になってからの知識や経験が加わるので余計に厄介になる。
子供が徒党を組んで集団いじめを行うように大人になってもそれが抜けない大人が集団虐めを行う。しかも頭は大人なので言葉も酷くその内容も子供の頃より数倍陰惨となる。
それをやる物は子供の頃実現できなかった思いを実現できるので気持ちが良いだろう。
まして大人となり社会へ出て凡ゆる軋轢の中で自己主張を抑え付けられている者にとってはネット内だけは自分がヒーローになりお山の大将となれる場所なのである。
そうなればもう好き勝手し放題であり大人としての分別や常識等吹っ飛んでしまう。
そしてそういう”大人子供”にお心を酷く傷つけられた者の中にはこの精神疾患を罹患して加害者側に回る者も決して少なくない。
自分もされたのだから相手にもという手前勝手な理論が出来上がるからである。
ではそういう人達を牽制し自制させる手段は無い物か?答えはちゃんとあるである。
先ず『幼稚性退行心疾患』の一番の原因は先に述べた通り”秘匿性の高さ”である。
先ずはこの”秘匿性の高さ”から潰していく。
人間どんなに氏素性を上手く偽っても決して誤魔化せない物が一つだけある。
それが”常態行動”である、つまり”日常生活における無意識行動”である。
先ずネット内虐めを行う者の行動を具に観察する。
するとその者の”常態行動”が見えてくる。それが見えてくるとその者の生活が解る。
生活が解れば性別や年齢、居住区や職種を特定し個人を特定する事は容易である。
これで以前某府警と連携しネット内虐めの首謀者をつきとめた事がある。
次に大事な事は子供にも適用可能だが”存在を認めてあげる”事である。
子供が他の子供を虐める原因の一つは”自己顕示欲”が目的である。
大抵虐められる子は虐める子より何か一つ秀でている物がある。
人間自分よりも絶対的下位にある物には牙を剥かない性質を持っている。
そしてそれは自らの優位性が遺伝子レベルで遺伝子情報に刷り込まれている事に起因している。
人が人を虐める裏にある物は遺伝子工学レベルの生命危機意識が原因である。
コイツを此処で叩いて置かないと何れ自分の身に危険が及ぶ可能性があるという事が遺伝子レベルでちゃんと理解しているが故に人は人を陥れるのである。
それを無くす為にはそのいじめる対象者よりも苛める側が優位性を持っている事を実証的に証明してあげる事である。
その事で心の中に優位性を得た人間は虐める事に固執しなくなり欲求も萎んで行く。
そうする事により長年多くのネット内外のいじめ問題解決に寄与してきました。
今もネット内外の虐めに悩む方々へ、我慢せず先ず相談して下さい。
心の専門家が貴方の虐め問題解決に真剣に取り組み必ず其処から脱却させて見せます。

2013年4月24日水曜日

『知りたがりの心理学〜或いは不安神経症の心理学〜』


大学時代我が後輩の女性に私の事を何でも知りたがる後輩がいた。
当時私は今の愛方と付き合い始めたばかりであり別段それを人にいう必要性を感じなかったので黙っていたのだがそれがその後輩には気に食わなかったのか?私に隠し事をするんですか?とはぶてられ随分面食らった事を覚えている。
私は何故氏に一々彼女が出来た事を教えねばならなかったのか?理解が難しかった。
更に随分前の話になるが我が同胞の一人にも同じような部類の人間が居た。
当時私は計7つのブログを管理していたがその全てに目を通し過去ログ迄引っ張ってきて色々と意見を述べてきた。
私は空恐ろしくなり全てを一度閉じ、FBを含め数個のみ残しその同胞は切り捨てた。
だが最近はそういう”知りたがり症候群”を持つ人間は急増しているようである。
我が門を潜るカップルの中にも同様の悩みを持つ者が多く来訪される。
彼氏が彼女の情報を逐次知りたがったりその逆も又、真であったり。
毎日顔を付き合わせている者も居れば年数回しか会えぬカップルも居る。
されど私はカップルにおいて大事な事は会える会えないではなく信頼を置けるかおけないか?ではないかと思う。
手前味噌で申し訳ないが我が愛方は私のネットでの書き込みには一切興味を示さない。
FBを始めブログやTwitter等の書き込みには一切興味が無いようである。
何故か?と問えば私を信頼しているからだと一笑に伏された。
流石我が愛方だと敬服の至りであった。
『北風と太陽』の話は皆さんご存知であろう。
旅人の上着を脱がそうと北風は強風を吹かせ太陽は暖かな日差しを送った。
北風の強風には旅人は上着を強く羽織り太陽の暖かな日差しに上着を脱いだ。
人間の行動も何ら代わりはない。
情報を入手しようと躍起になれば成る程人は情報を秘匿し或いは誤魔化してしまう。
それは情報を与えたくないのではなく無理矢理得ようとする行為自体に嫌悪するから。
我が元へ訪れるカップルの情報を得ようとする側の理論として『愛しているから知りたいしそれは知る権利がある』と主張する者が居るが知りたければそれを直接聞けばいい。
直接聞きもせず相手のブログを盗み読みしたり過去ログを紐解く行為は私は頂けない。
それは相手を信用している行為にはとても見えないからである。
勿論そうさせてしまう側にもそれなりの責任はあると思う。
信頼を置いて貰う努力を怠っている事は問題だしそれを解決に導く努力はすべきである。
されどだからと言って人にはやって良い行為とそれをしてはいけない行為がある。
もし愛方が私の一挙手一投足を知ろうとしたならばその時点で私の中で存在は消える。
信頼をおいていない相手を伴侶には出来ぬしするつもりもない。
閑話休題
実はこの関係は心理職と同胞の間でも成り立つ。
多くの心理職は少しでも同胞の為にと同胞が言いたくもない事を無理矢理聞いてくる。
この行為は正に『北風と太陽』における『北風』と同じ愚行であると我が目には映る。
経験値が少ない者程その傾向は強く又、熟練していても失敗を恐れる者にも多い。
我が門を潜る同胞には私は必要以上の事は聞かないし言いたくない事は言わせない。
寧ろそれをすると同胞の方が不安がり聞きもしない事を色々と喋ってくれる。
人は情報を開示せよと言われれば閉じるがそれを不要とすると自ずから喋ってくる。
同胞から”先生は本当に何も聞いてきませんね?されど全部お見通し、凄い”と言われるが私に言わせればそれが出来てこそのプロでありそれが出来なければプロとは言えない。
大帝の場合、椅子に座った直後未だ、相手の名前もお悩みも聞く前からその内容をズバリ当てる事を私の得意技の一つとしている。
相手は超能力者か占い師か?と思われるが悪いがどちらでもない只の心理職である。
経験上立ち居振る舞いを見れば職業が分かるそれが分かれば周りにどういう人間が居てその結果どういう悩みがあるかは大体想像がつく。
それに我が門を潜ろうとするのだから並大抵の問題ではなくかなり大きな問題である。
そうなれば益々その範囲は狭くなり此方としても正答率は嫌でも上がってくる。
最初から悩みをズバリ言い当てられた同胞は以降隠さず何でも喋ってくれる。
最初からそうすれば此方が何も言わずとも今度は言いたい欲求が芽生えどんどん喋る。
普段日常生活において寡黙な人程本当は分かって欲しい欲求が強い人が多い。
我が門を潜る人の多くは普段は寡黙だが我が元では多弁となる。
自分でも不思議だと言われるが私にとっては何ら不思議な事ではない。
寡黙な人は自らを隠している人でありそれは恐れがあるからである。
その恐れを取り除けば人は大抵多弁となりそれがストレス発散ともなる。
故に我が対面セッションは常、笑い声が耐えず傍から見ていると井戸端会議でもやっているのか?と思う程やかましいw
されどそれが逆にセラピーを受けているという堅苦しさを外し情報を多く入手する手段ともなりそれが増えれば結果治癒率もあがる。
これも又、心理職としての腕の見せ所である。

2013年4月22日月曜日

『聞く力の心理学〜或いは常態行動心理学的情報収集力の心理学〜』


言わずもがなだが心理職というのは”聞く力”という物を求められる仕事である。

一生懸命言葉多く説明する人もいれば言葉少なく一言一言がとても重い人もいる。

直ぐに反応が返って来る人も居れば何度も何度も同じ説明を繰り返してやっと反応が返って来る人もいる。

我々の仕事は前述の通り”聞く力”を求められる仕事だが同時に”相手に理解させる力”というのも求められる。

では”理解”とは何か?

”理解”とは”理を解する”とかきます。
では”理”とは?これは”ことわり”と読み”方向性、在り方”という意味。
つまり”理解”とはその人の心の方向性或いは在り方を解する事”です。

概して”人の話を聞かない人”というとてもややこしい種族の人がいますw
これは実は二種類に分類されます。

”人の話を理解していない”人と”特定の人物の話のみ聞かない人”。
”人の話を聞かない人”は大抵この二種類に大別されます。

後者は割と見るのは簡単なんです。
人の話を聞く時の態度をみればそれらは一目瞭然です。

よく”アイツは全然俺の話を聞いてくれないんです”と嘆く人がいる。
その人の事を具に観察していると”話を聞きたくない人”が見えてくる。

それはその人にとって嫉妬の対象であったり過去にあった苦手な部類の人であったりというケースがある。

所がこれが前者だと一寸話はややこしくなります。

”人の話を理解していない人”つまり”人の話を曲解解釈する人”の事です。
例えば此方は一生懸命”A”という事象について話しているのに何故かその人の頭の中では”B”という解釈になり全然話がかみ合わない人がいます。

これは”人の話を聞いていない”のではなく”思い込みが激しい人”です。
そしてこれは”常態行動”にその謎を解く鍵が隠されています。

その人の人生の中で或る話題において”A”ではなく”B”に至る結果が多かったとします。

しかもそれで”A”という選択をして何らかの不利益を蒙ったとします。
すると人間の危機回避能力が働き脳は無意識に”B”という選択をするよう動きます。

所謂”条件反射”という奴、心理学でいう”刺激と反応”という奴です。
こういう人は何も考えずに或る事象には”B”と反応するという風に脳内でプログラミングされているので一切の理屈は通じません。

その人の中で”B”という選択が正しいとなっている以上それを覆すのは容易ではありません。

これを改善する方法は二つ。

その人が人生に於いて余り関わりが薄い人ならばなるべくその話題は避けて或いは避けて通れない場合は相手より先んじて答えを導き出し相手の感情の高ぶりを抑える事。
相手は先んじて物を言われると所謂”沸点”を奪われて怒りの方向を失います。
そうなるとその人自身不愉快なのでその話題を避けるようになります。

二つ目は依存症改善にも使う方法ですが”嫌悪療法”という方法を使う方法です。

私の場合を例に取ると依然或る地下鉄の改札で”お手伝い不要”と何度も言っているにも関わらず同じ駅員が”何方まで?”と杓子定規に聞いてきていい加減辟易としていたので一度思い切りブチ切れた事があります。

勿論ブチ切れはフェイクです。

その場所では余りキレて居なかったので当然改札の駅員は面食らいます。
それを何度か繰り返す内”こいつに行き先を聞くとキレられて面倒”という風に脳が学習をします。

すると無意識的に脳はそれを回避する方向へ行くので以降行き先を聞かなくなりました。

同じような場面で兎に角鬱陶しい連中には敢えてブチ切れて嫌悪感を与えそれを回避する方法を取りました。

これが年中キレている人ならば効力は薄いですがそうでない場合は効果は絶大です。

この方法は心理職スキルとしても実は使えます(笑)

通って来る同胞にやめさせたい癖がある場合その癖を出した時だけ滅茶苦茶キレます。
すると相手は最初面食らいますがそれを何度か繰り返している内に段々やめていきます。

今度はその行為自体をすると私の怒る顔が浮かんできて恐ろしくなりやめていきます。
こうやって他の人の時もその行為をしなくなりその人が日常生活を円滑に送れるようになるのです。

”怒る”という物も結構やり方によっては様々なバリエーションがあり効果も様々です。
私は基本”褒めて伸ばす”タイプの人ですが悪癖は”怒ってやめさせる”タイプです。

脳への刺激を如何に効率的に行いそれらをより良い方向へ導くか?
心理職の腕の見せ所でもあります。

2013年4月11日木曜日

『生理不順の心理学〜或いは生物学的種の保存法則の心理学』


生理不順というと女性特有の病でそれらはストレスが原因で起こる事は広く知られているが実はこれ女性だけに起こる病ではない。

確かに生理自体が男性に起こる訳ではないが生理不順自体がホルモンパランスが崩れる為に起こる病理現象。

それは女性性及び男性性の欠落が原因で起こる病である。
男女共それぞれ生理学的には両方のホルモンを有しそれでバランスを整えている。

されど主人格ホルモン、この場合男性の場合男性ホルモン、女性の場合女性ホルモンの分泌が抑えられるとそれらの欲求不満が体に出て抑えられてますよ?と知らせてくれる。

それが言わば生理不順となって現れる。

女性の場合は読んで字の如く生理が早かったり遅かったりするが男性の場合、便通が悪くなったり良すぎたりという形で現れる場合が多い。

それらを改善する方法は自らの主人格ホルモンを意識して放出する事が大事である。

例えば付き合って数年経ったカップルとか結婚して10年以上経過した夫婦だと自らの性を意識する場面は段々と激減し日々の生活に追われるようになっていく。

そうすると上層意識(顕在意識)からは遠ざかるが下層意識(潜在意識)はしっかりとそれを記憶しておりそれらの欠落が段々とストレスとなって来る。

更に人間には理性と言う生物学的には不要な物まで付随しているから余計厄介。

例えば大事な仕事の最中等は主人格ホルモンが多く分泌される為正直性欲は高まる。

されど大事な仕事を任されている最中に性交等する暇も余裕も無いのが現状。

更にそういう事を考える事自体が不謹慎だとする風潮が古くから日本にはある。

”武士は食わねど高楊枝”的思考はイギリスの上流社会と同じ貴族意識の現れである。

明治以降士農工商撤廃後、武士は貴族階級となったのがその一番の証拠である。

されど生物学的及び生態学的には極めて理に叶った生理現象である

人間危機が迫れば迫る程生物学的種の保存法則に則り種の保存欲求が高まる。

そしてそれは種を保存し種を残す側の女性の方が強く出やすいといわれている。

危機的状況に陥った時そういう欲求が湧きやすいのは生物学的には女性の方が多い。

それは女性の方がエロいという訳ではなく生物学的種の保存欲求が強い為である。

これは母性が成せる業でありエロいという事とは又別物である。

性交欲求が必ずしもエロいという訳ではないという事がこれでお判り戴けたと思う。

人間には理性が有りそれを抑える事が出来たが故に精子も卵子もより熟成され良質の優勢遺伝子を遺す事ができてそれが今の人類の繁栄に大きく寄与している。

されどそれも限度物。

今度はそれが常態化されると少子化問題が勃発してくる結果ともなる。

今の人口爆発状態においてはそれも大事とする向きもあるが長期的には減少傾向にある。

局地的には増えていても全体的には人類の数は減少傾向にある。

それも又、人類が自然を破壊し生物が住みにくい星に作り変えた言わば報いである。

生物が住みにくいという事は詰まる所その生物の一人である人間も住みにくいという事。

確かに不便さは成長の糧とも言われるがやはりそれも限度物でそれを超えると種の保存欲求が減る結果になる。

これ以上人類の繁栄を人類自らが閉ざすような愚行はやめるべきであろう。

その為にも自然との共生の道を真剣に模索すべき時が来ていると私は考えている。

2013年4月8日月曜日

『常態行動心理学的視覚影響論』


例えばヤクザ映画を見た後、映画館から出てくる若者を見ていると肩をいからせて風を切って出てくる人を見かけますw 

こういう人は右脳的作用が強い人であり場の影響を受けやすい人です。
例えばとても素敵な人と出会い翌朝鏡を見てみると少し自分も輝いて見える。

これも又、右脳的作用が強く場の影響を受けやすい人です。

良く飼い主に動物が似ると言われていますが実は逆です。
飼い主が動物に段々似てくるのです。

人間は恒温動物であり爬虫類のように自らの体温を自らで変化させる事が出来ません。
故に服を着脱する事で体温調節をしているのですが自らで変化させる事が出来ないのは意識的な部分であり生態学的には無意識的に環境に自らの体を微妙に変化させています。

恐竜絶滅後小動物であった哺乳類や爬虫類が生き残れた一番の理由が其処に有ります。
恐竜は体が大きい分環境における変化の影響をモロ受け易くそれが絶滅に繋がりました。

それを地下でずっと見ていた哺乳類や爬虫類は進化の過程において自然界に自らを合わせる術を遺伝子レベルで身につけそれにより現世まで生き残ってきました。

もう一つ、環境に合わせられる物が居ます、それが植物です。
先も述べました通り昨今の花粉症患者急増の裏には地球温暖化により花粉の着粉率が低下した為にその着粉率を上げる為に花粉の飛散量が増えたのです。

これも又、環境に適合し何とか子孫を残そうとする生物学的及び生態学的進化過程です。

例えば『冷や汗をかく』と言いますがこれも実際に汗を冬場なのにかいています。
それも生態学的に視覚及び五感で危険を察知し脳に知らせる為の生命維持活動の一つ。

『汗をかく』という行為自体が体に異常が発生している事を知らせるサインだからです。
自らの体に異変起こり危機迫っている事を知らせる為『冷や汗』をかき知らせるのです。

このように視覚的にそれらを捉える事で脳はそれをよりリアルに認識し体を作り変えて行きます。

女性にとってウインドーショッピングが楽しい理由も実は其処に有ります。

視覚的にそれを捉える事で脳はそれを実際に試したかのような満足感を与えます。
男性だって絶世の美女がずらりと並んでいたら無意識的に視線を向ける筈、それと同義。

安上がりと馬鹿にするべからず、実は尤も人間的行動の一つなのです。

欲しいから手に入れるというのは極めて動物的思考です。
されど人間には理性がある、それが動物とは違う所。

故に理性的に自制をする事でより人間的生活を送る事が叶います。

その意味において欲求を直ぐに満たしてしまう百均等はそれらの自制力落とす愚行。

最近は『100均症候群』なる精神疾患すら出てくる始末。
安い安いと買い続けている内に気付いたら物で溢れお金もなくなっていたという病。

これをやめさせるには安い物で満足する脳を高い物で満足する脳に作り変える事。

安く薄い満足ではなく高い深い満足の方に価値を見出すこと。
その事により常習性をなくしこれらの常習性疾患は改善が可能です。

『安物買いの銭失い』とならぬよう御用心御用心。

2013年4月6日土曜日

真のアンチエイジングとは何か? それを常態行動心理学的に解析す


我が元には”昔に戻りたい”と切望する多くの女性が来訪されます
私は魔法使いじゃないので逆戻りの魔法を掛けれません。

されど年齢を問わず若々しくさせる事はできます。

真のアンチエイジングとは若返りではなく若々しさを保つ事です。
それは若作りとは違います。

年齢に即しいながらも年齢を感じさせない可愛らしさや色艶がある事を示しています。

加齢に伴い重力に従う御自身の胸を嘆かれる淑女の方が良く居られますがそういう方には胸筋を鍛える事をお勧めしています。

胸が垂れ下がるのはその胸を支える胸筋の筋力が失われそれに胸自体の弾力が加齢と共に失われるからです。

胸筋が鍛えられれば支えが丈夫になり弾力はそれを意識する事で上がり結果重力に逆らって上を向きます。

何より加齢を嘆くのではなく加齢によって出てくる艶や深みを楽しむ事。そして不必要なアンチエイジング商品の情報を見聞きしない事。

商業主義的アンチエイジングの多くは体に負担を掛けます。
何故なら本来加齢によって衰えて行く機能を補う為に様々な補完機能が働くのを無理なアンチエイジングにより止めてしまうのですから。

それは結果的に寿命を縮め細胞をより老化させる逆効果です。

我々はそれをメンタルを変える事で一切のサプリや機材を使わずに実行し成果をあげています。事実齢70を過ぎた妙齢の女性が自分の息子より下の彼氏を数名侍らせさせたケースすらあります(笑)

彼女は最愛の夫を病気で亡くし失意のどん底にあり何時後追い自殺をしてもおかしくない状態でした。それをご子息が見るに見兼ねて我が門をお母上様と叩かれたのです。

私は言いました、今を悲しみ後追い自殺をする事を亡くなられたご主人が望まれるでしょうか?と。逆の立場ならばそれを望まれますか?と。
本当にご主人の事を思われるのであるならば何時迄も若々しく元気で幸せに暮らしている姿を見せ安心させる事こそ大事では?と。

それから一切御家庭では年齢を意識させる会話や物は禁止としそれを感じさせないセラピーを開始しました。

最初こそ戸惑いや後ろめたさがあったようですが粘り強く辛抱強くやっていく事で徐々に気持ちが上向きとなり上記の結果を生みました。

彼女は今でも言います。

主人が今の私に嫉妬して戻ってきてくれないかな?と。
多くの若い彼氏が居てもやはり彼女の中でご主人が唯一無二の存在

それがあればこそ若々しく元気でいられるのだと思います。

既に故人ですが弔問には大勢の彼氏さん方々が訪れそれは立派なお葬式でした。

きっと今は愛しい旦那様と天国で寄り添っておられる事でしょう。

2013年4月5日金曜日

『類は友を呼ぶ』の常態行動心理学的解釈〜或いは緊張すると食べられない常態行動心理学的根拠〜


一般的に『類は友を呼ぶ』と言うとその対象は人である場合が殆どである。

されどこの場合の”友”とは何も人だけを示さない。

人が作る”物”も又、”友”の範疇となる。

例えば創造的職業の人がガラス細工や毛織物等繊細で芯の強い物を選ぶとしよう。

それはその人自身が”繊細で芯の強い人”でありそういう人が作る物を好む傾向にある。

故に我々はその人が選ぶ物を見ただけでその人がどういう性格なのかがわかる。

人間何時も自分が好む物を選択するとは限らない。

時にはその選択を”見せる為”の選択をする場合もある。

更にこれが意識的な物と無意識的な物に分かれる。

例えば普段呼ばれないような場所に呼ばれたとする。

目の前には豪華な食事が並び欲する物が目の前にあったとする。

普段の自分ならば迷わずダッシュして欲しいだけ取り食べたいだけ食べるだろう。

されど周りは皆さん紳士淑女で落ち着き払った方々の集まりである

自分とは身分も収入も桁外れなれどここで恥ずかしい真似をしたくない。

となると衝動を抑え少しずつ食べ、結果十分な満足を得られないまま帰宅となる。

というケースは結構ある筈である。

例えば恩師の家に呼ばれ緊張の余り食事が喉を通らずこれまた美味しい食事を逃す事も。

これは実は五感情報が関係をしている。

五感は全ての情報を集めその情報を脳に送り脳は今の自分のいる場所でのソーシャルポジションを瞬時に解析その後それを五感にフィードバックする。

その脳からの指令を受けた五感が各器官へ情報と伝達する。

これが実は”場の影響性”という物である。

つまり緊張という状態を作り場の中での孤立化を避ける為である。

これは極めて生物学的及び生態学的な人間の生存本能の一つである

なるべく目立たず周りの色と合わせる、その為に五感情報をフル活用しそれをフィードバックする。

そうやって自らの身を人間は常、守っているのである。

小心者だと自らを貶めるなかれ、それこそが人間が人間たる証である。

寧ろ自らの欲求の方が勝り場の空気を読めず自己欲求を満たす事だけに終始する方が余程ヤバイのであるw

そういう場の空気を読み胃が痛む自分の方がより人間的である。

そういう自分が嫌だとする向きもあるが私は案外そういう人の方が好きである。

そういう人間が一人でも多く増えてくれれば争い事は随分減るのではないかと思う。

これからも我々はそういう人を守りながら皆が笑顔で居られる環境づくりをしたい。

そう願っている。

と言う事で今日も最後のフォンセッションを終えそろそろ休ませて戴きます。

皆様方も良き夢をm(_ _)m