2013年7月31日水曜日

通勤時の読書が身体に悪い常態行動心理学的根拠

過日、『或る社長秘書の悲劇』を書いたのを御記憶されてる方も居られるでしょう。
朝、社長が出勤され”何時もの様に”手帳を開き今日のスケジュールを社長に伝える。
されどその日に限って全くスケジュールが違っていた。
中に大事な会社社長との会食が入っており危うく大きな損害を出す所だった。
社長は大激怒、普通なら即クビだが社長秘書を置く必要性を感じない中小企業。
社長の見栄で置いている部分も有りクビにもできず我が門を叩けと命じられた。
彼はメンタル疾患ではない、”常態行動”に問題があった。
先に述べた通り、社長秘書を置く必要も無い中小企業である。
毎日のスケジュールも現場周りが殆どでそれ以外の業務は皆無に等しかった。
彼にとっては”手帳を開く事”事態が常態化されており開いた時点で彼の脳ではその処理がおわっていた。
だが、偶々其処に運悪くその日だけ違うスケジュールが入っていた。
しかも、社運を左右する大きな行事が(^_^;)
それが彼の不幸であった、彼が何故ミスを犯したのか?その根拠を私は明らかにした。
彼は得心しそれ以降”手帳を開く事”でなく”中身を確認する事”に注力したという。

閑話休題

此処までは前回の話で此処からが本題(長すぎるはw)
過日愛方から出勤時の常態化を防ぐ為に読書をする人が増えているという。

されど残念ながらそれは私の目には正しい事とは思えない。

本の内容を変えても結果的に”読書をする”という行動自体に変化はない。
つまり”常態化”し易く読書自体に余り効果はない。

更に言えばあの振動と周りの喧騒が読書の理解力を落とし集中力を必要とする。
集中力と読解力は鍛えられるが如何にせんそれにより出勤前であるにもかかわらず脳は相当疲弊してしまいそれが仕事上のミスを生む温床となる可能性がある。

特に今夏は余計集中力をその暑さで奪われる為、それに通勤時の読書が加わると更に集中力を奪われる。それが仕事上のミスを生みストレスを生む。

最近電子書籍隆盛で紙媒体での本を読む人が少なくなってきている。
それ故のプロパガンダである事を忘れないで欲しい。

イベントブルーに陥らぬよう御用心。

2013年7月30日火曜日

続 常態行動心理学的夫婦問題解決法

過日此処でも触れた『常態行動心理学的夫婦問題解決法』の続編である。

我が元には年間様々なカップルが来訪される。
その中には『制度上問題があるカップル』も数多く来訪される。

平たく言えば不倫カップルである。では不倫とは何か?
制度上の婚姻関係以外の異性と関係を持つ事、一般的な解釈はそうであろう。

されど私の中ではそれは真実ではない。

『不倫』とは『倫理に能わず』が元の意味。
互いの努力を怠り制度上だけの愛のない夫婦関係を続ける事は倫理に反する行為である。

それこそが『不倫』ではないだろうか?と私は考える。
それを制度上で規制を掛ける事自体が『不倫』である。

勿論我が持論は社会的認知は得られにくいであろう。
だがそんな事はどうでもいい。

私は私の元へ来られる『制度上ではない愛溢れた夫婦』の心をケアし守るのが仕事。
例えそれが社会的認知を得られずとも全く問題はない。

誤解がないように申し添えておくが私は不倫を推奨する者では無い。
しないで済むならそれが一番である。

そうなりかけでまだ修正が可能である場合は全力で修復に尽力する。
されど互いの距離が修復できない距離にあり双方その気がない場合はその限りではない。

全てはケースバイケースである。

2013年7月29日月曜日

周南市の殺傷事件を常態行動心理学的に斬る!

周南市の殺傷事件は我が『場の心理学』においてとても説明しやすい事件であった。

都会から帰郷し極めてムラ社会的な中で孤立し『場の違い』にとても苦悩し自己の崩壊を必死になって守って来た加害者が信じる者の死によりそれを奪われそれによって『場』を失い自己崩壊を起こし生物学的な生存欲求が理性を上回り自分が敵だと認識した者を排除した極めて動物的事件だと思います。

近所トラブルが絶えず、常、攻撃的姿勢を崩さなかったと言います。
それは好戦的な性格というより寧ろ私の目には防戦的な人間のように移ります。

その証拠が犬を飼って居たという所。
これは彼にとって王様である彼を守る兵士の役割を担って居た筈です。
其れこそが彼が好戦的ではなく防戦的な性格であった証です。

”弱い犬程よく吠える”と昔から申します。

本当に強ければ”相手を脅す”行為をする必要がありません。
彼にとって”脅し”は生き抜く為のそして自らの場を維持する手段であった筈です。

されどその”場”を身内の死により失い、行き場を失った感情が爆発、冒頭のような不幸に繋がったとみるべきでしょう。

先日友人とこの事件について議論しました。
我が地元も同じですが区の行事が余りにも多すぎて日常生活に支障が出ています。
されど”ムラ社会”は”伝統”を重んじるので不平不満があってもそれを口には出さない。

口に出さないと表立った問題は発生しませんがその分ストレスはたまります。
それが限界を超えると今回のような事件を引き起こします。

これは決して他山の石でも対岸の火事でもなく目の前にある現実です。
これからこういう事件が更に増えないという保証は有りません。

それを防ぐ為にも同じ地域ではない場所から人間を派遣し行政を行い住民の溜飲を下げる努力はすべきだと思います。

2013年7月28日日曜日

自己流を貫き続ける為に必要な事とは?

自己流であり続ける為に必要な事。
それは自己責任を放棄しない、型を作らない事。

誰かの傘下に入る事は簡単だがそれは自己責任を放棄できる事にも繋がる。
責任の軽重は技術の成長に置いてとても大きなウエイトを占めていると言って良い。

且つ学習継承型は”型”に依存し続けて成長が遅くなる恐れがある。
実際格闘技の世界を見ていても”型”に拘る人より”勝つ事”に拘る人の方が強いと思う。
自己流は”型”を作らず依存しない分だけ成長が早いように私には思える。

そして何より逃げ場がない。

常スキルアップや基本の確認を怠ればそれでお終いである。
基本をしっかりと常押さえつつスキルアップを忘れない。

背水の陣を敷く事こそ自己流には大事だと私は考えます。

熱中症に気をつけるのは熱だけではない。


熱中症において気をつける事は”熱”だけではない。

罹患場所も十分注意せねばならない。

最近怖いのは車内熱中症と歩道熱中症。

車に運転中に熱中症に掛ると最悪意識を失い大惨事になる。

歩道熱中症の場合も意識朦朧となり軽い場合電柱に頭をぶつけたり酷くなると道路沿いを歩いていた場合道路に体が飛び出る事もある

そうなると人身事故に繋がりかねない。

病院も医者も神では無い。

一人が一つの場所が診れる人数には制限がある。

小まめな水分塩分補給と休息を取れば防げる病である。

大惨事に至る前に、何より大切な人を悲しませない為にも事故管理を怠りませんように。

2013年7月21日日曜日

常態行動心理学的夫婦問題解決法

心理職となって20余年が経過。

実に多くの人との出会いが有り今の私という存在を作って貰っている事に心から感謝である。

心理職というとお心を病まれた方のお心を治す事が本業だと思われている。

実際それで解釈は間違っていない。

されど我々は予防医学の立場から我が門を叩く人の中で”このまま放置していたら間違いなくお心を病まれるな”という人の心を”守る”仕事も大事な役目であると認識をしている。

その意味において我々は”万事屋”的であると言って良いと思う。

例えば”夫婦問題”を例にとって考えてみる。

夫婦問題解決カウンセラーならば”関係修復”の方向へ持っていかれる方が多いと思われる。
一般的にはその考え方で間違いはないと思われるが”常態行動心理学”的には少し違う。

夫婦関係に問題が生じる事の多くは”常態行動”にあるといっても過言ではない。

新婚当初ならまだしも経年と共に相手の存在が段々と”特別”な存在ではなくなってくる。されど法制的には”配偶者”となっており日本人は特にその”法制的婚姻関係”をとても重要視する。

平たく言えば”世間の目”という奴である。

親類縁者の手前、ご近所の手前、仕事の手前”離婚”という事態は”体裁が悪い”から避けたいという人がとても多い。

もしもこれが”愛しているから”という理由で有るならば話は別でありそういう夫婦なら我が門を叩く事すらないであろう。

大抵我が門を叩く方々は”愛している”という最も人間的で生物学的な理由を忘れている人が多い。

そして制度上の”夫婦だから”という事を理由に挙げる配偶者がとても多い。
されどそれ自体が”常態行動心理学”的にはとても危険な状態であると言って良い。

”愛がない夫婦関係”程心に苦痛とストレスを溜め込む物は存在しない。
言うなれば互いが互いの作った”鳥籠”に否応無しに閉じ込められている状態である。

身体的自由はあるけれど精神的自由は奪われている。
人間、行動的自由と精神的自由のどちらを奪われるとよりストレスを感じるかと言えば明らかに後者である。

例えばとてつもなく広い土地に一人ポツンと置かれた事を想像して貰えば解りやすいであろう。

行動的には何ら制限はない。
されど無限に広がる空間の中で誰とも合わず会話をする人もいない。

これは行動心理学的には”時が止まっている”のと同義でありこれ以上の苦痛は私は存在しないと思う。

話が少しそれるが『浦島太郎』が持ち帰った『玉手箱』がおじいさんになる煙だったというのがその証明である。

つまり場に応じた年齢になる事で場との違和感をなくそうというのが玉手箱の狙い。
人間は”時の流れ”の中で生きておりそれを戻したり進めたりはできない。
人間は”時の流れ”だけは制御不能である。

話を元に戻そう。

つまり夫婦関係が経年と共に変化しその変化に互いが気づけず互いが互いの鳥籠に押し込まれ窮屈さを感じている事自体が”異常”であり、その事が”お心を病む原因”となっているならば、心理職としてその関係は改善せねばならない。

私はこの場合”修復”よりも”再構築”を勧めている、つまり”離婚”である。

多くの人からは理解を得る事は難しいと思われるがもしも”修復”が互いに可能である範囲に居るならば互いが其処に気付き最初から改善していると私は思う。

されど経年と共に互いの存在が希薄となり其処に気付けず元に戻れない距離まで心が離れてしまっているならば、私はその距離を又、一から縮めるよりもその時点で最も近い距離の人との再構築を進めている。

距離を縮める努力は結構大変でありその努力を惜しまない人なら夫婦関係に問題は初めから生じない。

其処で問題が生じている時点でその距離はもう埋めようがない程離れている。
其処に気づけなかった各々のミスでありそれは各々が背負うべきペナルティである。

夫婦問題を語る際一番ネックになるのが”親権問題”である。

大抵の場合は”経済力がある方”が親権を得る場合が多く、旦那のDVが原因等の場合は妻に親権が行く場合が有る。

中には”子供の為に今は我慢する”という夫婦も居られるが私は”殊勝なお考えで”と手放しでは喜べない。

場の構成員の中に夫婦と子供がいてその夫婦の関係が破綻していてその場の中に子供がいる。

夫婦とも子供を愛しているが夫婦自体に愛はない。
実はこれも常態行動心理学的には今度は”子供”に精神的ストレスを与える結果となる。

両親は自分を愛してくれている、されどその両親は互いを愛していない。
それは自分が存在しているからだとし幼少でもそれにより”トラウマ”を残したり成長過程において様々な問題を発生させる。

”子供嫌い”になったり”異性を愛せなくなる””愛情という物が理解できない”等で有る。
こうなったら何の為に、誰の為に離婚を選択しないのか解らなくなる。

本当に子供の事を思い、子供の将来を案ずるならば”再構築”を選択すべきだと私は考える。

と言う事を昨夜の準夜勤の看護婦さんとの会話の中でふと頭に浮かびました。
勿論看護婦さんの夫婦関係が破綻しているという訳ではなく”今は”大丈夫らしいですけれどw(単身赴任でかなり孤独を味わっておられる様子、これが一寸気になります)。

2013年7月20日土曜日

『醜形恐怖症』の新たな亜流とその対策について


最近『醜形恐怖症』に新たな亜流が出てきている事に入院して気づきました。

南七階病棟の看護婦さんは旦那さんが注意をする程メイクが濃い人で私もまだ20代前半にしては一寸濃いかなと思って居ました。

深夜勤の時の彼女を見てその原因が解りました。

スッピンだととても幼く見える為です。

恐らく成人を過ぎても幼い顔の為に映画館とかの入場制限やその他色々な不具合があったのだと思います。

それらのトラウマが彼女を濃いメイクに駆り立てたのだと思います。

今一人は左頬にコイン大の青痣がある看護婦さん。

とても可愛いお顔立ちで私の外科病棟での担当看護師さんでもありますが彼氏一筋。

されどそれにも恐らく理由があると思われます。

とても可愛いお顔立ちで色白であるが故に青痣がとても目立つ。

それを隠す為にチークを濃いめに赤系で入れておられるのですがそれをすると余計にその場所が目立ちます。

我がオリジナル心理学の一つである『メイキャップ心理学』でも触れてますが『隠すメイク』より『魅せるメイク』、『守るメイク』より『攻めるメイク』を勧めています。

彼女達のような部分的な物も含め最近は先に述べたように様々な『醜形恐怖症』がでています。

問題なのはそれらを『醜形』だとする本人の意識の問題がとてもあります。

『醜形』だと意識をして其処に気持ちをフォーカスするとどうしても周りにもその感情が伝わり其処にフォーカスしてしまいます。

トイレに行きたいのを我慢している姿を見てトイレに行きたいんだなと人が気づくのと同じです。

彼女たちと同じ類似性を持つ人を数多く見てきました。

多くの人は自らを『醜形』とし其処にフォーカスするのが原因でした。

故に私は彼女達のウィークポイントをチャームポイントに変えてフォーカスを外すセラピーをしています。

ウィークポイントとチャームポイントは実は紙一重。

考え方一つで大きく変わります。

それをご指導し多くの方々の『醜形恐怖』を克服させていただいています。

今日も元気に頑張りましょう。

2013年7月17日水曜日

心理職に求められる事は病を治す事だけではない。


心理職に求められる事、それは完璧に病を治す事だけではありません。
心理職に求められる事、それは正確さとスピードです。

同胞は今の状態が嫌だから、変えたいから我々の門を叩きます。

されど実際にそれを変えようとすると膨大な時間と労力がかかる。
それを省く為に多くの精神科医は薬を処方し時間と労力を短縮します。

されど我々はそれをしない。
それをしないで結果を出す。

しかもその時々で同胞の目に見える結果を出す。
それがプロだと私は思っています。

時間を掛ければ極端な話素人でもある程度改善は叶います。

されどそれは素人。
本当のプロは次々に結果を見せてやる気を継続させ最終目的地まで淀みなく導くのが本当のプロです。

その意味において私はプロを自認しています。
それは鼻高々になっているという意味ではなく自らに足かせを付けて自戒させ背水の陣を敷き逃げ場を無くす為です。

逃げ場を無くすのは同胞だけじゃありません。
我々も又、退路を絶って事に挑みます。

其処までしないと完治しないのが心の病であり心の闇だと私は認識をしています。

『オフィス熱中症』にご注意を!?


『オフィス熱中症』。

大型プリンターやパソコンに挟まれた場所に机がある人が主に掛かる熱中症です。

原因は言わずと知れたプリンターやパソコンから放熱される熱です。普段ならば外気によって冷却されるのですがこの時期は外気自体がかなり熱を帯びているので熱が逃げず室内を循環しそれが濃縮され更に熱を帯びた結果体が脱水症状を起こす病です。

人間は視覚で捉えられる物に対しては敏感に対策を練りますが視覚で捉えられない物には割と無頓着です。

されど其処に意外な落とし穴が開いて居ます。

『オフィス熱中症』にくれぐれもご注意下さい。

7月8日より入院中。

表題に有ります通り、7月8日に床ずれ悪化にて緊急入院しました。

当初は基準値1以下の炎症反応が20近くあり生命危機に有りましたが当院方々のご尽力により今は正常値迄回復。

来週月曜日に人工肛門取り付け手術をし、その後床ずれ手術、人工肛門取り外し手術を行い退院という運びとなる予定。入院期間は二ヶ月。長丁場ですが頑張ります。

2013年7月1日月曜日

儲け話が儲け話になっていない常態行動心理学的根拠


掲示板等で儲け話が沢山上がってますが実は『矛盾』がある。

例えば10人が同じ条件でそれを行ったとして皆が同じ結果を得られますか?

もし得られるのならば世の中に貧富の差が存在している事に矛盾が生じます。

お金は有限です、それに地域性や特性等様々な要素が絡んできます

誰でも簡単に儲けられる話は実は誰でも簡単に儲けられない話です

儲け話には必ず裏があります。

それを失念されないようにw

日本の再生医療に求める事


山中教授のIPS細胞の発明は日本のみならず世界の再生医療の大きな前進となった。

と同時に今迄蔑ろにされてきた様々な問題をも浮き彫りにさせている。

一番の問題は『国による規制意識の違い』であろう。

成功とリスクは表裏一体である。

一方の存在なく一方は存在し得ない。

勿論リスクを抑える努力は必要である。

されどリスクを恐れそれを行う事に慎重になりすぎたら救える命は救えなくなる。

海外と比べ再生医療について日本は規制が緩いという。

命を軽んじているという意味ではない。

救える命を重んじてるだけである。

規制は何の為に存在しているか?

其れは安全の為。

では安全は何の為に存在しているか?

それは活かす為。

規制がそれを活かす為ではなく奪う為に存在しているのならばそれは既に規制ではない。

リスクを背負っても生きたいとする命を国が自らの責任逃れや保身で規制をかけるならそれは殺人罪に該当する。

生きる権利を剥奪資格を持つ者はこの世には存在しない。

一日も早い実用化へ向けて新たな法整備を政府は急ぐべきである。

それを怠る行為は世界へ日本の恥を発信するのと同じ愚行であると知るべし。

今も再生医療が間に合わず散らしたくもない命がどんどんと散って行っている。

その現実に政府は目を向けるべきである、決して目を背けてはならない。