阪神淡路大震災でメンタルケアボランティアスタッフとして参加させて戴いた私を一番悩ませたのが上記の物である。『サバイバー症候群』何故自分ひとりが助かったのか?それが申し訳なくて堪らないとする心の病である。
多くは日本人が掛かり易い病と言ってもよい、それは”自己犠牲精神”が他国と較べ日本は意識が高いからである。
諸外国からは『キチガイじみている』とする『特攻隊』等がその典型と言わねば成らないだろう。
他にも殉死や赤穂浪士等に見られる主君の為に自らの命を散らす等が其の典型である。
そういう”下地”が染色体レベルで日本人は摺込まれているが故に”自己犠牲=尊い物”という図式が成り立つ。
裏を返せば”自己犠牲出来なかった者=生存者=駄目”という図式が無意識に己の心を苦しめるのも又事実である。
そういう方に私が何時も声掛けをする時こういう風に声掛けをしている。
”貴方が言われる事は確かに一理有ります、されど遺されて行く者も又亡くなられた方同様これから亡くなるまで長い苦しみの中で生きていかねば成らないのです。自分だけ生き残ってしまったという心の中の負い目をずっと抱きながら生きていかねば成らない。その時点で”辛さ”は同じではないですか?まして貴方の大切な亡くなられた方が今の貴方の状態を見て安心出来るでしょうか?もし貴方と亡くなられた方が逆の立場で今の貴方と同じ状態であった亡くなられた貴方はそれを認める事が出来ますか?
自分の犠牲の元に助けられた貴方がずっと自責の念を抱き続け生き続ける事を亡くなられた方は立派と認識なさるでしょうか?
私も嘗て災害ではありませんが父を亡くし甥を身内に殺されています、亡くなった当初はそれこそ心に穴がぽっかりと開いた状態。父は人生の半分以上を闘病生活で苦しんで苦しんで苦しみぬいた末志半ばで亡くなりましたどんなにか無念であったと思います。
されどそれを遺族が幾ら悔いてももう時間は戻せない、戻らない。なれば過去を振り返り心を塞ぎこませるより前を向いて歩く事。
それが亡くなられた方への本当の供養であり亡くなられた”大切な方”の遺志を継ぐ事ではないでしょうか?
綺麗事を申しているのでは有りません、状態は違えど身内を奪われた悲しみは私も貴方も同じ。だからこそ貴方のお気持ちが痛い程判るのです。どうしようもない結果で身内を失う事ほど悔しく悲しく痛ましい物は有りません。なればこそ遺された物がその光を天界にまで見える位輝かせることが大切だと私は考えます。今は無理でもいい。直ぐじゃなくてもいい。徐々に少しずつ少しずつ前を向いて歩いていきましょうや。私で良ければ伴奏者となりましょう。共に苦しみから脱却して参りましょう”と。

大抵の場合、涙を流し抱きつきそして最後は笑顔となります、勿論私も共に泣きそして共に笑いあいます。
阪神淡路大震災でお身内を亡くされた方はその後施災害遺児を養育する施設を作られそこで”ビックマザー”と呼ばれています。
彼女は言います”私は身内を全員失ったけれどその代わり多くの”子”を授かった。今はこの”子”達を立派に成人させる事が私の務めであり使命であり生きがいです”と。

そういう彼女の顔は震災直後の死相漂う顔から生気が戻りとても活き活きと輝いておられました。
きっと亡くなられたお身内も其の笑顔を天界で見られ安堵されておられる事と思います。

サバイバー症候群は必ず治ります、私が治して見せます。
生き残った事を公開するのではなく生き残った者の使命を全うする事、其処にどうかフォーカシングして下さい。