2011年3月17日木曜日

ディザスターズ・シンドローム(災害症候群)とパーソナルスペースの心理学~或いは思いやりの心理学~

ディザスターズ・シンドローム(災害症候群)とは災害等大惨事によりお心を病まれてしまう事。
死体を目の当たりにしたり、人と人が争う姿を目にする事により起こる一種の心の防衛機能の事。

又、『パーソナルスペース』を冒される事により発症する場合もある。
『パーソナルスペース』とは人が不快に感じる人との距離の事。

エドワード・ホールが提唱する理論で範囲は凡そ以下の通り。
4つの距離帯
1・密接距離(intimate distance) :0cm~45cm・身体に容易に触れることが出来る距離
・家族、恋人など、ごく親しい人がこの距離にいることは許されるが、それ以外の人がこの距離に近づくと不快
感を伴う

2・固体距離(personal distance) :45cm~120cm
・二人が共に手を伸ばせば相手に届く距離
・友人同士の個人的な会話では、この程度の距離がとられる

3・社会距離(social distance) :120cm~350cm
・身体に触れることは出来ない距離
・あらたまった場や業務上上司と接するときにとられる距離

4・公衆距離(public distance) :350cm以上
・講演会や公式な場での対面のときにとられる距離

避難所暮らしの場合殆どが上記の1番乃至は2番に相当する距離以上を保つ事は大変厳しい。
されど赤の他人がこの範囲内に入ると心は相当なストレスを感じそれが悪影響を及ぼす事となる。

実際この距離外を求める事は避難所では厳しいが『思いやり』でもってそれを補う事は可能である。
一声かける、頭を下げる、それは誰にでも出来る事、そしてそこに年齢や性別や社会的地位を持ち出す事はタブー中のタブーである。相手が子供であれ部下であれ”人”に変わりなし。

一寸した気遣いが ”ディザスターズ・シンドローム(災害症候群)”を防ぐ手立てとなる事を御理解賜りたい。

閑話休題

上記の内容に関連の有る話なのだが災害を経験した人の中に数多く”PTSD”を患う方が居る。
そりゃあ今まで経験した事が無い悲惨な経験をするのだからそうなってしまってもやむをえない事。

されど災害時”幼少”でそれから何十年も経って発症するケースが近年増えている、此れは何故?
これも上記の”パーソナルスペース”に実は大きく関係が有る。

災害時、大人同士のプライバシーは割と守られるが相手が子供だとどうしても破られてしまいがち。
”子供だからいいか”と平気で裸になったり又は女の子が着替え途中にズカズカと入ってきたり。

大人から見たら”子供”でも、”子供の側からしてみたら立派な”領域侵犯”である。
大人であろうが子供であろうが”パーソナルスペース”は存在するし子供の方がより範囲は狭い。

それは”抗する力が不足している”事が原因である、大人と比べどうしても子供は抗する力が弱い。
それ故大人の”パーソナルスペース”よりももっと其の範囲は狭くその中に入られる事を激しく嫌う。

されど多くの大人は其れを理解していない、それ故第一思春期や幼少期にそういう事態に陥った際
PTSDを患うケースが多い。されど経年と共に段々と記憶は薄れていくが時として同じ場面に遭遇した時、幼少期の忌まわしい記憶が呼び覚まされそしてPTSDを患う事と成るのである。

私も阪神淡路大震災を経験した当時のお子さんが成人されこのPTSDに多く掛かっている症例を数多く見てきている。其れゆえに大人の一寸した気遣いを求めたいと思う。

相手が幾ら子供でも”大人同様の扱いをする事” それだけで随分”PTSD”は回避可能である。
子供も馬鹿じゃない、状況的に叶わぬ事は理解している、只、心に納得させてあげて欲しい。

そうすれば”心”が傷つけられることは無い。
一寸した大人の気遣いが将来のPTSDを防ぐという事を是非理解して欲しい。

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