2011年3月8日火曜日

根源的欲求の心理学~或いは応用認知心理学~

数年前の話、博多駅新幹線口構内で某イケメン俳優とぶつかった。
当時氏は某医療ドラマに出演中で(主演ではないが)歌もそこそこ売れ人気絶頂期に居た。
相手は携帯で電話中、此方は避けたのだが相手が前を見ていなかった為わざわざ避けた方へ相手が移動^^;。
そして”気をつけろよ、どこみてんだよ”と難癖を^^;((゜-゜;)ヾ(-_-;) オイオイ...)。
”ぶつかってこられたのは其方の方では?”と笑顔で応対する私(と同胞数名)。
”何?お前俺が誰だか知らないのか!”と未だ自らの痴態を詫びる事も無く息巻く某俳優^^;。
”さぁ?誰だったっけ?会った事ありましたっけ?”
”はぁ?何言ってんの?TVみねぇのかよ、○○だよ、○○”とわざわざ”芸名”をお教えくださいました。
私は”はて?○○?TVは仕事が忙しくて余り見ない方だがそんな人居たっけ?”と私。
同胞は私の”意図”を察知し、”さぁ、私も知りません、先生もご存じないなら多分そんな有名な方じゃないんでしょ”と。
同胞方々も口々に”さぁ、知らない見た事も無い”を連呼、相手の顔が見る見る内に赤くなるのが手に取るように解る。
相手はついに”怒髪天をつき”大声で”ふざけるな!俺を知らないだと?!”とかなりお冠(笑)
余りに”ドラマ内での彼のイメージと実際の彼の愚行”のギャップに驚いた彼のファン(らしき女子高生方々)も遠巻きに彼を見つめるだけで誰も彼の”名”を言う人は其処には居なかった。
とうとう彼は”冗談じゃない、だから田舎は嫌いなんだよ”とふてぶてしい態度でその場を退席。
後で我々は大爆笑、勿論その場に居合わせた方々も大爆笑でした。

その某有名俳優は”知られていて当たり前”と思っていた、されど”誰も自分を知らない”という事に自尊心を傷つけられた。このことは何を意味するのか?それこそが今日の題名にある”根源的欲求”なのである。

地位や名声や金銭的富裕、姿形の良さ、これらは全てある一つの目的に帰結される、それは”認知欲求”である。
生物の三大欲求(睡眠、食欲、性欲)以外に人間にはもう一つ大きな欲求が或るそれがこの”認知欲求”である。

お金持ちになるのも有名人になるのも綺麗になるのも全てこの”人に自らの存在を知られたい欲求”が元である。
不遇な素人時代を経て有名人となったケースはかなりの数あるがそれも又、”何時か有名になって認められたい”という強い意志があればこそ。その強い意志こそが有名人となる核となる。

所が某イケメン俳優のようにそれを”当たり前”としてしまうとそれが又違えてしまう。
どんな有名人でもそれらが”知られて居ない場所”に行けば”只の人”である。

だが、普段まわりからちやほやされている為、”知られていない自分”と言う存在をどうしても容認出来なくなる。これは実は大きな精神的ストレスであり此処から精神病理に至るケースも少なくない。

閑話休題

先に述べた通り、”知られない事から精神病理に至るケースも少なくない”という事は裏を返せば”自らを知られていない事が精神的病理の源(病巣)”となるケースがあるという事でもある。

我が元へ来られる方々の多くが”本当の私を誰も理解してくれない”と嘆かれる方々ばかりである。
されど”私”は職業柄、又、ほんの少しの生来的な物から”本当の私”を理解する能力を有している。

それ故に”本当の貴方はこうですよね”と言い、相手は”やっと本当の自分を理解してくれる相手と出会えた”と喜ぶ。
そして次に”どうすれば本当の自分を相手に理解して貰えるか”をお教えするようにしている。

”自分を理解して貰えない”と嘆く人の多くは”自らを相手に理解させる遣り方”を違えている人がとても多い事が解る。
他の人が遣るやり方と同じ遣り方をしても”自分を理解して貰える”事は余り無い。

”自分を理解して貰う”為には先ずその前段階として”自分が自分を深く知る事”が大事である。
其の上で”自分とは○○である”とちゃんと自分の存在を相手に解るようにアピールできる事。

それが”相手に理解して貰える自分”を作るコツである。
それをお教えする事により多くの”自分を理解して貰えない人”を”多くの人に認められる人”に変えてきています。

”誰も私を理解してくれない”という言葉の中に”自分”も含まれているという事をちゃんと理解して下さい。
そして先ず”自分自身”が”自分自身”をちゃんと理解するよう努めてください。

さすればきっと”貴方を理解してくれる人”は現れますから^^V

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