いよいよ非被災地側にも今回の震災の波が大きく押し寄せようとしている。
ガソリン関係、医療関係、食料関係など様々な分野での遅延が問題視されてくるようになった。
今日も愛方と有るレストランへ行ってみたら休み、料理に必要な材料が揃わず午前のみの営業との事。
週末は何時も賑わっているお店だけに其れを楽しみに来るお客からブーイングが起こっていた。
又、別のショッピングモールのレストランも軒並み品薄状態で料理の選択の幅が狭められている。
尤も痛いと思ったのは来月から実施される鉄道による『間引き運転』である。
充分なエネ供給が出来ない為、エネ維持の為、当面運行本数を減らし回避に努めると言う。
通勤通学の足にかなりの影響が出ることは必至で又、非被災地側の方々のストレスの元となりそうな予感がする。
取り分け医療用具に関して被災地も非被災地も絶対必要な物であり被災地優遇措置に対する批判も出始めている。
私も体に床ずれを持つ者で3時間置きの床ずれのガーゼ交換をしなければならぬ身故ガーゼの確保は死活問題。
これが滞ると命の危険が及ぶ、流石にこの件に関して言えば被災地優遇という訳にも行かぬ。
被災地方々のお命をお救い申し上げる為、非被災地側の大切な命が奪われるとあっては本末転倒である。
段々と被災地側住民と非被災地側住民との間の温度差が浮き彫りとなってきている感じを受ける。
某巨大掲示板でもそろそろ被災地住民優遇措置に対する批判スレッドが出来そうな勢いでもある。
そうなってくると又、余計な火種を作りかねずある種の非被災者側の不満の炎に油を注ぐ結果ともなりかね無い。
閑話休題
この温度差は何処から来るのだろう?実際に被災地に居る方と被災地に居ない方の温度差、それは視覚情報に有り
連日連夜TVで被災地の情報が流され”視覚情報”はちゃんと非被災地側にも届いているのに何故視覚情報が?
それは”TVという媒体を通すか”それとも”ダイレクトにその惨状を目にするか”によって脳に与える影響が違うから。
同じ物を見せたとしても”映像”で見る物と”実物”を見るのとでは脳に与える影響は桁違いで有る。
”リアル”か”アンリアル”か違いは其の一語に尽きる、”映像”は脳にとっては”アンリアル”、されど実物は”リアル”。
2Dであるか3Dであるかではなく”五感が受ける印象D度の違い”が一番の違いと言っていい。
被災地にお住まいの方々は実際に其の惨状を互換で体感し今も苦しい生活を強いられておられる。
我々も”映像”ではそれを知りえる事が出来てもそれを実際に”体感”出来る訳ではない(出来れば遠慮したい)。
その”実体験が可能か否か”が理解度を大きく異にしていると言っても過言ではないだろう。
閑話休題
今一つは”経験の有無”である、私は阪神淡路大震災を震災後暫くではあるが体現した人であり地元でも被災した。
それ故被災地域方々お苦しみは痛い程解る、阪神淡路大震災を経験された方々も同じ思いであると語られていた。
だが被災経験がない方々の中には映像で見る限りでしか”体験”する事は叶わずそれが”リアル”に結びつかない。
それ故どうしても”被災地優遇”に対する不満が出てくる事となる、これは理屈や理論じゃなく感情論の話である。
以上のような事が被災地と非被災地民の温度差の原因であると私は考える。
非被災地民に被災地民のお心を全て理解せよと言うつもりはないしそれは無理であろう事は理解する。
されど”想像”は可能であり、それによる”理解”も又可能な範囲内で有ると思う。
どうか”想像”を豊かにし少しでも”被災地民”の方のお立場をお考え戴きたいと願う。
ガソリン関係、医療関係、食料関係など様々な分野での遅延が問題視されてくるようになった。
今日も愛方と有るレストランへ行ってみたら休み、料理に必要な材料が揃わず午前のみの営業との事。
週末は何時も賑わっているお店だけに其れを楽しみに来るお客からブーイングが起こっていた。
又、別のショッピングモールのレストランも軒並み品薄状態で料理の選択の幅が狭められている。
尤も痛いと思ったのは来月から実施される鉄道による『間引き運転』である。
充分なエネ供給が出来ない為、エネ維持の為、当面運行本数を減らし回避に努めると言う。
通勤通学の足にかなりの影響が出ることは必至で又、非被災地側の方々のストレスの元となりそうな予感がする。
取り分け医療用具に関して被災地も非被災地も絶対必要な物であり被災地優遇措置に対する批判も出始めている。
私も体に床ずれを持つ者で3時間置きの床ずれのガーゼ交換をしなければならぬ身故ガーゼの確保は死活問題。
これが滞ると命の危険が及ぶ、流石にこの件に関して言えば被災地優遇という訳にも行かぬ。
被災地方々のお命をお救い申し上げる為、非被災地側の大切な命が奪われるとあっては本末転倒である。
段々と被災地側住民と非被災地側住民との間の温度差が浮き彫りとなってきている感じを受ける。
某巨大掲示板でもそろそろ被災地住民優遇措置に対する批判スレッドが出来そうな勢いでもある。
そうなってくると又、余計な火種を作りかねずある種の非被災者側の不満の炎に油を注ぐ結果ともなりかね無い。
閑話休題
この温度差は何処から来るのだろう?実際に被災地に居る方と被災地に居ない方の温度差、それは視覚情報に有り
連日連夜TVで被災地の情報が流され”視覚情報”はちゃんと非被災地側にも届いているのに何故視覚情報が?
それは”TVという媒体を通すか”それとも”ダイレクトにその惨状を目にするか”によって脳に与える影響が違うから。
同じ物を見せたとしても”映像”で見る物と”実物”を見るのとでは脳に与える影響は桁違いで有る。
”リアル”か”アンリアル”か違いは其の一語に尽きる、”映像”は脳にとっては”アンリアル”、されど実物は”リアル”。
2Dであるか3Dであるかではなく”五感が受ける印象D度の違い”が一番の違いと言っていい。
被災地にお住まいの方々は実際に其の惨状を互換で体感し今も苦しい生活を強いられておられる。
我々も”映像”ではそれを知りえる事が出来てもそれを実際に”体感”出来る訳ではない(出来れば遠慮したい)。
その”実体験が可能か否か”が理解度を大きく異にしていると言っても過言ではないだろう。
閑話休題
今一つは”経験の有無”である、私は阪神淡路大震災を震災後暫くではあるが体現した人であり地元でも被災した。
それ故被災地域方々お苦しみは痛い程解る、阪神淡路大震災を経験された方々も同じ思いであると語られていた。
だが被災経験がない方々の中には映像で見る限りでしか”体験”する事は叶わずそれが”リアル”に結びつかない。
それ故どうしても”被災地優遇”に対する不満が出てくる事となる、これは理屈や理論じゃなく感情論の話である。
以上のような事が被災地と非被災地民の温度差の原因であると私は考える。
非被災地民に被災地民のお心を全て理解せよと言うつもりはないしそれは無理であろう事は理解する。
されど”想像”は可能であり、それによる”理解”も又可能な範囲内で有ると思う。
どうか”想像”を豊かにし少しでも”被災地民”の方のお立場をお考え戴きたいと願う。
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