2011年4月25日月曜日

指導者の心理学~或いは人を導く者に必要な条件とは?の心理学~

今、私は指導者の立場にある。

だが、それは過去多くの”先達”のお陰であり私一人の力で成し得た物では決してない。
幼 稚園に於いては園長先生が小学校から中学入学に際し、ご自身が全盲である事を忘れるかのような舌戦を教育委員会と繰り広げ見事普通学級への入学を許され た。園長先生からは『パイオニアである事』を学ばせて戴いた。小・中学校に於いては山田先生初め多くの先生方々より『耐える事』そして『赦す事』の大切さ を学ばせて戴いた。
高校に於いては松田担任及び井上校長(現・教育長)より『敬う事』を学ばせて戴いた。
大学に於いては小谷典子教授より『人間としての器の大きさ』と『学ぶ事の大切さ』を学ばせて戴いた。

そして今…我が目の前に三人の『マイメンター(指導者)』が居られる。
川村一郎メンター、関口範彦メンター、そして張本治メンターの御三方である。御三方からは実に多くの事を学ばせて戴いた。
” 信じる事””考える事””聞く事”与える事の尊さ””大きな器を持つに足る人物となる為に必要な事”そして”導く事”等、数え上げればそれこそ枚挙に暇が 無い。お一人お一人から学んだ事は実に多く、”指導者とはかくあるべし”という事の真髄をこの御三方からはしっかりと学ばせて頂いている。又、各々の”モ テ学”をこれは私自身が盗ませて頂いた事の一つである^^;。
お三方はとても魅力溢れる方々でありとてもおモテになられるダンディーな方々である。
年齢も経験も足りぬ私だが私なりに”モテ学”という物を学ばせて戴き今後に活かしたいと思う。指導者に求められる物…それは『ぶれない事』と『柔軟な姿勢』を持つ事であると思う。
自らのしっかりとした意思を持ち、迷う者を堂々と導く為には決して『ぶれない事』が大切だと思う。
そして全ての存在を師とし仰ぎ学ぶ『柔軟な姿勢』を持つ事、自らの正しさを確信しつつそこに胡坐を欠かぬ事。

私がこの御三方より学びし事である。

まだまだ私は浅学菲才な未熟者である、されど未熟者であればこそ多くの事を学び吸収しそれを後世に伝える義務があると思っている。
これからもこの三人のマイメンターを師と仰ぎ多くの事を学ばせて戴きたいと願っている。

2011年4月23日土曜日

俺の屍を超えてゆけ~或いは覚悟の心理学~

大学4年の夏、俺の所へ一人の後輩が訪ねてきた。
”りょうちゃん、俺今から彼女を殺しに行く”と告げて…俺はとりあえず彼を座らせて話を聞いた。
聞けば長く付き合っていた彼女が韓国旅行へ行って帰ってから急に態度を硬化させ始めたとの事。
訝しがった彼は遂に彼女のPCを開きメールを見た、そこには韓国に居る別の男との赤裸々な内容が書かれていた。
我が後輩はとても純朴な人で一途で融通が効かない所があった、それ故同じ頑固者の私とも意気投合したのだが。
私は言った”どうしても奴を殺しに行きたければ俺を先ず殺しそれからその屍を越えて行け。あんな奴の為にお前のこれからの何十年もの人生をふいにはしたくない。そんな惨めなお前を俺は見たくない。だから先ず俺を此処で殺せ”と。
彼は一拍大きく息を吸い込み、それからゆっくりと息を吐き冷静さを取り戻した後、我が元を去っていった。
それから1年後、今度は同じ悲劇を私が経験する事となる。

最初に付き合った彼女がいきなり別れ話を持ちかけてきた。
”これ以上私の事を嫌いになりたくないから別れよう”と言い出したのだ。

11歳差、年の差カップル等5万と居るが我々にとってこのジェネレーションギャップは到底埋まる物ではなかった。最初であった事も有り又、私自身の下らないプライドも手伝ってか私は最初ごねた。

だが、彼女の意思は固く私は不承不承承諾をせざるを得なかった。
そして…別れてから色々と彼女の”悪評”を耳にする事となった。

私と別れる少し前、”別の男”が出来、その男と”駆け落ち”する為、私を騙して”金を取り”そして逃亡する予定だった事
サークル内ではこの二人はトラブルメーカーで随分サークルメンバーも手を焼いており部長が首にした事等だった。

怒髪天を衝くという経験をしたのがこの時が初めてだった、そしてその時初めて後輩の”殺意”が私にも理解出来た。
だが図らずも私のその”殺意の炎”を消してくれたのはその同じ”殺意の炎”を嘗て私より沈下させられた後輩だった。しかも”私と同じ言葉”を吐いて^^;。
私の”殺意の炎”はその時消えうせ以降ずっと後輩とは”無二の親友”である。

私のサングラスに葉巻に香水を付けてという出で立ち、ブラックを好み、異なる国の二つの血を持つ人を”ダブル”と言う癖は全て彼から受け継ぎし物である。彼から貰った彼が書いた言葉の色紙は今も大事に保管されている。あれから既に20年近い歳月が経過している。

今、私が同胞に”真剣”になれるのはあの時の彼の”真剣さ”を見せて貰えたからだと思っている。
そしてあの時、彼に見せた”真剣さ”が今の私を作っているのだと思っている。

”真剣”な思いは必ず”人の心を動かす”、私はそれを身を以て体験しそして相手にも与えてきた。
これからも私は”真剣”に同胞と向き合い、”心の病”を克服していきたいと願っている。

2011年4月20日水曜日

自粛の心理学~或いは常態行動の裏に潜む恐怖の心理学~

震災から一ヶ月経過しそろそろ”自粛ムード”も段々と色褪せさせて行っている様に思える。

正直今の状態を一番安堵してみているのは我々心理職の人間ではないかと思う。
それは何故か?余りにも”自粛ムード”が続くと経済停滞が起こり日本経済が立ち行かなくなる状態にまで陥る危険性を秘めているからである。

まさか?と思われるかもしれないがこれは嘘でも誇張でもなく事実である。

人は”我慢の状態”が長く続くとそれを”常態”つまり”当たり前の事”として受容してしまう傾向にある。
判りやすい例を出すと”DVを受けた子が親となりDVを繰り返す”という定説(実はこれは嘘)がその範疇に有る。
これも”永きに渡る我慢を心が容認してしまう事による悲劇の連鎖”であり”否認”し続けた者はその後DVは起こさない。
人は快楽には幾らでも耐えられるが”苦痛”には余り耐性が無い、それは人間が”恒温動物”である事に起因している。
” 変温動物”の場合周りの環境に自らの”体”が順応出来るが”恒温動物”の場合周りの環境に自分を合わせる事は困難でありそれ故にそれらの環境から”身を守 る術”を身に付けてきた。”身を守る術”を身に付けるという事は即ち”耐性”が”身を守らなくてもよい物よりも弱い”という事を指し示している。そしてこ の”恒温動物”であるという事が”精神”にも大きく影響をしている。又、特に日本人は”我慢を尊ぶ人種”であるがそれは日本が四季に溢れ、”我慢する事” が諸外国と比べ少ないから。例えば南米や北極圏に住む方々の”我慢”と我々日本人の”我慢”は”我慢の歴史”が桁違いである。

灼 熱地獄と極寒地獄の中で生まれてから死ぬまで暮らさねばならぬのである、その”我慢強さ”たるは日本人の比では到底無い。先に述べた通り”恒温動物”であ り周りの温度に自らの体を合わせれない生物であるが故その苦痛は想像を絶する物が有る。故に日本人は諸外国から”我慢強い種族”と思われているが実は諸外 国人の方が遥かに我慢強いのである。閑話休題”自粛ムード”が長く続くとそれらが”常態”となり、”購買欲求”が失せ、”自粛を尊ぶ事こそが正義”と言う 風になる。
そうなると”商品が売れない””商品が売れ残る””値下げをする”デフレスパイラルが起きる”の悪循環となる。

又、 目の前(というかTVの映像で)被災地に住まわれている人の”我慢”を見続けると”自分も我慢しないと申し訳が無い”という感情に人は捉われてしまう。こ れは”同調行動”がなせる業である。それも更に経済停滞の原因となる。”痛みを共有する事”と”自粛する事”は同じではない。
”必要以上の 自粛ムードは震災に遭われた被災者方々にも間接的な打撃を与える”という事を是非御理解願いたい。物が売れなくなり物が余り値下げをしデフレスパイラルと なれば当然雇用状況も悪化し被災者方々の雇用状況にも影響は大きく出る。その時”被災者優遇措置”を取れば又、そこで被災者と非被災者間でいざこざが起こ る。そうなれば世界に日本が誇る”団結心”も失われ”日本が世界を牽引する”という役割も果たせなくなる。
どうか”必要以上の自粛”はくれ ぐれも避けて欲しいと願います。人間楽しい方がいいじゃないですか、私も楽しい方がいいですよ。それは被災地に居られる方々も同じ思いの筈、皆が楽しいと 思える状況を作っていきましょうよ^^V私はこれからも”ハッピー”を届ける人でありたいと願っています、それが心理職の使命と心得ています。

『嫉妬の心理学』~或いは生物心理学から見る生存本能の心理学~

『嫉妬』の根源的原因は人の『認知欲求』が成せる技である事は既述だが実はその中に生物の『生存本能』が無意識に働いている事を唱える者は意外と少ない。

『認知欲求』の裏側にあるのは生物学的な『生存本能』である。
相手が自分より優位に立てばその分自分の身の危険が増える。
それを回避する為に生物学的に働く心の動きが『嫉妬』である。

同じ事がフェロモンにもいえる、鋭い牙も固い鱗も持たぬ『ヒト』が自らの身を守る為には相手を『魅了』し攻撃不能にする以外方法は無い。

故に『ヒト』は危機的状況に陥ると本能的に『フェロモン』が増大し自らの身を守るように出来ている。

今回の震災に於ける風評被害等の二次被害の根源はこのヒトの『生存本能』が成せる業である。

その『生存本能』を満たすことが出来れば『二次被害』は収束の方向へ向かうであろう。

マスコミ各社にはこれ以上の二次的被害を出さぬ為『非被災地方々の身の安全』を広く訴える必要が有るように思われる。

人々の中にある『見えざる不安』が消えれば自然と『風評被害』はなくなり『二次的被害』も防げると考える。

又、政府にはこれ以上国民に『不必要な不安』を与えぬよう情報開示を求める物である。人々の不安の根源の一つは政府による『情報統制』と『情報隠匿』である。
”まだ何か隠している”という”見えざる不安”が”風評被害”をより増長させている事を政府は認識すべきであろう。

”想定外”の心理学~或いは”想定外”は”想定内”の心理学~

”想定外”なんて言葉は本来存在しません。

だって人間は”想定外”の事は”想定”出来ないように脳ができているのですから。
”想定外”と言える事は全て”想定範囲内”の出来事です。

それが”想定外”なのは単なる”想像力の欠如”であり頭が固い証です。
それが真実である事は図らずも今回の地震と原発事故が証明。

されどそこに日本人が気づくために払った代償はあまりにも大きすぎました。

今回の政府の対応に就いて海外メディアがこぞって”対応の甘さ”を批難しているのがその唯一の証拠です。

又、その”想像力の欠如”の原因の一つは日本が”単一民族国家”である事に由来しています。多民族国家の場
合何時他民族が攻めてくるかもしれないという”目の前に”危機がありますが単一民族国家の場合そういう他民族が攻めてくるというような”目の前に危機”はありません。その”危機感の感じ取り方”が今回の大きな要因の一つであると私は考えています。

又、”未知なるエネルギー資源に対する認識の甘さ”も今回の原因の一つです。
まだ日本人が手にするには原子力は余りにも知識や認識が無さ過ぎます。

もう少し知識や経験を海外で積んでから使用するべきであったと私は考えます。
TVなどで専門家が素人に”わかりにくい説明”しかできないのがその一番の証拠。
”理解”していれば”わかりやすい説明”は出来る筈ですからね。

瀬木の兵法の心理学~或いは己を知り己を深く理解すれば万戦危うからずの心理学~

『敵を知り己を知れば百戦危うからず』は名兵法家孫子の弁。
『己を知り己を深く理解すれば万戦危うからず』はヘボ心理学者瀬木の弁。

『敵を知る事』はあらゆる意味に於いてとても大事な事です、それは間違い無い。
されどその『敵』は毎回変わり変わる度に又、『情報収集』が必要となります。

長期戦に於いてはそれでも良いですが短期決戦の場合そのような余裕が有るかどうか…

それよりも先ずは『己を知る』という事。

案外『相手を知る』という事に人は終始し『己』と言う存在を軽視しがちです。

されど大事な事は先ず『自分を深く多角的に知る事』どのような場面においても『揺るがぬ自分』である事。

あらゆる戦いに於いて対人に対する自分の対処の仕方のデータを集める事で仮想敵対策も又出来ると考えます。

更に『己を知る』と言う事は『人を知る』と言う事となり結果『相手を知る』事にも繋がります。自分を深く知
る事で『相手を深く知る』事にも又修練が行き届くようになります。

『相手を知るには先ず自分を知る事』
それが大事なように私には思えます。

2011年4月14日木曜日

非可逆性の心理学~或いは『出来ない』は『出来る』の心理学~

我が元へ来られる多くの方々は最初『出来ない』と思って我が門を叩かれる方がとても多い。
自分自身で『出来ない』と思ってこられている方も居るし、周りから『出来ない』 とレッテリングされ来られる方も居る。

されど皆さん我が元を去る頃には『出来る』人となって威風堂々と門を去っていかれる 。
これは一体如何なる物なのか? 人が『出来ない』と思うメカニズムを紐解けばその答えはおのずと出てくる。

『出来ない』と一口に言ってもその理由は様々である。
”出来ないと決め付けて最初から手を付けないタイプ”
”人からできる筈がないと言わ れ出来ないと思い込んでいるタイプ”
”一度試したけれど失敗しそれ以降出来ないと思っているタイプ”
”自己否定型で何を やっても失敗するが故思うタイプ”等

されど、”表”があれば”裏”がある、”出来ない”が有れば当然”出来る”も又存在 している物である。
だが多くの方は”出来ない”事へは目を向けるが”出来る事”には余り目を向けようと はなさらない。
何故ならそれらは”出来て当たり前”だからである、なればその着想を逆転させ”出来 なくて当たり前”としてみたら?

最初から”出来る”と思って出来なければ人は落ち込むが”出来ない”と思って失敗してもさして落ち込みはしない。

ましてそれが”出来て”しまえば”あれ?できるじゃん”って事になり”出来ない”から”出来る”へ変換する事が出来る。

又、明確に”出来ない”事が判っているならその反対をやれば”出来る”人になる可能性は充分に秘めている。

更 に言えば”出来る脳”にする事で”出来る可能性”は無限に広げる事が出来る。

毎日”出来て当たり前”の事を只、繰り返す、その事で脳は”出来ない脳”から”出来る脳”へと思考が作り変えられる。

更に言えば”出来る事”から順番にこなしていくのも同じ効果が有り”得意分野”から攻めて行き” 出来る脳"を作り上げて行く、その事が苦手意識を軽減させ苦手分野にぶつかっても自らの力で克服出来る人となる。

そうやって私は多くの『出来ない』を『出来る』に変えて来た。
『出来ない』は『出来る』のサインで有る。その事を覚えておいて欲しい。

2011年4月12日火曜日

『陰口の心理学~或いは可視不可視の心理学~』

 『秘密の心理学』でも触れたが陰口という奴も割と表にでやすい。

阪神淡路大震災時メンタルケアのボランティアスタッフとして参加した私は同じ心理学を教えるK氏と出会った。

豪放磊落を絵に描いた様な方で歯に衣を着せぬ豪快な方で有った。
心理学者というより寧ろ近所のおっちゃん的な感じで親しみやすく被災者との距離も恐らく一番近かったと思っている。

ボランティアスタッフとしての仕事が終わってもずっと被災者との交流を持ち今も又今回の被災地へ 足を運ばれて居られる筈である。

『歯に衣着せぬ性格』は裏表が無い変わりに『言葉を選ばない』という短所も有り見方も敵もとても多い方であった。
当時はG 党の一党独裁政権でありそれに対する痛烈な彼の批判はG党支持派からは随分と疎んじられていた。
そんな彼が或るソーシャルネット上で吊し上 げに有っているとの報が届いたのは丁度M党が政権を取る少し前の事。

生憎彼はG党でもM党でもない第三党支持派でありG党派閥からもM党派閥からも疎んじ られていた。
阪神淡路大震災時の当時のG党の批判をネットに挙げたのが原因でG党支持派から槍玉に挙げられた。

しかも事もあろうに敵方は 正々堂々と表で書いている彼に対して裏に潜り痛烈に彼を批判し始めた。
首謀者は”自称外国人女性”又その色香に惑わされし者数名がそれに呼応した。
方々は 氏が”個人に宛てた”メールを裏で”公開”し痛烈に批判、内々で色々と画策をしていたとの事。
だが彼らはその会のメンバーの中に”彼の支持者”が数名潜り 込んで居る事を知らなかった。
しかも表立っては”不仲”を装い意見の対立をし、会で痛烈批判をしていたのだから誰も疑う余地はなかった。

だがそれこそ氏の 狙いであり奴らの浅知恵が成せる業であった、彼らは完全に”間者”を信頼し極秘情報を漏洩した。”間者”はその情報を全て氏へ渡し、氏は着々と”反撃”の 機会を伺っていた。

彼らがやった行いは”個人情報保護法違反””侮辱罪””人権侵害罪”及び”偽証罪”であった。

会の中で氏が交流を絶たないでくれと首謀者の女性へ懇願したというがそのような事実は全く無い。
彼らは法的措置にて氏を糾弾しようとしたが逆に氏の計略により形勢は逆転、立場は逆となった。

恐 らくそうでないとしても氏の助力者は五万と居り氏の無実は証明されるに至り氏を貶めた者には天罰が下った筈。

”天は自ら助く者を助く”という、氏も又、自 らを助く者の一人であったと私は確信している。
”天に吐いた唾は何れ自らの顔に掛かる”という事を彼をハメた方々は身を以て体験された筈である。

”陰口” を叩く者はその”陰口”に正当なる理由が無いが故、”陰”で”悪口”を囁かざるを得ない。
正当なる理由があるならば”陰口”を叩かず表で正々堂々と論争に て論破できる筈である。

私も氏の威風堂々とした振る舞いを見習い氏の様な”正しき人”でありたいと願う。
(まぁそういえるようになるまでにはまだ相当時間が掛かるようだが^^;)。

2011年4月11日月曜日

『傾聴の心理学~或いは藤本食品株式会社 製造部長張本おさむ氏に見る傾聴の極意の心理学~』

去る4/9新神戸で藤本食品株式会社製造部長の張本おさむ氏と酒を酌み交わす幸運に恵まれた。
片道2時間往復4時間という距離を物ともせず和歌山からお越し戴けた事は感涙の極み。

FB のお写真で拝見する氏はとてもシャイで線が細く気弱な印象を受けた、だが、実際にお会いする氏はそれとは真逆w
豪放磊落でとても骨太で芯が強く”己”という物をとてもしっかりと大事に持たれている方であった(されどシャイだが^^;)
今までFBでは数名お会いしているがその中でも”川村マイメンター””関口社長”そして”張本製造部長”は”傾聴のプロ”と呼ぶに相応しいお三方である。
そして”人の上に立ち指導するに相応しい人格”を備えた方々である。

題名にも有る通りおさむ氏は”傾聴の極意”を身に付けた方であられた。

確かに”コーチング資格”はお持ちではあったが”コーチング有資格者”である事と”聞くことの極意を極めた方”は又別物。

先ずは”聞く”それも”単に聞く” だけでなく”相手の一言一句をちゃんと心に留め次の自らの発言の際それを上手く引用しそして相手への自らの言の理解度を増加させる”という技は言葉にすれば簡単だが実際遣ってみるとそれが如何に難しいかはやられてみた事がある方ならば皆お解り戴ける事であろう。

これは中々にして至難の業、こ れを会得されておられる方は私はFBでは上記御三方しかまだ見た事が無い。

そしてこれも又面白い話だが”傾聴のプロ”と称される御三方だがその”傾聴の仕方”はその人それぞれの個性がある。

マイメンター川村氏は相手の話に耳を傾けつつ持論を展開し結果自らのワールドへ引き込むタイプ
関口社長も又相手の話に耳 を傾けつつ相手の興味関心がありそうなネタを見つけそこから持論を展開されるタイプ。
張本氏は兎に角相手の話をしっかりと聞き、相手の話が出尽くした所で 持論を徐々に展開されていくタイプ。

途中、ジョークを交え場を和ませ場の緊張を解き又、真面目な話に持っていく妙は流石”傾聴のプロ”と言う所。

”心の緊張と弛緩”が繰り返される事により常、心は”新鮮な知の喜び”をずっと味わって居る事が出来る。
”もっともっと話を聞きたい”という欲求を奮い立たせどんどん氏の魅力の底なし沼にハマりついに陥落してしまう(笑)

氏はおもてにならないと謙遜されておられたがそれは絶対に嘘。
氏も上記お二方に負けずと劣らぬ”モテ男”は必至。

”話が面白く人の話をしっかりと聞きちゃんとアドバイスも与えてくれる”そんな人がモテナイ筈がない。
しかも今回はお土産を頂戴し酒代までしっかり持っていただけた、此処まで”男気”が有る方がモテナイは嘘ですw

されどマイメンター川村氏、関口社長、そして張本氏も又、”様々な経験” を積まれた結果得た”スキル”だと実感。

机上の空論ではなく”実体験が齎すスキル”程、”身につくスキル”は多分この世には存在しないと氏を見て実感。

あくまで紳士的にされど自らの”意思”をちゃんと持ち、”自らの信じる正しさ”をとことん追求する氏は”男の中の男”。

日本男児此処に在り!大和魂は費えず という事を氏で以て痛感した次第にございます。

私の人生を大きく変えてくれるこの御三方の”傾聴の極意”をこれからも私は色々学ばせて頂きたいと願っている。

最後になりましたが”紀州梅”最高においしゅうございました<(_ _)>謹んでお礼を申し上げます。

2011年4月8日金曜日

復興が齎す新たな悲しみの心理学~或いは常態行動における心理学

義捐金や支援物資及び補給経路の確保や被災者の受け入れ先、再就職先斡旋等被災者方々への物質的支援は今も尚継続中。

被災者方々も支援者に負けじと頑張っておられる御様子。
されどこれからが正念場。

街が段々復興して行き元の状態に戻りつつなると今度は亡くなられた方への思慕の思いが強くなる。

我が提唱せし『常態行動心理学』によれば今までの日常生活において”視界に入るモノ”が急に消えると脳はそれをうまく修正しきれず誤動作を起こす。

お身内を病気や事故や事件で一瞬にして失われた方が急に引き篭もったり体調を崩され後を追うように亡くなられる一番の原因がこの”常態行動に於ける視界情報の変化”にあるという事は意外と心理学学会でも意外と知名度は低い。

それを防ぐ為には元からその存在が無かった場所の風景を多く見せそれを常態化させる事。
つまり”喪失感”を軽減させてあげる事が一番の防止策となる。

今は”生きる事”に終始しておられる為、幸か不幸かそういう物に目が行かないで済むが阪神淡路大震災時でも数年経ってから自殺したりお心をやまれたりというケースが急増した。

メンタリストはそういう部分のケアもしっかりとせねばならないと思っている。

『ソーシャルポジションの心理学~或いは被災者は社会的弱者ではないの心理学』

 ソー シャルポジションは可変的且つ流動的で影響範囲は意外と狭い。

阪神淡路大震災時或るボランティアスタッフが目上の被災者にぞんざいな物言いをしている場面に遭遇しそのスタッフを束ねる方に彼の言動は法的罰則範囲内で ある事を進言。

流石、長は話が解る方で直ぐ彼を呼び被災者にお詫びを言う様指示、 されど讒言を賜りし本人は詫びる所か逆ギレし被災者に噛み付いた。
長は即座に彼をボランティアスタッフから除名した。
彼は悪態を付き即座にその場を後に(その後彼は法的罰則を受けた)

被災者は『自然災害被害者』であり『社会的弱者』に非ず。

自然災害により家屋を乃至はお身内を失い酷く御心を痛めて居られるその上に更に『社会的弱者』としての侮蔑を受ける事は絶対に有ってはならない。

殆どのボランティアスタッフは御心正しき方なれどボランティアスタッフと言えど『人の子』玉石混 交で玉も有れば石ころもいる。
不運だったでは決して済まされない事である。

閑話休題

我々ハンディーキャッパーも時として同じ場面に遭遇する。
ハンディーキャッパーも又『社会的弱者』に非ず、『人』である。

身体欠損者と言う以外何ら変わる所無く蔑みを受ける謂れも無い。
人と同等或いはそれ以上の才と努力により日々を真剣に生きている。

身体欠損者と言うだけで侮蔑や差別発言を受ける言われも無くそう言う輩には法的制裁か鉄拳制裁が待っている事となる(笑)

解りやすく言えばムショ行きか病院送りかw
我の逆鱗に触れし愚人の何名かはそう言う結果を自ら招いている。

『人』である、それ以上でもそれ以下でも無い。 上でも無く下でも無い、真ん中である。
そういう『見た目』で人を侮蔑或いは差別しその結果御心を病まれた方の奪われしプライドと人権を 取り戻し危害を加えし者に鉄拳乃至は社会的制裁を加えるのも又我々の仕事である。

閑話休題

だが稀に逆パターンもある(^_^;)
自らの立場を悪用し傍若無人なる振る舞いをする輩も又。

阪神淡路大震災時メンタリストとして参加せし時、 我は被災者なりと大見得切ってやりたい放題の方が居た。
当然ボランティアスタッフは愚か被災者からも総スカンを食らい結果その場を自ら追われる事となっ た。

対人関係というのはフェアである事が基本。
あらゆる意味に於いてそれを忘れぬ様にしたいものである。

2011年4月5日火曜日

秘密の心理学~或いは自己顕示欲求の認知心理学~

『秘密』という言葉程甘美で危険な響きの言葉は他には無いんじゃないだろうかと思う程『秘密』という言葉は他の言葉にはない独特の響きがある。

職業柄私は多くの方々より『先生にだけお話するんですがね』という話を沢山頂戴する。

我が地元駅である新山口駅に於いて私は『駅学者(易学者に掛けている)』という余り有難くない異名を頂戴している(笑)
それは”物知り”と言う意味ではなく”駅の内情に精通している”という意味であり多くの駅員さんが”此処だけの話なんですがね”と私に話を持ち掛けてくる事に有る^^;。

人は”秘密”を持つとそれを誰かに話したくて話したくて堪らなくなるされど下手な人に話して情報が漏洩すると人間関係がギクシャクし或いは崩壊する怖れも有る為、”この人なら話しても情報漏えいしない”という人に話す。

話される方はそれでスッキリするだろうがそれを言えぬ身は悶々と身悶えするばかりである(笑)
しかも日毎その内容は増えその内容は濃くなっていくので身悶えはさらに続く^^;;。

閑話休題

所謂『秘密結社』とか『地下の秘密組織』とか『クローズドサイト』等の情報が外に漏洩するのは何故だろう?大抵の場合『秘密』とされている物は其の情報の幾つかは必ず漏洩している物である。

それは題名にも有る通り”自己顕示欲求”がその原因(元凶?)の元となっている。
”秘密”を持てるのは”選ばれた人”のみでありそれ以外の人は”知りえない情報”である。

当然その他者が”知りえない情報”には”価値”が有りその”価値有る情報を持つ自分”という者も又、”価値有る人”という風になる。

そしてその”価値有る自分”という物を人に知らしめ自慢し”自分は凄い人だ”という事を認めて欲しい。それ故に人は”秘密”を持つとそれを保持するだけでは満足できなくなり遂に”公開”してしまうという訳なのである。

しかもこれも大変面白いデーターがあるのだがその会の下っ端ではなく”中枢以上”に居る人物にその傾向は強い。

一番嘗て見た中で面白かったのは其の会の”リーダー自身”が情報を漏洩しているケースであった(意味ないじゃん)当然他の仲間は”まさかリーダーが情報を漏洩する筈が無い”と思い込む、その”思い込み”を利用した訳だ。

結果リーダーの情報漏えい自体がバレ会は解散(当然^^;)という事となったと風邪の噂に聞いたのだが。

又、必要以上に”隠しすぎる”とそれが余計”目立ってしまい”情報が漏洩してしまうケースも有る。
嘗て、”厳重に厳重を重ねた情報”が漏洩した事件が有りお上から呼び出され事件解決の糸口を探せと依頼された。
(所謂プロファイリングという奴である、偶々お上に大学の後輩が居てそいつが上に私の事を喋ったのが原因^^;)

情報漏えいの手口から見て明らかに”身内”の犯罪は間違いなかったが当然の事ながら上は”外部からの侵入である痕跡が欲しい”と言ってきた^^;。
しょうが ないので”外部から進入し情報を入手し漏洩した”という結論を出した。(されどそれを手引きした人間が内部に居るという事実だけは決して譲らなかったが ^^;)。

結果事件は内部処理されそれが表ざたになる事は無かったのだが(笑)

”秘密”と言う奴はその特性上必ず”暴露”されるという宿命を帯びている、絶対に”漏れない秘密“等は存在しない。
(もしあるとするならばそれは”秘密”自体に”秘密”にするだけの価値が無いだけの話である^^;)。

”秘密、秘密”と騒いでいるが案外貴方が持っている”秘密”も誰かが漏らしているかも知れませんよ?
或いは貴方自身の行動によってそれが”漏洩”しているかもしれません、ご用心ご用心^^V

2011年4月4日月曜日

無知の心理学~或いは無知が知識人に勝つ為の心理学~

今回の震災で我々が得た事の一つ~それは原発に対する無知さであった。
単位や放射能の影響度など殆ど『無知』に等しくニュースを見る度にふむふむと頷いていた。

だがそれは裏を返せば政府が『原発情報』を敢えて国民に流さなかった結果であるとも言える。
原発地域に住む住人すら初めて聞く話ばかりだというのだから一体お上は何をされておられるのか?

”大丈夫”と連呼する前にその根拠を原発地域住民に判りやすく説明し理解を求めるべきではなかったのか?
”大丈夫”と連呼した結果、全く”大丈夫”ではなかった現実を当時の内閣首脳陣はどう説明なさるのか?(まぁ既に退陣なされている方も居るのでそのままでしょうけれど)。

お年を召した方の中にはどうしても『原子力発電=原子力爆弾』と言う風に結びつく方も居られる。
特に広島・長崎の被爆経験者乃至はお身内に居られた方などはそういう意識が拠り強いように思われる。まぁ辛いご経験をされたのだからそういう風に頭が飛躍されたとしてもやむをえない所も或る。だが根拠の無い不安は更なる不安を増大させそれがお心を支配すると冷静な判断力を失わせる事となる。

そうなると助かる命も助からず自らが命を縮める結果ともなりかねない、其れを回避する為にはちゃんとした正しい知識を頭に入れる事。そして”納得”をして冷静になる事。其れが一番大切である。

閑話休題

過日或る居酒屋で二人の男性の会話を聞いていた、それを聞いていた時思わず噴出してしまった。
一人は原子力発電の専門家(自称)、今一人は全く其の手には携わっていない素人である。

原子力発電の専門家(自称)は偉そうに専門用語やら知識やらをひけらかし回りの女性の注目を浴びていた。
得意満面の絶頂期、今一人の素人がぽつりとこういった『けどさ、なら○○はどうなるの?』と。

すると今まで得意満面に鼻高々だった彼の顔が急に青ざめ目を白黒とさせ急に落ち着きがなくなった。その狼狽振りは素人目にも明らかで回りも彼の動揺が伝わってきていた。

素人が言った”○○”は実は最近の研究で明らかにされた物で原子力発電の専門家(自称)の知識には無い物だった。
だが此処まで知識をひけらかせておいて今更”知りません”とはとても言えない(言いたくない)ので何とか誤魔化そうとしたがこの素人は根が真面目と来た物だから相手の”嘘”や”ごまかし”を一つ一つ潰していった(笑)
(しかもそれは意地悪ではなく彼の根っからの性分なので仕方のない事でもある^^;)。

だが、原子力発電の専門家(自称)はそれにより酷くプライドを傷つけられた。
挙げ句の果ては”素人が知った風な口を聞いてんじゃないよ!”と逆切れしさっさと飲み会を後にしてしまった。

素人の彼は訳が判らない様子だったが日頃から”原子力発電の専門家(自称)”の事を鼻持ちなら無い奴だと思っていた連中は大喜び。その後は大いに会が盛り上がった事を私はちゃんと見ていた^^;。

以上のような事は一体何を意味するのだろうか?
此処で登場するのが『兎と亀』のお話である。

言わずと知れた事だが原子力発電の専門家(自称)は勿論兎、そして素人は亀である。

兎さんは自らが”知識人”だと思っているのでそれ以上の情報を仕入れる事をせずここぞとばかり知識をひけらかす。
一方亀さんは今回の事で如何に自分が無知であったかを痛感し一生懸命勉強をしたその結果最新の知識を得た。

さて、ゴール付近となりうさぎさんは油断をしその隙に(でもないが)亀さんは一気にダッシュ。
慌てた兎さんは足元の石に気づかずすってんころりとコケ其の間にカメさんゴールというのが今回のお話の顛末。

往生際が悪い兎さんは亀さんがズルをしたと主張するも衆人環視の元ではそんなごまかしなど通用する筈も無い。
寧ろ自らの負けを認めず往生際の悪さに今までの兎さんのイメージは急落、一気にその人気を落とす事となる。

『奢れる平家は久しからず』という言葉がある、奢れる者はその自らの奢りにより自らの足元を救われ失脚する。
無知者は自らが無知である事を知っているが故精進する事を忘れずその結果『奢れる者』を凌駕する事となる。

正にソクラテスの『無知の知』である、無知である事を知って奮闘努力をする者は其れを知らぬ者より偉いという話。
知識が身をたすく事は今回の震災で皆が学んだ事だろうされどそれも『奢り』があっては決して活かされぬ物である。

自らが幾ら知識や経験を有していようが決して奢らず高見を目指し精進を怠らない、それこそが真の『賢者』である。
現政権には是非自らが『賢者』ではなく『無知者』であるという意識で事にあたってほしいと願わずには居られない。

2011年4月3日日曜日

『真実』の心理学~或いは真実の多面性の心理学~

今回の震災で一つの『真実』が脆くも崩れたーそう、原発の『安全性』という真実が。

平常時ー国が訴える原発が『安全』であるという事は間違いなく『真実』であったに違いない。
異常時ーされど今回の震災で原発が『安全』であるという神話は崩れ『危険』であるという認識が広く国民に広がった。

今回の震災に於ける原発事故を受けて山口県知事は上関原発着手にストップをかけた、県民を思えば当然の措置。

他にも例を挙げれば幾らでも有る。

戦争時ー敵国の兵士を殺傷する事は正義でありそれは『真実』であった。
現在時ーどのような理由付けをしても人を殺める事は『真実』とはならず法の元に裁かれる。

更に有る人が『あの人はとても良い人』という事と別の人が『あの人はとても悪い人』という事、
これらは全く別の解釈となるが何れもそれは『真実』である。

有る人にとっては利益を与える人でありそれは『良い人』という解釈となるが、有る人にとっては不利益を与える人となる事も有りそれは『悪い人』と言う解釈になる。
又どちらも無い人にとっては『良くも悪くも無い人』と言う解釈もある。

『真実は一つ』既に使い古された言葉であるがこの言葉が間違いで有る事が上記の事で既にお解り戴けたであろう。

時代により状況により人により『真実』は幾つも存在する、普遍的な『真実』と言う物は恐らくこの世には存在しない。

閑話休題

されど多くの人がその『真実の多面性』と言う部分に気づけず『真実は一つ』と思い込んでしまう(摺込まれている)。
故に違う『真実』を突きつけられた時多くの人は『裏切られた』と落胆し其の直後からその人の印象は180℃変化する

同胞がよく私に言う言葉、『私の本当の姿を先生は知らないから、私の本当の姿を知ったらきっと嫌いになります』と。
されどその後その人が言う『真実の私』と言う物を見せられた時、私は微動だにせず何時もと全く態度が変わらない。
寧ろ其の変化を『素晴らしい』とし賞賛し受け入れる、すると同胞は今までと違った反応を得てとても驚き戸惑う。

されど其処で初めて『受け入れられた喜び』を知り『真実の姿を見せても変わらない人が居る』事を知る。
其れがその人の”自信”に繋がりお心を患う人のお心が徐々に回復に向かっていくのである。

私は人の『多面性』を日々追求しそれを研究している、故にどんな『違う自分』を見せられたとしても全く驚きはしない。
寧ろ『新たな一面』を見れる事はこの上ない喜びであり得をした気分になる(同胞には”物好き”と揶揄されるが(笑))

私はどんな”一面”を見せられてもその人のそれが”一部”だと知っているので好意的に取れど否定的には取らない。
その事が”自分を出しても大丈夫”となり自らの多面性に気づいていくのである。

”常態性行動”此処でも何度も出ているので既にこの言葉はご記憶戴けた事と思う。
実は”真実”という物もこの”常態性行動”が大きく関係している。

常、日常的に行われている行為が”真実”となる為、イレギュラーが発生した際それを”真実”とは受け取れず”異常”な物として排除していしまう心の動きが有る。それを認めてしまう事によりお心が乱れる事を心自体が防衛する為。

されどこの”常態性行動”という物も先に述べた”色々な物を見る”事によりその”幅”を広げる事が出来るようになる。
その結果”非日常的場面”に出くわしても心が”異常反応”を示さなくなる、その事が実はとても大事な事なのである。

”危機的状況”に陥ってもそれを”異常”とせず”常態”とする事が出来れば充分”思考”は働き危機回避が可能である。
それは常”危機的状況”という物を”頭の中でイメージング”して体現する事、それにより充分可能な事となる。

今回図らずも日本人全体がこの”危機的状況”という物を否応なしに目の当たりにした為、学習する結果となった。
この経験が次の時代に必ず活かされると思うし活かしていかなければならないと私は思っている。

それが亡くなられた方への一番の供養である事を私は信じて疑わない…。

2011年4月2日土曜日

『殉死の心理学~或いは君死にたもうなかれの心理学~』

数年前、余りに長すぎる闘病生活の末父が亡くなった時、もし母と我が愛方と同胞や生徒方々の支え が無ければ間違いなく私は父の後を殉じて居た。

私が15の年に発病してから20年近く入退院を繰り返 しながらそれでも経営者として家族を従業員を守り続けた父だった。誰が何と言おうが私のとって父は誇りで有り全てであった。

其の父を亡くした喪失感は私が今まで味わった以上の物であり5年以上が過ぎた今も心にぽっかりと空いた穴が完全に埋まる事はない、恐らくこの穴は死ぬまで埋められる事は無いであろう。

阪神淡路大震災時、私は震災でお身内を亡くされた方のメンタルケアへ赴いた。
そして今も又、今回の震災で被災された方のお身内のメンタルケアへ東奔西走している。

俄に信じがたい話だが阪神淡路大震災でお身内をなくされた喪失感から自死をしようと試みる方は未だ後を絶たず。

今私が赴いているのは今回の震災でお身内をなくされ或いは未だ行方不明の方だけでなく阪神淡路大震災時の方も居られる。

先日も後一歩到着が遅れれば自死に至っていたであろう方が居た、必至の説得で何とか思いとどまって戴けたが。故に今も24h体制で臨み殆ど不眠不休の状態が続いている。

それほどまでに”身内の死”という物は時間を超越したものであるのだという事を我が身を以て痛感した次第。
私自身もし愛方の支え無くば父に殉じていたかも知れぬ、それほどまでに人の死(特に身内の死)は人の精神を狂わせる物なのである。

以前此処で『常態性行動』についてはお話させて戴いた事と思う。
実はこの”お身内をなくされた方の自死行動”にも『常態性行動』が大きく関与している。

人間が五感で尤も影響を受けるのは視覚情報である、故に今回の震災で震災地域外の方のメンタルが危ぶまれているのは連日連夜TVなどで放送される悲惨な状況を”目”でもしくは”耳”で受け取るからである。

普段見慣れている物とは違う風景に出会った時、人の心は大きく揺さぶられる。
それが時に感動を呼ぶ時もあれば深い悲しみを生む場合もある。

普段の生活の中で見慣れた風景の中に居る人物(お身内)が居ない事は脳に誤動作を与えるきっかけとなる。

その誤動作がお心の不安定さを増し、その不安からの逃避行動として自死という選択をされる方が居られるのだ。

不安解消の為に自死しその不安を解消しお身内の元へ参りたいと言う欲求が生まれたとしてもそれは不思議な事ではない。されどそれは又新たな別の悲しみを得る事となり非生産的行動である。

それらの方々のメンタルケアをする場合どうするか?それは”常態性行動”の特性を逆利用する遣り方が有る。

なるべく亡くなられた方が居ない場所(一緒に行った事が無い場所)へお連れする事、それが回避策の一つである。

普段見慣れた風景(亡くなられた方が居る風景)に見慣れない物が有ると脳が誤動作を起こす事は前述の通り。
なれば普段見慣れない風景の中に身を置けばそれが新たな”常態性行動”を生み能の誤動作は起こさずに済む。

お身内をなくされた方がその思い出の土地を離れる事は断腸の思いである事は容易に想像に難くない。
されどそのままずっと悲しみを背負いながら生きていく事を亡くなられた方はお望みで有るかをお考え戴きたい。

もしご自分が天に召された側だとして地上でずっと自分の為に悲しみに日々暮れる方を見る事は忍びない筈である。
なればそれを今御自身がやられていて亡くなられたお身内の成仏及び転生の阻害をしている事が正しくない事も判る筈である。

誰しもお身内を失う事は悲しい、されどその悲しみを越えた先に又新たな出会いも待っている事も事実である。

父の死後実に多くの方と出会い其の中には父と瓜二つの方も居た、きっと父とのめぐり合わせのような心持である。

そのような素敵な出会いも運命には用意されている、その運命を『引き寄せる』為に御遺族には強く生きて欲しい。
其のお手伝いの為ならばどんな苦労も厭いませんしどんな苦難にも立ち向かって参りましょう。

私は常、貴方のお心の一番近くにいます、それだけは覚えて置いてくださいね。