2011年4月4日月曜日

無知の心理学~或いは無知が知識人に勝つ為の心理学~

今回の震災で我々が得た事の一つ~それは原発に対する無知さであった。
単位や放射能の影響度など殆ど『無知』に等しくニュースを見る度にふむふむと頷いていた。

だがそれは裏を返せば政府が『原発情報』を敢えて国民に流さなかった結果であるとも言える。
原発地域に住む住人すら初めて聞く話ばかりだというのだから一体お上は何をされておられるのか?

”大丈夫”と連呼する前にその根拠を原発地域住民に判りやすく説明し理解を求めるべきではなかったのか?
”大丈夫”と連呼した結果、全く”大丈夫”ではなかった現実を当時の内閣首脳陣はどう説明なさるのか?(まぁ既に退陣なされている方も居るのでそのままでしょうけれど)。

お年を召した方の中にはどうしても『原子力発電=原子力爆弾』と言う風に結びつく方も居られる。
特に広島・長崎の被爆経験者乃至はお身内に居られた方などはそういう意識が拠り強いように思われる。まぁ辛いご経験をされたのだからそういう風に頭が飛躍されたとしてもやむをえない所も或る。だが根拠の無い不安は更なる不安を増大させそれがお心を支配すると冷静な判断力を失わせる事となる。

そうなると助かる命も助からず自らが命を縮める結果ともなりかねない、其れを回避する為にはちゃんとした正しい知識を頭に入れる事。そして”納得”をして冷静になる事。其れが一番大切である。

閑話休題

過日或る居酒屋で二人の男性の会話を聞いていた、それを聞いていた時思わず噴出してしまった。
一人は原子力発電の専門家(自称)、今一人は全く其の手には携わっていない素人である。

原子力発電の専門家(自称)は偉そうに専門用語やら知識やらをひけらかし回りの女性の注目を浴びていた。
得意満面の絶頂期、今一人の素人がぽつりとこういった『けどさ、なら○○はどうなるの?』と。

すると今まで得意満面に鼻高々だった彼の顔が急に青ざめ目を白黒とさせ急に落ち着きがなくなった。その狼狽振りは素人目にも明らかで回りも彼の動揺が伝わってきていた。

素人が言った”○○”は実は最近の研究で明らかにされた物で原子力発電の専門家(自称)の知識には無い物だった。
だが此処まで知識をひけらかせておいて今更”知りません”とはとても言えない(言いたくない)ので何とか誤魔化そうとしたがこの素人は根が真面目と来た物だから相手の”嘘”や”ごまかし”を一つ一つ潰していった(笑)
(しかもそれは意地悪ではなく彼の根っからの性分なので仕方のない事でもある^^;)。

だが、原子力発電の専門家(自称)はそれにより酷くプライドを傷つけられた。
挙げ句の果ては”素人が知った風な口を聞いてんじゃないよ!”と逆切れしさっさと飲み会を後にしてしまった。

素人の彼は訳が判らない様子だったが日頃から”原子力発電の専門家(自称)”の事を鼻持ちなら無い奴だと思っていた連中は大喜び。その後は大いに会が盛り上がった事を私はちゃんと見ていた^^;。

以上のような事は一体何を意味するのだろうか?
此処で登場するのが『兎と亀』のお話である。

言わずと知れた事だが原子力発電の専門家(自称)は勿論兎、そして素人は亀である。

兎さんは自らが”知識人”だと思っているのでそれ以上の情報を仕入れる事をせずここぞとばかり知識をひけらかす。
一方亀さんは今回の事で如何に自分が無知であったかを痛感し一生懸命勉強をしたその結果最新の知識を得た。

さて、ゴール付近となりうさぎさんは油断をしその隙に(でもないが)亀さんは一気にダッシュ。
慌てた兎さんは足元の石に気づかずすってんころりとコケ其の間にカメさんゴールというのが今回のお話の顛末。

往生際が悪い兎さんは亀さんがズルをしたと主張するも衆人環視の元ではそんなごまかしなど通用する筈も無い。
寧ろ自らの負けを認めず往生際の悪さに今までの兎さんのイメージは急落、一気にその人気を落とす事となる。

『奢れる平家は久しからず』という言葉がある、奢れる者はその自らの奢りにより自らの足元を救われ失脚する。
無知者は自らが無知である事を知っているが故精進する事を忘れずその結果『奢れる者』を凌駕する事となる。

正にソクラテスの『無知の知』である、無知である事を知って奮闘努力をする者は其れを知らぬ者より偉いという話。
知識が身をたすく事は今回の震災で皆が学んだ事だろうされどそれも『奢り』があっては決して活かされぬ物である。

自らが幾ら知識や経験を有していようが決して奢らず高見を目指し精進を怠らない、それこそが真の『賢者』である。
現政権には是非自らが『賢者』ではなく『無知者』であるという意識で事にあたってほしいと願わずには居られない。

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