所謂芸能人にとって”プチ整形”という物はメイクを一寸変えるような感じの物となっている。
老いも若きも皆、”プチ整形”に走りさぞや形成外科の方々は多忙を極めておいでであろう…。
我が元にも”醜形恐怖症”に悩む同胞が来て来る度に”顔が変わっている”人が居る^^;。
その同胞に私は言う”その内、整形依存になってどこぞの外タレみたくなるよ”と^^;。
何処ぞの方は好きで整形した訳ではなく病気でああなってしまったのだから仕方が無い。
だがそうじゃない方々の中にも”プチ整形依存”に悩む人はとても多い。
整形する人の殆ど100%は”自分の顔が嫌い”な方々である(まぁ当たり前と言えば当たり前なのだが)。
そして整形を繰り返す人のこれまた殆どが”元の醜い自分に戻りたくない”という恐怖心からだとか。
私から言わせればその”元の醜い自分”という認識その物が間違いなのである。
親に産んでもらいこれまでその顔で生きて来た物を”整形”するのは親に対する不徳である。
勿論美醜という物は有り、好悪という物も有る事は認める。
だがそれは”個人差”が有り”個々人の裁量”に委ねられる事が殆どで”普遍的な物”は存在しない。
美人という物の明確な定義付けが有る訳でなし、不細工という物の明確な定義づけが有る訳でなし。
美醜という物も国により時代により人により変わる物だ、それらに一喜一憂する時点で間違っている。
我が元へ来る”自分が不細工で随分苛められて来ただからこんな性格になった”という人のほぼ100%の方は不細工ではない。殆どの方が”自分が不細工だと思いこんでいる”ケースが殆どである。
その方々は口々に言う。
”だって昔から”不細工”と言われ続けてきたし、鏡に映る自分は綺麗とは思えない”と…。
私は応える。
”ならば貴女は世界中の方々に”不細工”といわれたのですか?もし地球上に居る全ての人が貴女の事を”不細工”だと言われたのなら私はそれを認めましょう。でも貴女が住まわれている極一部のしかも貴女の事を快く思っていない人間の悪意により”不細工”と言わしめられた物ならば断固認めません”と。
大抵の方はそこで口を噤んでしまわれます。
だって”世界中の人が自分の事をブサイクだと思っていると認めさせる事”なんて不可能ですから。
そして大抵そういう人の場合”周りに居る悪意に満ちた連中により誤認識”をされている方が多い。
そういう方々に私は”リフレミング”をしもう一度自分の中にある”枠”を作り直す事を勧めている。
つまり自分の中に有る”ブサイク”という枠組みを一旦外して新たな枠組みを作る事を勧めている。
私の勧めで最初は不承不承始めた方々も徐々にその”新しい枠組み”を作っていく中である種の疑問が頭をもたげるようになる。
”・・・私って本当に皆が言うように不細工なんだろうか?”と…。
そう!それこそが私の最大の狙いなのである。
”本当の自分”を知る事、悪意に満ちた方々により刷り込まれた”虚飾の自分”ではなく”本当の自分”と会えた時、人は今間の出の自分の持っていた”固定概念”に疑問を抱くようになる。
そうなれば後は此方の独断場である。
程無くプチ整形を繰り返していた人は整形を止め自らの容姿に自信を持ちそして明るく元気になって我が門を去っていかれる。その内の幾人かは顔出しの仕事に就き自らの”ルックス”を売りに仕事をしている
プチ整形をしようと考えておられる貴女、一寸まってください。
その前に先ず我が門を一度叩いて見ませんか?
案外そのお金、違う事に使えるかもしれませんよ?^^V
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