私は人間の喜怒哀楽を一つのローテーションとして同胞に表現させるように普段している。
心疾患の場合、心が機能不全を起こしている訳だから先ず”自らが立ち上がる力”を得なくてはならない。
逆を言えば”自らが立ち上がる力”を得る事が出来れば心疾患は飛躍的に回復する。
自浄作用を高めてあげれば自らが立ち上がる力をより得やすくなるからだ。
その手助けをするのが我々専門職であると私は理解している。
全ての同胞に適用される訳ではないがその際力を発揮するのが”セルフフォトセラピー”。
普段の生活の中で自分で自分を撮る行為は中々有る物ではない。
ましてプリクラを毎日撮ってる女子高生でない限り中々そういう機会には恵まれないだろう。
(そしてプリクラは真実を誇張して表現される為セルフフォトセラピーとしては不適切である)。
だがそれを繰り返す事により”前回の自分”との違いを明確に”目”で知覚する事ができる。
勿論明らかな”違い”を感じて貰わねば意味が無いので喜怒哀楽の間を少し置くようにする。
そして”前回との違い”が明らかになってきた所で頃合いを見計らって”同じ事”を繰り返して貰い”前回との違い”を同胞に診てもらう。
その事によって”自らが回復している事”を目で知覚して貰うのだ。
勿論これは大きな”賭け”でありある程度のリスクを背負っている事は間違いない。
こちらが”知覚”している者を同胞も”知覚”してくれるとは限らないからである。
時には”知覚”されない場合も有るし”知覚の度合い”に更に落ち込む者も居る。
(あんなに頑張ったのにこの程度か…と。)
しかしそういう同胞にも勿論”救いの手”は差し伸べられる。
”これは単なる途中経過、これが最終段階じゃない。途中の経過を見て1歩でも半歩でも進んでいる事を知覚して貰えばそれで結構です。前へ進んでいる事を知覚する事が目的ですから”と申し上げる。
すると大抵の場合”そうか、とりあえず前へ進んでいるのだから良いか”と思うようになる。
そうなれば気持が”前向き”となりより”変化”を御自身で感じていただけるようになる。
自分が変われば勿論”周り”も変わってくる。
嘗て面倒を診ていた我が同胞の場合、同胞の変化に伴い周囲の変化も大変著しくなり、
同胞はその両方で自身の変化と進化を感じる事が出来た、これは相乗効果であった。
心疾患の場合大抵”悪癖”が原因となりそれが”繰り返しの心理学”により脳に摺込まれその結果心疾患をより深刻化させる結果となる場合が殆どである。
ならばその”悪癖”を”良癖”に変えればどうなるだろう?後ろ向きの力を前向きの力へと変えていくのだ。さすれば”良い習慣”が刷り込まれどんどん同胞は回復傾向へ向かっていく。
その手助けをしそれを支えそれを補っていくのが我々専門職の仕事であると私は常考えている。今日も又、そういう同胞に一人出会い私はとても嬉しかった。
二人三脚で頑張ればどんな心疾患も治せる、私はそう信じている。
私はこれからも同胞と共に有りながら共に”完治”という山の遥か彼方にある頂点目指して頑張って生きたいと願っている。
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