2010年10月30日土曜日

命を掛ける価値のある者…

ずっと昔の話。


私は同胞の前で手首を切った事があります。
私の”本気”を彼に見せる為に…。彼は一瞬青ざめ、しかし直ぐに次の行動に出ました(つまり止血、彼は救命救急士でした(笑))

幸い傷は浅く命に別状は無くその後彼も我が門を元気に去っていきました。
今は多くの部下を抱える名救命救急士として名を馳せています(実名は敢えて伏せますが)。

本気を出させる為にこちらも本気を見せる、それが私のやり方です。

本気で治そうと思えばそれなりの”覚悟”が要ります、それは精神疾患であれ他の疾患であれ。


ですが人間中々その”覚悟”を出せない、そりゃあ怖いですもの、不安ですもの、当然ですよ。

私は自らを”先達”と位置づけています。

故に”先達”は何事に於いても”先を行かねばならない”という大命題があります。
同胞に”本気”を出させる為には先ずこちらが”本気”である事を示さなくてはなりません。

まぁそれでも先の例はちょっとやりすぎの感はありましたけど^^;
(後で彼にこっぴどく叱られました(笑)そりゃあ命を救う立場が手首きっちゃヤバイっす)。

一緒に死のうと言った事も有ります(これも遥か昔の話)。

実際その当時私もどん底の生活で彼の気持ちとものすごくシンクロしてしまいました。
彼は当時私の一番の理解者でそして大親友でありました。

その彼がまさか私の同胞として門を叩くなど思っても見ませんでした。
親友として一番の理解者として彼がここまでなるまで気付けなかった自分を恥じました。

自分を責めました自分を罵りました自分を殴りました(マジで)。
そして彼と”痛みを共有”したいと思いました、”苦しみを共有”したいと思いました。

当時まだ20代半ばで血気盛んな無分別な頃の話です。
無鉄砲で自分勝手で後先なんぞ何も考えていませんでした(まぁそれは今も同じですがw)

当時彼には”彼をとても愛している人”が居ました。

ですが彼はその”彼をとても愛している人”を守りきれなかった。
その人の死に直面し生きる希望を失いかけていました。

ですが私の一言が当時の彼の気持ちを変えたようです。
私と亡くなった彼女が当時の彼には重なって見えたそうです。

ですが重なった彼女は彼にこういったそうです。
”死んじゃ駄目、貴方は生きて、私の分まで、弱かった私の分まで生きて”と…。

彼はその後ライフセーバーとして多くの人命を救助するスペシャリストとなりました。
そこで劇的な出会いをし今はファミリーを築いています。
(マジで亡くなった彼女に瓜二つの人に出会ったのです、私もマジで驚きました)。

我が同胞は皆”命を掛ける価値のある者”達ばかりです。
逆を言えば”命を掛ける価値の無い者”を同胞に私はしません。

故に彼らを”生かす”事は”自分自身”を生かす事に同じなのです。

これからも私は”自らの身命を賭して”彼らに向き合いたいと思います。
その中で”彼らの中に眠る本気で生きたいと願う気持ち”を引き出したいと思います。

今はその力を”兄”に求めたいですが…。

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