2010年10月30日土曜日

言わなきゃ判らないという人は大抵言っても判りませんw

私の知り合いに”言ってくれないと私は判りません”と駄々をこねる人がいる。

だが、私は思う”言わないと判らない人は言っても判らないよ”と(勿論本人には言いませんが^^;)。

我が同胞(私は患者を完治という共通目的を求める仲間と位置づけ同胞と呼びます)にしても同じである。勿論最初は誰でも判りませんから説明をします、これは三歳児であろうが老人であろうが同じ。

ですが三度以上私は繰り返しません(勿論一つの事についてですけれど)。
逸れは何故か?自己治癒力を高めるには本人の”治ろうとする意思”が何よりも大切です。

我々専門職はこの”自分自身が治ろうとする力”を如何に引き出すか?が鍵だと思っています。
故に”死ぬ気”で同胞に挑みます、ありとあらゆる方向から様々なアプローチを試みます。

ですがそれも”同胞と同じ方向を向いていなければならない”という大前提があってこそです。
私は右方向へ導こうとしているのに同胞が反対方向へ進まれては何の意味も有りません。

勿論反対方向へ進む事が同胞の為となるならば喜んでその方向へ進ませるでしょう。
しかし大抵の場合同胞自身が苦しむ方向乃至は元の悪い状態に戻ろうとする方向へ進みます。

これは染色体レベルで人間が本来の方向へ進もうとする性質から来ています。
自然治癒力もその一つ、でも時としてその方向が正確じゃない場合が有ります。

その時は専門職たる我々が”強制的方向転換”をしなくてはならなくなります。
それをどう行うのか?そしてそれが”強制的方向転換”である事を如何に悟られないようにするか?
それが腕の見せ所でもあります。

同胞が違った方向へ進んだとき、その道を封じ新たな道を示し其処へ誘導する、それが我々の仕事です。
しかしいきなり目の前に柵を設け、反対側に誘導したのでは同胞はいう事を聞いてくれません。

如何に相手に納得させ今進んでいる方向が自分にとって好ましくない結果を生みこれから指し示す方向が
その人にとって実り多き場所へ出る道であるかを示す事が何より大切なのです。

それには豊富な経験と確かな知識、そして表現力が求められます。
正確に導くにはそれなりの努力が無いと出来ないのです。

故に”言わなきゃ判らない”と駄々をこねるアフォの相手はしたくないのです(笑)

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