2010年10月30日土曜日

人は自分を知る鏡なり…

我が門を潜る人の中に多くある悩みの一つに『自分が判らない』という人が居る。
つまり自分の今の立ち位置が全く解らないという人結構多いのだ。

それも立派な役職に付き、人望も社会的信用もある程度お持ちの方がである。
一見すると『何で?』という風にお思いになる人が多いと思う。

しかし私には彼らの考えて居る事、思って居る事が手に取るように解る。

人は社会的地位が上がり、ある程度の人望を得ると”守り”に入る。
それらを失うまいと”挑戦する事”をしなくなる。

それは何も自分自身の保身の為だけではない。
例えば大会社の社長ともなれば自分の立ち居振る舞いがそのまま会社の信用に直結する。

下手を打てば会社は斜陽し、多くの社員を路頭に迷わせることとなる。
本当に下の事を思う社長ならばそう思ったとしても何ら不思議は無い。

だがそれは逆に自らに大きな精神的負担を抱える事にもなりかねない。
周りに”イエスマン”が増え、自分を映し出す鏡がどれも”同じ表情”なのだから。

自分は本当に日々成長してるのか?それとも退化しているのか?
周囲にある鏡だけではそれらを推し量る事はとても難しい。

そういう人には私は”チャット”に入る事をお勧めしている。
ヤフーチャットなら私の知り合いも沢山居てその中には”聞き上手”な人間も沢山居る。

勿論私のような専門職の者も居て私以上に素晴らしい助言をしてくれる。
そして彼らは皆一様に”御互いの氏素性”を明かさないで居られる。

社長も弁護士も交通整理の人もパートタイマーも皆”同じ目線”で話が出来るのだ。
中にはとんでもない社会的地位のある人も居るが敢えて私はそれを伏せている。
(何せ国を一つ任せられている人なのだから(笑))

その中で日々成長している”自分”という存在を掛け値なしで知る事が出来る。
最初は中々打ち解けられないが徐々に打ち解けていき自分の今の悩みを素直に打ち明け
又打ち明けられた方もそれを素直に受け止め素直な意見を返してくれる。

言うなれば”釣り馬鹿日誌”の”スーさん、ハマちゃん”の関係と似ている。

だが全ての人間がPCを扱えるわけも無い。
ヤフチャが出来ない人だって沢山居る。

ならばそういう人たちは何処で”鏡”を得たらよいのか?

それは”身近に居る人々”である。

つまり家族や近所の人、偶に買物に出かける先の店員さんでもいい。
そういう人たちの”自分に対する接し方”で自分の成長を押し量る事が出来る。

ある面白い話をしよう。

恋愛に悩むYちゃんという娘が居た。

同じ職場の違う階に居る彼に彼女はぞっこんだった。
しかし中々告白できずバイトの終了期限だけが無為に過ぎていく…。

偶々同じ大学の後輩であるという事も手伝い此処は私が一肌脱ぐことに。

とりあえず敵情視察をしなくてはと彼の居る売り場へ足を運んだ。
幸い彼は紳士服売り場に席を置いているので私が行っても無理は無い。

彼の接客の仕方や立ち居振る舞いをある程度観察し彼とは言葉を交わさずそのまま帰宅。
その足で直ぐYちゃんに電話。

デートの取り付けから終了までの全ての指示を出した。

勿論彼女は半信半疑だ、何せ彼の事を私は殆ど知らないのだから。
だがとりあえず彼女は私の言う通り段取りをしそしてデートに臨んだ。

数日後彼女が我が門をダッシュで叩いて飛び込んできた(笑)

”凄い!先生が言った一言一句間違いなく全て彼が言いました。どうして解ったんですか?”と(笑)

答えは至極簡単である。

彼の立ち居振る舞いから彼の性格を察知。
勿論後輩の性格は長年見ている為彼以上に知っている。

その二人を頭の中で立たせシミュレートすれば自ずと出てくる言葉は容易に想像出来る。
それをそのままYちゃんに指示したに過ぎないのだ。

その後何とYちゃんの男性の好みがいきなりシフトし彼女は男性を日本人から外人に(笑)
だが今でもYちゃんの中で私は”マジシャンだ”という事になっている(爆)

このように”自分”を知る為には”他人の自分に対する接し方”を見ればよいのである。
その接し方が変わっていればそれは”自らが変わった”という事と同意義である。

そのやり方で私は過去お子さんを連れてきた母親を治し、彼氏をつれてきた彼女を治した。
何れも問題を抱えてきたのは連れて来られた方ではなく彼ら・彼女らを連れてきた方。

故にその”連れて来られた方”を変える事で”つれてきた方”を変えるという方法を取った。

セラピーのやり方も実に様々なのである。

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