2010年10月25日月曜日

諦念の心理学~或いは可能性開拓の心理学~

受験シーズンも大詰めを迎え受験生方々は血眼で孤軍奮闘されておられる事と思う。

嘗て私も受験生で合った時の事を思い出し又今年は甥が受験生である事も手伝い胃の痛い思いをしている(笑)

私も嘗て予備校で学んだ経験を持つ。

予備校講師は声高に叫ぶ“決して諦めるな、最後迄希望は捨てるな“と…。

確かに仰る事の意味は充分理解する。

まして職業柄“頑張るな“とは口が裂けても言えまい。

よしんばそう思って居たとしても…(笑)

嘗て受験生と予備校講師を同胞に持った事が有る。

面白い事は彼らの悩みが同じ方向性を持っていた事だ。

受験生は毎回“頑張れ、頑張れ“といわれる事に必要以上のプレッシャーを掛けられそれが勉学意欲を削がれると…。

又予備校講師は“自分が思っても居ない言葉を生徒に毎回言わねばならぬ事が辛いと…“

図らずもどちらも“頑張れ“という言葉が原因で我が門を潜ったのだ。

私は実に興味深い事だと思った。

教える側と教わる側立場は違えどもやはり心は同じ方向を向いて居たのだと…。

予備校講師は理系科目を担当し受験生も又理系大学を目指して居た。

私は彼らに一計を案じ別々の指示を出した。

予備校講師には“特別授業“と称して予備校講師が心を許せる生徒を集めて“頑張るな“という事。

予備校生徒にはその特別授業を受けるよう勧めた。

するとどうだろう特別授業を受けた生徒は全員合格し講師も塾長よりお褒めの言葉を頂戴したと言う。

我が意を得たりとは正にこの事である。

お陰で予備校の知名度は飛躍的に上がりそれからも多くの合格者を排出したと言う。

人間確かに頑張る事は大事である。

今の日本の繁栄の影には先人達によるたゆまぬ努力の賜物だからである。

しかし努力ばかりが必要なのではない。

車のエンジンだって常フル稼働したら壊れてしまう。

適度に休ませる事はエネルギー効率を上げる為に必要な事。

人間も又同じ。

頑張り続ける為には充分力を蓄えねばならないのだ。

時には“頑張らない“事を頑張る必要も有る。

“頑張らない“事で一度感情を手放し諦念する事で新たに見える事も有る。

故に私はこれからも“頑張らない事“を勧めて行こうと考えて居る(勿論頑張り過ぎて居る者にのみ)。

economicanimalと諸外国に揶揄されない為にも偶には休みましょうや(^_^)v

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