我が元へ来られる方は一名の例外も無くこう仰います。
『先生、私治りますか?治してください』と…。
大抵我が門を潜る方々は精神科や精神神経内科やその他医療機関で匙を投げられた方が多く
我が門を潜る頃には他の精神医療機関には頼る場所が無いという人が多い。
勿論私とて彼らの心の病を治して差し上げたいしその心積もりである。
だが、敢えて私は彼らにこういいます。
『治すのは私ではなく貴方自身、貴方自身が治ろうという意思なくして病は克服できません』と。
私が患者を患者と呼ばず”同胞”と敢えて呼ぶにはそれなりの意味があります。
先に述べた通り、”病気という眼に見えない敵と共に闘い共に勝利する戦友”という位置づけから私は彼らを”同胞”と呼ぶのです。
勿論、尖兵は私、そしてしんがりは彼ら・彼女らです。
私が先導し、雑兵を蹴散らし、ラスボスを押さえ込んで最後の一刺しは彼ら・彼女らの役目。
いわば”あだ討ち”の助っ人のような存在であると私自身はそう自身を位置づけています。
故に『治す』のではなく『闘う』と位置づけています。
本人の”治したい、治るんだ”という強い意思なくして精神疾患を治す事は不可能。
逆を言えばその本人の”治したい、治るんだ”という強い意思の後押しをするのが私の役目。
彼らの後ろに立ち彼らが”病という見えない敵”に堂々と恐れず立ち向かっていけるだけの力を与えるのが我々専門職の仕事だと私は自らを位置づけています。
最近出会った或る同胞を見てふとそんな事が頭に浮かんだので書いて観ました。
常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2010年10月30日土曜日
『治す』のではなく『闘う』のである。
此処数日、異常な程の眠気と倦怠感、そして焦燥感と戦いながら日々生活をしております。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿