武田信玄公『風林火山』の山の章の一節である。
今の私の心境を此処まで適確に表している言葉は無いという程適確に表している。
昨日此処で挙げた同胞の続報、と言っても内容は殆ど変わらない。
こちらのあらゆるアプローチに対して一切の反応を示さない。
日記に足跡は有るでもコメントはない。
恐らくメッセージもメールも読んで居る筈。でも返信は一切無い。
今までの私ならブチ切れてさっさと関係を解消していたでしょう(今でも本当はそうしたい)。
でも此処数日氏の周りの状況は激変し、今は居住地を移され馴れない中での生活である。
周りは知らぬ者ばかり、さぞ不安である事だろうと思う。
その中で心を閉ざしたとて誰が責める事が出来るだろう。
糞旦那のご両親はとても暖かく彼女を迎え入れてくれたと言う。
旦那は糞でも両親はまともだったようだ、それが彼女には幸いしたのだろう。
最後のメールは”力強く生きて行きます”という物だった。
或いはこれが彼女なりの”ラストメール”だったのかもしれない。
それを私が気付かないだけかもしれない。
故に今はあれやこれやと突くのをやめ心静かに今後の動向を見守ろうと思う。
それが専門職として私が彼女にしてやれる唯一の事のような気がする。
何かアプローチがあればその時初めて動けばいい。
今はそんな心境になっています。
常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2010年10月30日土曜日
動かざる事山の如し…
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