ロックの日本に於けるパイオニアとして国内は元より海外にもその足跡は多大なる影響を持っている
。
獣は死して皮を残し人は死して名を残す、氏は正にそれを王道で行った人間であると思う。
嘗て我が恩師が我に申された言葉…『○○君はパイオニアだね』。
我が地元はとても封建的な場所にて我より前に普通学級に身体障害者が入学した例は無く、
皆、養護学級や養護学校へ進んでいた。しかし我が恩師はそれを嫌い教育委員会と衝突。
自身も早くに目の光を失い福祉大学へ進学、牧師として多くの正に『迷える子羊』をお救いになられその迷える子羊の中に又、我も居た。
私がパイオニアとなれたのは偏に牧師先生のお陰であり氏の存在無くして今の私を語る事は出来ない。又、氏と同じように小・中・高校そして大学と私を支え続けた多くの方々の尽力無くして今の私は無いと思っている。
『人は生垣、人は城』神君信玄公のお言葉であり我が座右の銘とする所である。
人があるから我有り、又、我ありて人ありと私は思っている。
多くの方々が私の生き方を支持し、又、とても強靭な精神力を持っていると言われる。
確かに生半可な気持ちで出来る仕事に非ず、人の命を預かっているという重責を常背負いながら生きる事は並大抵の事ではないと思う。
だが、それ故の誇りや自信という物がある事も又、事実である。
小学校から大学を出る迄、常、私は”パイオニア”であり続けた。
そして今、仕事面に於いても私は”パイオニア”として働き続けている。
この仕事を日本で検索を掛けても中々ヒットしない。
海外で同じ様に検索を掛ければかなりの確率でヒットするのだが未だ日本では稀である。
それ故訝しがられ不安がられ疑心暗鬼の目で見られる事も暫しである。
だが一度私の仕事ぶりを見られた方は殆どの方が”あぁ”とご納得戴ける。
(それでも未だ訝しがられる人も居るには居るのだが^^;)。
精神科や精神神経内科、カウンセラーでも治せない心の病という物がある。
まぁぶっちゃければ”薬じゃ治せない心の病”という物は実際に存在する。
そういう”投薬治療では治せない心の病”を治すのが我々の仕事だと私は自らの仕事を位置づけているし又、同胞方々にとっても我々は”最後の牙城”である場合が多い。
色々な精神科や精神神経内科やカウンセラーを渡り歩いた結果我が元にたどり着いたというケースがとても多い。我が元がもし駄目ならそれでお仕舞いという方々ばかりである。
勿論物凄い重圧であるし重責である、何せ”此処が駄目なら後は死ぬのみ”なのだから。
オーバーと思われるかもしれないが相手はそんな心積もりで来られているのだから大変。
だが私はその重圧すらも楽しむ、そして同胞と同じ時を過ごし完治という頂目指して共に悩み共に苦しみ共に泣きそして共に笑い抱き合う…。
それが先駆者であり続ける事の意義であると私は思う。
恐らく清四郎氏も少なからず私と似たような感情を抱いておられたのではないだろうか?
先駆者で在り続ける事の苦悩と楽しさを自身の心に同居させながら。
氏の死に際してふとそんな事を思ったので此処で書き綴ってみた。
常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2010年10月30日土曜日
先駆者で在り続ける事…
歌手の忌野清志郎氏が亡くなられた。
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