2010年10月30日土曜日

リラ~ックス、リラ~ックス…

此処数日兄の調子が良いので今日は久しぶりにお休みを頂戴した(兄にも休めと言われた為)。

と言ってもハイ!そうですかと休む訳にも行かずデスクワークの後は外回りを始めた。
生憎の雨模様だったが今は少しでも入院費及び治療費を稼がねばならない。

今までの同胞の所を回ってきた。

そこでまぁ何時もの事と言えば何時もの事なのだが…最近全く連絡を寄越さなくなった同胞の現状が気になり尋ねて見た。我が同胞が連絡をよこさなくなるケースは大体二通に分かれる。

連絡を寄越さなくなる程ヤバくなっているか、怠けているかその二択しかない^^;
今日の同胞は後者の方、尋ねてみたら呑気にTVゲームなんぞに興じてやがった。

まぁそれはそれ回復して来た事の現れであり素直に喜ぶべき事ではある。
が…こちらが課したプログラムまで疎かにされてはこちらとしても穏やかではいられない。

最近定時報告が全く無く私がわざわざ彼の為に作ったセラピープログラムも滞っている。

一時期状況的に厳しい状況に在った事は理解する、寝る暇も無く働き通しではプログラムを実行しようとしてもそりゃ充無理である。少しでも自立したいと言う氏の切なる願いが解らぬ程の頑固者ではないし寧ろ私はそれを促していた方なので在り難いと言えば有難い。

偶の休みくらいゆっくりさせろという彼の意見を尊重し無い訳でもない。
が、生活向きを見る限り我がプログラムを実行できない暮らし向きでもない様子。

そこで話をしながらそっと振って見た
”最近プログラムやってる?”
”あぁ、あれもう必要ないです”
”…”
そのまま私は無言で彼の家を出た、怒りに震え彼を殴る前に彼の前から立ち去りたかった。人が寝ずに考えに考えたプログラムを”あぁ、あれもう必要ないです”の一言で済まされた。

同胞の状況を診るのは彼ではなく私自身である、それを彼は全く理解していない。

確かに今の状況は彼には好転的のように思える、以前より助力者も随分増えた。
彼自身随分強くなったし明るくもなった、確かに彼の言うように”必要ない”かもしれない。

しかし…それを決めるのはそのプログラムを実行させた私であって彼ではない。
事実彼の今の”強さ”は”流動的”であり”固定化”されていない。

私は常、同胞に言っている”治ったと過信して怠けていると効果が固定化されず薄れる”と。それで何度も我が門を繰り返し叩いている人間を私は数多く見ている。

一度失敗し二度目、三度目に来る同胞は以前にも増して悲惨な状況になっている場合が殆どである。そりゃあそうだろう、完治していない傷口をもう一度開くような物なのだ。

悪化することはあってもそれが快方に向かう事は無い。

だが、どうも我が同胞はそれが理解できていない物が数名居る。

今日を限りに私は彼の”全てのプログラム”を停止し、”一切の関与”を終了した。
彼自身が”必要ない”と言い切っている限り私自身の存在も今の彼には不要であろう。

今後、彼からヘルプが来ても私は一切”無視”します。

と、同時に今も私の言いつけをずっと守る同胞にも会えました。

その子は未だ子供ですがとても純粋で素直で一生懸命に私のプログラムをこなしてます。そして治ると信じて一生懸命頑張っています、その甲斐有って出会った頃のその子とは見違える程元気に明るくそして更に素直になっていました。

日々変わっていく自分が解るのだとその子は言ってくれました。
そして今後どこまで自分が変われるのか?それがとても楽しみだとも言ってくれました。

”先生、ずっと傍に居てね”とその子は目を潤ませ子猫が飼い主を見るような目で見ます。私も目を潤ませその子に言います”大丈夫、君が要らんといっても俺は傍に居るよ”と。

その子は両親を亡くしてずっとおばあちゃん子でした。

とても良い子でしたが自らの感情を表に出す事が不得意な子でした。
やはり祖父母に育てて貰っている事を悪いと思っていたのでしょう。

そして段々と感情の起伏の無い子に育っていきました。

日々笑顔が消えていく孫を見かねておばあちゃんが我が門を叩きました。
力ない笑顔のその子を始めて見た時、私はすべてを悟りました。

それから我々の戦いが始まりました。

詳しい内容は省きますがそりゃあ血反吐を吐くような辛い日々でした。
私も辛かったですがそれ以上に辛かったのはこの子です。

でも一切音を上げずずっとこの子は私についてきてくれました。

元から頭の良い子でしたので飲み込みはとても早いほうでした。
私の手法をどんどん吸収しどんどん明るく元気に溌剌とした子になっていきました。

有体の言葉を使えば”普通の子”になっていきました。

これからも私はずっとこの子と向き合いこの子の成長を楽しみにしたいと思います。

イエスは仰いました、”神は自ら助く者を助く”と…つまり頑張っている人を神は決して見捨てないという事です。彼の成長がそれを見事に表していると私は思いました。

私も”自らが自らを律し頑張っている人”をこれからも応援し続けたいと思います。

追伸

実はこれ別ブログの或る方へ向けたメッセージ日記であった。
そして案の定私の”餌”に釣られてのこのことやってきましたよ(笑)
ところが…この御仁或る意味大物というか傍若無人というか、全く意に介しておらぬ様子。餌だけ食って逃げちゃうタイプの魚いるでしょ?あれですよ、あれ^^;
こうなるともう打つ手無しなんですよね、マジで…。私の我慢もそろそろ限界です。

1 件のコメント:

  1. P.S....
    御魚の養殖専門の御友達に、
    Blogを御紹介させて頂きました♪

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