判りやすく言えば”私は○○さんより○○の部分で優れている、そんな私は幸せ”これが比較幸福論です。
一方の恒常的幸福論とは”今こうして生かされている事を神に感謝”これが恒常的幸福論です。
人間という物は兎角人と何かを誰かを比べたがります。
そして少しでも前へ少しでも上へ上がりたがる種族です。
鋭い爪も厚い鱗も持たぬ人間が地球上で此処まで進化して来れた最大の理由が此処にある。
何かと自分を較べて上を目指そうとする気持ち、それが”進化”へと繋がっていった…。
しかしそれは既に昔の話。
今の人間は”必要以上に人と自分とを比べたがる”傾向にあります。
その結果自分が人より”上回っていれば”まだ救いは有りますよ。
優越感に浸れますし幸福感を味わう事も出来ます。
しかし…もし”比較対象とした人が自分よりも上だった場合”これはかなり悲惨です。
先ず”相手より下の位置にいる自分”という存在が物凄く小さく見えます。
又、そういう対象の人を比較してしまった自分の愚かさが嫌になります。
しかし…此処で終わってくれればまだ良い方です。
一部の人間は”今の自分がこうなったのは俺よりも上に行ったアイツのせいだ”。
”アイツさえ居なければ俺が上に上がれた。第一俺よりも劣るアイツが上に居るなんて可笑しい”と言う風になっちゃったらもうアウト。
下手をすると”お縄頂戴”という憂き目に遭う事になりかねません。
翻って”恒常的幸福論”は今在る自分という物にとても幸福感を抱く人達です。
”こうして生かしてもらっている事に感謝””三度三度食事が取れる事に感謝”
”毎月決まった額のお給料を戴ける事に感謝”などと決して人と自分を較べません。
人と自分を較べませんから相手が上がったり下がったりに一喜一憂する必要は不要です。
”アイツよりも俺の方が…”なんてマイナス思考に陥る事も犯罪に手を染める事も無し。
比較幸福論のように大きな幸福感は味わえないかも知れないけれど小さな幸福を感じられる心を持つ事は”心の平穏”を持つ意味で実はとても大事な事だったりします。
誰かと自分を比較して幸福感を得るより今在る自分の存在を幸福に思う。
日本中の人がそう思えるようになったら幸せだと思いませんか?
私はこれからもそういう”恒常的幸福論”を説いて行きたいと思って居ます。
”オリジナルで在る事の幸福””自分が自分で在る事の幸福”を…。
常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2010年10月26日火曜日
比較幸福論と恒常的幸福論
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