2010年10月25日月曜日

死にたい人を死なせないお仕事をしています

私の元へ来る人の半分は”生きる事に疲れ自ら死を選ぶ”人達です。
でも…それは”心から望んでいる事”ではありません。

本当は誰だって死にたくはない。
本当は誰だってこの世とさよならしたい訳じゃない。

でも”自分が判らない””自分を解ってくれない”事がずっと続くと生きる事その物が苦痛に思えてくる。そして”生きている意味”や”生きる意義”を見失いかけてしまいます。

大抵の同胞は最初我が門を潜った時に言います。
”先生、俺もう死にたいよ、生きる価値ねぇもん、俺なんて…”

そしてそれから数ヵ月後、我が門を去る時に大抵同胞は言います。

”先生、俺生きたい、もっともっと生きて色々な物を見たいし色々な人と出会いたい。
先生みたいな変わり者は中々出会わないだろうけど俺もっと色々な事を知りたい”と…


それが氏の”本音”であり”心が求めている事”である訳です。

此処まで簡単に書いてきましたがそれこそ此処に至るまでのプロセスは大変ですよ。
血反吐を吐くような苦しみと枯れる程の涙を流しそして到達できる頂きです。

並大抵の事じゃたどり着けない最高峰です、でも一人じゃ無理でも二人で登れる時もある。
私は時に牽引役となり時に後ろから背中を押す助力者となり一生懸命山を登ります。

”完治”という名の山を…。

実は今も”死にたい”って口々に漏らす同胞を診ています。
それこそ何時死ぬか解らないので24h体制です、気を張って毎日を送っています。

あちらも精神を疲弊させていますがこちらだって同じ。
絶対に死なせたくないですし、死なせやしません、この命に掛けても…。

きっと二人で”完治”という名の山の頂上から見える”笑顔”という名の太陽を拝むまで。
絶対諦めません、それが私の仕事ですし私が生きる意味ですから。

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