厳しい題名で始まりました当日記ですが内容はいつものようにゆるーい内容でお送りします(笑)
私の元へ訪れる何人かは大抵こういいます。”私ってどういう人間なんですかね?”と…。
其処で私は大抵こういいます。
”私から見たアナタは○○な人でもあり○○な面を持ち、○○な一面を持つ人であります”と…。
すると殆ど例外なく同胞は言います。”それで結局私はその中のどれなんですか?”と。
私は応えます。”それら全てが貴方であり貴方という存在の一部であります”と…。
最近人から”貴方って人が良く解らない”とか”貴方は人によってコロコロ性格が変わる。
人格障害なんじゃない?”とか揶揄する馬鹿者がいる。
私からすれば素人の浅知恵で人を決め付ける事は止めて頂きたいと思う。
鏡に映る自分を先ず見て欲しい、先ず正面、側面、背面、斜めからの角度も見るのもいいでしょう。
その中に映る自分は”一つ”ですか?恐らく全てが”違う自分”である筈です。
角度が違えば体の凹凸も違うし首の傾け方一つで表情も変わります。
しかし言うまでも無くそれら全てが”貴方と言う存在自体”なのです。
心の中でもそれと同じ作用が現れています。
例えば家族、恩師、例えば会社の同僚、そして愛する恋人…全て接し方が同じですか?
もし全ての接し方が同じなら逆に私はその人に”凄い”と言ってあげます、別の意味で(笑)
当然の事ながらそれら全部が違う筈ですし又違わなければなりません。
”キャラチェンジ”が巧い人は世渡り上手です。
つまり”瞬時に自分のソーシャルポジション(社会的立場)を察知し、そのソーシャルポジションに応じたキャラクター(人格)をチェンジ(変化)させる事が出来る”のですから。
私を例にとって更に詳しくご説明申し上げます。
私を知る人の共通認識は”明るい”という物です。
私はこの”明るい”をベースに様々な”キャラチェンジ”を行います。
学生相手にはこの”明るさ”に”軽さ”を最初プラスします、フレンドリーさを増す為です。
年長者には”明るさ”に”礼儀正しさ”をプラスします、”常識人”を印象付けるために。
女性には”明るさ”に”言葉の魔法”をプラスします、”かっこよさ”を印象付ける為に。
男性には”明るさ”に”リーダーシップ”をプラスします、”素直に従わせる”為に。
不届き物には”冷たさ”に”怖さ”をプラスします、”その筋の人”と思わせるために(爆)
このように”明るい”をベースに様々な者をプラスして”あらゆる人格”を作り出します。
(中には”冷たい”のもありましたが^^;)。
その事により”私”というイメージが人によって実に様々に変化します。
ある時私を知る二人の人物が私と言う人物像を語っている場面に出くわしました。
私は面白いので物陰に隠れその話をずっと聞いていました。
一人は同胞で一人は後輩でした、勿論二人とも全く別々の”キャラ作り”で接していました。
結果”二人が言う人物は同姓同名で容姿も似た別人”という結論に達しました(笑)
(馬鹿ですねぇ^^;)。
このように”自分を上手く演じ分ける”事は一つの処世術であります。
ラベリング論という理論が社会心理学の分野にはあります(日本では逸脱行動論)
我が恩師、辻正二先生が提唱されている理論であり社会学の一分野であります。
つまりある人たちが”あの人は○○な人よね”という風な事を言い続けたとします。
言われ続けた人は自分が”○○な人”であると思いこんでしまいます。
これがラベリング論です。
ですがそれがその人に合ってる物ならばそれでよいですが違っていた場合大変な事なり、
最悪”人格剥離”に繋がります。それで我が門を潜った人はかなりの数居ます。
ある時仕事の合間に煙草を吸っていたときの事。
偶々研修で私の仕事場のホテルに来ていた人と話をする機会に恵まれました。
(私はホテルの一室を事務所にしそこに同胞を呼びます、地元の場合は)
彼はずっと音楽を趣味でやっていたが家族や親戚や友人は彼をとても”真面目な人間”と思っていて、
結局彼も”周囲の自分に対するレッテリング”に推されて真面目な営業マンとなった。
しかし当然の事ながら”自分の中では納得が行かない”事が多々出てきていてそれが悩みだった。
私は彼の音楽的才能を彼が音楽が好きだと言う前に見抜きズバリ言い当てた。
そして表現者としての彼の才能と彼の音楽的センスを褒めた。
私の言葉に深い感銘を受けた彼はその後当時の職場を辞し、今は細々と音楽活動を続けている。
収入は激減したが心は何時も晴れやかであり以前よりも明るく前向きにそして活動的となったという。
程無くして伴侶にも恵まれ、今は二人でユニットを組んで全国を回っていると言う。
”レッテリングが災いしその後そのレッテリングから解放された一人の人物の好例”である。
ですから不用意に”あの人は○○な人よね”というのは止めましょう、大変な事になりますよ
自分と言う存在を楽しみましょう、自分と言う存在を思い切り誇示しましょう。
貴方は貴方と言う完全オリジナルであり他の誰でもない存在です。
色々な自分が自分の中に眠って居る事を理解しましょう、そしてそららを表出させましょう。
隠してるなんて勿体無い、知らないなんて勿体無さ過ぎます。
私はアナタの中に眠る”もう一人のアナタ”を目覚めさせて上げます、完全覚醒させます。
そしてもっともっと魅力ある”アナタ”になりましょう、光り輝く存在となりましょう。
それこそが”本当のアナタ”なのですから…。
常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2010年10月30日土曜日
私的ベルソナ論(乃至は自分を演じるという事)
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