2010年10月25日月曜日

『限界の心理学』~或いは可能性固定とリフレーミング~

我が元へ来る方は大抵”限界”を感じてこられる方々ばかりである。

”もう駄目~”とか”もうしんじゃいます~”とか言ってやってくる方が大多数である。
んでそういう場合、私はどうするか?敢えて”クスリ”と本人の目の前で笑ってあげるんです(勿論演技)

すると当然の事ながら相手は烈火の如く怒り出します、”人が真剣に悩んでいるのに笑うなんて酷い”とか
中には大激怒して”侮辱罪で告訴してやる!”などと息巻く方々も居ます。

んで更にそういう方々に私はクスリと笑ってこう語りかけます。

”何故私がクスリと笑ったか解りませんか?今まで精神科医やカウンセラーが貴方の目の前で貴方を笑ったりしましたか?しないでしょ?何故だか解りますか?彼らは呆れて笑いすら出なかったんですよ”と…。

相手は其処で初めてはたと立ち止まり小首を傾げます。
そこからがセラピーの開始です。

”人間はですね、本当に限界を感じている時は逆に”私は大丈夫”という事場を繰り返す物なんです。
 人間の体には生命維持機能ってのがありましてね、本当の限界が来るとエンドルフィンが分泌されて
 一時的にそれを麻痺させる機能が働くんです。痛みや苦しみから本当の意味で”逃避”しちゃうんです。
 でも実はそいつが一番怖い。痛みや苦しみを感じませんから何だって出来る。首を吊る事も崖から飛び降りる事だって怖くなくなるんです。現実逃避の極致ですね。そうなってしまってはもう手遅れなんですよ。

でも貴方は今まだ”生きたい”と強く思われている、死にたくないと強く感じて居られる。だからこそ、”俺はもう駄目だぁ”とか”私はもう死んじゃう~”とか思ってしまうんです。それは”死にたくない””生きたい”というシグナルなんです。

んでそのシグナルが未だ自身で発せられる間は大丈夫!
まだ心は本当の意味の”限界”を感じちゃいないんです。

だからこれからもっともっとその心が感じていない”限界”を先延ばしにしちゃいましょう。
”限界”の線が見えなくなるなるほど”限界”を遠ざけてしまいましょう”と…。

すると相手は言います。

”そんな事無理ですよ~、だってもう”限界”だもの”

私は返します、
”何故限界を感じているのですか?何が限界なのですか?”と…。
明確にこれこれが限界だといえる人もいますしそういわれて又はたと”何が限界なんだっけ”と考え込む人も居ます。

金銭的困窮状態に有る人、人間関係で困窮狂態に有る人、自らの才能に置いて限界を感じている人…。
限界を感じる人の”限界の感じ方”はそれぞれ様々であり十人十色千変万化であります。

でも共通していえる事が有ります。
それは”今の貴方の枠の中で考える上での”限界”であるという事”なんです。

人間と言う存在は日々変化しています、進化と退化を繰り返しています。
常、進化していると思ったら大間違い、間違いなく細胞は老化し退化は確実に進んでいます。

ならば人間の進化や退化に応じた新しい”枠”を作る必要も又大切なんです。
社会的立場(ソーシャルポジション)と言う奴も実は結構日々の生活の中で入れ替わります。

例えば今まで威張り散らしていたお父さんがいきなり倒産で無職となり奥さんがパートで働くようになる
そうなりゃもうその時点で家族の中に於けるソーシャルポジションが変わる訳です。

今まで馬鹿だアフォだと罵り続けていた親よりも良い企業良い大学へ行った場合も又同じ。
立場は其処から大きく逆転します(まぁ私にとっては下らない事この上ないのですが)。

一番怖いのは自らを”限界固定”してしまうという事。”限界固定”した段階で進化も進歩もとまります
我々専門職はその”限界固定”をさせない為、常、人と言う存在の多面性を説き可能性を示唆します。

今の自分に限界を感じている人。
今の自分を変えたいと思っている人。

私と一緒に限界を超えませんか?私と一緒に自分を変えてみませんか?
新たな限界を作り、新たな自分を作り出してみましょう。

そこに”本当の貴方”が眠っているかもしれませんよ?

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