2010年10月25日月曜日

地方の心理学~或いは地域性心理学~

こうみえて(どうみえて?)生まれは埼玉県所沢市である。
本州の西の端へ越してきて早30年以上が経過、殆ど”西の京”が土着の土地となりつつあります。

所謂転勤族のお子さんは中々学校や社会へ馴染めずその結果我が門を潜る事が結構多い。
又そうならないとしても下手に友達を作って寂しい思いをする位なら最初から友達を作らない方が良いと心を閉ざしてしまう子も居る。

これ自体充分問題なのだがこれに拍車を掛けるのが地域性という問題。
関東と関西では物の見方や考え方が違う、又同じ関東圏、関西圏の中でも地域によって微妙に差がある。

”あ・うんの呼吸”という物は土着民にとっては当たり前の事なれど新参者には中々にして掴めない物。
んでそれらを迎え入れてくれる土地柄ならば良いが閉鎖的な場所だと排斥する方向へ行く場合もある。

私も30年前此方へこして来た時は余りの田舎度に驚き母が悲鳴を上げたという(笑)
毎日泣いて過ごしたというがやはり”住めば都”今では都会は行きたくないとのたまう始末である^^;。

場に馴染めない人が場に馴染む為にはどうしたらよいか?
答えは簡単である、場に馴染むのではなく”場”その物を自分色に塗り替えればよいだけの話である。

そんな簡単に…と大抵の方は言うが我が門を去る頃にはすっかり”自分色の場”を作って行かれるw

自分の場を作る秘訣それは一重に”自分に対する自信”その一語に尽きる。
此処で勘違いしてはいけない事は自信=過信ではないという事、この見極めが中々難しい。

自信は尊敬されるが過信は疎ましがられる^^;
時たま過信を自信と勘違いされておられる御仁が居るがあれは傍から見ていてかなり”痛い”。

全国を同胞求めて行脚する身なればその土地土地固有の考え方のような物も少しは見えてくる。
勿論細かい所までは解らぬし暫く足を踏み入れない場所の情報が不足する事もある。

だが”土地の性格”という物は10年20年やそこらでそう簡単に変わる物でなし。
ならば”土地の性格を理解すれば”土着民との交流”もそう難しい問題に非ず。

私はこうして”土地の性格”を掴み”土着民との接し方”を伝授し多くの”自分の場作り”に貢献した。
これからもそういう”悩める転勤族”の味方でありたいと強く願っている。

意外と…中からより外から観る方が良く見える事も存外有る物である^^V
だって元々東京は首都じゃなかったんですよ?江戸以前は”田舎者”扱いの土地だったんですから。

”都”が変われば当然人の味方や考え方も違って当然です。

嘗て江戸を知る”明治生まれのご老体”がこう嘆いておられました。

”此処はもう江戸に非ず、土着の江戸庶民は去り今は地方の人間が多く流入し別の都市となってしまった。嘆かわしい事だ”と…私もそう思います。

私が埼玉県人だった頃の東京はもう少し人情溢れる町であった気がします。
”所変われば品変わり時代変われば人変わる”と申しますがこれも又時代の流れなのでしょうか?

何となく寂しい気もしますがねぇ…。

0 件のコメント:

コメントを投稿