2010年10月25日月曜日

『誰が為に生きるのか』…。

『僕は生きていていいの?』涙ながらに一生懸命私に訴えかけてきた少年が居た。
既に10数年前の事、家庭にも学校にも居場所が無くどうしようもない時に偶々僕らは出会った。

橋の欄干に足を掛け下へ降りようとしていた彼。
最初は何か物でも落したかと思ったがきちんと揃えられた靴、そして思いつめた表情…。

咄嗟に私は彼に飛びつきそして彼を端の中腹まで引き戻した。
彼の目には涙が一杯浮かべられていた…それで私は全てを悟った。

行きつけの喫茶店へ行きとりあえず話を聞く事にした。

4人家族、彼の実母は彼を生んで直ぐ他界。
当時別の会社に勤務していた彼の父の同僚と再婚、相手はバツ一子持ちでした。

少しでもより給料の高い場所へと彼の父は当時の職を辞し遠距離トラックドライバーに…。
当時はまだ遠距離トラックドライバーは高給取りの時代。

しかし遠距離であるが故に息子の顔を見れるのは年数回程度。
後は元・同僚たる妻に任せきりでした。

元・同僚たる妻は良妻賢母の皮をかぶった正に『鬼畜』でした。
彼の父が家に居る時は彼を猫かわいがりし、彼の父が居ない時はそれこそ塵扱い。

彼も又、妻を亡くして自分達の為に一生懸命働いてくれている父に余計な心配を掛けさせまいと懸命な努力を続けたといいます。

しかし、悪妻の虐めはエスカレートする一方。

飯は食わさない、家の用事は全てやらせ、挙句殴ったり蹴ったりしたら体に証拠が残るので”言葉の暴力”で彼を追い詰めたのです。彼の精神はどんどん衰弱していきました。

そんな時我々は出会ったのです。

私は怒りに胸が奮え、振り上げた拳を下ろすのが精一杯でした。
私も嘗て13年間に及ぶ虐めに耐えかね自殺を企てた事のある人間でした。

彼の悔しさ寂しさ腹立ちは我が事のように判りました。
私は直ぐに手を打ちました、彼のお父様へ急遽連絡を取りどうしても話がしたいと父を説得、
時間を作って貰い会いました。

彼も同席し、彼の今までの家庭での現状を報告、彼にも事の仔細を話させました。
最初は渋っていましたが”今のままでいいのか?”というとなきながら話し始めました。

勿論彼のお父さんも俄には信じられないという風でした。
其処で彼の家の近所に住む人に妻に内緒で聞いてみてくれと頼みました。

夜中から朝方まで寒空の下裸で外へ出された事が何度も有る子でした。
当然近所の人もその光景は見ています、しかし余所の家庭の事だからと口を噤んでました。

即父親は家へ帰り妻に黙って近所の人へ話を聞きに行きました。
私の予測通りの答えが返ってきたそうです…お父さんは愕然としたそうです。

”何も知らなかった…何も。俺は最低最悪の父親だ。息子がこんなにも苦しんでいたのに何も気付いてやれなかったなんて…俺は何て大馬鹿だったんだ”と…。

彼のお父さんは号泣し拳から血が流れるまで壁を殴り続けました。
まるで息子の痛みを自らも感じたいかのように…。

その後即妻とは離婚(当然です)。その後は長距離運転手の職も辞し、庭師に転向。
収入は激減しましたが毎日息子の顔が見れる仕事に就きたいとのお父上様の裁量でした。

彼のメンタル面でのケアは私が担当し、彼のお父さんと私と連携を組んでケアしました。
幸い気付いたのが早かったので彼の心の傷が癒えるのもそう時間は掛りませんでした。

その後彼は見違えるように元気になり今は私と共に一緒に仕事をしています。
元々お父様似でガタイは良い方なので私の警護と私のセラピーテクニックを伝授し、
我が弟子として期待をしています。

『誰が為に生きるのか?』…それは誰の為でもない自分自身の為に生きるのです。
それを今後も私は多くの人に説いていきたいと思って居ます。

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