今年は私が幼少の頃読み慣れた本が次々と廃刊となったり休刊となった年であった。
小学館の『小学六年生』、学研の『科学と学習』何れも私の幼少期を語る上で欠かせない本達である。
小学館の『小学~』で現代子供事情を知る事が出来たし、学研の『科学と学習』は今の私の仕事の礎の一翼を担っていると言っても過言ではない。物事や人に対する探究心や好奇心はこの頃培われた。
一番の原因は”当事者である子供が読まなくなったから”である。
過日、本屋に立ち寄った際私は頭を抱え込んだ、最近は小中学生向けの”ファッション雑誌”が有りその中に”流行のメイク術”なる記事の見出しを見つけた。
おいおい、大人が子供にメイク術教えてどうすんだ┐(´д`)┌ ヤレヤレ
メイクなんざ経年すれば嫌でもしなくちゃいけなくなる、若いうちからバリバリのメイクなんざ傍から見ていて滑稽以外の何物でもない。ガキが大人に憧れて母親の化粧箱から道具を盗んでするのとは訳が違う。
お小遣いやバイト代でわざわざ化粧品屋に行ってメイク道具一式を揃え朝早くからフルメイクで登校。
行くべき場所を間違えてんじゃないの?って位凄いメイクの娘も居て本当に眩暈が来る程である。
早熟というよりむしろ未熟その物である、身体と頭が不一致で見ていて痛々しさすら覚える。
我々の幼少期も早く大人になりたいと大人ぶる女子は居たが今の娘達よりかは遥かに可愛げがあった。
容姿の大人化は心の中に自分が大人であると言う間違った認識を植え付けさせそれは犯罪にも結びつく。
鏡の前に移る(虚飾の自分)は充分大人でありその自分が自分であると思いこんでしまうのだ。
それが犯罪の低年齢化を生み、そのスピードは加速され激化される一方である。
『不景気になると子供タレント(ジャリタレ)が売れる』
業界では既に常識となっている。
今年も子供店長初め多くの子役タレントが八面六臂の活躍を見せた。
大人一人分のギャラで子供タレント数名を雇えるとなればそりゃあそっちへ行くのは自明の理。
子供は無邪気故単純に持て囃されれば喜ぶし、親は儲かる、一挙両得と言った所か…。
まぁ実際は子供タレント業界にも”大人社会のルール”は適用されているようで裏ではかなりエグイ事もやらされている。
子役タレント同士の潰し合いや信じられない事に”枕営業”まで一部の業界では囁かれている。
事の真偽の程は別として全く以て恐ろしい世界である。
そうなってくると”大人と子供の境界線”という物が大人の側でも子供の側でも曖昧模糊となってくる。
少年犯罪の低年齢化に伴い、犯罪を問える年齢も引き下げられた、
だが今後はその引き下げられた年齢をもっと下げねばならぬ事態も発生するやもしれぬ。
私の知人の話を此処で出しておこう。
所謂学校内に有る”裏サイト”で一人の女子が激しい苛めに遭い自殺未遂を企てた。
幸い一命はとりとめた物の親御さんのそして何より生徒自身の事を思えば胸が痛む。
そこで私は一計を案じ彼女を死直前まで追い詰めた人間に鉄槌を下す事にした。
その子の通う教育委員会へ直談判し学校側の監督不行き届きを理由に学校及び教育委員会を告訴、
同時にマスコミに情報を提供すると迫り
学校側へ虐めをした生徒の停学処分を申しいれた。
小学、中学には退学は無いが停学処分は出来る(まぁ実際は殆ど行われては居ないが)。
最初は渋っていたが此方が携帯を出し掛ける振りをしたら慌ててそれを制し此方の要求を呑んでくれた。
慌てたのはあちらの親御さんと虐めをした女子達である。
それこそ裁判沙汰まで発展しかけたが此方は弁護士団を結成し相手に1分の勝ち目もない事を示した。
結局相手は自らの非を認め謝罪、私は停学を継続する事を勧めたが虐めを受けた生徒がもういいというので私も矛を納めた。
未成年は治外法権ではない。未成年とて罪を犯せばそれなりの”処罰”は受けて当然である。
もし件の生徒が停学処分を受けていたら高校へは進学出来ず彼女の道は大きく外れる事となったであろう。
これを見ている多くの虐めや犯罪を犯そうとしている未成年者に強く訴えたい。
君達がしようとしている事は社会的には立派な犯罪行為でありそれは処罰の対象となり自らの人生を狂わせる愚行であると…。
未成年者だからという理由で何をしても許されると思ったら大きな間違いである。
未成年者であろうが無かろうが罪を負えば必ずその罪は裁かれ償わねば成らなくなる。
それを忘れないで欲しい、そしてそんな愚かな考えは捨てて欲しい。
年を間もなく終えるに向かえふとそんな事を思ったので此処へ記しておきたい。
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