2010年10月25日月曜日

環境心理学に寄せて…

2009/7/21 山口を記録的な大雨が襲った。

河川は氾濫し道路へ溢れ、土砂は崩れて民家へ流れ出し、木々は根本から倒され道路を塞ぎ、多くの犠牲者を出した。

又、二次災害として断水や停電が相次いで発生、多くの方々の日常生活に多大なるダメージを与えた。給水車も出されたが給水所まで足を運べる人ばかりではない。体の不自由な方やお年寄りなど多くの方々が不便で不安な生活を強いられた。

山口駅駅長の神本氏はこう申された。

『山口始まって以来の豪雨災害ではないでしょうか?私が生まれてからこんな酷い雨は今まで見た事が無い』。

事実、山口線の踏み切りのシグナルまでもが浸かる雨という物を私は山口へ来て30年以上になるが見た事は無い。

我が家の裏手にある裏山から鉄砲水が出たのは今回で二度目である。
しかし前回は未だ護岸工事がされておらずそれでも僅かな水が溢れる程度であった。

当時まだ存命しており事務所に詰めていた父から連絡が在り一旦事務所へ避難。
眠れぬ一夜を明かしたがそれでも土砂による被害は少なく家は護られた。

だが今回は違った。既に数年前護岸工事は済んでいたが次から次へと大量に溢れ出る鉄砲水に押し流されるように土砂が切り崩され、堤防から一部が溢れ出る有様であった。

赤茶けた泥水が次から次へと山から溢れ出る様は恐怖の一語に尽きる。
避難勧告命令が出されたが亡父の遺した家を捨てる訳には行かず又逃げ場所も無い。
恐怖と懸命に戦いながら鉄砲水が収まるのを近隣住民と只管耐え忍んだ。

あの日から既に2週間余りが経過したが未だ我が家の道路は土砂に道を遮られている。
防府やその他の災害地域の復旧作業に市の対応も追われ土砂が取り除かれる予定は今の所無い。我々住民の手により一部は除去され何とか人や車が行き交う程度までは復旧した。

大雨はこの前後数日の間かなりの量が降り地盤がかなり緩んでいた。
雷鳴が轟き我が家の庭にも二度稲光の端が落ちた、それを見た事も生まれて初めての事。
今も避難所暮らしを余儀なくされる被災者方々のお心を思うととても胸が痛む。
防府に住む友人・知人より今回の災害の凄まじさを聞かされる度背筋に寒い物を感じる。

災害発生時キー局のニュースのTOPや新聞で山口の災害が取沙汰される事は稀である。
恐らく鳥インフルエンザ以来ではないかそれほど災害の規模が大きかった事を示している。

総選挙へ向け総理のパフォーマンス来訪についても市民方々より不平不満の声が上がっていた。
今は総選挙へ向けのパフォーマンスより何より住民方々の一日も早い平穏無事な生活を願い激甚災害指定を出して欲しい、その一語に尽きる。

神戸の震災が起きて数年後、偶々来版する予定があり新幹線の車窓から流れる景色の中にブルーシートに被された家々を見るに付け災害の傷跡の生々しさを痛感した覚えがある。

震災が起きた日、丁度受験でセンター試験を受けに行く直前の出来事だったので良く記憶していた。当時未だ其処に友人・知人も数多く居て中々繋がらない電話にやきもきした事をふと思い出した。幸い友人・知人に被害は無く安堵した事を今も鮮明に覚えている。

人間は自然災害に関しては余りにも無力である。
只、時が過ぎるのを待ち、災害が収まる事を天に祈るしか無い。

又、人間は恒温動物と違い周囲の温度変化に体が対応しない変温動物である。
故に寒くなれば服を着込み、暑くなればそれらを脱いで体温を調節しなければならない。

過日、愛方と”所謂冷房病など外気温や気候が人間の心に与える作用“について質問があった。

図らずも今回激甚災害を受け本講義の題材としてもとてもタイムリーであった為、今回はそれをテーマとする事とした。

前述した通り、冷房病や熱射病など人間はとても外気温の変化に弱い。
それはこれも前述した通り人間が変温動物だからである。

自らの意思で体温調節が出来ない為、服を着込んだり脱いだり冷房を当てたり暖房を入れたりして周囲の環境変化に自らが対応していかねばならない。


しかし実際職場や学校に於いて中々自らの意思によって外気温を調節することは難しい。職場で自分だけ寒いからと暖房の温度を上げたり自分だけ暑いからといって冷房の温度を下げると言う訳には行かない。社長やお客など意見を言える立場の人間なら話は別だが…。

それはまた家庭に於いても同じ事。

何でも親子や兄弟間で物が言える家庭ならが問題は無い。だが所謂亭主関白やカカア殿下の家で一人の統率者の元、家族が右へ倣えという所謂縦社会型家庭環境に於いてはそれを行う事は簡単ではない。

又所謂子煩悩な両親ならば子の言うなりというか子に合わせる親も又少なくない。
そうなるとそれが原因で精神を病んでいくケースという物も少なくは無い。

今年は各地で異常気象となり、北海道で異常な冷え込みを記録したり山口や福岡のように大量の雨を降らせたりと温暖な気候だった日本の気候がどうも変化してきているようである。

昔は温暖であった日本、四季折々の風景を愛でる事も出来たが最近は夏からいきなり冬になったり春を通り越して初夏となったりと四季の感覚が少し無くなりつつある。

過日もまだ8月にも為らぬ内に夕刻鈴虫の声を聞いたのには流石に驚いた。
季節の風物詩をその季節じゃない季節に見たり聴いたりすると違和感を覚える。

だがそれが今の日本の現状で在る事もまた事実である。
温帯気候から熱帯、亜熱帯へと段々と日本の気候が変わりつつある。

だが元々温帯気候に育った我々に熱帯、亜熱帯の気候変化に早々体が対応出来る筈も無い。
体の不調はそのまま“心の不調”となって出てくる。

最近我が周りを見渡してみても、自律神経失調症やバーンナウトシンドローム(燃え尽き症候群)、総合失調症を訴える人間が増えてきているように見える。又、所謂出社拒否症や転職組が増えているようにも見える、これも又日本の“気候変化”が大きく関与している。

人間余りに暑すぎたり寒すぎたりすると体力が落ちスタミナが奪われ精神的耐久性が落ちる。集中力を欠き、持続力が低下する為ミスを頻発するようになる。自らの体調変化を環境変化と気付けぬ人はそれを自らの能力低下と見做し、周囲もそのように認識する。
だがそれこそが“気温変化による精神干渉”である訳だ。

人間は暑すぎたり寒すぎたりすると体がそれに対応しきれず不調を訴えそれが心にも少し影響を与える。これが多大なる影響なら気付くのだが“小さな変化”故中々気付かない。

ボクシングに於けるボディーブローと同じで食らっている間は然したるダメージを感じないのだがそれが蓄積されると後々に大きなダメージとなって自らに襲い掛かる。

気候変動に於ける精神的ダメージもそれに同じ。気候変動が精神を衰弱させるという事に気付いていれば対処の仕方もある。心を常真ん中に置く準備も出来るし対策も立てられる。

だが意外とこれに気付けない人が多い為、それが後々大きな精神疾患となって自らに降りかかる。きっと貴方の周りにも最近ちょっとおかしいわよねという人が居る筈である。

それは精神疾患に非ず(まぁそれをずっと放置しておくと精神疾患に移行する場合も…)

気候変動による精神の疲弊であるという事を是非お伝えしてあげて欲しい。
貴方はおかしいんじゃない、おかしいのは地球の方で貴方はまともなのだと…。

それは又、家族も同じ。

疲れて帰って来る夫や子供に是非労いの一言を掛けてあげて欲しい。

“毎日暑い中、お仕事(お勉強)お疲れ様、こう暑いと体だけじゃなく心も疲れちゃうわよねぇ、動物だって参っちゃうんだもの。動物よりも自然対応力の無い人間なら尚更だわ。
でもお盆ももうそろそろ出し心のお疲れもあと少し!もう一寸頑張りましょう!”と。

気候変動による“心の疲弊”を癒すのは“愛する人の労いの一言”です。
自分を愛し自分を必要としてくれる人の一言が何よりの“癒し”となります。

そしてそれが明日への活力となり、気候変動による“心の疲弊”を治す自浄作用の源となります。元々人間には自然治癒力が備わっています、それは心も又同じ事。

気候変動により機能不全を起こしかけている心に“心の潤滑油”をどうか貴方の大切な人に与えてあげて下さい。それが出来るのは貴方だけなのですから…。

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