何か厳つい題名ですが中身は何時もの様にゆるゆる~でお送り致します<(_ _)>
過日愛方と防府天満宮へお参りに参りました。 此処数週間、新型インフルエンザの関係で新幹線で遠出は避けていた二人。
愛方が此方へ向かう際に使う在来線の中でもマスクマン・マスクレディーが目立つようになり、 又旅行帰りの人も多く乗車している為、マスクは我々にとっても必携アイテムとなっています。
まして新幹線ともなるとその危険度は更に増す訳です。 保菌者が乗車されておられないとも限らない為、今しばらく仕事外での使用は控えています。
と言う事で昨日は天気もよかったので天満宮へお参りに行こうという事となりました。
新山口駅のサポートの駅員さんもやはりマスクをされておられ厳戒態勢下の下いざ防府へ。 既に防府駅は此処数週間幾度もお邪魔しているので勝手知ったる他人の我が家状態(笑)
そのまま、下車し先ずは駅近くのサティにて昼食。
『カフェデュモンド』にて私は鮭のペンネグラタン、愛方はピリ辛ミートドリアを注文。 ハフハフと熱々を美味しく戴きました。
その後天神通りを天満宮へ向けトコトコと歩いていきました。 20数年ぶりに訪れる町並みはすっかりと変わり随分と閑散としておりました。
昔は境内の周りは多くの出店で賑わい日曜ともなると観光客や参拝客で賑わった物。 今でも正月と受験シーズンともなれば結構な人出と言われますが日曜の昨日は人出もなく閑散としておりました。
何となく街の作りが津和野の城下町に似ているなぁと愛方と話しながらアーケードを抜け、途中目ぼしい店を何軒か見つけ後で帰りに寄ろうねという事で取り敢えず天満宮へ…。
着いた先は幾つもの石段の上に鳥居が鎮座ましましてました、その数かなりの高さです。 ですが此処で愛方の機転が働きます。車で先ほどからこちらへ下る人が多いという事は、車で上まで上がれる道があるという事。
ならばその道を行けば境内まで行ける筈というのが愛方の考え。 その考えは見事に的中、ガイドさんに聞けば裏道があり傾斜は急ですが境内まで登れるとの事。
中年の感じの良い男性ガイドさんに付き添われ境内の方まで上がります。 そしてお宮へ参ります、生憎15円(充分ご縁)も45円(始終ご縁)も無かったので10円を投下 参拝の仕方に倣って参拝を無事済ませ御神籤を引きに参りました。
其処でミラクル発生!
今年の初め、博多、天神に有ります警固神社にて御神籤を引きその際出たのが大吉。そして昨日引いたおみくじも又大吉。しかも中身の文言が全く同じ^^;
見ると御神籤番号まで一緒ではないですか(ノ゜⊿゜)ノびっくり!! 偶然の一致とは言えこれには流石に驚きました。
しかも愛方共々大吉で文言は愛方の方が遥かに良い^^V 私の方はやはり”短期は損気”と書かれて居りました(笑)
その後、当日も今日と同じ暑い日でしたのでお茶をしに境内にある喫茶店へ。 色々ありましたがやはりその店オリジナルメニューを頼むのが筋と梅&バニラミックスを。
仄かな梅の酸味と薫り、そしてバニラの甘さが相まってとても美味なる物でした。
その後日記にも有るように境内の鳥居の写真とししおどしを写メに残し又来た道を下ります。
ガイドさんは高知のご出身らしく高知の県民性を熱く語っておられました。 高知県民は情に厚く素直で疑う事を知らぬ、協調性があり助け合いの精神も豊かである。
やはり台風など自然災害が多い街であるが故に互いが互いを助け合わねば生きられぬ場所故の県民の智恵だと申されておいででした。
まこと私が知りうる高知県民は皆暖かで優しく情に厚く、親切でした。坂本竜馬が我が地元へ訪れた事もあるらしくそれが高知弁の一部の流通にもなっているとか。遠く離れた場所と似た方言を使う地域が有ると言うのは何とも不思議な感じを覚えます。
神社を後にした我々は境内の中にある売店へ。 石原裕次郎を髣髴とさせる店主の明るい接客に心解され雷お輿を購入。
そして先程後で寄ろうねと話していた店屋によりました。
ヨーロピアン古雑貨を扱う店は御香の仄かな香り漂うヨーロピアンテイストなお店で、 狭い店内に様々な雑貨がひしめいており異国情緒漂う場所でありました。
玩具屋は昔懐かしいくじ引き屋も兼ねており近所の子供と思しき兄妹が駆け足で入ってきて一生懸命くじ引きをする姿に嘗ての自分の姿を重ね合わせた心持でした。
アーケード街にある家具屋は田舎には似つかわしくない程の(失礼!)豊富な品揃えで、家具マニアな我々の目を充分楽しませてくれました(一日居ても飽きないかも^^;)
その後はプラプラとサティへ戻って買物をしたりお茶をしたりで無事帰宅とあいなりました。
閑話休題
境内で彼女さんにちょっかいを出している彼氏さんとのカップルが居て仲睦まじい姿に微笑ましい感じを覚えておりました。その中で思いを馳せたのが題名にもあるエゴイズムです。
我が同胞の中には所謂恋わずらいで門を叩く人も少なくありません。 又、大学時代恋わずらいで我が所へ助けを求めに来ていた後輩も数多く居りました。
中には彼氏さんに甘える自分に対して自分のエゴじゃないか?と悩む女の子も居ました。でも考えてみると恋愛と言うメディア自体が既にエゴイズムな訳です。
だって、相手が自分の事を好きか嫌いかなんて実際付き合って見なければ解りません。 或いは相手は嫌かもしれないし相手も自分の事を好きかもしれません。
又、最初は余り好きではなくノリで付き合っちゃったとしても後で心の琴線に触れ本気モードになるカップルだって少なく有りません。
見知らぬ相手を好きになる事自体エゴならばそのエゴを貫き通す事も又愛情です。
相手の事は好きだけれど別の女性が彼を好きならその人に彼を託すのも又愛情なんてのは 私に言わせれば単なる自己陶酔です。本気でその人の事が好きでその人を幸せにしたいその人を幸せに出来るのは私しかいないと思えるならば例えそれが略奪愛でも敢行すべき。
私は愛方と出会った時、私しかこの人は幸せに出来ないと確信しました。 それが例えエゴだろうが勘違いだろうが構いはしないと思いました。
その後その思いは確信へと変わりそして現在に至っています。 誰かを不幸にしたり誰かに迷惑が掛らぬ限りエゴイストでいいじゃないですか。
誰かを本気に好きなる、誰かを本気で幸せにしたい、その気持はとても崇高で大切です。 その思いを捻じ伏せたり説き伏せたりしては行けないと私は思います。
天満宮に居たカップルを見てふとそんな事が頭に浮かんだので書いて見ました。
|
0 件のコメント:
コメントを投稿