2011年9月12日月曜日

ヒプノセラピーと『seed療法』について

私は心理学者が本業だがフリーセラピストがセカンドスキルである(以前は逆だったw)。
フリーセラピストとは”心に纏わる全てを執り行う何でも屋”という意味で私は命名した。
つまり催眠も色もボディーも”心”と”癒し”を与える為ならありとあらゆる方式を用いる。
あれは出来るがこれは出来ないでは私はセラピストとしてフ充分だと考える。
我が『seed療法』はヒプノセラピー(催眠療法)の亜流である。
以前催眠療法を施していた同胞が”目を瞑って意識が無い間何をされるかを考えると不安で催眠に掛かり難い”といわれた事がきっかけである。ならば”覚醒した状態”で催眠を掛ければ良いと思い立ったのがきっかけである。
発想はコカ・コーラのCMの逸話である。
映画の何秒間かに一コマの確率でコカ・コーラの絵を挟むと映画を見終わって何故かコカ・コーラが飲みたくなる。
これはその更に前にポップコーン会社の人間が編み出した方法でもある。これは『インプリンティング』つまり、”脳への映像の刷り込み効果”を狙った物である。
我が『SEED療法』もこの”刷り込み効果”を狙ったヒプノセラピーである。

同胞との会話の間にちょこちょこ”或る言葉”を挟みこむ、同胞に気付かれぬ様上手く会話と会話の間に滑り込ませる訳だ。
す ると会話をしている同胞自身は普通に私と会話をしているだけだから無意識だが脳はちゃんと繰り返される言葉を”記憶”し、脳へ”刷り込ませて”いる。或る 時、私が”刷り込ませた言葉”を同胞自身が無意識に口にする時が或る。その時、私はすかさず”ほ~ら、ちゃんと解ってるじゃん、今、自分の口からちゃんと 答え言ったじゃねぇか”と言う。同胞はとても喜び、そこからお心の病がどんどん快方へ向い我が門を笑顔で去っていかれる。同胞はそれが”SEED療法”と いう催眠療法である事を知らずにで有る、知れば知るで納得はするだろうが自らが発案した物ではなく私が刷り込ませた物だと知ればそれはそれで落ち込むだろ う。一々同胞を落ち込ませる必要など無いのだ。私が常、言っている”常態化”も此れと同じ作用が有る。日常生活に於いて習慣的に行っている言動や行動は” 常態化”され脳に無意識的に刷り込まれている。お心を患っておられる方の多くはこの”日常生活の中で常態化されている行動の中”にその問題を内包している ケースが多い。故にその”日常生活の中で常態化されている問題行動”をその上に更に”常態行動”を乗せる事で上書きし除去する。それが”常態行動療法”で ある。こういう療法や理論は1000近い数が有りその数は更に増えている^^;;。こういう事を考えている時間が私の至福の時で先程も有る理論が頭に浮か んだ。
まぁ一種の職業病であり有る種病的な思考の持ち主と言えなくもない(爆)。
されどそれで同胞のお心が少しでも快方に向ってくれれば変態と呼ばれようが変人と呼ばれようが何処吹く風である。私のような変わり者が世の中一人位居ても良いのでは無いだろうか?(とは自己弁護であるがw

心理学的エトセトラその4

その1
『遠隔レイキヒーリング』はセルフヒーリングでもある。
どういう事か?私は遠隔でレイキを飛ばす際、同胞に受け取った時のイメージを伝える。
すると相手はそのイメージを意識するのでその分霊気が届きやすく効き目が高くなる。
解り易い例を出すとTVで好きな芸能人が仮に自分の名を呼び愛の告白をしたとしよう。
相手はTVで録画なら数日前の話。されど言われた方は心臓ドキドキである。
更にTVの向こうでキスをされた場合、実際にされて無いのにされた感覚に陥る筈。
これもセルフイメージで好きな芸能人にキスをされたイメージを脳内に起こすから。
遠隔霊気ヒーリングもこれに似た状態を作り出す事で自浄作用を高めるやり方である。
如何に同胞とお心を通わせるか?シンクロ率が高ければ高い程効果も又高いのである。
その2
『情操教育』が大事なのは『常態化しやすい環境』だからである。
幼い内は社会の、人の何たるかを知らずなので何の疑いも無く知識を吸収出来る。
大人になればなるほど様々なバイアスが掛かり知識吸収が阻害されるからである。
勿論細胞云々の問題も多少有るのだがそれ以外は余り関係が無い。
裏を返せば幼児期で無くても『情操教育』は可能だと言う事である
つまり如何に『常態化』させる事が出来るか否かなのだからである
私はそれで成人の方の『情操教育』に成功している^^v


その3
『飼い主に飼い猫(飼い犬)が似る』乃至はその逆も又真なりと申しますがこれは実は心理学的に説明が行く話。

実は此れにも常態化が大きく関与しています。

人間は毎日見ている物に対して視界情報がそれを脳に伝達し皮膚組成を作り変える特性を持って居ます。日本人が長く海外に滞在した場合あちらの顔に近くなるのがその好例。

五感で受け取る情報を元に体内組成を組み替えその環境に自らを対応させていく。
これも人間のもつ特性の一つなのです。

つまり長い間ワンちゃんや猫ちゃんと一緒に居るとその視界情報を脳が受け取りその形に修正を加えて行くという事なのです。
これは愛情度により拠りお互いが似てきます。

夫婦が長年連れ添うと段々似て来るのと同義です。

心理学的エトセトラその3

その1
『信じて下さい』は信じられないのサイン。
本当に『信じられる話』ならば『信じて下さい』と相手にお願いはせぬ筈。

我が同胞や生徒方々は皆さんこう言われます。
『何故先生は信じて下さいといわないのですか?』と。

私はこう返します。
『何故信じて下さいといわねばならないのですか?その必要は有りません。
何故ならそれが”真実”だから。貴方が私の話を信じてくれようがくれまいが構わない。
私の中でそれが”真実”である事が私自身解っているから私は一切動じません』と。
生徒や同胞は感心しきりとなり、私の話を”真実”だと認めて下さいます。

『信じて下さい』は『信じて欲しい』と言い換えられそれは『信じて貰えないかも』という恐れが心の裏側で作用しているから出てくる言葉。

自分の中で『確固たる自信』と相手に対する『全幅の信頼』が有れば『信じて貰えないかも』と言う不安が湧き起こる筈も無い。

『これは真実です』と連呼する話程眉唾物は無い。

その2
私が数ヶ国語を操るのは何も外国人の同胞が居るからだけではない
日本人の同胞の為でも有る、どういう事か?理由は至極簡単である

幼少の頃、海外で育った帰国子女、長い間か以外留学をしていた学生さん、長期の海外勤務から帰国されたビジネスマン、彼ら・彼女らの中には逗留先の言語で話す方が楽な方も中には居られる。

その中には普段は日本語だが興奮すると中国語やドイツ語や英語が無意識に出る方も。
人間感極まると”地”が出る物で、その”地”が外国語である日本人も案外多いのである。

そういう方とは私はその方が話す言語で話す、すると相手は心が落ち着き日本語に戻る。
後で日本語でどういう風に理解をされたか聞かれるのでこういう解釈だと答える。

拙い語学力では間違う場合も有るが大抵大筋は有って居るといわれる。
外国語が得意なのは何も日本人ばかりでは無いので有る^^;。

その3
【適材適所】とは能力の有る者を能力が発揮出来る場所に配置する事…だけではない。
【適材適所】とはその仕事の”責任”を負う事が出来る者をその部署に配置する事である。
当然”責任”を於く覚悟が有れば奮闘努力し下を導きその部署の能率も挙がる事となる。
能力偏重主義の現代日本はそれを間違えている。その好例が今回の大臣の辞任劇だ。

その4
『数の世界』では正解と不正解は数が合うか合わないかで決まる。
『心の世界』では正解と不正解は相手に得心して貰えるかどうかで決まる。
『心の世界』は数値では測れない、四則計算も出来ない世界である
機械の数値やグラフで計れ無い世界、それが『心の世界』である。
一方からは『正解』と見えるも他方からは『不正解』と見える、それが『心の世界』です。
つまり『正解』は各々の『心の中』にしか存在せず『目には見えない物』なのです。
我々心理職はその『目に見えない正解』を『言葉』というツールを使い『可視的』とする事。
それが心理職の仕事だと私は考えて居ます。

その5
『字が汚い人は相手に意思を伝える気持ちが弱い』は早計の極みである。
『字を書く』と言う行為に於いて大体の人は『綺麗に書く』事に注力されておられる筈。
されど『字を書く』本来の意味は相手に『此方の意図』を伝える事が本来的な目的の筈。
(習字等の文字の美しさを伝える物は除く)。
それは『綺麗な字を書く』事だけではなく『相手に解り易い内容の文字を書く』事も又大事。
余程の汚い字でない限り判別不可能な字と言う物は早々存在する物じゃない。
大体前後の文脈からこういう意味だろうという事は類推は可能である。
されど文字は綺麗なれど文脈が支離滅裂では結局『字を書く』意味が無くなる。
大切な事は『相手に自分の意を伝える事』正確には『伝えたい人に自分の意を伝える事』
それが適えば字の綺麗汚いは然したる問題にはならない。
まぁ結局は字が汚い私の単なる自己弁護なのですけど(爆)
されど自己弁護も論に整合性を持たせるとちゃんと正論となるから不思議です^^;。

2011年9月5日月曜日

尾行する者とされる者^^;。

先日或る御同業者が探偵を雇い私の動向を調査し”粗捜し”をされておられた時の事。
其処から我が元へ流れてくる同胞の数がとても多く相手は”営業妨害”をされていると勘違いをなされたのであろう^^;。(単にずさんな診察が原因なのだが)
その探偵さんと”すれ違い様””お勤めご苦労様です”と笑顔で会釈(爆)。

相手も”プロ”。

尾行している事を気取られる筈もない、相手は顔にこそ出さなかったが明らかにそれ以降の行動がぎこちなくなり、人気がなくなった場所に私が移動後彼が我が元へ(敢えて人気が無い場所を選び彼を誘導したのだが^^;)。

”何故先生は私が尾行しているのがお解りになられたので?私も尾行のプロ、今まで一度も尾行に気付いた方は居られませんでしたのに”と(余程悔しかったのでしょう)。

人 間の行動には”隠そうとすればするほど目立つ物が必ず出てきます。尾行に気付かれまい位とすればするほどすれ違い様の行動は固くなり視線を合わせまいと相 手の顔を無意識に避けるようになる。同じく視線を避ける人に視線恐怖症の方が居ますが此方は下を向かれる方が多い。しかもそれ以外にも多くのシグナルを体 から発信なさる。

されど視線恐怖症でない場合多くのシグナルを発する必要は無くされど”見られたくない”とする思いが行動を普段より固くする。その行動の固さ、目の運び方、足の運び方で相手が自分に対してどういうアクションを取ろうとしているのかを察知するのです”と私。

相手は低頭となりその場を立ち去り相手方には”一切のやましい所なし”という報告を出したそう(爆)。