2011年3月26日土曜日

精神科医とセラピストの心理学~或いはアプローチの違いの心理学~

今回の震災で多くの医療機関が壊滅的な打撃を受け、薬品不足が懸念され多くの患者方々がお苦しみを受けている。お心を患っておられる方も例外ではなく不眠や精神的不安感など随分お心が不安定で有られるようだ。だが実際まだ充分医療設備も整っておらず患者方々の不安や焦りは増す一方である。

我が同胞も今回震災の被害に数名遭い電話連絡が取れなかった者も数名居た。
幸い何とか全員連絡が付いたがその際、とても興味深い話をお聞かせ戴いた。

”もしあのまま精神科受診を続け薬漬けの生活をしていたらきっと今頃不安と恐怖で頭がおかしくなっていたと思います。
されど先生が”投薬無し治療”をして下さったお陰で”薬無し”の生活でも全く不安を感じません、本当に有難う御座います”と何名かの同胞から言われた。

セラピスト冥利に尽きるとはこういう時の事を言うのだと思う。
私は20年間一切の投薬治療無しで”全ての精神疾患を御治しする”という事を目標にして尽力してきた。

勿論全ての同胞がそれで上手く行った訳ではなく中には我が治療方針が合わず袂を別った方も居なくは無い。
されどそれでも私は私の治療方針に一切の揺るぎを持たず信念を貫き通してきた。

全体的比率の話をする事は余り好ましい事ではないが袂別った方と完治された方の比率は3:7。
最初はこれが4:6であった時も有ったがそれが5:5となり6:4となり今は2:8近く迄数値を上げてる。

0:10は不可能と知りつつも何時かはそれを目指し精進を重ねている。
我がセラピー理論が1000を軽く越える理由が実は其処に有る。

我がセラピーは『完全オリジナル』を自認し何処にも負けない理論と実績を自負している。
理論と書いたが実は理論よりも実践を主とし”これはいける”と思ったセラピーはどんどん同胞に試している。

勿論”実験体”などではなくその同胞の為に”これならいける”と確信を得た物のみでありそれ故効果も勿論有る。
されどより高い効果より低い負担を目指し今日も色々と無い頭を絞りに絞っている。

私は投薬治療自体を否定する者ではない、勿論投薬治療が必要なメンタル疾患の同胞も居る事は確かである。
私とて前述した通り0:10にはなっていない、そうなりたいと願いつつもまだそうなるまでには相当の努力が必要。

或いはそれは不可能領域なのかもしれない、されど私は敢えて其の”不可能領域”にまで足を踏み入れる所存。
”無理”といわれると”やってやろうじゃん”と火がつくタイプ、所謂”往生際が悪いタイプ”なのだ^^;。

随分前、”薬物中毒”の同胞とそれこそ”血みどろの闘病生活”を送った事が有る。
薬中というのは想像以上の苦しみ辛さを味わう物であり幻想幻聴頭痛吐き気などそりゃあ惨憺たる物である。

何度首を絞められたか解らぬし殴られ蹴られたか知れぬ、我が体に付きし傷の大半はそんな同胞よりつけられし物
されど私は決して諦めず投げ出さず逃げ出さずであった、その時私が同胞に言った言葉が上記の物であった。

”先生、もういいよ、先生は充分にやってくれたよ、俺もう充分だよ”。
”わりぃな、俺は諦めが生憎悪いんでな、途中で投げ出すなんざ冗談じゃねぇ”
”先生…先生、本当に馬鹿だよ”同胞は泣いていた、泣いて泣いてそれから見事”薬中”から脱却した。

精神科医の先生に喧嘩を売るつもりは毛頭無い、お医者様にはお医者様のお考えがありそれは否定しない。
されど逆を返せば私は私のやり方で流儀でこれからも同胞と共に向き合い苦しみ泣き笑い喜びを分かち合いたい。

誰が何と言おうと私は私、オリジナルである事を決して忘れないで行きたいと思う。

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