2011年3月21日月曜日

『絶望』の中に見えた『光』の心理学~或いはふれあいの心理学~

今回の未曾有の大災害の中、ニュースであるファミリーに取材をしていた。そのファミリーは家も財産も失いながらも命まで取られなかった事に心から感謝し皆”笑顔”であった。

取り分けお子さんの笑顔は印象的でインタビュアーの問いかけに『パパがずっと居てくれるから』と応えていた。パパもママも目頭を熱くして御子を熱く見つめておられたのがとても印象に残った。

神戸の震災時にも同じ様な場面に私は遭遇している。

避難所生活であるにも関らず御子は満面の笑みを称え元気に飛び回っていた。
先のインタビュアーと同様に問いかけてみると『何時もパパはボクが起きる前に会社へ行き僕が寝てからお家に帰る。休みの日も中々遊んで貰えない。けど今は一日中パパが居てくれるしいつでも遊んでくれるから』と無邪気に応えていた。

或るケースはもっと稀有なケースであった。

所謂不登校で素行不良の女子高生を持つ親御さんとその娘さんとの会話。
『普段は共働きで私の事なんてちっとも構ってくれなかった。何か悪い事でもすればこっちを向いてくれるかと思った。けどこの震災でずっと一緒に居て色々と解った事があった。パパもママも大変だったんだって事』
その後彼女は真面目に高校を卒業し専門学校へ進学し、今は何と介護士として働いているという。

確かに震災は辛く厳しく大変な物であると思う、されど其の中に有って”一筋の光”が有る事も又確かな事だと思う。

他にも様々なエピソードがある。

引き篭もりの青年が避難所で否応無しに人と交流を持たざるを得なくなり避難所から退けた後引き篭もりから一転し就職をして真面目に働くようになったケース。

会社をリストラされ『燃え尽き症候群』に陥っていた中年男性が体の不自由な方やお年寄りのお世話を率先してやる場面を見た或る方が復興後自らの施設で働かないか?と声掛けして貰い今も施設で働いている話。

セクハラやパワハラに遭い男性恐怖症に陥っていた女性が多くの方とのふれあいの中でそれを克服した話など。

震災が無ければ果たして彼ら・彼女らの運命はどうなっていたか?と思うと結果論としてはどちらが良かったのか。

『人』と言う字は互いに互いが助け合い励ましあい支えあう形で出来ているという風に小さい頃教わった記憶がある。
されど心理職の立場から見れば『互いが互いに依存しあっている』と言う穿った見方も又出来る。

私は互いが互いに依存しあう事でそれが前向きに進んでいくのならそれも又アリではないかと思う。
事実私はあらゆる”依存症”から脱却させる為、”私自身”に依存するよう仕向け”依存症克服”に幾人も至らしている。『人事が万事塞翁が馬』
人間何が幸いし何が災いするか解らない、今は皆、悲嘆にくれているが何十年か後今の震災を経験すればこそという方も或いは出てくるやもしれぬ。

人間には底知れぬ底力が或る、私は其の底力を信じたいと思うしそれを育んで生きたいと願っている。

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