2011年3月22日火曜日

『学び』の心理学~或いは教える事により得られる『学び』とはの心理学~

昨日、久しぶりに教え子の現役法大生で新山口駅員の高根君と会食を共にする機会を得た。
恐らく氏と会食を共にするのは本年一発目、前回は年末だったと記憶している。
駅構内新幹線口側の『おとずれ茶屋』で一杯引っ掛けてつまみを頼み、『唐揚定食』を頼むというのがお決まりのコース。
昼間からお酒なんてと目くじらを立てるのは遠慮願う、二人とも普段は激務に耐えているのだこれ位勘弁願いたい。
されど私はお銚子一本、彼は中ジョッキ一杯、今時の若者が此れ位で酔う筈もない、私とて同じである。
口角泡飛ばしあいながら侃侃諤諤の学術論に花を咲かせ周りを見れば皆静まり返ったようにこちらを凝視されていたw
恥かしくなり慌てて退席、場所を喫茶店へ移し、珈琲にケーキ(今回はプリンだったが)で〆が我々のお決まりコースw
(大抵はラーメンかお茶漬けというのが定番だろうが^^;)。
氏は経済学部なのでどうしても経済論や指標論、心理学理論や大前研一ファンの彼らしい理論が展開された。
まぁ堅い話ばかりではなく柔らかい話も少しは出たがこれは個人のプライバシーの領域内故割愛させて戴く。
流石私が『教え子』と言って憚らない人らしく懸命にメモを取っていた、その数10数枚^^;。
それだけ覚えられるのか?と問えば”一生懸命覚えます”と目をキラキラと輝かせる、中々憎めない奴である。

彼との質疑応答の際、私は或る面白い事に気づいた、それが今回の本題である。

彼からの質問に答えていく内私の中で乱麻のようになっていた心理学的な事が整理されていくのを肌で感じていた。
実際に言葉にして説明していく内に頭の中で整理整頓がなされ随分空き容量が増えたのを自分の中で感じていた。
話し終わる頃には彼の目の前には10数枚のメモが、そして私の頭の中は随分と”デフラグ”がなされ空きが増えた。

”学ぶ”とは単に物事を人に教えるだけではない、それを教えていく中で教える者も又、新たな”学び”を其処で得ていく
相した中で学ぶ者と教える者双方が”気づき”を得ていく、其れこそが”学ぶ”と言う行為であるという事を昨日改めて痛感した次第である。

又、彼に教えていく途中、新たな心理学的学説も頭に浮かんだ、これも又、”学び”の一つであると思う。
これからも私は”教え導く”中で多くの”学び”を得たいと思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿