2011年3月24日木曜日

時間の心理学~或いは奪われた時間と与えられた時間の心理学~

今回の震災は好むと好まざるとに関らず”個人の時間”を持つ事が状況的に大変困難な状況にある。
これは半身泡時代震災時でも同じで避難所暮らしの場合”個別時間”を持つ事はとても難しい。
所謂”一人の時間”を大切にしている方々にとってはこれ以上の精神的苦痛は無い。
それが元でストレスからお心を病まれる方も決して少なくない。

されど『奪われる時間』が有れば当然『与えられる時間』が有る事も又事実。
会社へも学校へも行けず個人の時間も自由に持てずだが”人と触れ合う時間”や”思索に耽る時間”は結構有る。

それが”人生の転機”となり震災後転職をしたり自ら会社を立ち上げたりという人も少なくない。
我が出身大学の先輩に当るH氏も神戸の震災後起業し今はIT社長である^^V

又、”自らの多面性”に気づかされるというのも又”与えられる時間”の恩恵である。
今まで”人見知り”で人とコミュニケーションを撮る事が苦手だと思い込んでいた人が居る。

されど避難所に居るおばちゃんやお年よりはそんな事などお構い無しに話しかけてくるし世話を焼いてくる。
最初は鬱陶しいと思いつつも徐々にそれが楽しみの一つとなり自ら進んで話しかけに行くケースもある。

そこから案外自分が社交的な人間であった事を知る人も少なくはない。

確かに震災は悲しむべき事であり二度と起きて欲しくない事である。
されどその中にあって、嫌、その中に有ればこそ”学べる事”があるのも又事実である。

”人事が万事塞翁が馬”人間何が災いし何が幸いするか解らない物である。

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