2011年3月18日金曜日

災害復興の心理学~或いは失われていく助け合いの精神の心理学~

20日に原発の電源が復旧し冷却装置が稼動する可能性が出てきた。
自衛隊による支援物資の輸送の為の輸送路の確保も急ピッチで進められている。

続々と支援の手は広がりそして被災地に居られる方々へ向け其の手は着実に伸びている。
とても喜ばしい事で戦後を力強く生き抜いてきた日本人、大和魂の逞しさを感じずに居られない。

だが一方で段々と災害復興が進んでくるに連れて新たな問題もまた勃発してくる事も事実である。
阪神淡路大震災でメンタリストとしてボランティアスタッフとして参加していた私が目の当たりにした惨状。

それは『サバイバル・ゲーム』であった。

災害直後は皆、”生き残る事”に終始しお互いが”助け合い”の精神でもって肩寄せ合い生きて来た。
それは”そうしなければ自分が生き残れない”という生存欲求が無意識に働くからである。

されど今度は有る程度復興の兆しが見えてくると”種の保存の法則”が頭を擡げてくる。
つまり今までは”集落単位”での生き残りを目指していた物が”家族単位”となり”個々人の単位”となってくる。

実際阪神淡路大震災時の時も震災直後は皆が和気藹々と助け合いながらやっていた物が自衛隊が到着し復興が目に見えて進んでくるに伴い昨日まで和気藹々としていた者同士が急に争い始め我先にと現場から出ようとする。

当 然自衛隊はお年寄りや子供、体の不自由な人を優先的に救助しようとするが其処に元気な成人男性が割り込んできて”俺も一緒に助けてくれ”と怒鳴り散らす。 昨日までとても温厚で人の世話を良く焼いていた人だっただけに皆衝撃を隠せなかったという感じであった。だが大変残念な事に”種の保存”の法則に従うとこ の行動は理に適っている。

”危険度が高い状態の時は皆が助け合い自らの危険を遠ざける事”に人は終始する。
”危険度が低い状態の時は自らの生命維持を最優先し生き残ろうとする事”に終始するのが人と言う生物である。

それを外部の人間がさもしいとか卑しいとか卑下する事は簡単だが実際その場に居て同じ様な事をしないか?と問わばやはりそれを批判された方々も(寧ろ批判した方々の方が)其れをせざるを得ない心理状況に陥るであろう。

それを回避する為には兎に角”現状が安全である事””必ず全員が無事生還出来る事”を納得させる事。
私の場合は私が一番最後に被災地を出る事で被災者を納得させお心を守らせた経緯がある。

人は弱い、されど弱いからこそ団結して重大な局面を乗り切ることも又出来る。
何より非力さを補って余りある”知恵”が有る事を被災者方々にはどうかご理解を賜りたく存じ上げる。誰も生きたい、誰も死にたくは無い、自らがそう思うのと同じ様に皆、被災者方々は思っているのだという事。
自らが助かりたいのなら先ずは相手を助ける事、その精神的余裕こそが自らの命も永らえる結果となるという事。

どうかそれをお忘れ戴きませぬよう”人”としての心を麻痺させないよう喚起を願いたく存じ上げます。

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