2011年3月10日木曜日

多重人格障害の心理学~或いは『剥離』から『認知』への心理学~

二重人格障害、多重人格障害という心の病がある、一つの体の中に幾つもの”人格”が宿る病。
20年の間にこの”人格障害”と言う病と色々な場面で闘ってきました、其の中で私なりに得た事を論じてみたいと思う。

先ず何故”多重人格障害”に至るのか?原因や理由はそれぞれで有り一概に”これである!”とは言えないのが現状。
同胞一人一人のケースを診ても実に様々な要因から”多重人格障害”に至っておりそれらを一括りにする事は難しい。

されどある一定の法則は導き出せる、それは”現実逃避”である事、これは”多重人格障害”の唯一の共通項である。
親からの虐待、配偶者からの虐待、過去の忌まわしき記憶其処に至るまでのプロセスは実に様々である。

されど上記に共通するキーワードはやはり”現実からの逃避行動”である。
これは”離人症”でも言える事なのだが”主人格(元々ある人格)”を守る為に”副人格(もう一つの人格)”が出てきて”主人格”を守る形となる。これが”多重人格障害”の元であると私は考える。

”主人格”が崩壊してしまうと完全に”心”が壊れてしまい”生物としての生命維持”しか人間は出来なくなる。
つまり”心”がなくなり”生ける屍”と化してしまう、”心”はそれをちゃんと理解しているのでそれを回避する行動を取る。

それが”多重人格障害”という形で現れる、それが原因であると私は考える。

されど厄介なのは”要因除去”をしても”一度表に出てきた副人格”が直ぐに帰ってくれない事である。
これは一種の”心の防衛本能”という物である、つまり”又、被害に遭ったら”という不安が頭を擡げ”副人格”が消えないのである。

ではどうするか?大抵の場合”薬物治療”にて”副人格除去”を行うのが通例である。
”引っ込めないなら引っこ抜いてしまえ”というのが西洋医学会の凡その考え方のようである。

確かにこれは一見すると正しいように見える、だが実は大間違い。
”副人格”と言えど元々其の方の中にあった”多面的存在である自己に於ける人格の一つ”である。
それを”除去”する事は”廃人”を作るに等しい愚行である。

ではどうするか?”除去”するのではなく”防衛する必要がない事を認知”させる、此れが一番正しい方法と考える。
”副人格”の”人格”を認め、それらを一人一人説得し”今は出てくる時期ではない”事を教えそして”出てくるべき時期”をちゃんと教えてあげる。すると”副人格”は納得し以降”必要な時”しか出てこなくなる。

これこそが”多面的存在である所の自己”たる所以である、だがこの方法を取っている方は西洋医学会では稀。
何故なら”とてつもない時間と労力”を要するから、暴れたり叫んだりする”副人格”と付き合うには”覚悟”がいる。
その”覚悟”を持てるか?持てないか?それだけの話。そして私には其の覚悟が”有る”と断言が出来る。

我が体に付けられし”傷”の殆どは”同胞”より付けられし物、中にはくっきりと今だ痕が残る物も幾つもある。
だが私はそれを”勲章”としそれこそが同胞と共に”病と戦った証”であるとし誇りとしている。

”人格障害”は必ず治る、投薬治療なしで必ず。

私はそれを20年間実践しそして成果をちゃんと挙げてきた、勿論100%の成功率を誇っている訳ではない。
されど人間という存在自体が”理性と欲望”という相反する感情を内包する不完全体であるのに完璧な事が出来る筈もない。されど”完璧に近づける努力”は出来る。私は”完璧に尤も近い状態”に近づけるよう日々努力を怠らない。

”人格障害”は必ず治ります、そして”日常生活”を普通に営めるようになります、一切の投薬治療なしで。
それを是非多くの方々に知って貰いたいと願います(そして又お医者様に敵を作る大馬鹿者^^;)

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