2013年4月5日金曜日

『類は友を呼ぶ』の常態行動心理学的解釈〜或いは緊張すると食べられない常態行動心理学的根拠〜


一般的に『類は友を呼ぶ』と言うとその対象は人である場合が殆どである。

されどこの場合の”友”とは何も人だけを示さない。

人が作る”物”も又、”友”の範疇となる。

例えば創造的職業の人がガラス細工や毛織物等繊細で芯の強い物を選ぶとしよう。

それはその人自身が”繊細で芯の強い人”でありそういう人が作る物を好む傾向にある。

故に我々はその人が選ぶ物を見ただけでその人がどういう性格なのかがわかる。

人間何時も自分が好む物を選択するとは限らない。

時にはその選択を”見せる為”の選択をする場合もある。

更にこれが意識的な物と無意識的な物に分かれる。

例えば普段呼ばれないような場所に呼ばれたとする。

目の前には豪華な食事が並び欲する物が目の前にあったとする。

普段の自分ならば迷わずダッシュして欲しいだけ取り食べたいだけ食べるだろう。

されど周りは皆さん紳士淑女で落ち着き払った方々の集まりである

自分とは身分も収入も桁外れなれどここで恥ずかしい真似をしたくない。

となると衝動を抑え少しずつ食べ、結果十分な満足を得られないまま帰宅となる。

というケースは結構ある筈である。

例えば恩師の家に呼ばれ緊張の余り食事が喉を通らずこれまた美味しい食事を逃す事も。

これは実は五感情報が関係をしている。

五感は全ての情報を集めその情報を脳に送り脳は今の自分のいる場所でのソーシャルポジションを瞬時に解析その後それを五感にフィードバックする。

その脳からの指令を受けた五感が各器官へ情報と伝達する。

これが実は”場の影響性”という物である。

つまり緊張という状態を作り場の中での孤立化を避ける為である。

これは極めて生物学的及び生態学的な人間の生存本能の一つである

なるべく目立たず周りの色と合わせる、その為に五感情報をフル活用しそれをフィードバックする。

そうやって自らの身を人間は常、守っているのである。

小心者だと自らを貶めるなかれ、それこそが人間が人間たる証である。

寧ろ自らの欲求の方が勝り場の空気を読めず自己欲求を満たす事だけに終始する方が余程ヤバイのであるw

そういう場の空気を読み胃が痛む自分の方がより人間的である。

そういう自分が嫌だとする向きもあるが私は案外そういう人の方が好きである。

そういう人間が一人でも多く増えてくれれば争い事は随分減るのではないかと思う。

これからも我々はそういう人を守りながら皆が笑顔で居られる環境づくりをしたい。

そう願っている。

と言う事で今日も最後のフォンセッションを終えそろそろ休ませて戴きます。

皆様方も良き夢をm(_ _)m

0 件のコメント:

コメントを投稿