2013年4月27日土曜日

『代わりの心理学〜或いはパーソナリティー心理学〜』


古い話で恐縮ですが私が好きなアニメの名台詞に『キャシャーンがやらねば誰がやる』という言葉があります。

人間の為に働く忠実な人造人間を作ったつもりが何時の間にかその自らが作った人造人間の暴走により世界を混乱の渦に巻き込んでしまった博士が最後に作った人造人間キャシャーン。

彼は亡き博士の思いと敵に幽閉された母を救い出す為に単身一人で敵の大軍団にロボット犬ブレンダーと共に孤独な戦いを続けます。
これは続編が作られその後実写化され映画化にもなりました。

人がやる仕事の全ては”誰かが代わりに実行する”事は出来ます。
それを行うのが人間である限り出来不出来は別としてそれを行う事は出来るからです。

されど一番大事な事は”出来る出来ない”ではなくその中身です。
つまり”その仕事にどれだけの情熱と愛情をつぎ込めるか”なのです。

私の仕事も心理職であるならば誰でもできる仕事です。
ですが私がやっている事自体は私以外誰にも真似ができない物だと自負をしています。

以前桑田佳祐と大友康平が或る番組でこういう事を言っていました。

”誰でも歌える誰でも弾ける曲を歌っても弾いても意味がない。誰もが歌えない弾けない曲を歌う事、弾く事がアーティストである証である”と。

私は正にその通りだと思います。

最近の曲はメロディーラインも単調で歌詞も覚えやすく誰にでも歌い易い物が多い。
それはそれで親しみやすくはあるけれどその分飽きられ易い欠点がある。

所謂名曲と呼ばれ後世に残る曲は弾き憎く歌い難い物が多いがその分人の心に残る。
歌い難いから何度も聞いて練習する、弾き難いから何度も弾いて練習する。
だから脳にその分強く擦り込まれ記憶の奥底に深く刻まれる。

難しいからこそそれを歌えた達成感、弾けた満足感がその記憶の定着に拍車を掛ける。
達成感や充足感が曲への満足度へ変わりそれが強く思い出として記憶に残る。

本当の意味での名曲とはそういう物を指すのだと私は思う。

私の2000を超えるオリジナル理論も同じである。
20年以上の歳月を掛けて一つ一つ丁寧に作り上げ重ねあげて行った我が子同然の宝。

理解する事はそう難しい事ではないけれどそれを実際に活かそうと思えば容易に非ず。
それはその理論を構築する迄に私が感じた苦労や苦悩迄理解する事ができないからです。

我が同胞にも私は同じような事を説きます。

貴方のしている事の代わりを出来る人は沢山居ます。
されど貴方自身の代わりをできる人はこの世には存在しない。

何故ならばそれこそが貴方がこの世に生まれてきた存在意義なのですから。
もしも貴方自身の代わりができる人がいるならば貴方がこの世に存在している存在意義が無くなるからです。この世に存在している時点で貴方には唯一無二の存在価値がある。

貴方のやる事の代わりを出来る人はいます。
されど貴方自身の代わりは誰にも出来ないのです、と。

我が門を潜る方々は心無い者達によりその存在を、生きる事を否定された方々が多い。
故にそういう被害に遭った方々のお心を救済する為に私は常、思いを巡らせています。

そして勿論彼ら彼女らを否定し存在を無き物としようとした連中への報復も忘れない。
存在を否定された者の悲しみ苦しみ苦悩怒りをその心に深く刻み込ませて戴く。

さすれば二度と同じ過ちを冒そう等とは思えなくなります。

人は人の痛みは何年でも我慢出来ますが自分の痛みは我慢が出来ません。
それはそれを実際に五感で感じられるか否かにかかっています。

昨今巷を騒がすいじめ問題も同じです。

我々はいじめた連中に同じ苦しみ痛み悲しみを与えます。
そして被害者がどれだけ嘆き悲しみ苦しんだかを身を以て教えます。

体罰で人は変わらずとも心の傷で人は大きく変わります。

これからも私は私の独自のやり方で私に助けを求める多くの方々救済に全力を注ぎます。
それが私がこの世に存在している存在意義だからです。

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