大学時代我が後輩の女性に私の事を何でも知りたがる後輩がいた。
当時私は今の愛方と付き合い始めたばかりであり別段それを人にいう必要性を感じなかったので黙っていたのだがそれがその後輩には気に食わなかったのか?私に隠し事をするんですか?とはぶてられ随分面食らった事を覚えている。
私は何故氏に一々彼女が出来た事を教えねばならなかったのか?理解が難しかった。
更に随分前の話になるが我が同胞の一人にも同じような部類の人間が居た。
当時私は計7つのブログを管理していたがその全てに目を通し過去ログ迄引っ張ってきて色々と意見を述べてきた。
私は空恐ろしくなり全てを一度閉じ、FBを含め数個のみ残しその同胞は切り捨てた。
だが最近はそういう”知りたがり症候群”を持つ人間は急増しているようである。
我が門を潜るカップルの中にも同様の悩みを持つ者が多く来訪される。
彼氏が彼女の情報を逐次知りたがったりその逆も又、真であったり。
毎日顔を付き合わせている者も居れば年数回しか会えぬカップルも居る。
されど私はカップルにおいて大事な事は会える会えないではなく信頼を置けるかおけないか?ではないかと思う。
手前味噌で申し訳ないが我が愛方は私のネットでの書き込みには一切興味を示さない。
FBを始めブログやTwitter等の書き込みには一切興味が無いようである。
何故か?と問えば私を信頼しているからだと一笑に伏された。
流石我が愛方だと敬服の至りであった。
『北風と太陽』の話は皆さんご存知であろう。
旅人の上着を脱がそうと北風は強風を吹かせ太陽は暖かな日差しを送った。
北風の強風には旅人は上着を強く羽織り太陽の暖かな日差しに上着を脱いだ。
人間の行動も何ら代わりはない。
情報を入手しようと躍起になれば成る程人は情報を秘匿し或いは誤魔化してしまう。
それは情報を与えたくないのではなく無理矢理得ようとする行為自体に嫌悪するから。
我が元へ訪れるカップルの情報を得ようとする側の理論として『愛しているから知りたいしそれは知る権利がある』と主張する者が居るが知りたければそれを直接聞けばいい。
直接聞きもせず相手のブログを盗み読みしたり過去ログを紐解く行為は私は頂けない。
それは相手を信用している行為にはとても見えないからである。
勿論そうさせてしまう側にもそれなりの責任はあると思う。
信頼を置いて貰う努力を怠っている事は問題だしそれを解決に導く努力はすべきである。
されどだからと言って人にはやって良い行為とそれをしてはいけない行為がある。
もし愛方が私の一挙手一投足を知ろうとしたならばその時点で私の中で存在は消える。
信頼をおいていない相手を伴侶には出来ぬしするつもりもない。
閑話休題
実はこの関係は心理職と同胞の間でも成り立つ。
多くの心理職は少しでも同胞の為にと同胞が言いたくもない事を無理矢理聞いてくる。
この行為は正に『北風と太陽』における『北風』と同じ愚行であると我が目には映る。
経験値が少ない者程その傾向は強く又、熟練していても失敗を恐れる者にも多い。
我が門を潜る同胞には私は必要以上の事は聞かないし言いたくない事は言わせない。
寧ろそれをすると同胞の方が不安がり聞きもしない事を色々と喋ってくれる。
人は情報を開示せよと言われれば閉じるがそれを不要とすると自ずから喋ってくる。
同胞から”先生は本当に何も聞いてきませんね?されど全部お見通し、凄い”と言われるが私に言わせればそれが出来てこそのプロでありそれが出来なければプロとは言えない。
大帝の場合、椅子に座った直後未だ、相手の名前もお悩みも聞く前からその内容をズバリ当てる事を私の得意技の一つとしている。
相手は超能力者か占い師か?と思われるが悪いがどちらでもない只の心理職である。
経験上立ち居振る舞いを見れば職業が分かるそれが分かれば周りにどういう人間が居てその結果どういう悩みがあるかは大体想像がつく。
それに我が門を潜ろうとするのだから並大抵の問題ではなくかなり大きな問題である。
そうなれば益々その範囲は狭くなり此方としても正答率は嫌でも上がってくる。
最初から悩みをズバリ言い当てられた同胞は以降隠さず何でも喋ってくれる。
最初からそうすれば此方が何も言わずとも今度は言いたい欲求が芽生えどんどん喋る。
普段日常生活において寡黙な人程本当は分かって欲しい欲求が強い人が多い。
我が門を潜る人の多くは普段は寡黙だが我が元では多弁となる。
自分でも不思議だと言われるが私にとっては何ら不思議な事ではない。
寡黙な人は自らを隠している人でありそれは恐れがあるからである。
その恐れを取り除けば人は大抵多弁となりそれがストレス発散ともなる。
故に我が対面セッションは常、笑い声が耐えず傍から見ていると井戸端会議でもやっているのか?と思う程やかましいw
されどそれが逆にセラピーを受けているという堅苦しさを外し情報を多く入手する手段ともなりそれが増えれば結果治癒率もあがる。
これも又、心理職としての腕の見せ所である。
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