2013年8月14日水曜日

『思い込み症候群』その傾向と対策について


『思い込み症候群』というのは私の造語だが結構この病に罹患している人を最近多く目にする。

例えば卑近な例を紹介すると昨夜の我が母の院内での大暴走が正にそれに当たる。

昨日から筋力トレーニングから車椅子に実際に乗っての退院後日常生活を送る上での機能回復訓練にシフトされた。

今朝導尿ドレンが抜かれたが昨日の段階では未だドレンは差されたままであった。
それだと尿袋を持って車椅子移動せねばならぬので明日(つまり今日)ドレンを抜いてから車椅子に乗って訓練をしようという話を私と母がしていた。

されどその時母はそれを”担当看護師に伝えていた”と思い込んでいた。
そして何故か私もそう”思い込んで”居た。

されど実際にはその話は母と私の間でのみ交わされた会話であり実際にそれが外部に伝わる事はなかった。

そして夕刻事件は起きた。

”看護師に伝えた”と思い込んでいた我々と”伝えられていない”機能回復訓練士の間で意見の食い違いが発生。

そりゃそーだ、機能回復訓練士の方の元へはその話は伝わってないのだから此方が一方的に明日から訓練をしますと言っても承服される訳もない。

まして仕事熱心で退院迄の日数も余り無い状態で且つ目の前に車椅子が持参されている状態であるならば当然”何故?”という疑問が生じても不思議は無い。

仕事熱心な機能回復訓練士の方と導尿ドレンが入ったままでは車椅子が押しにくいだろうとする母と意見の合意を得られる訳もない。

其処で何時もの様に母が大激怒し、一旦看護師と機能回復訓練士の方は病室を退出された。母の怒りは頂点に達し偶々居合わせた形成外科医に迄飛び火。
形成全体を巻き込んだ大騒動に^^;。

幸いにしてそういう暴走系患者の扱いになれておられるのか形成外科医の素晴らしい対応によって母の溜飲は下がり、何とかその場を収める事はできた。

一夜開けて色々と記憶の糸を辿ってみると確かに我々はその事を看護師に伝えていなかった事を二人とも理解した。

されど一度スイッチの入った母はそれでも昨夜の機能回復訓練士の方とのバトルに遺恨を残し一昨日迄和やかなムードだったのが一変、訓練士が入室するや否や病室を退出する始末。

これが来週迄続くと思うと非常に胃の痛む思いである。

所が案外こういう話を同胞方々からも良くお聞きするのでどうも我が母だけではないという事が解った。

色々と私なりに分析してみると面白い事が解ってきた。

先ず思い込みが激しい人というのは当然として非常に責任感が強くとても愛情が深く面倒見の良い人に多い事が解る。何でも自分でやらないと気が済まない人というのもその範疇である。

そして年々そういう人は増加傾向にあるようである。
こうなってくるとこれは一種の社会的病理現象とも言う事が出来る

対策としては先の神経系記憶障害の方と同じで聞いた事を正確にメモる癖を先ず付ける事。その際、会話の話者同席で話者の了承の元それを行うとより良い。
それは五感で了承を確認できるのでその後の誤解を回避できるというメリットがある。

それとこれは性格的には難しいのだが仕事を分散させ割り振る事。
つまり出来る事と出来ない事を明確化し出来ない事は安請け合いせず他へ仕事を分散させ自己責任を軽くする事。

自己責任が重くなればなる程”私がせねば”という思いが先行しその思いが記憶を混濁させる結果に繋がる。

何よりリラックスタイムを得て脳を休ませ張り詰めた神経を休ませてあげることが大事である。
どんな立派な人間でも四六時中神経を張りつめていてはそりゃあ疲れる。
それが元で失敗もするだろう。
それを回避する為にもしっかりと休養は取るべきだと考える。

望むらくは社会全体がそういう風潮に傾いてくれると我々は随分と救われるのだが(^^;;

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