2013年6月19日水曜日

幸福の心理学〜或いは自分思いは他者思いの心理学



『自分思い』は『他人思い』である。

『自己犠牲』は『他者犠牲』である。

日本人は地理的状況から『自己犠牲』の精神を尊んできた。
『切腹』しかり『特攻隊』しかり。

確かに彼らは今も歴史に名を残し英雄として称えられている、他人には。

されどお身内は如何だろうか?

沖縄で家族が戦争によって全滅した数は本土の比ではない。

戦後50年以上が経過した今でもご遺族の方々の悲しみが癒える事はない。

悲しみは新たな悲しみを生むだけで有り生産性はありません。

我が元にも”家庭の為””子供の為”と”自己犠牲”を尊ぶ方々が訪れます。
されどその方々に”自分自身を生きなさい”と私は皆進言差し上げています。

社会的規範に則って無くても人道的に正しくなくても”貴方自身”を生きなさいと。

それが法的違法性を持っている物でない限り私は”自分自身を生きる”事を勧めている。

中には配偶者から非難を受け、告訴される場合も少なくありません

されど我々はそういう方々に何時も申し上げて居る事が有ります。

”事が起こってそれを改善しようと努力をする事は誰でもできます

誰でもできるという事は家族じゃなくても出来るという事です。

されば家族とは何か?それは他人には出来ない事ができる存在の事を指します。

確かに社会的規範に当てはまれば配偶者の行動は尊ばれる物ではないでしょう。

日本の古くからの貞操主義的観点から言えば非難されるべき行動かも知れません。

されど何も問題がなく他者へ気持ちが移る事があるでしょうか?

完全に満たされている人間が目移りがするでしょうか?

目移りが生じた時点で目の前にある存在よりもその向こうの存在に魅力や価値を見出した。

それは何故か?

”家族だから”という理由で”頑張る事を放棄”したからに相違ありません。

我々は付き合って10年になりまずが双方共一度も浮気をした事が有りません。

それは互いの存在に満足し他へ目移りしないから。

されど”水鳥は優雅に泳いでいるように見せて実は水面下で一生懸命足をばたつかせている”の例え通り、何もしないで10年が過ぎた訳ではありません。

お互い相手に自分の方向へ向いて貰えるよう並々ならぬ努力をしてきたからです。

どうすれば自分の方向を向いてくれるかを常、研究しそれを実行に移してきたからです。

貴方は配偶者に対してちゃんと向き合い自分に向いてくれるような努力をされましたか?

経年と共に相手を慮り相手をちゃんと愛するという事を忘れていたのではないですか?

ご自身の不努力を棚に上げて配偶者だけを一方的に責める事は間違いです。

本当に別れたくないならばそれ以前にもっと改善すべき事は沢山あった筈です。

配偶者は所有物じゃない、血の通った人間です。

貴方が所有者意識を振りかざす限り何度連れ戻しても同じ事を繰り返すでしょう。

それは貴方自身が招いた失態だからです”と。

此処まで一気に捲し立て後は相手の出方を待ちます。

大抵は打ちのめされてトボトボと部屋を後にします。

その後頑張って復縁したケースもありますし崩壊したケースもあります。

それは双方の考え方でありその事に関しては私は一切関知をしません。

私はセラピストとして同胞の”生きる権利”を守る事が仕事です。

”生きる権利”とは”衣食住”が揃っている事ではなく”幸福を感じる生き方をする権利”の事を指します。

そしてこれは”基本的人権”にも明記されている事です。

我々は”憲法の条文”に従って行動をとっているだけです。

これからも我々は同胞の”生きる権利獲得”に全力を注いで行きます。

一度きりの人生を謳歌させる為に。

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