2013年6月11日火曜日

『場の存在心理学〜或いは常態行動個別存在心理学』


人にはそれぞれその人にしかないテリトリーがある。

例えば古き良き時代ならば台所は母親のテリトリーであった。
書斎は父親のテリトリーで居間は家族団欒のテリトリーであった。

個室が一人一人にない時代は一つの部屋に何人もの人が同居する形をとっていた。
今も大家族や親戚が常、何らかの形で家にいる家庭などはそういう場合もある。

道具を長く使うと魂が宿ると言われているが実は場所にもそんな魂が宿る事がある。
台所に立つのが母親だけだったり書斎には父親以外誰も父が在室している時には入れないという事になるとその場所自体にその人の存在感と言う物を人は感じる傾向にある。

それが場の存在性という物である、平たくいえば”所有者意識の残存効果”という者。
利用者以外の侵入を利用者自身が強く拒んでいるとその”思い”が場にも残存する。

例えば父親が亡くなり遺品の整理で書斎に入る、されど何故か居心地の悪さを感じる。
それがこの”残存思念”という物の”存在感”という物である。

何もこれはスピリチュアルな超心理学的物でも何でもなく極めて心理学的な物である。

物と場所にはその人自身の存在感を強く感じるように人の脳は出来ている。
芸能人の私物オークションに多くの落札者が居る理由の一つがそれである。

勿論芸能人の私物を手に入れられたという優越感は生物学的に説明が充分つく。
されどもっと大切な事はその”存在感”の方である。

持ち主がその人にとって影響がある人である程”存在感”は強くなる。
故にそれを身につける事自体が”存在感”を感じる事その物になる。
或いは元の持ち主の存在感が時にそれを身につける人に移る事もある。

昔から代々受け継がれる”家宝”というのも実はそんな”権威の象徴的移譲性”による物。
これは天皇様から拝謁した物、或いは先祖が殿様より頂戴した物はそれ自体に”権威”がありそれを継承する事は”権威の移譲”をそのまま意味するからである。

所が孤食主義が幅を利かせ、個室主義が横行してくるとこの”場の存在感”は喪失傾向にありそれはそのままその個室の利用者の”権威の失墜”にも繋がる。

そしてそれは日本的な”家長制度”その物の崩壊をも意味し家自体の崩壊を招く。

古くからの間違った”家制度”自体は私は反対派である。
だが、古くから言い伝えられ守られてきた”伝統”迄も無くなる事は日本人としてのアイデンティティーの喪失に繋がると私は考えている。

”孤食主義””個室主義”が幅を利かせても”場の存在感”だけは残したいと願う一人である。

まぁかくいう私は今でも居間と台所はとても居心地が悪く自室が一番落ち着くのだがw

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