2013年6月16日日曜日

『弱音を吐けない』事と『弱音を吐かない』事は同義ではない常態行動心理学的根拠


『弱音ネタ』が意外にも反響が大きかったので調子こいて『弱音ネタ』をもう一つ。

多くの方が誤解をしている事があります。

それは『弱音を吐かない』事と『弱音を吐けない』事は同じではないという事です。

そして『弱音を吐かない』とする多くの人が実は『弱音を吐けない』人であるという事。

その事に自覚がある人は未だ救いがあるのですがその自覚がない人が実は一番怖い。

例えば『無痛症』という難病があります、全ての痛みを感じないという病です。

骨折しても皮膚を切っても一切の”痛み”を感じないという人です。

神経系の病気ですが『弱音を吐けない』人は上記難病に匹敵する怖さが有ります。

つまり過去に於いて余りにも過酷過ぎる現実が長く続いてしまったが故に『弱音』を感じる感覚が麻痺をしているという事です。

これは生物学的な『リミットブレイク』平たく言えば『脳内麻薬垂れ流し状態』です。

脳は神経的に疲弊していてもそれを感知する場所が麻痺しているのでそれを感じない。

されどそれは疲弊していないのではなく疲弊を感じていないだけです。

そのまま放置すれば疲弊度が限界値を超えそれは廃人を意味します。

体は丈夫でも心が壊れてるのでそれは『生ける屍』とおなじ、生きているとはいえない。

勿論そういう人に人は寄り付かずどんどん人は去って行きます。

その現実から目を背ける為にどんどん『麻痺』の度合いは増して行きます。

そういう場合どうするか?我々は『心の痛み』をお与えする事でそれを回避しています。

どんな『麻痺』をした人間でも必ず一箇所だけ『麻痺していない場所』が存在します。

我々はその『心の泣き所』を突き『痛みを感じる自分』に気づかせます。

そしてその事を”肯定”させ”麻痺状態”を徐々に解いて行きます。

結構長期の治療となりますがそれでも我々はそれを厭わない。
辛抱強く同胞に寄り添いその作業を進めて行きます。

全ての治療が終わった同胞の顔は生き生きと輝き感情豊かな人になっています。

その瞬間に出会う為に我々は日夜戦い続けているのです。

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