2013年6月9日日曜日

『常態行動言語心理学的依存行動を止められない本当の訳とは?』





依存行動とは例えば喫煙、飲酒、ギャンブル等毎日或いは規則的に行っている行動の事。

平たく言えば”依存症”である。

常態行動言語心理学的にいえばその行動自体が常態化されておりそれを行う事自体が”当たり前”となっておりそれを行わない行動を取ると脳が誤動作を起こしそれが違和感となって脳に伝わりその違和感を除去する為に又、依存行動に走るという悪循環になるという物。

減感作療法のように徐々に本数や回数を減らして行く方法が今の精神神経内科の主な治療法だし最近はそれらをやめさせるグッズ販売も多い。

されど実はこの依存行動に走るもう一つの要因がある。

それが周囲との関係性である。

毎日パチンコに行く、煙草を吸う、酒を飲む人の多くはそれをする他の人達との交流も大きな目的の一つ。

同じ場所へ移動し或いは同じ話題を共有する事で自らの存在意義を其処に見出しそれを生きる糧としている人も意外と少なくないのが現状である。

調べてみると現役バリバリの人よりも引退して時間を割と持て余している人の割合の方が多い事が解る。

エコノミックアニマルと揶揄される程高度経済成長期以降日本は諸外国に追いつき追い越せとばかり仕事に明け暮れていた。

それは”敗戦”という日本人にとって堪え難い苦痛を経験した者の言わば”最後の誇り”のような物がそれをさせていたのだと思う。

そしてその人達の”生来型遺伝子”が受け継がれ又、その人自身の”学習型遺伝子”が周囲に自分と同じ境遇の人と出会う事によりそれらの正しさを”学習”しそれが今の日本の繁栄の礎となっている

つまり日本人にとって”働く事”は即ち”生存証明”と同じ位置付けを持っていると言って良い。

昔からの諺にも”働かざる者食うべからず”という言葉もある。

働かない者は食う資格がないというそのまんまの意味だが武士階級の時代より日本人は働く事でアイデンティティーを確立してきたと言っても良いだろう。

故に体が弱く戦争に行けなかった男子は非国民とされ、又、生きて帰って来た者も身内以外からは白い目で見られていた現状がそれを物語っている。

そう言うお国柄で育ってきているので”働く事”というのが特に男達にとっては”生存証明”であり”勲章”であった。

今もそれは変わらない。

されど退職し復職も叶わず家庭での居場所もなくなった彼らにとって”同じ趣味を持つ仲間”は彼ら自身の”生きる糧”に等しくなる

毎日その場へ赴く、毎日同じ話題で盛り上がる、この”毎日”という言葉が実はキーワードである。

この”毎日”という言葉が常態行動を示しておりそれは仕事人間だった頃のルーティンワークと同じ意味合いを持つという事を示している。

その”依存行動”を急に止めるという事はその場の仲間から外れるという事を意味する。

それは即ち”アイデンティティーの喪失”にも等しい行為である。

それ故にそれを止める事を日本人は特に嫌がる傾向にある。

そういう方々にはそういう場よりももっと高いレベルの場を用意しそちらの有用性を高める事で嗜好性から段々と遠ざける方法がある

貴方のような立派な方があのような場に居ては貴方の過去の功績に傷が付きますと説得しそれがない新たな人脈作りに奔走する。

そしてその中に”社会的地位の高い人”を必ずグループの中にいれて置く事も大事。

こんな人が此処には居るんだ、自分もこんな人になりたいと思えば人の気持ちは案外簡単に変わる。

そして簡単に変われば嗜好性もこれまた意外と簡単に変わる物である。

こうして我々は凡ゆる依存症や依存行動脱却に務めている。

何も依存行動とは喫煙、飲酒、ギャンブル等に限らない。

痴漢や下着泥、ストーカー等の犯罪行為もその範疇である。

それらの抑止或いは改善にも我々は一定の成果を出している。

家族にそういう人がいる方、色々な犯罪被害者の方の救済も我々の大事な仕事の一つである。

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